There is no substitute for you.
それは自分の部屋で翻訳の仕事をしていた時だった。
公使は出かけており、この公使館には私一人しかいなかった。
長い文章と睨めっこという長時間の執務に少し疲れ、目頭を押さえる。
ふと誰もいないはずなのに小さな物音が聞こえた。
風の音かもしれないと思ったがどうやらそうではないらしく、人の気配がした。
公使は遅くなると言っていたし、一体誰だろうか?
不審に思い首を傾げる。
確かめに行こうかと、手元の本をぱたりと閉じた所で突然部屋の戸が開かれた。
「え?」
入り込んで来たのは二人の日本人の男で。
とてもまともな客人とは思えない様子だった。
「あ、あなたたちは何者ですか?一体何の用で……?」
こちらの質問など聞いてなどいないかのように勝手に部屋へと侵入して来る。
そのまま一人の男に無遠慮に腕を掴まれ顔を顰めたが。
非難する前にもう一人の男に刀を突き付けられ流石にぎょっとした。
「命が惜しければ大人しく俺たちに付いて来てもらおうか」
逆らえば容赦なく斬り捨てられる。
カチャリと音を立てながら光る刃を見つめ。
ごくりと唾を飲み込んだ。
従う他ない。
丸腰の自分に抗う術などないのだから。
視線だけを動かし部屋の隅に立てかけられた銃を見つめる。
あれさえ手に出来れば状況も変わるかもしれない……
しかし銃に手を伸ばすには距離があり、とても二人の男の目を盗んで手にする事など出来そうになかった。
仕方がない。
諦めるしかないだろう。
小さくため息を付き頷くと。
後ろ手にきつく縛り上げられ、抵抗する手段をほぼ奪われてしまうと同時に。
口元も布で塞がれ、声を上げる事すらも出来なくなる。
そして。
男たちに促されるまま公使館の外へと出た。
公使館の外にはさらに数人の男たちが待ち構えていた。
用意されていた篭に押し込められ、視界も真っ暗になってしまう。
どこへ連れて行かれるのか。
まったくわからないが、腕を使えない私には篭の外の様子を確認する事も出来ず。
入って来る情報は移動している間、篭の外から聞こえて来る足音や話し声だけだった。
聞こえて来る声は「上手くいったか?」とか「予定通り事は進んでいる」だとかそんな内容ばかりで。
相手の目的がまったくわからない。
もしも彼らが攘夷派の者たちであるならば。
何故あの場ですぐに私を殺さなかったのか。
何故私を連れ出す必要があるのか。
疑問が次々と溢れ出す。
他の異国人たちへの見せしめとしてそれ相応のやり方で始末しようと考えているのだろうか?
だとしたら自分は酷い殺され方をするのだろう。
何も見えぬ篭の中で。
固く目を閉じ、これから起こるであろう恐ろしい出来事を想像して身体を震わせた。
遙か遠い海の向こう。
故郷で抱いていた憧れ。
己が住む世界とはまるで違う国。
けれど現実は美しいものばかりではなかった。
夢見ていた世界はこんなにも残酷で。
争いが絶えず、常に血が流され続けている殺伐とした世界。
青く澄み渡る空に輝く太陽。
確かに初めてこの国の地に降り立った時には感動した。
弾む心を抑えきれず目を輝かせ飽きる事なく見慣れぬ景色を見回していたのだ。
でも。
この国が光輝いていたのは本当に一瞬だけの事だったような気がする。
日本へと辿り着いて待っていたのは“攘夷”という名の異人狩り。
彼らは日の本の国の人間ではない私たちに刃を向け、容赦なく振り下ろす。
その光景を目の当たりにした時から。
失望と言う名の闇しか見えなくなった。
その暗闇の中に再び、希望の光が差し込んで。
私の胸に微かな情熱の炎が灯る。
それは小さくて、ゆらゆらと不安定に揺れ、吹けば消えてしまいそうな程弱々しいものだったけれど。
確実に大きさを増し、かつての期待が蘇ってゆくようだった。
神子や八葉たちとの出逢い。
