夢幻に架かる恋の浮橋





美しき風景が広がる。
頭上に広がる空の色も、辺り一面に生える草木も、咲き誇る花々も、流れる川の水も。
地上の世界とはどこか違う。

桃源郷と呼ぶに相応しい場所。
本来ならば普通の人間が一生訪れる事のない世界。
だが不本意ながらも連れて来られたこの世界。

天界―――――

まるで夢のような世界だ。
と言いたくなるような場所だが、実際夢の中での出来事なので当たり前なのかもしれない。



そんな天界に連れて来られたヒノエは、休憩中に一人川の岸辺に座り込んだ。
そこにはヒノエの見た事のない種類の茶色がかった黄色い野の花が一面に咲き乱れている。
その花を見つめていると、連想されるはヒノエの想い人。
その花の色がどこかヒノエの叔父であり、自分と同じ八葉であり、天と地の朱雀という対の存在である武蔵坊弁慶を想わせたようだ。

彼が熊野の地を去ってからも忘れた事は一度もない。
幼い頃からずっと今もヒノエの恋心はたった一人に向かっている。
これ程一途に誰かを想うこの気持の何と純粋な事だろう。
けれどこの想いを誰かに悟られたくはなくて、いつの間にか外見上は捻くれた性格になってしまったようだった。
幼い頃はまだ、自分の想いがいつか実るような淡い期待があった。
だから自分の気持ちを必死で隠すような態度もあまり見られなかった。
しかし、成長するにしたがって、小さい時にはわからなかったものが見えるようになってしまう。
男同士、血縁関係、年の差。
どれも努力次第で変えられる事柄ではない。
生まれた時から定められたそれらを自分の力でどうにか出来る筈もなかった。

いつまでも諦められず、けれど気持ちを伝える事も出来ないままずっと引き摺っていたヒノエ。

八葉のお役目のお陰で再び共にいられる時間が増えたのは都合がよい事であったが、かなり大人数での生活。
2人きりで過ごせる時間などほとんどなかった。
それはこの天界にやって来てからも同じである。
いや、寧ろここへ来て更に人数が増えたので余計に2人きりの時間は減っただろう。
というか皆無に等しかった。

弁慶は誰に対しても穏やかに優しく接する。
今まで以上に人数が増えて、弁慶と関わる人間が増えた事で余計に気になってしまうようだった。
弁慶がヒノエ以外の人間に微笑む姿を見るのが苦しくて、まるで子どもが拗ねるように視線を背ける日々が続いていた。

いつまでこの想いを自分の胸の内に閉じ込めておけばよいのだろうか?

ヒノエは小さく溜息を吐く。



としばらくして。
一人きりの空間に何者かの足音が近づいて来る。

かさり―――――

声をかけられる前にその音に反応したヒノエは振り向いた。

「ん?」
「よ、よう……」

見れば、ついこの間出会ったばかりのヒノエの先代の天の朱雀に当たる人物がゆっくり戸惑いながら歩いて来ていた。
年はヒノエと変わらないが、まだまだ幼い行動が目立つ少年だ。
視線が定まらず、どこか宙を彷徨わせている様子にヒノエは首を傾げながらも「どうしたんだいイサト?」と尋ねる。
イサトは躊躇しながらも何かを決意したように拳を握り、どかっとヒノエの横に座り込んだ。

「なあ、あんたさ」

目の前を流れる川の水をじっと見つめ、真剣な面持ちで横に座るヒノエに話しかける。

「恋の経験とか豊富そう……だよな」
「はあ?」

何を言い出すかと思えばとヒノエが眉間に軽く皺を寄せた。
たった今さっきまで、弁慶の事を考えていたヒノエにとっては心乱す言葉でもあった。

「だからさ、オレに恋の助言とかしてくれねぇか!?」

イサトが突然がばりと勢いよくヒノエの両肩を引っ掴んで懇願してくる。
あんまり勢いがよすぎて後ろに倒れそうになるのを何とか持ちこたえたヒノエは困惑気味にイサトの顔を覗き込んだ。
非常に真剣そのもの。
ふざけている様子は微塵もない。

