ふたつの思い





「結論から言おう」

ざわりと。
風が木の葉を揺らして。
耳に不協和音が響く。
風が嫌な予感を運んで来るかのように。
空気が重くなる。

「お前さんの病は労咳だ」

ずしりとその言葉が重く圧し掛かって。
心臓の音が大きくどくんと鳴り響いた。

眼前が真っ暗になったかのように、己の眼は何の景色も映さなくなる。
ただ残酷な運命を告げられた総司の哀しい笑顔だけが俺の眼に焼きついて視線を逸らす事が出来なかった。





**********





その日から。

俺はまともな眠りにつく事が出来なくなった。
身体は疲れているはずなのに。
頭の中は現実を受け止める事が出来ずに、ただ真っ白で。
何も考えられず。
目を閉じても総司の姿が幾度も過り、わけもわからず胸が締め付けられた。

もちろん仲間が死病であると聞かされればそれなりに辛いのは当然だろう。
総司とは今までずっと共に新選組の幹部として一緒にいたのだから尚更。

しかし新選組という場所は決して甘い世界ではない。
人を殺す事が日常で。
我々にもいつ死が訪れるかわからない。
人を殺す者として、誰かに殺される覚悟は常にある。

幾度となく俺の手で人の命を奪ってきた。
そして俺は何度も近くで仲間の死を見続けてきた。
だから自分が死ぬ覚悟はもちろん、仲間に死が訪れる覚悟もしてきたはずだった。

総司とて例外ではないのだ。

ただ少し。
戦場で敵と刃を交え、闘いの中で命を散らす。
そんな己の想定していた範囲から外れた“死”が迫っているというだけ。

それなのに何故こんなに息が苦しくなるのだろうか?

夜が更けてゆく中。
俺は布団の中に潜りながら固く目を閉じた。
それでも深き眠りに落ちる事はなく。
気付けば陽が昇り、朝が訪れていた。

頭が重い……
横にはなっていたが一睡も出来ず朝が訪れてしまった。
仕方なく布団から身体を起こして着替える。

起床時間よりは早い。
疲れが取れていないというのならば少しでも寝ておくべきだと思う。

だがこのまま布団に潜っていてもちっとも休まる気がしないのだから。
それならばと思い、起きる事にした。



障子戸を開ければ朝日が辺りを眩しく照らしていた。
俺の心とはまるで正反対だ。
気持ちの良い晴れやかな空気が恨めしくなる。

昇り始めた太陽の光に目を細め、部屋を出ると道場に向かった。
まだ皆眠っているのだろう。
辺りは静寂に満ちていて、早起きの小鳥たちが羽ばたき、さえずる声だけが大きく響いている。
当然道場に人はいない。
俺は一人、そこで木刀を握ると徐に素振りを始めた。
何度も……何度も……
己の中に渦巻くわけのわからない苦しく身を裂くような感情を断ち切るかのように。

それでも……
俺のしている事は無駄な事のようだった。

何度木刀を振り下ろそうとも。
決して断ち切る事が出来ない。
消えてはくれない胸の中に燻ぶる感情。

何故こんなにも息苦しいのだろうか?

「……今までの俺は……こんな事で揺るぎはしなかったはず……」

木刀を持つ手が震えている。
まるで何かに怯えているかのようだ。

俺は何を恐れているというのか?
今更何を恐れる事があるのだろう?

いや。
俺は知っているのだ。
この押し寄せる感情の正体を。
言い知れぬ不安の正体も。
ただ認めたくないのだ。
この感情に蓋をして、知らぬふりをして。
出来る事ならこの想いがこのまま消えてしまえばいいと。
気づかぬまま何事もなかった事にしてしまえば問題なくこれからも今まで通りでいられると。

しかし感情とは上手く制御出来ぬものだ。
無心になって自主稽古でもすれば迷いを打ち払えると思っていたのだが……
結局胸の内はざらついたような、何かが詰まったようなすっきりとしない感覚のまま。
やはり俺の頭の中からは総司の事が離れない。

苦しい感情は軽減するどころかますます重たくなってゆくように感じて道場を後にした。



俺が一人悶々としている間に起床時間になったようで、人の気配が屯所内でちらほらと動き始めている。

そろそろ朝餉の用意も出来る頃だろう。
広間へ向かいながらぼんやりと空を眺めれば澄んだ青に柔らかい白色が流れてゆく様子が見えた。
同じようでいて少しずつ姿を変える空にこの時を止める術はないのだと言われているような気分になり、思わず視線を下へと戻す。

すると。

「おはよう、一君」

俺の前に突然現れた人物に声を掛けられて心臓の音が跳ね上がる。
ずっと頭を離れず己に痛みを与えている張本人。
もちろん相手が意図して俺を苦しめているわけではないし、責めるのも筋違いだ。
それに俺よりもずっと辛い立場であろう事も理解している。