己が八葉の一人に選ばれた事に戸惑いながらも。
仲間として自分の存在を受け入れてくれる人たちに囲まれて。
居心地のよい場所となる。
最初は私に刃を向けた事がある者たちからも、今では共にいる事を許されていた。
その内の一人。
高杉さんとは仲間という枠すら越えて、とても深い関係になっている。
出逢った頃を思えば考えられない事だが。
所謂恋人同士だ。
一度は消えてしまった情熱の炎が、この仲間たちや恋人のおかげで蘇って来るのを感じていたのだ。
――― それなのに。
こんな形で最期を迎えるというのか ―――
揺れていた篭が地に下ろされる感覚がした。
次には暗闇に光が差し込み何者かの手が伸ばされる。
抵抗出来ない私はそれに従い外へと出た。
明るさに目が慣れるまでにしばらく時間を要したが。
どうやら周りは草木が生い茂っているだけの何もない場所。
山奥といった雰囲気だ。
ただそんな自然に囲まれた中にひっそりと佇む小屋が一軒建っているだけだった。
男たちはその小屋へと私を招く。
無遠慮に私の身体を掴み、小屋へと押し込めるように中へと連れて行かれた。
けれども外国人に対して憎しみを抱いているといった感じでも手荒に扱われているといった感じでもなかった。
だからここに来るまでに私は傷一つ負う事はなかった。
もちろんこの先も無事帰してくれるという保証はない。
むしろこれからが地獄の訪れではないだろうかと思う。
小屋の中にはほとんど何もなかった。
おそらく今は人など住んでいないのだろう。
ただ、掃除はしてあるようだったので全く利用されていないというわけでもないようだ。
たまに男たちが集まって戯れたり話し合いの場として使っていたのかもしれない。
しかしほとんど何もないからこそ。
そこに敷かれていた布団がやけに目立つ。
私はその布団の上に転がされる事となった。
一体この後、何をするつもりなのか?
彼らの目的を必死に考えてみる。
目的さえわかれば逃げ道を見つけられるかもしれないと思ったから。
けれどどれだけ考えても男たちの行動や言葉からは何も情報を得る事が出来ない。
鞘におさめられたままとはいえ、トンと音を立てて目の前に刀が突き付けられ。
抵抗すれば殺すと言わんばかりの現状に身体は緊張で強張っていた。
日本に来る前の事を思い出す。
私がこの世に生を享けるのがあと数時間遅かったら。
今この日本にはいなかった。
日本に勤務する通訳生採用の試験は18歳に満たなければ受けられないものだったのだから。
きっと私の運命は大きく違っていただろう。
兄が図書館で借りて来たオリファントの本を読み、日本という国に憧れを抱いた事。
イギリスでは珍しい“サトウ”という名が遠く離れたおとぎの国では数多く存在しているという事。
すべてが私に日本へ行くべきだと導いているかのようだった。
そうしてその導きに従って私はこの国へとやって来た。
やがてこの日本に来てからの出来事が脳内を駆け巡ってゆく。
ああ。
死が徐々に迫り来る感覚というのはこういうものなのだろうか。
この日本に来てから、色々な事があった。
鮮明に脳内に広がる様々な思い出。
悲しい事も辛い事もたくさんあったけれど。
思い返せばささやかな幸せもたくさんあったのだ。
最期の時に思い浮かぶのは。
友の事。仲間の事。家族の事。
そして誰よりも愛しい人を想う。
高杉さん―――
どれだけ時間が過ぎただろうか。
男たちはしばらく何をするでもなく特に大きな動きを見せなかった。
まるで何かを待っているかのようで。
小屋の中には静寂が支配していた。
ふと皆がぴくりと反応を示し、身構える気配がした。
「来たか」
誰かが呟くとほぼ同時。
小屋の戸が外から勢いよく開かれる。
「サトウ殿!」
それは私のよく知った声。
低く威圧的だけれど本当は優しさを秘めている今では聞き慣れた声。
高杉さん!?