「お前……何言ってんの?」
「オレ好きな奴がいるんだ!けど、色々問題があって……それで相談できる奴を探してたんだけどさ、あんまり身近すぎる奴にだと気まずいし、かといってきちんと相談に乗ってくれて的確な助言をくれる奴じゃないと意味ねぇしさ!」
「……それで何でオレなんだい?」
「そういうの得意そうじゃん!もう熟練者って感じじゃん!」

ヒノエはイサトの自分への評価に苦笑する。
まあそう見えるように振舞っているのであるが。
実際は一度も自分の本当の想いを告げる事さえ出来ない程、恋に臆病だというのに。
心中穏やかでないヒノエは何とか息を吐いてはいつもの自分らしく振舞おうと思考を巡らせる。
余裕の表情を作り上げると「ふふっ、好きな奴を振り向かせる為の手段ならいくらでもあるからね」とイサトに向って言い放った。
もちろん嘘だが。
女の子相手にならいくらでも甘い言の葉を囁きかけられるのに、本当に想いを寄せている相手にはなかなか自分の本心を告げられないのだ。
相手を振り向かせる手段も、頭を過っては消えてゆき、実行にまで移せない。
相手に自分の想いを受け入れられなかった時の事を考えると、今の関係すら壊れてしまいそうで怖くなる。
まあ本当に好きだからこそ嫌われる事を恐れもするのだろう。

「で?どんな相談だい?」

ヒノエは自分の事は一先ず置いておく事にし、イサトの話を聞く事にした。

「実は……」

そしてそこで打ち明けられた事実にヒノエは驚いた。
何とイサトと彰紋が付き合っているというのだ。
イサトはヒノエに比べてまだ子どもっぽい部分がある。
恋の相談なんてまだまだ片思いの段階だと思っていたのに、告白もして付き合い始めており、すでにヒノエの先を行っていたのだから驚きだ。
しかも同じ朱雀の八葉同士である。
まさか先代である天地の朱雀が恋人同士とは……とヒノエは動揺した。
同じ朱雀の八葉同士であってもヒノエはまだ弁慶に告白すら出来ていないのだから。
ふと先代と自分たちの事を比べ溜息をつく。

子どもだと思っていたイサトの方がずっと勇気を持っていた。
好きな人に好きだと言える勇気。
簡単そうに見えるが、本気の恋であればある程、それはとても難しい事なのだ。
その告白という関門を突破するだけの勇気がヒノエにはまだなかった。
その点だけでもイサトはヒノエよりも進んでいる。

「……あんたたちが付き合ってたなんて意外だね……」

なるべく平常心を保ちながら、イサトの話に耳を傾けるヒノエ。
そうして話を聞くうちに、イサトが何に悩んでいるのかを知った。

身分の違い―――――

両想いでありながら、男同士で身分も違うという問題を抱えているようだ。
「なあどうしたらいい?」とイサトは投げかける。
彰紋は気にしなくていいと言っているらしいが、ただの僧兵見習いの身であるイサトには気にするなという方が難しいのだ。
周りの人間の目だって厳しい。
そこでヒノエに助言を求めてきたとそういう事らしい。

しかし、ヒノエは言葉に詰まってしまう。
何故なら自分も助言する立場というよりも助言を乞う立場だからだ。

ヒノエの感じている壁。
男同士、血縁関係、年の差―――――
身分の差とは違うが、生まれながらにして定まっているものというなら似たようなものかもしれない。

ずっとヒノエ自身が悩んできたというのに、他の者に相談される立場となってしまったわけだ。回答に困るのは当然だろう。

「そうだね……オレなら欲しいものは無理やりにでも奪ってしまうかな……身分がどうであろうと……ね」

言うのは簡単でも実行するのは難しい。
そんな無責任だけれど海賊らしい回答を何とかぽろりと零したヒノエは手元で風に揺れる黄色い花にそっと触れた。
そしてゆっくりと摘み取って目の前に翳して見せた。