だから何も言えない。

「今日もいい天気だね」

そう言って俺に微笑みかけた総司は今までと何も変わらなかった。
とても死病を宣告されたとは思えないその言動。
いつも通り過ぎて逆に俺の方が戸惑ってしまうくらいだ。

「…………ああ、」

何とか相槌を打ちはしたが、その先の言葉が続かず、途切れる。
そのまま総司に掛けてやる言葉がまったく見つからずに沈黙が流れた。

「……どうしたの?一君顔色が悪いよ?具合でも悪いの?」

あろう事か労咳だと宣告された総司にこちらの体調を心配されてしまう始末。
なんて情けない。

「一君、真面目だから色々気負い過ぎたりしてるんじゃない?少しはゆっくり休めばいいのにさ」

くすくすと笑う声が頭上に響く。
まるであの宣告が夢であったかのようで。
もしあの時、あの場に俺がいなかったら。
もしあの時、松本先生と総司の会話を聞いていなかったら。
きっと何も知らぬまま今まで通りの日常が続いていたに違いない。

そう思うとますます胸が張り裂けそうになって、己の拳を強く握った。
唇を噛み締める俺の姿に総司は怪訝そうな顔でこちらを見る。

「一君?本当に体調が悪いんじゃあ?」

笑い声が消えて冗談ばかり口にする総司が妙に不安そうな口調でそう零す。
そして伸ばされた手が俺の額に触れて驚いてしまった。

触れた総司の手から熱が伝わってくる。
通常よりも高いその熱に反応したかのように俺の頭に血が上った。
頬が突如熱くなり、己の顔が見えずともわかる、真っ赤に染まっていると。

「ん〜?熱は……ないかな?」

少し屈んで俺と視線を合わせる総司。
その顔が間近に迫って俺の顔を覗き込んでくる。
息がかかるくらいの距離に俺は正直身が持たないくらいの緊張感を感じていた。

普段命をかけた戦場に飛び込む事も多いというのに、それ以上に緊張するとはどういう事だろうかと問いたくなる。

「ああ、熱があるのは僕の方だったね」

「ごめん」と謝りながら総司の手は離れていった。

「熱がある僕と比べてもわからないや……」

どこか寂しそうな哀しそうな瞳がこちらを見て揺れている。
先日の事がなければ大して気にも留めなかったであろうその表情。
だが、今の俺には総司の表情がとても切なく見えて思わず息を呑む。



何か――
何か気の利いた言葉を――



そう思いながらも何も言葉は浮かばず。
総司の身体はどんどん離れていって……

「僕の風邪をうつして一君の体調が悪化したら困るよね。あんまりそばにいない方がいいかな」

小さく呟いた総司の声が己の耳を通して俺の身体に重く、ずしりと圧し掛かった。

そして総司は俺の前から去ろうと踵を返す。
先程触れていた手も、息がかかる程近くにあった顔も。
どんどん離れてゆく。



喪失感。



己の中にある感情が総司の存在で大きく動かされている事の実感。

近くにいて欲しいと。
失う事への焦り。

何故?

今まで多くの命が失われる所を見続けてきた。
同じ志を持った仲間の命が目の前で奪われた事もある。
己の力及ばず救えなかった命もある。
そして俺の手で奪った命も沢山ある。
今更俺は死を恐れはしないだろう。

仲間を失う事はもちろん辛い事だ。
それでも……
幾度も味わってきた痛みだ。

こんなにも俺が恐れているのは。
総司が他の者とは違う、俺にとって特別な存在だからなのだ。

俺は……



総司の事が好きなのだ――



すっとそんな答えが俺の中に自然と流れ込んでくる。
まったく気づいていなかったわけではない。
総司は俺にとって特別な存在であると。
それは友情や仲間意識などといった類のものとは違って。
人生を歩んで行く上で、その道を共に歩いて行きたいと思える唯一無二の存在で。
おそらく“恋”と呼ぶのだろう。

誰よりも愛おしくて、何よりもかけがえのない存在故。
失う事がこれ程恐いのだ。

自ら認められず、蓋をしていた感情が、耐え切れずに溢れ出し、とうとう爆発したように解放されて。
もやもやと霧がかかったような己の胸の内がはっきりと見えるようになった。

今までずっと、そばにいるのが当たり前で。
気づかないふりをしてきたのだ。
“恋”という感情に。

総司といる時の俺はとても満ち足りていた。
今の関係を壊してしまったらそばにいる事が出来なくなってしまう気がした俺は、必死で総司への想いを押し殺していた。

失うと知った時の心に穴が開いたような空虚な感情。
反して総司の哀しげな笑顔を思い出す度訪れるのは、胸に込み上げる重苦しさ。
鉛が詰まったような異物感。
これ程に俺の心を奪い、痛みを与える恋の病というやつもまた不治の病に違いない。



額に触れていた総司の熱の名残がジワリと身体中に沁み渡る。
この熱がいつか失われてしまう前に、俺は何をすべきなのだろう?

