誰がため花咲き匂ふ





「もし纏まった金が入ったら……あんたは何を買う?」

珍しく一君が困惑した様子で僕に相談事をして来た。
何事かと思ったらそんな内容だった。

「お菓子でも買って近所の子と一緒に食べるかな」

特にこれといって高価な物が欲しいわけでもないからそう答えたら、やっぱり困った顔をしたまま。
目の前でため息を吐かれた。

僕の答えは一君にはお気に召さなかったらしい。
求めていた答えとは違ったみたいだ。

そんな事を相談してくるって事はそれなりの大金が手に入ったって事なのはわかったけれど。
だからって僕の答えは一君の参考にはならないだろうし、僕に聞くなんて無駄だろうと思う。

お菓子を買う事以外で思いつくのは、土方さんに悪戯する事ぐらいだし。
僕の方を見て必死で考えてる一君には悪いけれど。
これは力になれそうにない。

「一君ってさ、本当に欲がないよね……」

そう思った事をぽろりと零した。
大金が手に入ってもお菓子を買う事くらいしか思いつかない僕も人の事は言えないのかもしれないけど。
一君は僕と違って真面目すぎるから。
わざわざ悩む必要なんてない事にまで難しい顔して考えすぎだと思う。
もっと気楽に考えればいいのにさ。

そんな風に思ってちょっと呆れたような顔をした。
すると一君は僕の態度に怒ったみたいに眉をぴくりと僅かに吊り上げる。

「俺にも望むものくらいある」

静かだけれどはっきりとした口調で一君が告げた。
何が一君を怒らせたのかよくわからなかったけれど、じっと僕の方を見て意味ありげな視線を送って来る。

何だろう?

そう思って問い質そうと口を開きかけた所で、一君はくるりと踵を返して僕の前から去って行った。

本当に何だったんだろう?

気にはなったけれど。
一君が手に入れたらしいお金を何に使うかなんて一君の自由だし。
僕が口を出す事じゃない。

そう思って深く追求しなかった。

だからまさかあんな事になるなんて、この時の僕は予想もしてなかったんだ。





************





「……はあ……」

俺は貰った報奨金を見つめながらついため息を吐いた。
新選組の一員として、当たり前の仕事をこなしただけなのだが……
思わぬ大金を手に入れてしまった俺はこの金の使い所に悩んでいた。

本当は恋仲である総司のために使いたいと思ったのだ。
だが総司が望むものは何かと聞いてみれば返って来た答えは菓子を買って子どもたちと食べる事だと言う。
総司が心からそれを望むのであれば俺は惜しみなく叶えてやるのだが。
折角大金が手に入ったというのに何だかそれでは味気ない。
菓子くらいいつでも買ってやれるだろう。
どうせならば普段は与えてやれないようなものを……
そう思うのはおかしいだろうか?

しかしあの総司を特別喜ばせるには何をしたらよいのか思い浮かばない。
さて。
どうしたものか……

「あれ?一君?ぼーっとして何してんの?」
「どうした?斎藤……そんなに難しい顔して」
「何だ?悩み事か?何なら俺たちが相談に乗るぜ?」

俺が総司を喜ばせる方法について悩んでいると突然声をかけられた。
平助に左之に新八だ。

あまり良い答えは期待出来ぬが……
左之辺りは参考になる助言をくれるかもしれんな。

そう思い、報奨金が手に入った事ととある人物に何かしてやりたいという事、だが何をすれば喜んでもらえるかがわからず困っている事を話した。

「へえ……斎藤にも何かしてやりたいって思える相手がいたんだな」
「色恋沙汰には全然興味なさそうな顔してちゃっかり好きな人いたんだ一君」
「是非とも相手の顔を拝みたいぜ。斎藤の心を動かす女なんて一体どんな奴なんだろうな」

少し事情を話しただけだというのに、俺に想い人がいると判断されてしまった。
間違ってはいないが今まで知られていなかった事であるが故に恥ずかしさが込み上げる。
大体新選組幹部ともあろう者が色恋沙汰に現を抜かしているなどと思われたくはない。
俺の想い人が女であると思われている事がまだ救いだろうか。
総司の名など死んでも言えぬ状況だ。

「よし斎藤。お前の事情はよ〜くわかった」
「ま、俺達が相談に乗ってやるから大船に乗ったつもりで任せな」
「んじゃ一君の部屋でじっくり話し合おうぜ」

左之が自信満々の態度で頷いている。
俺は新八に肩をぽんっと叩かれ、その後平助に腕を引かれ己の部屋まで半ば強引に連れて来られてしまう。

何だか大事になって来てしまったな。
そう感じたが、この三人に相談してしまったのは俺だ。
こうなっては仕方ないだろう。
好意で相談に乗ってくれているのだから無下にも出来ぬ。