「多くの人を楽しませる花もこうして摘み取ってしまえばオレだけの花になる」

花びらにそっと唇を寄せては弁慶を想い口づけを落とした。

「たとえ摘み取る時に誰がどう思おうが、手に入れられるなら構わない。オレは誰にも文句なんて言わせない」

まるで自分への助言のように、自分に言い聞かせるような口ぶりでそう告げる。
けれどヒノエの胸中など全く知らないイサトはその言葉を純粋に自分への助言だと信じ切っていた。
そして何かを決意したかのようにすくっと立ち上がったイサト。

「そうだよな。オレ何うじうじしてんだ?男らしくびしっと決める時は決めねぇと駄目だよな。オレいつも諦めが早いってみんなから言われるんだ。けど……あいつの事はどうしても諦めらんねぇから……」

イサトは座ったままのヒノエに向って言い放つ。

「諦められないならとことん突き進むしかねぇよな!」

イサトの言葉がヒノエの胸に刺さる。
イサトはヒノエに礼を言いつつ、他の八葉たちのいる方へと戻っていった。
あんな回答で納得してしまうイサトに尊敬の念すら抱いてしまう。

「やれやれ……何だかオレの方が助言された気分だね……」

後頭部に左手を置くとそのまま自分の髪の毛をぐしゃりとかき回す。
するとヒノエの後ろに再び何者かの気配が近づいた。
イサトが戻って来たのかという考えが過ったが先程とは違う足音に振り返れば、確かに似た風貌ではあったがそこにいたのはイサトではなかった。
イサトの先代、ヒノエにとっては先々代にあたる天の朱雀。
ヒノエよりも年が若く幼い八葉だ。
明るくて元気があって子どもらしい純粋さがある。

イノリはどうやらヒノエに向って一直線に歩いて来るようだった。
明らかにヒノエに用があるといった雰囲気で軽く駆け足だ。

「やれやれ……今度はイノリか……」
「何だよその嫌そうな顔は」

先程イサトが座り込んでいた場所に同じくどかっと座り込んだイノリは、自分を見るヒノエの不機嫌そうな眼差しに文句を言う。
だがすぐにイノリは俯いて黙り込む。
ヒノエは「どうしたんだいイノリ?」と首を傾げながら問おうとしかけて言葉を飲み込んだ。
先程も同じような事を言った記憶があったからだ。
ヒノエがしばらく声をかけずに黙っていると、俯いていたイノリが突然顔を上げてヒノエを見た。
何なんだ?と思いながらヒノエは身構えた。
するとイノリが口を開く。

「なああんた……」

真剣な眼差しでヒノエを見つめてくるその姿につい先程の出来事が思い出された。
イサトの事である。
まさかと思い、ヒノエは心の準備をした。
イサトの時は突然で動揺してしまったからだ。
ところが……

「……愛人がすっげぇいっぱいいるって本当か?」
「ぶっ……」

少し予想とずれた言葉に再び動揺し出す。
しかも今回はその動揺が隠しきれていない。

「はあ!?」

思いっきり聞き返してしまう。
一体どうしてそういう事になっているんだろうか?とヒノエは頭を抱える。

「だってお前、言う事が友雅みてぇだし……」
「友雅って……お前と同じ時代の地の白虎の?」
「友雅の奴、いつも女を囲って遊んでんだぜ?見てるこっちが恥ずかしくなるような事ばっかするしさ」
「それでオレも同じ事してるって思ったわけ?」
「ああ。だからお前の事よく知ってそうな弁慶に聞いたんだよ」
「…………」
「そしたら、女性なら誰彼構わず口説き落としにかかる見境のない女好きだって……」

イノリの言葉にヒノエはがっくりと肩を落とした。
他の誰にどう思われようが大した問題ではないが、さすがに弁慶からの評価では落胆する。
そう思われるように振舞ってきたのだから仕方のない事であるが。

「でも恋愛経験は豊富そうだから恋の相談役には持って来いだろうとも言ってたぜ」

とそこでイノリがヒノエに話しかけて来た理由にぴんと来る。
本日二度目の相談者だ。
イサトに続いて二人目だ。

時代の違う八葉が3代も揃っているというのに。
恋の経験豊富そうな人物は他にもいるだろうにどうして自分の所へ来るのだとヒノエは心の中で文句を言った。
現にイノリは友雅の名前を先程挙げていた。