きっと俺に出来る事など限られている。
総司に巣食う病魔を俺の一太刀で一掃出来るわけでもない。
病を隠している総司にあからさまな手助けも必要とはされないだろう。

だが……
何もせず、このまま何も知らなかったと目を瞑り、やり過ごす事は出来ない。
そんな事をすれば後々、後悔する羽目になるだろう。



焦燥感に駆られ、去ってゆく総司を無意識に追いかける。

廊下の角を曲がり翻る着物の裾を視界に捉えるとそれに手を伸ばした。

「総司っ!」

大きな物音を立てて近づいたわけではないが、気配を消したわけでもない。
それなりに慌てて追いかけたのだから、気配に聡い総司は俺が裾を掴む前から気づいていただろう。
それでも総司は驚いたような表情で振り向いて俺を見た。

「……どうしたの?一君。そんなに慌てて……」

いや。
驚いたというより俺の姿を見て困惑したような顔をしている。

はっとして息を吸い込んだ。
通常ならばわからなかった。
常時ならば気にならなかったであろう程度の微かな言動の違和感。

しかし。
総司が何かを隠すように右手を後ろへ回した事。
左手は胸の辺りの着物を握り締めていた事。
それは総司が喀血したのだと言っているようだった。

ほんの少し目を離しただけだというのに。
総司は俺の見ていない所で病に苦しんでいるのだ。

おそらく、松本先生から告げられる前から。
自分の身体の不調には気づいていたのだ。

総司に残された時間がどれ程のものか、それは誰にもわからない。
だが、決して長くはないのだろう。

この一瞬一瞬を。
無駄になどしたくない。
少しでも多く、総司と共にこの時を生きて行きたい。

その為には、躊躇っている暇などありはしないのだ。
だから俺は思い切った。

「総司……」

その名を呼んで一呼吸。
心を落ち着けるように息を吸い込んではゆっくり吐き出す。

「お前に、言っておきたい事がある」

決意した俺の瞳が、困惑して揺れている翡翠の瞳を捉える。
射抜くように鋭い眼光で獲物を狙うような緊張感。
徒ならぬ俺の様子に総司も身を固くしたのが何となく感じられた。

「な、何…?」

探るように揺れる瞳が俺の顔を覗き込む。

俺は着物の裾を掴んでいた手を離すと、そのまま胸を押さえていた総司の左手を掴み取った。
びくっと揺れた肩には構わずそのまま距離を詰め、背伸びをし、なるべく耳元に近い場所でそっと告げる。

「俺はお前が好きだ。……愛している」

然程大きくはないが、凛とした声音で堂々と告白した。
総司の中にだけ大きく響けばいい。

揺れていた瞳が大きく見開かれ俺を見る。
何を言われたのかわからないとでも言いたげな、問うような視線。
微かに開いた口は何も言えずに唇を震わせるだけ。



―――流れる沈黙。



鳥のさえずりと時折木の葉を揺らす風の音だけが二人の間の沈黙に割り込んで来る。
俺は口が達者な方ではない。
会話の最中に静寂が流れる事も少なくなかった。
だからほんの少し、時が止まったかのように訪れる静けさは嫌いじゃない。

しかし、緊張しているからだろうか?
僅かな沈黙もえらく長く感じられて気持ちが逸る。
掴んだ手に力を込めて、呆けている総司を現実に引き戻そうと試みた。

「……言っておくが俺は本気だ」

冗談だと切り捨てられる前にそう釘を刺しておく。
はっきりと告げる俺の言葉に、総司がやっと恐る恐ると言った感じで口を開いた。

「意外だなぁ……一君。冗談みたいな事を、本気で言うんだもん。……驚いたよ」

おどけた態度を取ってはいるが、その声は震えている。
浮かべた笑みもどこか引き攣っていた。

「まさか、一君に男色の気があったなんてね。……でも生憎僕は衆道に足を踏み入れるつもりなんてないし、他を当たってくれるかな?」

視線を合わせているのが耐えられなくなったのか、ふいっと顔を背けながらそう零す総司。
ここまでおどおどした総司を見るのも珍しくて新鮮だ。
しかし、今はもどかしく、どうすれば俺の想いが受け入れて貰えるだろうかとそれだけを考えるのに必死だった。

「俺は別に元から男色の気があるわけではない!」

思いの外、声を荒げてしまう。

「お前だから好きになったのだ!他の男になど興味はない!」

叫ぶように己の心の内をぶちまけて、左手を掴んだまま、総司の右肩を掴み、勢いよく己の体重をかけるようにして押し込んだ。

俺より背が高いとはいえ、無防備だった総司は簡単に床に崩れる。
倒れた総司の肩を押しつけたまま、その身体の上に覆い被さった。
滅多に大声を上げる事などない俺の剣幕に、何より男に押し倒されたという現状に総司が息を呑んだのがわかる。

総司が隠していた右手から落ちたと思われる懐紙が視界の隅に入り、横目で見やった。
白い紙が微かに赤く染まっていて。
まるで抜き身の刀が俺の胸を貫いたかのような痛みが襲う。
だが病を隠す総司にその事を問い質すつもりなど毛頭ない。
問い詰めた所で病が治せるわけではないのだから。

ただ今の俺に出来る事は。
溢れる総司への想いを伝える事。

総司には迷惑な話だろう。
男に好かれるなど気持ちが悪いと思われるかもしれない。

それでも。
総司の事を大切に想っている者がここにいて。
総司が生きている事を心から感謝している者がここにいて。
その命が尊きものだと、簡単に投げ捨てていいものじゃないと教えたかった。



―――生きる事を最後まで諦めないで欲しい―――



その想いが俺を突き動かす。



「総司……」

名を呼び、視線で動きを封じるように見つめて。
俺は癖のある、ふわりとした総司の髪にそっと触れる。

俺の行動の意味を探るような動揺の色を滲ませた緑色の瞳が美しく、吸い込まれるようだった。

ゆっくりと顔を近づけて、その美しい翡翠を射抜くように覗き込む。
先程のように息がかかるくらい近い距離。

あの時以上の緊張感。
今はおそらく総司の方も平常心ではあるまい。
総司の身体を床板に押し付けるように肩に置かれている俺の手が感じている。
身を硬くして、鼓動を速める総司を。
張り詰めた呼吸を。

