a cruel twist of fate







ずっと立ち尽くしていた。



黒雲が空を支配していて、ザァザァ大きな音を立て降り注ぐ雨の中。
人通りの多い表道から逸れた、狭くて薄暗い裏の道。
雨宿りの最中に新選組隊士と遭遇しかけ。
慌ててその場から逃げ出し、入ったその裏路地に。
遠目からでもわかる金色の髪を濡らし、無言で俯いていた。



アーネスト……?



一人立ち尽くす彼に、護衛もつけず危ないだろうと。
声をかけようとして一瞬躊躇う。
口を開きかけ名を呼ぼうとした瞬間見えたのは。
緑色の瞳から零れた涙。

大雨の中立ち尽くすアーネストは既にびしょ濡れで、零れた雫が雨水でなく涙だったと言いきれはしないのだが。
それはアーネストが泣いているように見えて。
動きを止めた。

もしかしたら一人になりたいのかもしれない。
声をかけるのは迷惑になるかもしれない。

いつもは遠慮という言葉を知らないのではないかと言われる程ズカズカと入り込む性格なのは自覚していた。
しかし今のアーネストは触れれば壊れてしまいそうな程儚く見えて。
しばらく無言で立ち尽くすアーネストを見ていた。



だがじっとしていると濡れた衣が肌に纏わりつく感覚が増してくる。
水を含んだ衣服に重みを感じ、それだけで気持ちも滅入ってしまう気がした。
このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。
そう思って結局声をかける事にした。

「おい、アーネスト?」

振り向かせようと触れた手は、手袋越しではあるものの雨に濡れていて冷たかった。
俺が近づく気配もまったく感じ取れず、予期せぬ接触にアーネストはびくりと大きく肩を震わせた。

「っ……!?」

気配に敏感な方ではないのは知っているが……
さすがにここまで驚かれるとは思わず、悪い事をした気分になってしまう。

「すまん、驚かせるつもりはなかったんだが……」
「……りょう…まさん……?」

触れた直後、何かに怯えるように瞳を揺らせ。
後退ったアーネストが俺の姿を認めてほっと安堵の息を吐いたのを感じた。

確かに突然手を触れた事で驚かせてしまったのは悪いと思ったが。
これはさすがに驚きすぎではないかと思う。
よく見ればまだその身体は震えていて、どこか不安定な印象を受けた。

「大丈夫か?どうかしたのか?」

泣いていたようにも見えた。
怯えているようにも見えた。

こんな雨が降りしきる中、一人立ち尽くしていたのには訳があるのだろうと。
そっと問いかけてみる。

しかし俺の方に一度向けた視線は逸らされ再び俯いてしまった。
空から降り注ぐ大量の雨が家屋や地面などを激しく打つ音だけが響く。
アーネストはなかなか問いに答えようとしなかった。

とにかくこのような場所では落ちついて話も出来ないだろう。
そう思ってもう一度アーネストの手を取る。
今度は驚かせないように気を遣いながら。

「何があったか知らんが、こんな所にいたら風邪をひいちまう」

冷たい手をぎゅっと握りしめ、言い聞かせるような口調で言った。

「どこか雨を凌げる場所へ行こうぜ。……な?」

動こうとしないアーネストに若干焦れて。
その手を軽く引っ張ってみる。
強引にならない程度にゆっくりと。

それでも無言で俯いたまま。
ただ肩を震わせてその場に立っていた。



一体どうしたというんだろうか?



「アーネスト……?」

俯いたその顔を覗き込むように見つめる。
雨のせいで視界が悪く、濡れた髪がぴたりと顔に張り付いていて表情が分かりづらい。
ただ何となく気配で感じるのだ。
やはり泣いているのだと。

普段は笑みを浮かべ、誰に対しても愛想よく、社交的で。
年齢の割には大人びた印象を持つ。
その彼が、一人雨に濡れて震えながら泣いている。



何があったというんだ?