「だからちょいと相談したい事があるんだけどよ……」
「恋の相談かい?ふふっ、オレを相談相手に選ぶなんてなかなか見る目があるね」

思ってもいないような言葉が自然と飛び出す。
ヒノエがいつも通り振舞おうとすれば自然とこういう流れになってしまうのだが。

そしてイサトと同じようにイノリの相談とやらを聞いてやるヒノエ。

またまた意外な事実にヒノエは目を丸くしてしまった。
何とイノリもまた詩紋と恋人同士で付き合っているというのだ。
先々代の朱雀もまた天と地の八葉同士で結ばれているという事が驚きである。
イノリはまだ幼く見える為、少々甘く見ていた所もあり、まさかヒノエより恋に上手だったという事には衝撃を受けざるを得なかったようだった。
イサトと同様、イノリもまたヒノエにはない勇気を持っていたのだ。
愛しく思うその人に自分の想いを伝えるその勇気を。

さすがに2代続けて朱雀同士が結ばれていると聞かされてはヒノエも焦りを感じてしまう。
先代も先々代も朱雀は天と地で恋が成立している。
結ばれていないのはヒノエと弁慶だけ。
今までヒノエがうじうじと悩んできたにもかかわらず、2人の天の朱雀は男同士という壁を越え、八葉同士であろうと素直に自分の気持ちに従い、相手に告げたのだ。
ヒノエはそれだけでも褒めてやりたい気分だった。

恋の相談の話などをヒノエに持って来る辺り、イサトもイノリも人選を間違えている。
そう思ってしまう。

それでもそんな素振りは見せない。
恋愛に関しては任せてくれと言わんばかりの堂々とした態度で口笛を吹いた。

「それでイノリは詩紋と生きる世界が違うって事で悩んでいるわけだ」

イノリは元々京に住む人間だ。
けれどイノリの想い人である詩紋は違う。
龍神の神子と同じ異世界からやって来た人間なのである。

つまり龍神の神子が役目を終えて元の世界へ帰る事になれば、当然詩紋も元の世界へと戻ってしまうのだろう。
イノリはその時が訪れる事を憂いているようだった。

これにはさすがにどう答えればよいものかヒノエは悩んでしまった。

もしも自分だったら?
そう考えた。
世界の壁を越えるのはとても難しい。
好きな人の側にあり続けたいと願う心。
けれど自分が今まで生きてきたこの世界もまた簡単に捨てられるものではないだろう。
ヒノエには痛い程わかるのだ。
自分も熊野が好きだからだ。
大切な人がいて、その人と一緒にいられるなら何を犠牲にしてでも構わないという気持ちも確かに存在する。
けれど、熊野の頭領であるヒノエにとって熊野を離れる決断を下す事がどれだけ辛い選択か。
どちらか一つを選ぶなど果たして出来るだろうか?

ヒノエは先程摘み取った小さな花を見つめながら呟く。

「この天界に咲く花もこうしてオレの手の中に収めてしまえばオレの生きる世界に連れていけるのかな?」

弁慶は熊野で生まれ育った筈なのに、その故郷を去っては遠い場所に住んでいる。
時々熊野に戻って来る事もあるのだけれど……
ごく稀だ。
戻って来たとしてもすぐにまたどこか遠い所へと去って行く。
引き留めたくて伸ばすその手も宙を彷徨っては虚空を掴むだけ。
自分の前から何度も去るその人を側に留めておけない。
龍神の神子のように異なる世界に行ってしまう訳ではないから、永遠の別れという訳ではない。
それでも離れる事が辛いというのに。
時空を越えた先へと去って行ってしまうとしたら……一体どんな気持ちで見送らねばならないのだろうか?

永遠の別れを感じて追い詰められた時なら、一歩踏み出す勇気が湧いて来るだろうか?
無理やりにでも離れるその腕を掴んで「行くな」と言えるだろうか?