そんな緊張感の中、俺は躊躇いながらも総司に口づけようと更に距離を縮めていった。
あと少し。
もう少しで唇と唇が触れ合う。

もう少しで……



「……やめて!」



バシッ―――



触れそうになった唇から発せられたのは拒絶の言葉。
ほぼ同時。
総司の髪に触れていた俺の手が振り払われ、次には俺の右頬に平手打ちが飛んで来た。

「……っ!?」
「僕に近づかないで!」
「……総司……」
「どいてよ一君!」

顔を顰めた俺に叫ぶように訴えかけた総司は、なかなか体勢を変えない俺に苛立つ。
本気で焦ったような表情で俺の両肩を掴み押し返した。
そのまま俺を突き飛ばす。

ドンっと柱に背をぶつけてしまった俺だったがそれでも逃すまいと、起き上がった総司の着物を勢いよく掴む。

「嫌っ!離して!」

本気で俺を拒絶している悲痛な叫びだった。
そんな総司の態度に俺は胸が苦しくなる。
病を知った時とはまた少し違う絶望感。
ああ、俺は完全に嫌われてしまったと感じたのだ。
失恋とはこうも辛い想いをするものなのかと初めて思い知った。

だが拒絶されていても諦めきれない俺は形振り構わず総司に追い縋る。

「総司!俺は…っ!」



―――お前のそばにいたい。
お前のために何かしてやりたい―――



ただそれだけなんだ!



俺の言葉は声にならず、空しく途中で途切れ消えてゆく。
総司の着物を握る手の力だけは緩めず。
言葉に出来ない想いをぶつけるように激しく総司を引き止める。
再び総司を押し倒す勢いで掴みかかった。

「やめてっ!」

負けじと力む総司。
だが。

「……んっ」

体調があまり良くないらしい総司が俺に押し負けるのにそう時間はかからなかった。
先程と同じく総司を組み敷く形となり、俺は床に縫い付けるように圧し掛かる。

その時ちょうど廊下から慌ただしい足音がこちらへと向かって来た。

「おい何事だ!?総司!?」

総司の徒ならぬ叫び声を聞きつけたのか、副長が勢いよく走って来たようだ。
何だかんだ言っていてもやはり総司の事を大事に想っているのであろう。
慌てて駆けつけて来る辺りに副長の総司への愛を感じる。
微笑ましくもあり、俄かに覚えるのは嫉妬心か。

「……土方さんっ!」

苦しげな声でその名を口にした総司。
俺たち二人の様子に副長は厳しい顔つきをした。

「おい斎藤、何してやがる!?」
「……いえ、これは……」
「とにかく総司を離せ!」
「……はい」

何処から俺たちのやりとりを聞いていたのかはわからないが。
俺に向けられた副長の視線は明らかに冷たく鋭い。

副長に逆らうわけにもいかず、俺は大人しく総司の上から退く。
総司が安堵して息を吐き出したのが見えた。

「……けほっけほっ」

安心したからなのか、今の俺とのやりとりで息が上がったからなのか咳き込みだした総司に俺ははっとする。
心配で様子を窺うため、思わず再び総司の上に覆い被さろうとした。
しかし。

「斎藤、お前は総司に近づくな!」

副長に大声で制止させられて動きを止めるしか出来なかった俺は唇を噛み締めた。

「おい総司、大丈夫か!?」

俺が触れようとした総司の身体を副長が抱き起こし、その手で総司の背を優しくさする。
総司の咳が止まるまで必死で背をさすり、鬼副長と呼ばれているとは思えない程の優しい声をかける姿を、俺はただ見ている事しか出来なかった。

そのまま総司は副長に抱えられるように部屋へと運ばれたのだが。
俺はそばにいながらも何もしてやれなかった。
副長が俺に何かしらの警戒心を持ったため手を貸す事を拒まれたせいもあるが、それ以前に俺に出来る事など殆どないのだと思い知らされる。

総司を支えてやりたかっただけだというのに。
俺の行動は逆に総司を苦しめてしまったのだから。
悔しくてたまらなかった。

男に好かれるなど気持ちのいいものではないだろう。
ましてや接吻を迫られたなど恐怖でしかなかっただろうな。

冷静に分析している頭とは裏腹に俺の心がぎしぎしと悲鳴を上げている。
好きな相手から拒絶されたのだ。
感じる寂しさは計り知れない。

見上げた空は相変わらず青々としていて、真っ白な雲は少しずつ形を変えながらも美しく流れてゆく。
沈み込んだ俺の心とはまるで正反対の憎々しい程晴れ渡った空を一瞥すると、やり場のない怒りが込み上げて行った。





**********





俺はこの日を境に、徹底的に総司から距離を置かれるようになってしまった。
そしてそんな総司に近づく勇気もなくなってしまった俺はただ離れた場所から総司の様子を窺う事しか出来なかった。
総司は相変わらず労咳である事を皆に隠しているようで、俺を避けるようになった事以外は普段通りの様子だ。