俺は大人しく三人に相談に乗ってもらう事にした。
俺の部屋で幹部四人がこそこそと話している様子は事情を知らぬ者から見たらどのように捉えられるのだろうかと気になるが。
三人とも親切に俺の話を聞いてくれて……



「で?斎藤の好きな奴ってどんな女なんだ?なあなあ?詳しく教えてくれよ〜」

前言撤回だ。
左之や平助はともかく、新八は俺の想い人が誰なのか、単なる興味本意で質問攻め。
たまったものではない。

俺が困り果てているのを見かねた左之が「おい今日の巡察当番は確か二番組じゃなかったか?」と口にする。
まだ時間には余裕があったが左之が気を回して新八を急かすように追い払った。

おかげで新八の質問攻めからは逃れられたのでありがたい。
俺の部屋に残った左之と平助もやれやれといった感じでため息を吐いた。
しかし次の瞬間。
思いもよらぬ発言をこの二人の口から聞いてしまった。

「まあ新八は鈍いからわかっちゃいないよな……」
「だよな。一君が誰を好きかなんて見てれば大体わかるのにさ」
「なっ!?」

あまりの事に開いた口が塞がらない。

その口ぶりではまるで……
俺が総司に想いを寄せている事などまるわかりだと言っているようだった。
そして次の言葉で完全に言葉を失う。

「真面目な斎藤の心を奪ったのがあの総司だっていうのはちょっと意外だったけどな」
「うんうん。総司と一君じゃ性格もまるで違うし……」
「ま、総司は本気か冗談かわからない言動をするから判断しづらい部分はあるが、ちゃんと斎藤の事を特別に想ってるみたいだし、今の所上手くやってる方じゃないのか?」
「でも相手が総司だと一君も悩みが多いだろうな」
「あれこれ他人が口出す事じゃねぇんだろうけど、俺たちでよければいつでも相談に乗るぜ」

この二人はどうやら俺が総司に想いを寄せている事も、また恋仲である事すらも既に知っているようだ。
新選組の幹部同士が恋仲だなどと平隊士たちに知れたら隊内に悪い影響を与えてしまうのではないかと思い、必死で隠していたつもりだったのだが。

「……お前たちは知っていたのか?」

やっとの思いでそう問いかけるとものすごい勢いで頷かれてしまった。
何という事だ。

「俺たちだけじゃなく他にも気づいてる奴はいるんじゃねぇか?」
「まあ土方さんとかは二人の関係を知って気落ちしてたみたいだし」
「けど知ってるのは幹部の連中だけだろ?平隊士たちは……鋭い奴なら何かしら感づいてるかもしれねぇが、大きく噂が広まってる様子もないみたいだから大丈夫なはずだ」

俺はどう反応すればよいというのだ?
副長すら既に存じておられるようで、ますます複雑な思いだった。

局長や副長が総司を弟のように大事にしている事はもちろんわかっていた。
総司との関係も二人には伝えるべきではないかと何度思った事か。
だが二人が総司を大事にしている事を知っているからこそ余計に言い難く。
今まではっきり告げられずに過ごしてきてしまったのだ。

これから二人にどう顔を合わせたらよいものか……



「んで?一君は手に入った報奨金を総司のために使いたいって思ってるんだよな?」
「恋仲の相手に贈り物をしたいだなんて、見かけによらずお前も隅におけないよな」

俺の複雑な心中を知ってか知らずか。
当初の問題へと戻す二人。

そうだ。
元々俺は手に入った金で総司に何をしたら喜んで貰えるかで悩んでいたのだ。
流れで相談などしてしまったために、今まで気づかなかった事を知る事になってしまったが……

「相手があの総司だし、何を贈ったら喜ぶか考えるのも難しいよな」

この二人は真剣に考えてくれているらしく、どこかほっとしている自分がいた。
男同士で、幹部同士で、一体何をやっているんだと軽蔑の眼差しで見られるかもしれないという不安が少なからず己の中にあったのだろう。
だからこそ局長や副長にも隠す様な形になってしまっていたのだから。
その杞憂がすっと消えて行くようで。
自然と身体の力が抜けた。

「一君が考えて選んだ物なら何でも嬉しいもんじゃない?」
「そりゃあそうかもしれねぇけど、慎重に考えるのも大事なんだぜ、こういうのは」
「でも総司っていったら甘い菓子を貰って喜ぶ姿くらいしか思い浮かばねぇよ……」
「確かにそうだな……。手に入った金を総司のために使いたいって気持ちもわかるが、斎藤が望む事に金を使ったらどうだ?」
「そうだよ。一君真面目だからさ。たまには我が儘言ったって罰は当たんないって」
「総司と一緒に出かけてみるのもいいんじゃないか?そうすればお前も総司も楽しめるだろうし」
「あ、いいんじゃない?二人きりで逢引き。いいなぁ。俺も大金があったら……」