「この天界での出来事は夢なんだろ?だったら手の中に収めたからって、目が覚めたら何にもないんじゃねぇか?」

イノリがヒノエの呟きを聞いてからしばらく考えてそう結論づけた。

「やれやれ、夢がないねイノリは」
「はあ?これは夢だろ?オレだって夢ちゃんと見てるぜ」
「そういう夢じゃないんだけど……」
「じゃあどういう夢だよ?」
「欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れるっていう夢かな。多少無理難題でも諦めたらそこで終わりだろう?なら試してみるのも悪くないとは思わないのかい?」
「試す……?」
「詩紋とは両想いなんだろ?」
「……まあ」
「だったら詩紋の奴だってお前と離れるのは辛いって思ってる筈だろ?自分の世界が恋しくても心のどこかではお前と共にいられる可能性を考えてる筈だろ?」
「……そ、そうかな?」
「それならお前からそのきっかけを与えればいい。一言“行くな”って」

ヒノエが自分でも言えない一言。
もしもイノリにその一言が言えるのなら……
イノリに出来るなら自分にも出来ると言い聞かせられるとヒノエは思った。

「それでも詩紋は自分の世界を選ぶかもしれない。その時は……」

ヒノエが手の中の花を静かに見つめ、摘み取ったその場所、元の位置にそっと置いた。
手の中から離れたその花が微かに風に揺れて周りに咲く花々と戯れているように見えた。

「イノリ。今度はお前が自分の世界を捨てる覚悟をしなきゃいけない。詩紋にばかり求めて自分はその覚悟を持たないのは不公平だろ?」

イノリがごくりと息を飲んだ。

「求めてばかりじゃ欲しいものは手に入れられない。手に入れるために何かを捨てる覚悟も時には必要なのさ」

ヒノエは熊野を捨てられない。
けれど弁慶を諦める事も出来そうになかった。
だけどヒノエと弁慶が生きる世界は同じでちゃんと繋がっているから、イノリと詩紋のような世界の隔てを感じる事はない。
それがヒノエの甘えだ。
ヒノエの助言はヒノエ自身には実行出来そうにない程過酷なものだ。
結局は他人事のような回答しか言えない自分を嘲笑しながらも、ヒノエはイノリの背中をばしっと叩いて押した。

「まあ、お子様のお前には無理かもしれないけどな」
「オレはお子様じゃねぇ!!」

イノリはヒノエに背中を押されて立ち上がる。

「見てろよぉ!オレだって好きな奴の為なら何だって出来るんだって事ちゃんと証明してやるからな!」
「ふ〜ん?」
「相談に乗ってくれてありがとな!一応礼は言っとくぜ」

イサト同様最終的にヒノエの助言を受け入れてやる気満々にその場を去って行く。
似た者同士だなとふと思う。
流石は同じ天の朱雀だと。
そう思った時、自分だって同じ天の朱雀じゃないかと思い至る。
イサトやイノリに出来て自分に出来ない筈はないんだとヒノエは決意を込めて拳を握り、瞳に炎を宿す。
先代や先々代が既に結ばれているのなら次は自分たちの番だと奮い立たせた。
ずっと悩んできたヒノエが、イサトやイノリと話をして何かに火が付いたらしく、やっと自分の想いを告げる勇気を持てた気がするのだった。
これが夢の世界だというのなら夢を叶えようと、そう思える。
長く感じるこの夢が、たった一夜限りのものだとしてもヒノエにとってはとても意味のある夢となった。



去って行くイノリの姿が見えなくなって再びヒノエは先程の黄色い花を探した。
ヒノエが手折った花があった場所にあの花は見当たらなかった。
代わりに別のものがそこにはあった。

美しくて可愛らしい小さな箱。
けれどその中には何かとても大切なものが詰まっているようなそんな気がする。
そう思ってヒノエはその小箱を手にした。

ああこれはきっと願いが叶うという夢の小箱だ―――――

さすが夢の世界だと苦笑しつつも、その小箱には自分の弁慶への想いが詰まっているのだと確信していた。
だからこそその小箱を優しく手に取っては愛おしげな眼差しでそれを眺めた。
まるで宝箱のようだった。ヒノエにとって弁慶への想いは大切なものだから。
弁慶への想いを込めながらゆっくりと小箱を開ける。
とても不思議な感覚だった。