いくら変わりないように見えるからと言っても、総司の病は確実にその身を蝕み続けているはずだ。
目には見えなくとも総司の命は今も削られ続けているのだと考えると居ても立っても居られない。
しかしだからと言って何が出来るわけでもなく、俺はただただ己の拳を握り締めるだけだった。

そばにいてその身体を支えてやる事が出来たらと。
そう強く願う俺だが、己の想いを打ち明けた時の総司の言葉が何日経っても消えてはくれないのだ。



―――『僕に近づかないで!』―――



俺は総司のそばにいてはいけないのだと思う。
総司のためを想うのならば、このまま身を引いて……

だが俺の中の恋心は振られたからと言って消えるわけでもない。
今まで蓋をしていた感情を解き放ってしまった俺は、抑えきれない欲望を日々胸の内に抱える羽目になってしまった。
抱いた恋情は消えるどころか募るばかりで、ますます苦しくなる。

総司に残された時間は少ない。
ならばその残された時間の全てを俺のものにしてしまいたい。

けれど総司はそんな事を望んではいない。
俺の想いをぶつける事は総司にとって迷惑でしかないのだ。

では俺は一体どうすればいいのだ?
どうすれば総司のためになるのだろうか?

たとえ嫌われていたとしても。 病を隠し、無理をし続ける総司を支えてやりたい。
そう思うのはいけない事だろうか?

今日の空も真っ青で雲は穢れを知らない程の美しい色をしていた。
陽の光が暗闇に囚われたままの俺に容赦なく照りつける。
思わず眩しくて目を細めてしまう。

あの日以来、総司の体調は良くなくて床に伏せがちであったが、昨日はどうやら回復したらしく食事も普通に取っていた。
俺も少しだけほっとしたが、やはり言葉を掛けづらい状況は変わらない。
少し離れた場所から総司の様子を眺め、困った事は起きていないか、不自由な思いをしてはいないかと陰ながら注意をしていた。
気配に聡い総司から身を隠すのも難しいのだが、俺は気配を消すのが得意な方である。
今の所は気づかれていないだろうと思う。

そんな総司が率いる一番組は今日、巡察の当番らしい。
副長は複雑な表情で総司を見ていた。
病み上がりのような状態の総司に巡察を任せていいのかと自問自答しているような様子だ。
それでも総司は何食わぬ顔で巡察に出る気満々である。
副長がこっそりため息を吐いたのが俺の目に入った。
そして躊躇いながらも一番組を見送った後。
監察方の山崎に耳打ちする。

「総司の事を見張っておいてくれねえか?本人は平気な顔をしちゃいるが、相当無理してやがるのは見え見えだからな。何かあったら知らせてくれ」

副長の言葉に頷いた山崎が駆け出す。
憂わしい瞳で副長は山崎の姿が見えなくなった後も屯所の外を見つめていた。

だが日々仕事に追われている副長は一番組の後を追う事も出来ず、やがて後ろ髪引かれるような思いを瞳に宿したまま自室へと戻って行く。

巡察は総司一人で行っているわけではない。
一番組の隊士である者達はそれなりに腕が立つ。
山崎も尾行しているようだ。

ならば問題はないだろう。
そう思うのに。
やはり気になって仕方がない。
俺がそばにいた所で何が出来るわけでもないだろうに。

俺が何も知らない間に、目の届かない所で総司が苦しんでいるのはとても嫌だった。
苦しみを和らげる事は出来なくとも、せめてその苦しみを隠さず教えて欲しいと願う。
その辛さを共有したいと思った。

勝手な片恋だ。
総司のすべてを知りたいと思うのは俺の願望であり、総司の近くにいたいと思うのも俺の欲望なのだ。
総司が俺を望んでいるわけではない。
それでも俺は求めずにはいられなかった。

無意識に屯所の門の外へと飛び出して行く。
既に追いかけるには遅いのかもしれない。
もう一番組の姿は確認出来ないのだ。
その後を追った山崎の姿も見えず。
しばし立ち尽くす。
だが巡察で向かう場所といえばある程度推測出来る。
気を取り直して俺は京の街を走り回った。



あの時、俺の額に触れた総司の手の熱が蘇って来る。
通常の体温よりも高いその熱さに不安が込み上げて、走る速度が速まってゆく。

あの日以来体調を崩し更に熱を上げていたようだった。
昨日下がったとはいえ誰の目から見ても万全の体調であるとは言えない。
だからこそ副長も巡察に出向く総司を複雑な思いで見送ったのだろう。

無理を続けて、ひたすら剣を振るい、その短き命を更に削り、散り急ぐ桜の花のように人の心を惹きつけておいてあっという間に消えゆくなど、誰が喜ぶのだ?
頼むからその身体を労わり、今すぐに療養して欲しいと思う。
しかしそれは総司にとってありえない選択なのだろう。

俺にだってわかる。
剣を振るい、戦場に立ち、戦いの中で生きて、そして死んで逝きたいと。
俺の思い描く武士としての生き方とはそういうものだ。

総司にとっては局長である近藤さんの役に立つ事がすべてで。
新選組が総司の居場所。
ならば新選組を離れろと言うのも酷だ。

この先総司が剣を握り戦場に立てなくなるその日まで、俺は共に戦い、そのそばで総司を支え続けて行きたい。
そしてもしも戦場に立つ事さえ叶わなくなった時には、俺が総司の生きる理由と居場所を作ってやりたいと思う。