ふと、平助が視線を彷徨わせるように話の流れを変えてゆく。
どうやら平助には金があったら望む事があるらしい。

「千鶴に……綺麗な着物着せてやれるのにな」

小さく呟かれた望みに俺は耳を傾ける。
以前島原で雪村は女物の着物を着て綺麗に着飾っていた。
普段男装を余儀なくされている彼女がきちんと女物の着物で身なりを整えれば確かにいつもと違った雰囲気となり、美しい女性だと思えた。
だが総司に想いを寄せている俺はさして気にもしていなかったのだが……
男というものは美しく着飾った女に目を奪われる事が多い。
好意を寄せている者が普段以上に綺麗な着物を着て身なりを整えていたらそれはそれは喜ばしい事だろう。

そこでふと俺の頭の中に総司の姿が浮かぶ。
総司がいつもとは違う着物を着たらどうだろうかと。
たとえば前に雪村が島原で着たような華やかな女物の着物を着たら……
普段は決して見る事の出来ない姿……

「…………」

顔も中身も変わる事はない。
ただ綺麗な着物に袖を通し、いつもとは違う髪型に簪を挿し、化粧を施す。
それだけの事だというのに、何もかもが新鮮で、鼓動の高鳴りを抑えきれず、いつも以上に美しい姿を直視出来なくなる程に感情が乱れる様が想像出来た。

……いいかもしれない……

正直そう思ってしまった。

しかし俺にとっては喜ばしい事でも、総司が女物の着物を着せられて喜ぶとは思えない。
むしろ嫌がられる事だろう。
総司を喜ばせるために金を使いたいと思っていたのに、こんな事に金を使うなど俺の欲を満たすためだけではないか。

首を横に振って邪な感情を追い出そうとしたのだが……

『斎藤が望む事に金を使ったらどうだ?』
『一君真面目だからさ。たまには我が儘言ったって罰は当たんないって』

その言葉がふと頭に蘇る。
己のために金を使うか……

『一君ってさ、本当に欲がないよね……』

総司にそう言われたが、俺は本当は欲深い男だと思う。
総司に望む事がたくさんある。
その中には総司に不快な思いをさせてしまう事もあるだろう。
それでも俺は総司に我が儘を言ってもいいのだろうか?

悶々としながら金子を眺める。

「俺の望む事のために使う……か」

我が儘を言えば総司に嫌われはしないか、それが心配なのだが……

「何だ斎藤、使い道でも思いついたのか?」
「え?一君何か望みがあるの?」
「……いや……その……確かに望みはあるが……それを望んでもよいものかと……」
「一君いつも真面目で堅いし、たまには我が儘になったって総司も怒んないって」
「……そうだろうか?……かなり不快にさせてしまう気がしてならないのだが……」
「まあ本気で嫌がるような事は避けた方がいいだろうけど。少しくらいなら大丈夫だと思うぜ?いつもが真面目すぎるからな」
「時には我が儘言われたり甘えられたりした方が喜ぶかもしれないし」
「……そ、そうか?」

……そういうものなのだろうか?
まあ総司が俺に甘えてくれるのは確かに嬉しいと思えるし、総司にとってもそうなのかもしれない。
いやしかしだからといって女の格好をして欲しいなどと言うのはやはり嬉しい事だとは思えん。
もうしばらく考えてからでも遅くはないだろう。
そこでこの話は一旦終わりとなった。
そして話の終わりに。

「……平助。相談に乗って貰ったお礼と言うわけでもないが……報奨金の一部をお前の望みに使っても構わん。雪村に着物を着せてやるといい」
「え!?本当!?」
「ああ。二人のおかげで色々と考える事が出来たからな」