私は思わず目を見開き、息を呑む。
口は布を巻かれて塞がれていたので彼の名を呼ぶ事は叶わなかったけれど。
心の中でその名を叫んでいた。
どうしてここに―――?
そんな疑問が浮かび無意識に側へ駆け寄ろうと上半身を浮かせた瞬間。
小さな声で。しかし鋭く刃で貫くように「動くな」と言葉を吐かれ身体を押さえつけられた。
後ろ手を縛られているため簡単に起き上がれない状態であったが、押さえつけられてしまえば手が自由に使えたとしても簡単に動けはしないだろう。
仕方なく身体は布団の上に転がされたまま、視線だけをゆっくり上向ける。
珍しく焦ったように息を切らせながら眉間に皺を寄せる高杉さんと視線がかち合った。
私は今の状況についていけていないため呆然とした顔で見つめていたかもしれない。
けれど高杉さんは顔を顰め、最悪な状況だと言いたげに頭を抱えていた。
男たちが高杉さんを無言で睨みつける。
どれだけの時間が流れたかはわからない。
本当に僅かな時間だったのだろうが張りつめた空気は息苦しく実際よりも長く感じさせるものであった。
先に口を開いたのは高杉さんの方だった。
「……サトウ殿を解放しろ」
静寂が支配する中、刀の柄に手をかけながら相手を脅すような威圧的な言葉を発していた。
ぴりぴりとした空気が気配に疎い私にも伝わって来る。
だが当然返されるのは拒否の言葉。
「そいつは出来ないな」
「解放するための条件は……わかっているんだろう?」
また部屋には無言の時が流れる。
お互いかなり殺気立っている事だけはわかるが、まだ私の中では状況が呑み込めず見守る事しか出来なかった。
そんな時。
突然近くにいた男が刀を鞘から抜き、私の喉元に刃を当ててきた。
ひやりと冷たい感触が喉元から伝わり全身が凍りつく。
いよいよ殺されるのかと目を閉じれば。
ふと予期せぬ言葉が発せられる。
「……高杉。貴様の命と引き換えだ」
―――え?
一瞬何を言われたのかわからず。
閉じた瞳をゆっくり開いた。
喉元に当てられた刃はまだそのままであるが、男の視線は私ではなくじっと高杉さんの方を向いていた。
そこでやっと男たちの目的を知った。
てっきり攘夷派の者たちが私を殺そうとしているのだと思っていたのだが……
どうやら違ったらしい。
彼らの目的は私の命などではなく。
高杉さんの命。
つまり私は人質としてここまで連れて来られたという訳か。
だとしたら今私は高杉さんに大きな迷惑をかけている事になる。
何て足手纏いなんだ!と己を叱咤するがもちろんそんな事を毒づいてみた所でこの状況に何ら変化はないだろう。
攘夷派の者から狙われる事が多い私のような外国人。
それに対し高杉さんのような尊王攘夷志士は幕府側の人間から狙われているのだ。
長州といえば禁門の変以来朝敵とされているのだから、尊王攘夷派の親玉的存在である高杉さんが色々な者からターゲットにされていてもおかしくない。
一体どこで高杉さんと私の関係を嗅ぎつけたのかは知らないけれど。
正攻法では簡単に捕らえる事が出来ないと業を煮やし、このような手段に出たのだろう。
身近にいる女性であり神子であるゆきではなく。
男であり異人である私を敢えて選んだのだから。
相当高杉さんの事を嗅ぎ回って調べたのだろうと思われる。
攘夷派の高杉さんが異人の男を恋人にしているなど驚かれたかもしれないが……
それでも人質として使えると確信したからこそ私を連れ出したのだろう。
一体どんな場面を目撃されたのか……あまり考えたくはないけれど。
頭が痛くなった。
何とかしなければ。
と状況をやっと把握して思考を巡らせる。
しかしいくら状況を理解したとしても男たちから逃れる術など今の私にはなかった。
冷たい刃は私の喉元に今も当てられており、妙な動きを見せれば己の血が流れる事になるのは明白だ。
一体どうしたらいい?