総司が俺を嫌っていようと構わない。
俺が総司を想っている事実は変わらないのだから。



そんな事を考えている内に時間はどんどん過ぎて行った。
それでも一番組の姿を未だ見つけられず一人舌打ちをしてしまう。

もう巡察を終える頃ではないか?
俺が追って来た意味はないのかもしれないな。
結局何の役にも立てないのだ、俺は。

そう考えて足を止めた。
屯所へ戻ろうと踵を返す。
すると。



サアっ―――



生温い風が頬を掠め、己の髪がふわりと舞った。
憎らしい程真っ青な空に穢れを知らぬ真っ白な雲。
それらが突然色を変え始め、不吉な風が辺りを揺らし出している。

胸騒ぎがした。



ゴロゴロ―――



遠くで空が唸り。
地上を照らしていた太陽が雲に隠されてゆく。
あれ程真っ白だった雲が闇色に染められて。
青い空はまるで急に夜が訪れたかのように暗くなる。

風が吹く度に湿った空気が肌を撫でた。
遠雷が地響きを起こすかのように鳴り響き、俺の心までもが震える。

夕立が来る。

そう思った直後。
ポツリポツリと空から落ちて来た雨水が地面に滲み込む。
そしてあっという間に雨は激しくなり大きな音を立てて地面を打ち出す。

己の服が雨水を吸い込みずしりと重みを増した。
雨宿りなどする間もなく急な夕立にずぶ濡れとなってしまう。

だが俺は自分の心配などしている余裕はなかった。

体調が万全でないにもかかわらず、びしょ濡れになって身体を冷やしているであろう総司の姿が脳内に過り、必死で雨の中を駆ける。
水溜りを踏んで泥水が着物の裾を汚そうと意に介せずひたすら走っていた。

やがて。
人目を引く浅黄色の隊服が雨で霞む視界に飛び込んで来て思わず叫ぶ。

「総司!」

だが俺の声は激しく地上に降り注ぐ雨音で掻き消されたのか届いていない様子だった。
周りに一番組の隊士達の姿はなく、代わりに監察方で総司の後をこっそりと尾行していたであろう山崎が隣に立っていた。

「沖田さん、すぐに屯所へ戻って下さい!」
「どうして君にそんな事言われなきゃならないのさ?」
「どうして?じゃありません!こんな雨の中で出歩くなんて風邪を拗らせるだけです!」
「巡察が終わった後で僕が何をしようと別にいいじゃない」
「よくありません!ご自分の身体をもっと大事にして下さいと何度言わせるつもりですか!?」

どうやら言い合いをしているようだ。

「ああ、巡察が終わったから隊服は脱いだ方がいいって事だね。じゃあこれ君に預けるから屯所に持って帰っておいて」
「そういう問題じゃありません!」

雨に濡れてしまった隊服を脱ぎ、押し付けるように山崎に手渡した総司はいつものように笑みを湛えているが、顔色はかなり悪い。
何とか説得を試みようと山崎は一歩も引かない様子で食い掛かっていた。
俺はそんな言い合いを続ける二人の中へと飛び込み総司と山崎の前に立つ。

「総司!」
「は、一君……?」
「斎藤さん?」

二人が驚いた顔で俺を見た。
総司が俺の声に肩をびくりと揺らしたのが見えて、やはりまだ避けられているのだと思う。
軽く総司が一歩後ずさりまでして距離を取る。

だがそれを気にしている余裕はない。
今は出来るだけ早く、総司を屯所へと帰し、ずぶ濡れとなった身体を乾かし、冷やした身体を温める事が大事だ。
そう思い俺が口を開いたのと同時だった。

ふらりと総司の身体が揺れる。

「……っけほ…」

小さく咳き込んだ後。
力が抜けたように前に倒れて行く。

「総司!?」

慌てて俺は倒れ込む総司の前に立ち、地面に崩れる前にその身体を何とか受け止めた。

ずぶ濡れの着物越しに総司の熱を感じて鼓動が跳ねる。
荒い息が俺の頬に当たるとつい緊張してしまうが、冷たいのか熱いのかわからぬ総司の身体に焦り、山崎に叫ぶように頼み込む。

「近くに雨宿り出来そうな所がないか探してくれ!この状態では屯所に戻るのも辛い」

言い合いをしていた山崎も突然倒れ込んだ総司に慌てふためいているようで、俺の声に頷きそのまま街中を駆けて行った。

水を含み重みを増した総司の体重が俺に圧し掛かった状態のまま。
総司が苦しげに呼吸を繰り返す。
普段着物をゆったりと着ているせいか見ているだけではあまり気づけなかった。
密着した身体の細さに俺の胸が張り裂けそうになる。

少しでも早く雨を凌げる場所へと連れて行ってやりたくて。
俺より背の高い総司の身体を背に背負うと、山崎の駆けて行った方へと歩み出した。

俺の背にずしりと重みを感じて、まるで大きな石でも背負っているような錯覚を覚える。
総司の体重が重いというわけではない。
この命の重みを感じているのだ。
俺一人の力では支えるには重すぎるだろう。
それでも俺は少しでも力になりたいと願って止まない。
唇を噛み締めながら踏ん張り、俺は総司を背負って少しずつ前へと進んで行く。