俺はそう言って金子を一部だけ平助に手渡してやる。

「わ、一君ありがとう!」

これが誤解を招くきっかけになるとは知らずに……





************





「……え?千鶴ちゃんに女の子の格好をさせたいって?……一君が?」

僕は土方さんからそんな話を聞かされて固まった。

この間、大金が入ったら何に使うかって聞かれたけれど……
まさか一君が彼女のためにお金を使おうとするなんて思ってもみなかった。

………………
女の子の格好……か……

やっぱり一君も男だし……
僕みたいな可愛くない男より、可愛い女の子の方が好みなんだろうな。
そんなの当たり前だよね。

そう思うと何だか悲しくなって来る。



巡察の途中、女の人が歩いているのが見える度につい目で追ってしまっていた。

「沖田組長?どうしたんですか?」
「……ううん、何でもないよ」

あまりにも女の人を見てしまっていたから他の隊士達からも心配されちゃった。
気にしないようにしてるつもりなんだけど……

でもやっぱり、一君は男の僕より女の子の方がいいんだと思ったら悔しくて。
だけどどんなに考えたって僕が女の子になれるわけじゃないし。
なりたいとも思わない。

それでももし僕が女の子みたいに可愛くなれたら一君は僕を見てくれるかな?なんて馬鹿な事を考えてしまって嫌になる。

一君の方から好きだって告白してくれたくせに。
恋人になったら段々飽きられて一君の方から離れて行っちゃうのかな?

「はあ……」

深いため息をついてまた。
派手で人目を惹く着物を着た女の人が目の前を歩いて行くから思わず目で追ってしまう。

別に女の子になりたいわけじゃないけど。
一君の心を惹きつけられるような可愛らしい女の子が羨ましい。
僕みたいな男じゃきっと一君を満足させてあげられないんだろうなって思うから。

そうして僕は巡察中に何度も女の人の姿を目で追ってはため息をついて落ち込んでいた。



悶々と考えていたら、あっという間にその日がやって来て。
島原で。
千鶴ちゃんは女物の着物を着せてもらう事になった。
幹部が一室に集まり、着替えを待っている状況なのだけれど。

ちらりと一君の方を見遣ると何だかそわそわしていて落ち着かない様子だった。

そうだよね。
一君が言い出しっぺみたいだし。
そんなに千鶴ちゃんの綺麗な着物姿が楽しみなんだろうか?

思わずむっとして、苛々してしまった。
女の子になりたいわけじゃないけど。
でもでも……
僕だって一君に求められたい……

居ても立ってもいられなくなってそっと部屋を抜け出した。
誰にも気づかれないように。

廊下に出ると時折華やかな着物を着た芸者さんが通ったりしてまた胸が痛む。
だけど一君はきっとこういった女の人の方が好きで、僕なんかより千鶴ちゃんみたいな子が好きで、だから綺麗な着物を着た千鶴ちゃんの姿を見て一君が喜んでいる所なんて見たくない。

無意識の内に涙が零れそうになって必死で堪えた。
そしたら曲がり角でうっかり誰かとぶつかってしまった。
気配には鋭い方だと思っていたけれど何て情けないんだろう。

「ああ、ごめんなさい……」

反射的に謝ったら相手は何と女物の着物を身に纏って化粧を施し、綺麗に飾られた千鶴ちゃんだった。

「って千鶴ちゃん?」
「沖田さん!?どうしたんですか?……何だか辛そうですけど……」
「……え?……ああ、何でもないよ」

今の僕は彼女の姿を見るのも嫌で避けるように踵を返した。
でもこの場を去る前に誰かに袖を引っ張られて再び振り返る。

「……ねぇ、ちょっと」
「え?」

僕を引き止めたのは千鶴ちゃんの着付けを手伝っていたお千っていう鬼の一族のお姫様だった。
彼女が僕に用があるだなんてびっくりしたけれど。
千鶴ちゃんをみんなのいる部屋へ案内してお披露目した後で、こっそり僕を別の部屋へと招き入れた。

一体何だろう?
疑問に思ったけれどなかなか話してもらえなくて少し不安になる。

理由もわからず辺りをきょろきょろと見回す。

部屋の隅には綺麗に畳まれた着物が見えた。
他にも鏡や櫛や髪飾りもあって、ここは芸者さんたちが着替えをする部屋なんじゃないかって思えてきて、僕なんかがいていい場所じゃない気がして落ち着かない。

「……もし、あなたが本当に嫌だと思ったら拒否して構わないから大丈夫よ」

お千って子がそう言って畳まれた着物を手に取って僕の目の前に差し出してきて。
予想外の事にびっくりしてしまう。

「え?何?」
「素材はいいからきっと可愛くなるわ。だから安心して」
「……だからどういう事?」
「ふふっ」

呆然とする僕に微笑みかける彼女。
わけもわからずされるがままに着替えさせられた。

理由もわからず勝手な事をされるのは嫌だったけれど。

つい先程まで不覚にも可愛くなれたらだなんて事を考えてしまっていたから……
心を読まれてしまったのかと思った。
動揺してしまってあまり色々考えられなくなってて……

気づいたらあっという間に女の人が着る華やかな着物を着せられていた。
鮮やかな赤に青緑色が混じり合った花柄の綺麗な着物。
本来は女の人が着るであろうもの。
落ち着いた黄色の帯が目の前で蝶のような形で締められていてそれがまた可愛らしい。
髪の毛もいつもとは少し違う結わえ方で、花びら一つ一つが丁寧に作られたちりめんのつまみ簪を挿され飾られている。