考え込んでいる間にも男の手に力が入り、刃が更に強く押し付けられる。
少しでも動けばどうなる事か。
このままでは本当に斬られかねないと。
恐怖から来る震えを必死で押し止めた。
「やめろ!」
「この異人を助けたかったらお前の命を差し出すんだな」
「……俺にはまだやるべき事がある……ここで死ぬわけにはいかん……」
「ほう?ではこの異人はどうなってもいいんだな?」
「待て!誰もそんな事は言っていない!」
「じゃあどうする?」
「……くっ……」
私の頭上で男たちと高杉さんが睨み合い、言葉を交わす。
このままでは斬られかねないけれど……
だからといって高杉さんの命と引き換えに助かりたいだなんて。
そんな事は考えられない。
ならばいっそ抵抗して、それで逃れられるならばluckyだとでも思えばいいだろうか。
もし殺されるのだとしても、高杉さんが助かるならそれでいい。
高杉さんが答えを出すのを躊躇い、考えあぐねている間。
殺気に満ちた部屋の中。
静かに決意を固めて目を閉じる。
死ぬのは恐い。
でも高杉さんに迷惑をかけるくらいなら、自分が消えた方がいい。
足手纏いになるなんて御免だ。
死に急ぐサムライのように自らそれを選ぶなんて馬鹿げているけれど……
愛する人の命と引き換えに永らえる事が幸せだとは思わないから。
―――Nothing is too good for you......
……あなたのためならば何も惜しくはない―――
口を塞がれて声を出せない私は誰にも聞かれる事のない心の中で愛の言葉を囁く。
目を開けば眉間に皺を寄せて困惑している高杉さんの姿が見える。
巻かれた布の下で笑みを浮かべてやった。
目には見えないはずの表情。
しかし気配で何かを察したのだろうか。
男たちと睨み合っていた高杉さんが焦って私の方を見た。
そして慌てて高杉さんが一歩私に近づこうと踏み出す。
「やめろ!サトウ殿!」
私が行動を起こす前に高杉さんが動いた事で男たちが一斉に警戒心を強め動いた。
周りにいた者たち全員が一斉に鯉口を切る。
すぐに「動くな」と釘を刺され高杉さんは駆け寄りたい気持ちを必死で堪えて踏み止まり拳を握った。
元々私に刀を突き付けていた男は更に私を逃すまいとして身体の上に乗り掛かりながら空いている方の手で胸倉を掴む。
いつでも斬り殺せるとの意思表示で刃をわざと私の目の前で音を鳴らしながらちらつかせて。
さすがに大の男が圧し掛かった状態では抵抗する事すらほぼ不可能である。
こうなったら舌を噛み切るくらいしか出来ないかもしれない……
そんな事を思った時。
「簡単に殺したら人質として使えなくなるからな……こっちの方がいいかもしれん」
男が呟く。
何の事だかわからず男を見上げれば。
喉元に突き付けていた刀をすぐ横の畳に突き立てて、にたりと笑うのが見えた。
何を意味する笑みなのかわからなかったが。
危機感に悪寒が走る。
高杉さんが目を見開き、息を飲んだように見えた。
圧し掛かる男は空いた両の手で私の衣服の釦を外してゆく。
まさか……
そう思った時には私の衣服は乱されて、拘束された腕に引っかかるギリギリの所まで取り払われていた。
肌が露出してすぐに男は私の身体に手を這わせ厭らしい手付きで撫で回す。
嘘でしょう!?
嫌だ!
