魔法で貴方を手に入れましょう
一日の仕事が終わり、外交官であり通訳官であるアーネスト・サトウは、自室で日記を書いていた。
本日はアーネストが日本語を教えている外交官仲間と、開港予定地である神戸を視察し、公使館に戻ってきたところだった。
一日一日行動するたびに、母国の、日本の未来が変わってくる。
その変化する時代の真ん中を歩いている、また自分も変えている一員だと感じるアーネストは、毎日の出来事の記録も、後の世に意味のあるものになるだろうと考えていた。
日記に今日の出来事を記し終わり、立ち上がって部屋の隅に置いてある籠に近づいた。
差し入れでもらった林檎を、籠から手に取る。
椅子に座り直して、丸かじりしようと口を開けると、鏡に映った林檎を食べようとする自分が見えた。
林檎と鏡。
その二つを見て、ふとアーネストはあることを思い出した。
「そうだ、今日は10月31日…Halloweenでしたね。」
ハロウィンは、ヨーロッパを起源とする民族行事。毎年10月31日の晩に行われ、ケルト人の行う収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものだ。
ハロウィンは日本でいうお盆の前夜祭のようなもの。あの世とこの世が繋がる日。
この日には怨霊や悪霊、悪魔や妖精などがこの世に悪さをしにやってくるので、こちらも悪魔やモンスターに仮装をしてジャック・オー・ランタンというカボチャのランタンを持って悪霊たちを驚かすのだ。
仮装した子供がトリック・オア・トリートと言って家々を回り、お菓子を貰ったり、大人は仮装パーティーを開いたりと、楽しい行事でもある。
「まぁ、日本で奔走している私は、Halloweenどころではありませんが…」
苦笑して手の中の赤い果実を眺めるアーネストは、幼い頃の楽しかった行事の思い出を思い出していた。
忙しい仕事場であるこの公使館では、楽しい行事は遠い話だ。
「…あ、でも、ここでもできる事が一つありましたね。」
目の前の林檎を見て、閃いたアーネストはぽつりと呟いた。
Halloween気分をここでも味わえることを思いついたからには、冗談半分で実行に移してみることにした。
「カボチャを飾ったり、ドラキュラに仮装したりは出来ませんけど…、この日本でも揃うものがありました。」
アーネストは早速、小さなテーブルを姿見の縦長の四角い鏡の前に移動し置き、座って鏡が見える位置に椅子を置く。
そして1本の蝋燭に火を灯し、林檎と一緒にテーブルの上に置いた。
部屋についていた蜀台の明かりを全て消すと、準備は完了する。暗い闇の中に一つの蝋燭の火が林檎と一緒にそこだけ浮き上がって見えた。
あの世とこの世が交差する日は、魔力も高まると信じられている。
アーネストが生まれ育った国はそんな魔力も妖精も楽しんで受け入れてしまう、不思議な国。
遥か離れた日本でも、その魔力が奇跡が通じるとしたら、それはゾクゾクするようなミラクルだ。
こんな神秘的で、神聖で、そして不気味に美しい月が出ている夜なら、魔法が使えても不思議じゃない。
そんなことを体の奥から沸き起こるように感じながら、アーネストは椅子に座った。
「Halloweenの日にしか使えない、おまじないですからね。」
おまじないをするなんて柄ではないけれど、Halloween気分を味わえるなら何でも良い。
そう思って、少し気分を高揚させながらアーネストは鏡と蝋燭の炎を交互に見つめた。
『Halloweenの日に鏡と蝋燭を用意して、林檎を丸かじりすると、鏡に未来の恋人が映る』
という。
(未来の恋人が映るなんて、楽しみじゃないですか。どんなPrincessが映るのでしょう。)
蝋燭に意識を集中し、無心で林檎に歯を立てる。
シャリという小気味良い音と、甘酸っぱい果実の味が口の中に広がる。
噛み砕いて、飲み込んで。
そっと瞳を開けて、鏡を覗いた。
こくりと喉が鳴る。なんだかんだ言って、緊張と期待をしているらしい。
暗い鏡の明かりの中には、自分の姿だけが映っていた。
(……ですよね。)