雨は容赦なく俺たちに降り注ぎ、鞭を打つような激しさであった。
地面を叩く音が周りの音を掻き消していて、雨音以外は何も聞こえない程だ。
そんな中、俺の耳元に総司の吐息が掛かり、小さな呟きが届く。

「……だ、めだよ……」

弱々しい声は雨の音に呑み込まれそうで、耳元でなければきっと聞き取れなかったであろう。
背負われている総司が突き放そうとするかのように、俺の肩に置かれた手に力を込めた。
だが、俺は総司を背から降ろすつもりなどない。
総司を落とさないように足に力を入れて踏んじがる。
総司に嫌われているのだろうと思うと心が折れそうになるが、今はそんな場合ではないと思い耐えた。

そんな俺に再び呟く総司。

「僕に、近づいたら……」

雨の音に消え入りそうな声で零れる言葉。

「風邪……うつしちゃ、う……」

最後の方は殆どが雨音に掻き消されて、俺の耳元をほんの小さく掠めてゆく程度であった。



……今、何と言ったのだ……?



そう問いたくなる言葉。
風邪をうつしてしまう……だと?

思わず振り返り、肩越しに総司の顔を覗き込む。

ぐったりとした様子で俺の背に身を預けざるを得ない状況に瞳を潤ませながら熱い息を吐き出していた。
心臓の音が徐々に大きくなり、雨音に匹敵するんじゃないかと思われる程に俺の中で鳴り響く。

「総司……」

名前を呼べば、ぴくりと身体が反応し、互いの目が合う。
蒼白な顔をしていても、翡翠の瞳は艶やかに揺れていてとても綺麗な色をしていた。
そんな色っぽい濡れた瞳が居心地悪そうに俺を見つめている。

「……僕のそばにいたら、きっと……後悔、する事になる」

地を揺らす遠雷が俺の心を揺さぶっているかのように響いて。
総司の震える声が俺の心を打ちつける。

労咳とは人にうつる病気であると。
知っていたはずだが。
深く考えはしなかった。
総司の命が長くはないという哀しい現実だけが俺の頭を支配していて。
総司の気持ちをきちんと理解してやれなかったのだ。



“近づかないで”



それは総司の優しさから出て来た言葉なのだと。
何故気づけなかったのだろう?

俺は総司の事を想い、気遣っていたつもりでいた。
だが結局己の気持ちしか見ていなかったのだ。

俺は呆然と立ち尽くしてしまい、総司が再び肩を押して背中から離れようとすればずるりとその身体が崩れ落ちてしまう。
絶対に落とすまいとしていたのに。何たる不覚だ。

土砂降りの雨は止む気配を見せず俺たちを打ちつけている。
総司は水溜りの中尻を付きその場に座り込む。
己の力で立ち上がる気力がないのか俯いたままその場を動かなくなった。

俺は慌てて後ろに向き直り、膝を付きながら総司の顔を覗き込んだ。

「僕は……誰にもうつしたくない……」

雨の音に混じるように零れた言葉が俺の心臓を打ち、弾ける。
無性に総司を抱きしめたくてたまらなくなった。

「俺は……」

決意を込めた眼差しで一度空を見上げ、天から落ちて来る雨のような激しき激情をぶつけるように力いっぱい総司の身体を抱きしめてやる。

「お前のそばにいたい。お前に何と言われようと構わない」

激しく降り続ける雨から守るように腕の中へと包み込む。

「お前の苦しみも哀しみもすべて、俺に分けて欲しい。うつせるものならうつしてみるがいい。俺はこう見えて頑丈に出来ているからな」

抱きしめる手に力を込めながらそう言い放つ。

「……僕の風邪は……たちの悪い“風邪”だよ?……うつったらきっと、後悔する……」

震えて途切れがちにそう呟く総司は、まるで何かに怯えている子どものように縮こまっていた。
大きな不安を抱えているのがわかる。

そんな総司の頭をそっと撫でてやると、軽く俺の着物の袖を掴んで来て甘えるような仕草をしてきた。
それを見て嫌われてしまったのだと思っていた俺は少しだけ安心する。

労咳だと宣告されてなお、ただの“風邪”だと言い張る総司。
真実を打ち明けてもらえないのは悲しかったが、それでも今の総司は抱えきれぬ不安を隠しきれず、俺に甘えてきてくれているのだ。
だから今ならば俺の想いに少しは耳を傾けてくれるかもしれないと思った。

「俺はお前が好きだ。だから俺が後悔するとしたら、それはお前のそばにいられぬ事だ」

先日告白した時には受け入れてもらえなかった。
俺だけが総司に避けられてしまったと思い込んでいた。
だが総司はおそらく他の誰に対しても距離を取ろうとしていたのだろう。
もちろん俺を特別警戒していたというのは確かだが。
先日無理矢理口づけようとしたのだから仕方あるまい。