そう叫びたかったが生憎口は塞がれていたので首を振って拒絶を示す以外に何も出来ない。
「貴様っ!汚い手でサトウ殿に触れるな!」
今まで以上に怒りを含んだ叫びが部屋に響く。
また一歩高杉さんがこちらへ近づこうと動いた足音が一つ聞こえた。
「黙れ!助けたかったら貴様の命を差し出せと言ったはずだ」
「お前が早く決断しなければどうなるかわかるだろう?」
「言っておくがそれ以上近づけば本当にあの異人を斬り殺すぞ」
周りの男たちが高杉さんを牽制している様子が視界の隅に入るが、私はそちらに意識を向けていられる状況ではなかった。
圧し掛かっている男は私の肌に頻りに手を這わせていた。
更に首筋に顔を埋めるとこれでもかというくらい執拗に舌で舐め回される。
そのまま徐々に移動して胸や腹などそこらじゅうに口づけを落とされてゆく。
見ず知らずの男の厭らしい手付きと口づけに吐き気を覚えるが、逃れる術などなかった。
しかも愛する者の前で他人にいいように触れられる姿を晒すなど羞恥と悔しさでいっぱいだ。
高杉さんの命が目当てでこのような真似をするなんて……
何て馬鹿な事を……
不快な感覚を必死で耐えながら目を固く閉じて男の顔を見ないよう努めていた。
だがやがてある事に気づきぎょっとする。
え!?
高杉さんの命を狙い、恋人である私をターゲットにしてきたというただそれだけのはずだというのに。
私の肌に無遠慮に手を這わせ、舌で舐め回している男のものが脈打ち猛り出しているのを布越しに感じたのだ。
異人である男の肌に触れながら興奮している?
そんな馬鹿な……!
高杉さんに見せつけるという目的だけの行為ではないのか?
まさかの事態に頭が混乱する。
男は着物を着たままであったが。
私の上半身の衣服は取り払われている分、腹の上にそれを擦りつけられる感覚は堪らなかった。
「ん〜ん〜ん〜っ!」
叫びにならない叫びを上げる。
口元に巻かれた布によって私の声はくぐもった音にしかならない。
「止めろ!」
高杉さんが私の代わりに制止の言葉を叫んだ。
もちろんそれで止まるはずはないのだけれど。
「ふっ、この異人を救いたければさっさとお前の命を差し出すんだな」
私の上に圧し掛かっている男はふんぞり返ったような口調で言い放つ。
その言葉に続くように周りの者たちも笑う。
「いつまでも迷っていたら本当にあの異人食われちまうぜ」
「なあ俺にもその役回してくれよ」
「お、いいなそれ。綺麗な兄ちゃんだし俺も興味がある」
鼻の下を伸ばした男たちが一斉に私を見ている光景。
冗談ではない。
命を奪われそうになった時とはまた違う恐怖が襲う。
「どうせなら声を聞かせてやった方が高杉の奴も悔しがるだろうな」
頭上からかけられた言葉に何を言われたのか頭が付いて来ない。
しかし理解するより先に。
口元を覆っていた布がするりと取り外された。
えっ……?