ふう、と溜息をついて、何をやっているんだろう、と二口目の林檎を口に運ぶ。
まだ気になってしまって、もう一度自分しか映らない鏡に視線を移すと、
無作法に髪の伸びた、大柄の男と目が合った。
思わず、アーネストは噴出して数度むせる。
食べた林檎が戻ってきそうなほどむせて驚くと、もう一度確認の為鏡を見た。
「た…かすぎさん?」
幻にしてははっきりと見える。これも魔力の強くなる今日と言う日の成せる奇跡なのか。
鏡の中の姿は、黒いマントに、長い刀。見紛う事無き、アーネストの対、高杉晋作のようだった。
「すまぬ、追われていてな。少し匿ってはもらえぬか。」
窓から入ってきたらしい、その男は、少し決まりが悪そうにそう言った。
「どうして、異人の建物に近づいたのですか…?ここは警戒も強い。貴方のような攘夷志士は一番の危険対象となるのはご存知でしょう?」
「追われてここしか逃げ道が無かったものでな。貴殿の部屋は教えてもらっていたから、賭けで参った。」
「それはそれは…、信用されたことで。けれど、このタイミングで来なくとも良いと思うのですがね。」
アーネストは苦笑しながら両手を広げ、呆れた事を表すジェスチャーを見せると、立ち上がり振り向こうとする。
すると、布擦れの音がして、後ろから太い腕で抱き寄せられた。
強い力で抱きしめられ、何が起こったのか判らないアーネストはもう一度相手の顔を見ようと振り向こうとするが、
思い出した。
もしも、もしも未来の相手が見えるという鏡でその人物を見る事ができたなら、決して振り返ってはいけないこと。
振り返ってしまったらその相手とは上手くいかなくなってしまうのだ。
(まさか、…高杉さんが…?そんな馬鹿な…)
ぐるぐると混乱しているアーネストに、高杉は耳元で低く囁いた。
「避難の為もあったが、貴殿の顔を見たかったというのも本音だ。」
高杉の落ち着いたバスの声は、アーネストの心と腰に響いた。
知らず、頬は染まっていく。
「何を言っているんですか?月に中てられて正気を失ったのですか。…私は男ですよ。」
「知っている。」
己を抱きしめている暖かい腕が、ゆっくりとアーネストの腰や胸を撫でる。
「本気ですか?!」
「俺はずっと貴殿を見ていた。貴殿は気付かなかったのだろうが、ずっと…貴殿を慕っている。」
「…そん、な…っ」
状況についていけず、パニックしたアーネストが強く目を瞑ると、ふわりと体が軽くなるように感じた。
不思議に思い、恐る恐る目を開けると、抱きしめられた腕の感覚が、
先ほどまで感じていた体温が、吐息が、気配が感じられない。
目の前の鏡にはアーネスト一人の姿だけが映っていた。
「…what?」
疑いの眼差しで振り向くと、窓の向こうからは青白い月明かりだけが差し込んでいた。
窓は閉まっていて、人が通った気配は無い。
「…Really?」
血の気がさっと頭から引いていくのを感じた。
確かに感じた感覚は、
幻だったとでもいうのか。
魔力の高まる夜の見せた、極上のマジックだったのだろうか。
(嘘でしょう?…生霊でも見たとか…?)
慌てて開け放した窓の外にも、人の気配は無い。
窓の下の地面を見ても、靴跡すら無い。
いよいよ夢でも見たのではないかと思えてきたとき、青ざめながらアーネストは静かに呟いた。
「私の未来の相手が、…高杉さん…?」
抱かれた腕の感触を思い出して、今度は体がじわりと熱くなるような気がした。
“ずっと…貴殿を慕っている”
高杉の声が、耳から離れなかった。
(こんな感情は知らない…)
それはまだ、アーネストが高杉をただの対として見ていた頃の、不思議な夜のお話――。
Fin.
「火輪の君〜karin no kimi〜」の菫青様からキリリクでいただきました。
ハロウィンな高杉×アーネストSSです。
小心者ゆえ最初はおどおどしていて申し訳ありませんでした。
素敵なSSにほくほくしております。
またリンクの申し出もとても嬉しかったです。ありがとうございました。
亀更新サイトですがどうぞよろしくお願いいたします。
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