元々が悪くないからとか言われて。
そんなに厚化粧はされなかったけれど。
軽くお粉をつけられて薄く紅を差された。

鏡を見るのが怖くてずっと俯いたまま。
下の方ばかり見ていた。
だから着替えが終わって髪を結われて化粧をされた後もずっとそわそわして。
声をかけられるまですべてが終わった事にすら気づかなかった。

「はい。出来上がり。どう?なかなかでしょ?」

そんな声にゆっくりと鏡を覗き込む。

「…………」

鏡にはいつもとは全然違う自分がいて。
男なのに女の格好をしていて。
新選組の幹部で人々から恐れられる程の剣士であるはずなのにまるで芸者のような姿。
でも背の高さも顔も変わらないのにただ飾られただけだから、きっと人目には奇異に映るに違いない。

「……やっぱりこんなの恥ずかしいよ……」

そう呟いたら部屋の外から足音が近づいて来て。
何者かによって襖が開かれた。

「えっ!?一君!?」

開かれた襖の向こうに立っていたのが一君だったから僕は驚いて呆然としてしまう。
どうして一君がここに?
そう疑問に思った。

「総司……?」

名を呼ばれた次の瞬間。
僕は慌てて立ち上がると一君が来た方とは別の方向にある襖を開けて部屋を飛び出した。

こんな恥ずかしい姿、一君に見られるなんて嫌だ!

そう思って飛び出したのだけれど。
そうしたらどうやらこっちの襖は隣の部屋につながっていたみたいで……
見知らぬ男の人たちが集まって宴会をしている最中だった。
何人かの芸者さんがお酒を盃に注いでいたり、扇を持って舞を舞っていたりしていて。
手の早いおじさんは自分の横に女の子を座らせて抱き寄せていたりして、まあお楽しみの所みたいだった。

そんな中突然入って来た僕に、一斉に視線が集まる。

「何だ突然?」
「新しい芸者か?見た事ない顔だが……」

うわ……
最悪……

一君にこんな格好を見られたくなくて逃げたのに。
知らない人たちに注目されて恥ずかしすぎる。

「ご、ごめんなさい!間違えました!」

そう言って更に別の襖からこの部屋を出て行こうとした。
でもその襖を開こうと手を伸ばした所で誰かに勢いよく腕を掴まれた。
力強く引っ張られたせいで、そのまま立っていられなくなって倒れ込む。

どうやらお酒を飲んで気分がいいらしいおじさんが僕を引き止めたみたい。
倒れ込んだ僕をそのまま更に引き寄せて抱きしめられた。

「ちょ、何するの!?」
「いやあんた俺の好みの子だなぁと思ってな」
「はあ!?」
「おい、こっちの芸者の誰かと交代して俺たちの相手をあんたがしてくれや」
「な、何で僕が……冗談じゃないよ」
「客の御指名だ!いいから俺の盃に酌をしろ!それともこのまま二人で別室に行って遊ぼうか?」

酔っ払いって性質が悪いよね。
男の僕を目の前にして、しかも抱き寄せて、こんなに近くにいても女だと思い込むなんて。
目がおかしいんじゃないの?

……ううん。
この人だけじゃない。
この部屋にいる男の人がみんな僕の方を変な目で見てる気がしてならない。
このおじさんが僕を誘うのに失敗したら、次は自分がって狙ってるみたいな目だ。

嘘でしょ?
どう見たって僕は男なのに……何で?

とにかくこの場から逃げなきゃ。

そう思っておじさんの腕の中でもがいたけれど。
着なれていない着物。
幾重もの衣に身を包んだ僕は。
動きづらくて思うように力が入らない。
それにこのおじさんも意外と力が強いみたいだ。

流石の僕も段々焦り始める。



ど、どうしよう!?



こんな事になるなら着物を着せられる前に断って逃げればよかった。
そんな風に思った所でもう遅いのだけれど。

少しでも一君が僕を見てくれるかもしれないと思ってしまったから……





************





「千姫様がお呼びですよ」

君菊という芸者からそう告げられたのは雪村が女物の着物を着て俺たちのいる部屋に姿を見せてからしばらくした後だった。

雪村の件で今回の事を頼んだ時に、お千という鬼の姫に、つい男に女物の着物を着せるのはどうかという相談をしてしまった。
事情はあまり詳しく話していないのだが、どういうわけか彼女はすべてを悟ったかのように「私に任せて!」とはりきった様子だったのがとても気になる。
一体何を任せろと?
何故あんなに楽しそうにはりきっていたのだろうか?