俺はたとえ総司が労咳であろうとそばで支えたいと思う。
俺にうつるのならばそれもまた総司と共に朽ちる幸福な終焉となる。

「俺の幸せはお前と共に在れる事。お前が一緒ならばどんな“風邪”も俺は恐れはしない」

俺が本当に恐れているのは“死”ではないだろう。
俺が恐れるのは総司と共に在れなくなる事。



「……は…じめ君……。僕は、誰にも迷惑……かけたく、ない……。でも……」



俺の腕の中に埋められていた総司がもぞりと身動ぎをして、ゆっくりと顔を上げた。
俺の着物の袖を握っていた手に力が込められる。
まるで俺に縋るかのような仕草は、あの日総司に拒絶された時の必死な俺の姿を見ているようであった。

震える唇で小さく零れる総司のもう一つの隠された思い。



「……独り…は、寂しい…よ……」



カッ―――



白刃の刃が振り下ろされたかのように、暗黒に満ちた空を切り裂く雷が光る。
目の前にある総司の顔がその閃光に照らされて、雨に濡れて乱された様がまるで泣きじゃくった子どもの顔のように見えた。
実際に涙を流しているのか否か。
それはこの激しき雨の中では判断がつかぬ。

しかしおそらく総司は心の中ではこのように乱れるままに泣いているのではないだろうかと思う。
誰にも弱い部分を見せたがらず、いつもと変わらぬ態度で飄々としているが、本当は誰にも想像出来ない程の苦悩を抱えているのではないだろうか。

「近くにいちゃ……駄目だと思うのに……」

しゃくり上げて泣きじゃくる子どものような声音で俺に訴えかけてくる。

「……みんなのそばにいたいって……そう思っちゃうんだ……」

おそらく俺の告白の言葉を聞いて総司の中で何かが爆発してしまい、抑え込んでいた感情が溢れ出してしまっているのだろう。

「そばにいたら、迷惑かけちゃうのに……。僕は新選組を……離れたくない……」

相反するふたつの思いがぶつかり合って。
雷鳴響く中、総司の言葉が雨水に押し流されて俺の胸の中へと押し寄せる。

独りで思い悩む総司を俺の力でどれだけ支えられるのだろうか?
俺一人では重すぎるであろう事は重々承知している。
それでも。

俺は総司を守りたい。
最期の一瞬までずっとそばで支え続けたい。

「一君……、僕が好きだって……言ってくれたよね?」

恐る恐る総司が口にした問い。
俺は「ああ」と頷き、真剣な眼差しを総司へと向ける。
総司は俺の瞳を覗き込むように見つめて、心の中を確かめようとしているように見えた。
やがて震える唇が言葉を紡ぐ。

「……初めは驚いたけど……でも、嫌な気はしなかった……」

雨音が耳触りだった。
総司の声は今にも消え入りそうで、必死に耳をすませる。

「だけど……“風邪”をうつしちゃ……いけないと思ったから……」

今にも息絶えてしまうんじゃないかと思う程の弱々しい声が、激しき雷雨の中に震えながら溶けて流れるようだった。

「……そばにいない方がいいと……思ってたのに……」

雷が大地を震わせて迫り来る。

「僕のそばにいたいって、一君が言ってくれたから……」

まるで滝に打たれているような土砂降りの雨の中。
互いの熱い視線が混じり合う。

「僕も……一君の……そばにいたいと思った……」
「総司……」

遠くで鳴り響いていた雷の音が徐々に近づくように。
俺達の心も近づいているように感じられて。
ぐしょりと濡れた髪に手を入れて、自然と俺は総司の唇に己のそれを重ね合わせていた。

熱い吐息が混ざり合い、雨水までも呑み込み、それでも求め続け、深い深い口づけを交わす。

あの日拒まれた行為。
愛する者へ想いを伝えたくて強引な行動に出てしまったが。
今は俺の接吻を拒まずに受け入れてくれている。

それだけで満たされる俺はきっと。
総司の存在に心を支えられているのだろう。

今までも無意識の内に。
そしてこれからはきっともっと多く。
総司を求めて止まないだろう。

支えたいという想いもすべて、俺が総司の存在に支えられているから故に湧き起こる感情なのだ。

「俺は本気でお前に恋着している」

唇を離せばそう告げる俺に。
総司は蒼白になった顔をもほんのり赤らめて微笑んだ。

こんなに柔らかい笑顔を浮かべた総司を俺は今まで見た事がなかった。
それ程に穏やかな笑みを残して、俺の胸の中でゆっくり意識を手放してしまう。

本気で焦ってしまったが。
程なくして山崎が戻り、近くの宿まで案内してくれた所で何とか落ち着いた。



倒れるまで無理をする総司をこれからどう支えてゆくべきなのか、不安は募る一方だ。

それでも。
総司が零した「そばにいたい」という言葉が嬉しかった。



宿屋で一息ついた後。
激しく通り過ぎて行った雷雨は、やがて嘘のように止んで。
辺りは静けさに包まれる。

総司もじきに目を覚ますだろう。

だが俺の中で止まない願いは……
消えない総司への恋心は……
これからも降り積もり続けるのだろう。





―――叶うのならば、残された時を、少しでも多く共に―――





Fin.





5000hitリクエストの斎沖SSです。
『労咳発覚後、無理を続ける総司とそんな彼を最後まで支えようと決意する一君の二人が、初めて互いへの想いを自覚し結ばれるお話』
というリクでしたが、上手くまとめられず無駄に長いです。
一君視点のためそっちがメインになってしまいましたね。
総司君視点でも何か書けそうな勢いですが…(汗)
こんなSSでよろしければめい様に捧げます。