夢の中で告白する事が出来たなら……
それはきっと現の世界でだって出来る筈……

今夜は夢の中でお前に逢いに行くよ、弁慶―――――
だから夢から覚めた時は真っ先にお前の元へ駆けつける―――――
この溢れる想いを告げるために―――――





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「なあ那岐」
「何だよ煩いなぁ……僕は眠いんだから寝かせてくれる?」
「見ろよ。星がキラキラ輝いてまるで宝石のようだぜ」
「全然人の話を聞いてないな……こいつ……」

天鳥船の堅庭で夜風に当たりながら眠っていた那岐の元にサザキが駆け寄って来たのはつい先程の事。
那岐は眠りを妨げられて不機嫌な顔でサザキを睨みつけてやったが、全く効果はなくて。
31歳とはとても思えない。
子どもみたいにはしゃぎ、楽しそうな顔で那岐に話しかける。一方的に。

「今のオレは船がねぇ……だから大海原に出る事は出来ねぇ。だがこの星の海を駆ける翼ならオレは失くしちゃいないんだ」

つらつらと自分の喋りたい事を連ねると、さっと寝ころんでいる那岐の身体を持ち上げた。
当然那岐は驚いて慌てた。

「ちょっ!?何するんだよ!?降ろせ!」
「暴れるなよ那岐。うっかり落としちまったら洒落になんねぇからな」
「はあっ!?何する気だよ!?」
「もちろん、オレのお姫様を抱いてあのキラキラ輝く空の海を飛ぶのさ!」

サザキは那岐の抗議の声を全く耳に入れず、笑顔で地を蹴った。
みるみる内に天鳥船が遠くなる。
最初は所謂お姫様抱っこと呼ばれるような体勢に冗談じゃないと暴れまわり、サザキの腕から逃れようともがいたが、さすがにここまで高く飛び上ってしまっては恐ろしくて大人しくなってしまう。
落とされてはたまらないからだ。
そっと那岐は下を見た。
恐ろしく地面が遠い、その光景にぎょっとして無意識にサザキの首に腕を回し、ぎゅっとしがみついてしまった。
その様子に満足したサザキが震えるその身体を優しく抱きしめて真っ青な顔をしている那岐の額に口づけを軽く落とす。

「なあ那岐。あの星空の向こう側にはどんな世界があるんだろうな」

サザキがまだ見ぬ世界を思い描きながら呟くように言った。

「向こう側って……宇宙の事か?」
「う…ちゅう?何だそれは?」
「別に……知らなくていいよ」

那岐は出来るだけ下を見ないよう視線を空へと向けた。
サザキの言うように星が美しく輝く様子に少しだけ恐怖心が薄らいでゆく。

「空の向こう側に神様の住む天界があるってのは本当だと思うか?」
「はあ?」
「オレはあると思ってるんだ。あの空の向こうには見た事のないような楽園が広がっているってな」
「本当にあんた、ロマンチストだな。大陸を信じたり、天界を信じたり……」

2人の視線が同じ星を見る。
と同時にきらりと光る星が一つ流れ落ちた。

天空の遙か彼方から、神々が祝福するかのように。



まだ誰も知らない。
始まりの物語。

八葉が誕生するその時から―――――
天の朱雀と地の朱雀の繋がりが生まれる―――――





Fin.










以前頂いたSSのお礼に……と。
何を書こうか迷いまして、どうせなら1も2も3も4も全部詰め込んでみようと思い至り、夢浮橋ネタを持ってきました。
4を詰め込んだのはちょっと無理やりかもしれませんね。
何だか色々詰め込んだせいでぐだぐだになってしまっているような気もいたします。(汗)
こんなSSではお礼にもならないかもしれませんが、高本香鈴様に捧げます。
こんな駄作だらけですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。