そう疑問に思いこの島原へ来てからずっと考え込んでしまっていた。
だから総司がこの部屋を抜け出した事にも気づかずにいたのだった。
ずっと戻って来ないのでどうしたのだろうか?と気になったが、どこへ行ったのかもわからず、その内戻って来るかもしれないと思ったのでこの場に留まっているしか出来なかった。

雪村の着替えが終わり、彼女が部屋に入って来ると、平助を筆頭に皆感嘆の声を上げて喜んでおり、楽しそうにしていたので俺もしばらくその中にいたが。

やはり総司の事が気になってしまい気も漫ろであった。

いくら待っても戻って来ないので流石に探した方がよいだろうかと立ち上がった所で声をかけられたのである。



そうしてやって来た部屋の前。
一体俺に何の用があるというのか?
そう思いながら招かれた部屋の襖を開く。

するとそこには俺を呼び出した本人と……
一瞬目を疑ったが紛れもなく総司がいた。

「総司……?」

そこにいた総司が普段とは違ってあまりにも綺麗で。
なかなか言葉が出せず。
その姿に見惚れながら、やっと名を口にする。

突然の事でどうしてこういう状況になっているのかはわからなかった。
だが総司は俺の姿を見るやいなや顔を伏せ、部屋を飛び出してしまった。

俺は何が何だかわからず。
しばらく呆気にとられていた。

確かに総司に女が着るような綺麗な着物を着せたらそれはもう見惚れる程だろうと思っていた。
しかし俺は総司に一言も頼んだ覚えはない。
何故総司は今、あのような格好でここにいたのだろうか?

わけがわからなかった。

「おい。一体これはどういう事だ?」

この部屋に残っていたお千という女に問い質す。
すると。

「あなたがお悩みのようだったから望みを叶えてあげようと思ったのよ。彼の方も悩んでいたみたいだし、あなたがもっとしっかりしないと駄目よ?」

と言われ背中を叩かれる。
どういう事かまだ理解出来なかったが、左之や平助同様、彼女も俺と総司の関係は既に知っているようだった。
それで俺が相談した内容から総司に着物を着せたという事なのか?

そう考えを纏めているとまた彼女から背を押され少し怒った口調で。

「ほら、何ぼーっとしてるの?せっかくあなたのために着飾ったんだから追いかけてあげなさいよ!」

そんな事を言われてしまう。

まだ少々躊躇いつつ、何となく状況を理解し始めて、一歩踏み出した。
その時。



「ちょっと、やめてよ!嫌っ!」



総司が飛び出して行った襖の向こうから叫び声が聞こえてきた。

「総司!?」

慌てて俺も襖の向こうの部屋へと足を踏み入れる。

そこには女を囲って食事をしたり酒を飲んだりして楽しんでいる男たちがたくさんいた。
その中の一人。
30代前半くらいだろうか?
中肉中背の男が嫌がる総司を抱き寄せて執拗に纏わりついていた。

多少酔っているようだが、そのように絡んでいるのはおそらくそれだけが理由ではあるまい。
男が持つ本来の性質で、本気で総司を気に入って手籠めにしようとしているのだとはっきりわかる。

女の着物に袖を通し、着飾った総司がとても美しく見えたのは惚れた欲目というだけではないだろう。
他の男でさえ魅了する程であったのだ。

俺は総司を抱き寄せ嫌らしい目で舐めまわすように見つめる男に対し、殺意すら抱いて慌てて駆け寄った。
頭に血が上り、握った拳が震える。
そのまま怒りに任せて震える拳を堅く握りしめ、総司に迫る男を殴りつけた。

「ぐはっ!」
「……は、一君……?」

殺気の籠った拳で殴りつけられた男は近くにあった食事の膳やら酒瓶をひっくり返し、盛大に吹っ飛ぶ。
怒りでいっぱいであったため、今の自分がどのような表情をしていたのかわからないが、俺の形相を見て総司が呆然として口を開いたまま固まっていたので相当恐ろしい顔で男を睨みつけていたのだろう。

「な、何だてめぇは!?」
「勝手に人様が楽しんでる座敷荒らしやがって!どういうつもりだ!?」

殴られた男を見て、他の仲間が立ち上がり、俺を睨みつけて来る。
そっと総司の前に出てその姿を隠すように男たちの前に立ちはだかると、俺は鋭き眼差しで視線を返した。
睨み合いがしばらく続き、俺は静かに吐き捨てる。