何が起こったのか確かめようとするように。
私はゆっくりと目を開き、瞬きを繰り返す。
男の顔が近づいて、耳元で囁かれる。
「俺がたっぷり啼かせてやるから覚悟しな」
ぞわっと背筋に寒気が走る。
直後、愛撫が再開された。今までより激しく性急に動き回る手と舌。
所々に所有の跡を残すように。
高杉さん以外の男から触れられ、口づけられる感覚。
「Nooooo……!……はっ…………んんっ……ぃゃあぁっ……」
思わず声を上げてしまう。
しまったと思った。
声を上げる事は相手の思う壺だと気づくがもう遅い。
慌てて声を抑えようと口を閉じた。
しかし男の行為はどんどんエスカレートしてゆくばかりで。
耐え切れずに漏れる息遣いはますます男をその気にしてしまっているらしかった。
今まで布越しにくぐもった声しか聞こえなかった部屋の中。
鮮明に己の声が響いて自分で自分の耳を塞ぎたくなる。
当然後ろ手で縛られた両手は使えないが。
高杉さんがどんな顔でその行為を見ていたかはわからない。
私には高杉さんの姿を見る余裕などなかったから。
しかしどのくらい経っただろう。
何度も零した「やめろ」という悲痛な叫びの後。
「貴様らの望み通り俺の命をくれてやる。だから止めてくれ……」
普段の高杉さんからは考えられないような懇願する声。
その言葉に私の肌の上を這っていた手と舌の動きが止まる。
嬉しそうに、けれど少し残念そうにも見える表情で男は高杉さんを見た。
「やっと覚悟を決めたか……まあもう少し渋ってくれてもこちらとしては楽しめたかもしれないんだが……」
私に圧し掛かったまま尚も行為を続けたそうな男を恐ろしい形相で睨みつけた後。
高杉さんは静かに私の方を見て、じっと見つめて。
「サトウ殿……貴殿を愛している。これは俺が自分で決めた事だ。だから責任を感じる事はない」
そう告げて優しく微笑んだ。
私にだけ見せてくれるその笑みを最期に残し。
覚悟を決めたサムライの顔に変える。
周囲にいた男の内の一人が刀を抜いてゆっくり高杉さんの方へと向かう。
それでも高杉さんは己の刀を抜こうとはせず受け入れるつもりで目を閉じた。
このままでは高杉さんが斬り殺されてしまう。
高杉さんの命が奪われるのをこのまま見ている事しか出来ないなんて。
そんなのは嫌だ。
自分が殺されるかもしれないという事よりも。
高杉さんが殺されるという現実を見せられる事が恐かった。
無意識の内である。
高杉さんの方へと意識が向けられ、圧し掛かっていた男に隙が生まれて私への拘束が緩んだ一瞬。
私に擦りつけられていた男の急所とも言われる場所を思いっきり蹴り上げた。
「ぐはっ!」
さすがにここで私が抵抗するとは思っていなかったのか見事に直撃し、男が痛みに耐えられずのたうち回る。
後ろ手に縛られているためなかなか起き上がるのに苦労したが。
何度かもがきながらふらりと立ち上がった。
「高杉さん!」
必死で。
無我夢中に駆け寄る。
高杉さんを斬ろうとしていた男が驚いて振り向く。
周りで今まで見ているだけだった男たちも一斉に刀に手をかけこちらへ向かって来た。
今この部屋にいるすべての者の視線が私に集まっていたが、私には高杉さんの元へ駆け寄る事しか考えられなかった。
高杉さんを斬ろうとしていた刃が慌てて向きを変え、私に狙いを定める。
背後からも刀を抜く音が複数聞こえて。
ああ、私は斬り殺されるのだろうと思った。
それでも私が先に死んでしまえば高杉さんが命を捨てる理由がなくなるはずで。
これでいいのだと思った。
振り上げられた刃が下ろされる。
死を覚悟して息を飲んだ。
―――瞬間、
肉が斬れる音が鈍く響いて、
飛び散る赤い飛沫―――
けれど斬られたのは私ではなかった。
私に向かって振り下ろされようとしていた刃が目の前で床に落ちる。
それに続いて男の身体が揺らぎ崩れてゆく。
何が起こったか理解するより早く、高杉さんに腕を引かれ抱きとめられた。
尚も襲いかかろうとして来る複数の相手に向かって高杉さんは片手で刀を振るう。
それでも実力は圧倒的で。
彼らは高杉さんに傷一つつけられずに倒れていった。
「守るべきものがこの手の内にある限り負けはしない」
いつもより怒りを含んだ威圧的な口調の高杉さん。
あっという間に形勢逆転されて床に転がる男たち。
呆然とその様子を眺める事しか出来ない私。
死を受け入れて静かに佇んでいた高杉さんは。
刃が私へと向けられた瞬間、迷わず己の刀を抜いたのだ。
今までずっと耐えていた感情を爆発させるように。
静まり返る室内。
助かったのだと理解して。
張りつめていたものが一気に解けると身体の力が抜けてゆく。
ゆっくり息を吐きながら高杉さんにもたれ掛かるように自身の身体を委ねる。
高杉さんは刀を収めてそんな私の乱れた着衣を直してくれた。
そして後ろ手で縛り上げられていた腕の拘束を解き、鍛えられた両の腕で力強く抱きしめてくれる。
「無茶をするな……貴殿が殺されるかもしれないと心臓が止まる思いだった」
いつもの傲然とした態度からは想像出来ない程震えた声。
抱きしめてくれている腕も同じように震えている事に気づくと胸が熱くなり自然と涙が零れる。
「……あなたこそ、どうして……?」
涙を見られたくなくて高杉さんの肩に顔を埋めながらやはり震えた声で呟く。
「あなたの存在は多くの方から必要とされているのに……この国を変えるためにもあなたの存在は大きい……あなたの代わりはいないというのに……」
何故私なんかのために……?