「俺のものに手を出す事は許さん。これ以上汚い手で触れようとするならば……俺も容赦はしない」
「な、何だと!?」

それが合図になったかのように激昂した男たちが俺に向かって襲いかかってきた。
座敷に上がる時に刀は預けてしまったため、今腰には刀を差していない。
けれどもそれは相手も同じ事で。
つまりは拳と拳の勝負といった所だろうか。
別に形式にとらわれた試合というわけではないので何でもありだ。
物を投げようが蹴りを見舞おうが構わない。
そんな乱闘騒ぎ。

流石に俺自身は一人であるのに対し相手は複数であるため厳しい状況ではあった。
だが負けるつもりは少しもなかった。
名も知れぬその辺の浪士共に負けるようでは新選組の幹部として情けないのはもちろんだが。
中身は新選組一番組組長の沖田総司であるはずなのに。
女物の着物を着ているというだけで仕草までもが女らしくなってしまっていて、それがまた愛らしく庇護欲をそそる。



―――誰にも渡したくはない―――



その思いが強く募り。
刀を持たぬ闘いが繰り広げられた。

芸者たちはどうしてよいかわからずその場でおろおろする者もいれば、慌てて部屋を飛び出して行く者もいた。
何とか止めようと言葉をかける者もいたが、乱闘の中に飛び込んで来る者はなく。
しばらく騒ぎは続いた。

やっとの事で騒ぎが収まったのは君菊というあの芸者が上手い事を言って男たちを宥めた時だった。
俺の方も感情が高ぶっていたがこちらは総司が腕を引いてくれたおかげで落ち着く事が出来た。

「一君、もういいから。僕はまだ何もされてないし……」

そう言って躊躇いがちに視線を合わせる。
いつも背の高い総司を俺が見上げる形になる事が多いが。
座り込んで俺の着物の袖を引く総司は、立っている俺より低い視点から上目づかいで見上げていた。
どきっとするくらいその仕草が可愛くて息を呑む。

「総司……とりあえずここにはいない方がいいだろう」

とにかくこんな魅惑的な総司をこれ以上誰かの目に触れたくなくて。
その身を隠すように抱き寄せながらそう言った。

「うん。……でもこの格好じゃみんなの所にも戻れないし……着替えないと……」
「いや、まだ着替える必要はない。どうやらこれは鬼の姫が俺たち二人のために用意してくれた状況のようだ。二人になれる部屋も用意してあるのだろう?」

俺は確信めいた問いを近くにいるであろう者へと向ける。
それを受けて彼女はそっと姿を現してこちらへ近づき頷く。
そしてこの場を君菊という芸者に任せると俺たち二人を別の場所へと案内してくれた。



俺たち二人のために特別に用意された部屋。
そこでようやく二人きりの時間を取る事が出来、一安心してため息をつく。
その後で俺の中の疑問を投げかける。

「総司……何故そのような格好を?」

お千という鬼の企みなのは何となく察している。
しかしそれだけでは総司がこのような事を承諾した理由がわからない。

総司は俺が問いかけても俯いてなかなか口を開こうとしなかった。
黙っていられても俺にはわからない。
どうしたらいいのだろうか?

俺は仕方なく総司の事情を後回しにして、今の自分の心境を語る。

「その……俺としてはお前がそのように美しく着飾ってくれるのは嬉しい。だが……そのような姿を俺以外の他の者に見せるのは面白くない」

心からそう思う。
だからこそ伝えたい想い。
独占欲が強いと言われたとしても構わん。
俺は欲深い男だ。
他の何に対して欲がないと思われようが。
総司という愛しい者に対しての欲は計り知れぬ。

沈黙がどれだけ続いたのかよくわからなかった。
ただ俺の言葉が静かに響いた後。

しばらくして総司が俯いたままやっと口を開いた。

「……は…めく…は、ぼ…よりも、……ち…るちゃ…の方…いい…でしょ……?」
「……は?」

だが総司の言葉は俺の耳に届くにはあまりに小さく。
聞き取れずに問い返した。

「総司?今何と言ったのだ?」

何となく聞き返すのが躊躇われ、申し訳なさ気に問う俺の声はやや縮こまってしまう。
総司は一体何をそんなに悩んでいるのだろうか?
俺は気づかぬ内に何か傷つけるような事をしてしまったのだろうか?
不安になり恐る恐る俯いたままの総司の顔を覗き込む。

せっかく綺麗に着飾ったというのに俯いてばかりでは勿体ないと思う。
どうか顔を上げて欲しい。
出来れば美しいその姿で俺に微笑みかけて欲しい。
そんな気持ちから総司に手を伸ばそうとした。
その時だった。

「……っ一君は、僕よりも、千鶴ちゃんの方がいいんでしょ!?何で僕に構うのさ!?どうせこんな格好して変だって思ってるんでしょ!?男のくせに馬鹿みたいだって……」

総司が顔を上げたかと思えば瞳を潤ませながらそう吐き捨てた。
俺はその言葉にびっくりしてしまう。

「何を言っているんだ?俺はお前のその姿を美しいから誰にも見せたくないのだと言ったはずだが?」
「そんな嘘はいいよ!だって一君は千鶴ちゃんが好きなんだもんね?」
「だから何故ここで雪村が出て来るのだ?俺はいつだってお前を想っている。他の誰でもなく総司を愛している。どうしてそのような誤解を……?」
「……だって一君が言い出したんでしょ?千鶴ちゃんに女の子の格好をさせたいって……。だから今日みんなでここに来たんだよね?一君は手に入れたお金を千鶴ちゃんのために使ったんだよね?」
「……総司はそれで誤解していたのか?」

やっと原因がわかって息を吐いた。
まさか平助に金を渡しただけでそのように伝わるとは思っていなかった。

「……どういう事?」
「雪村に綺麗な着物を着せたいと言い出したのは俺ではなく平助だ。俺はただ報奨金の一部を平助に渡してやっただけだ。確かに俺の貰った金でという事にはなるが……別に俺の望みで雪村が着物を着たわけではない。むしろ……俺が着物を着て貰いたいと思っていたのは……」

そこまで口にして、総司がはっとしたような顔を見せる。

「……もしかして……この着物……一君が?」
「あのお千という鬼の姫に相談したのは確かに俺だ。……だが実際に着せるとは思っていなかった……。俺の欲望でお前に嫌な思いをさせたくはなかったからな」

それを望む事が許されるのかとずっと考え込んでいた事をゆっくりと明かす。
俺が総司に望む事は総司を傷つけてしまうのではないかと悩んでいた事。

「……何だ……そっか……」

そこでやっと総司は安心したような表情を見せてくれた。

「一君は僕なんかより可愛い女の子の方がやっぱり好きなのかなって思っちゃった……」

まだ少し悲しげな表情を浮かべてはいたが、それでも微笑を浮かべて俺の方を見てくれる。

「だから着飾った女の子が羨ましくなって……僕もあんな格好をしたら一君の気を惹けるのかなって……。この着物を着せられた時も断り切れなかった……」

総司が小さく呟いた言葉に俺は不安な思いをさせてしまったのだと気づいた。
だから総司に教えてやろうと思う。
俺がどれだけ総司を特別に想っているかという事を。

「俺はどのような美しい女性よりも、お前が一番綺麗だと思っている。そんなお前がいつも以上に着飾ったなら極上の恋人だろう。他の誰かに心を奪われるなどあり得ん。俺にとってお前は誰よりも魅力的なのだから」

そしてそっとその身体を引き寄せる。
中身は変わらぬ総司のまま。
けれどいつもとは違う装いに胸の鼓動は高鳴り続けてゆく。

鳴り響く心臓の音を隠そうとするかのように。
俺はその身体を畳へと横たえさせて。
その上に覆い被さる。
色鮮やかな衣が畳の上に広がり、総司の姿を彩っていた。

俺が勝手に相談した結果、誤解からこのような状況が生まれてしまったのだが。
誤解さえ解けたなら。
時にはこんな風に変わった時間も悪くはない。

そんな事を思いながら、うっすらと紅を差した唇に己のそれを重ねた。



総司が不快に思わなければまたいつかこのように着飾って欲しいとも思う。
俺も男なのだ。
そのような欲望もある事を否定などしない。
ただ一番大切なのは綺麗な着物を纏う事でもなければ化粧を施す事でもないだろう。



俺の大切な想い人。
俺のために悩み、迷い、時に涙を見せる人。
けれどやがては美しき笑顔を咲かせてくれる人。

俺と共にいる時間。
俺と触れ合うその時に。
他の誰にも見せない俺だけに見せる心からの優しく甘い笑顔。
俺はそんな笑顔をいつまでも見ていたいと願う。

決して金では買えぬ、何ものにも代えられぬもの。



―――愛しき花の顔(かんばせ)をどうか俺だけに見せてくれ―――



それが俺の一番の望みなのだ。





Fin.





「ちいさなはっぱ」の夕輝様との相互記念SS。
リクエストは沖田さんの女装で斎藤×沖田。
どういった流れで女装させようか悩んだ結果。
こんな感じの話に…
わかる人にはわかるであろう某ドラマCDネタです。
相変わらず上手くまとめられてなくてスミマセン。
お待たせしたあげくにグダグダな駄文で申し訳ないです。

亀更新ですがどうぞこれからもよろしくお願いしますね。
リンク本当にありがとうございました!