最後の方の言葉は声にならず掠れて消えていった。
「貴殿の代わりもどこにもいはしないだろう……」
そんな私の問いに真っ直ぐ答える優しい低音voiceが心に響く。
「俺にとって貴殿は世界中の誰よりも必要な存在なのだから」
独善的で冷酷。
自分勝手で強引。
それなのに時折酷く優しい。
普段見せないその優しさにふと触れる瞬間。
思い知る。
ああ私はこの人が好きなのだと―――
「もう二度とあんな危険な真似はするな」
ふわりと髪に触れる逞しい手が頭を撫でてくれる。
それがまた心地よくて泣きそうになるが、男としては何だか情けない気がしてむっとした口調で言い返していた。
「……あなたはいつも危険な事に飛び込むくせに?」
狂気の沙汰だと言われる程に無茶苦茶な行動ばかりするのはむしろ高杉さんの方だと思う。
まあそれが高杉さんという人なのだから仕方がないのかもしれないけれど。
「俺は武士だから当然だ。だが貴殿は違うだろう?」
「また自分勝手な言い分ですね」
「貴殿は余計な事を考えず、俺のそばにいてくれればそれでいい」
「……私だって男ですよ?少しくらい頼ってくれてもいいと思いません?」
「貴殿は争い事を好まないだろう。だからこういう事は俺に任せればいい。貴殿には貴殿の役目があるのだから。……だが一つわかった事がある」
「はい?」
「俺たちはお互い同じ気持ちだという事だ。それがこんなにも嬉しい事だと……」
何よりも愛しく心揺さぶる存在。
抱きしめられる腕に力が込められて。
そっと頭に口づけを落とされる。
涙を止めてゆっくり顔を上げれば。
今度は唇に熱く激しいkissが送られた。
高杉さんも私も、お互いがお互いを強く求めている。
こんなにもお互いがお互いを必要としている。
愛される喜びと愛する幸せ。
失う事は酷く恐ろしい。
愛する者と共に生きる幸福を知ってしまったから。
誰もあなたの代わりにはなれない。
だからどうか死に急がないで―――
サムライに対して願うには儚い願いかもしれないけれど。
そんな願いを込めて私からも高杉さんの唇にkissを送り返したのだった。
Fin.
高杉さんのお誕生日に仕上げたかったけれど間に合わず……
リクSSとして差し上げるにはグダグダで上手く纏まっていない駄文申し訳ありません。
折角いただいた高杉×アーネストのリクなので両想いで甘めの話をと思っていたのに何だか段々危険物になってきてしまい、最後の方は自重しながら書き進めてました(苦笑)
こんな駄文ですが紫泉遙様へ差し上げます。
駄目だったら突き返してくださいませ……本当にすみません。
それではリンクありがとうございました。
亀更新サイトですがどうぞよろしくお願いいたします。
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