冷たい雨がどんどん体温を奪っていく。
その冷たさにこちらまで身震いしてしまいそうになるが。
アーネストが震えているのはきっと寒さのせいだけではないはずだ。

無理に聞き出す事も出来ず。
ただアーネストが落ち着くのを待つしかないと移動するのを諦めた頃。



「……どうして……?」

小さく呟かれた声にはっとして耳を傾ける。
やはり声も震えていて、消え入りそうな声音だ。
雨音が大きく激しいせいもあるかもしれない。

「……私はただ……京の町が見たかっただけなのに……」

悲痛な声で零された言葉に。
この国が自分たちと違う人間を受け入れられず排除しようとする傾向にある事を思い出した。
いつもならいるはずの護衛の姿がない。
最初に姿を見た時も一人でいるなんて危ないなと思ってはいたが。
もしやと思い、アーネストから続きの言葉を聞くより先に口に出していた。

「攘夷志士に何かされたのか!?」

俺の言葉を聞いた瞬間、再びアーネストが大きく肩を揺らす。
それだけで肯定したようなもんだった。
震えが更に大きくなり。
その場に泣き崩れそうになって慌ててその身体を支えた。
背は俺より高いが、崩れ落ちそうになって俺に凭れかかるその身体はずるずると下がり。
やがて地面に膝をついたので俺も少し屈んでやると胸の辺りに顔を埋める形になっていた。
それ以上は下がらぬよう力強く抱きしめてやると、ある事に気づく。

今まで雨のせいで気づかなかった。
微かに感じる血の匂い。

はっとして抱きしめた身体から少し距離を取って確認する。
慌ててその身をじっと凝視した。

雨で流れ落ちたためか色は薄くなっているようだが淡い色のスーツは微かに血に濡れているようだった。
まさかどこか怪我でもしているのか?
そんな考えが過り胆を冷やす。
だがそれにしては様子がおかしいと。
改めてその身を見つめ直した。

血の跡が見えるその場所に服の破れた形跡はない。
斬りつけられたわけではないようだと少し安心するが。
では一体この血は何なのか?
疑問が膨らむ。

困惑気味にその雨に濡れて薄れた血の跡を見つめていると。
やがて嗚咽交じりにアーネストが口を開いた。
俺はその言葉を聞き漏らすまいと雨の音と共に伝わる小さな声に必死に耳を傾ける。

「……仕事の帰りに……少し、寄り道がしたいと言って……町を、歩いていたら……突然、攘夷志士に……絡まれて……」

しゃくりながらも言葉を紡ぐアーネストに。
少しでも落ちつくようにと手を背に回してさすってやりながら。
黙って静かにその言葉を聞いていた。

「護衛の方に……逃げろと言われて……最初は躊躇ったのですが……。自分は私を護るのが仕事だからと……腕には自信があるから大丈夫だと……だからこちらの心配はせず逃げて欲しいと……」

そう。

それはきっと残酷な話なんだろう。
何となく何があったのかを悟ってアーネストの身体を抱きしめた。
アーネストも自然と身を委ね、ぎゅっと俺の羽織を握りしめてくる。
俺の腕の中で涙を隠すように顔を埋めながら。

空から降り注ぐ雨はどんどん勢いを増して。
まるで天が泣いているかのようだった。
冷たく激しく身体を打つ。

その雨の中とぎれとぎれでゆっくりと言葉を絞り出すアーネストの話を。
急かす事なく、背をさすり、頭を撫で、抱きしめながら聞いた。



今日はとある商談の通訳の仕事があったらしい。
その帰り、少しだけ京の町を散策したいと言って護衛の者に付き合ってもらったようだ。

そして京の町を歩いている最中に……
過激な攘夷志士に囲まれたらしい。

異人がよくも京の町を堂々と……と吐き捨てられながら刃を向けられ。
護衛がいる事を見越して複数で襲ってきたため、状況は厳しく。
自分らに任せて逃げろと護衛の者に言われたようだ。

アーネストは躊躇いを見せたが、護衛の者たちが腕には自信があるから大丈夫だと。
安心して逃げてくれと言って来たため、納得してその場を離れようとしたらしい。
このように絡まれる事はよくある事だったし、初めての事ではなかったから。
確かに腕の立つ護衛だったからきっと今回も大丈夫だと安心していた。

しかし相手もかなりの腕だったらしい。
今回はいつものように無事ではすまなかったようで。

逃げようとしたその時に。
一人の攘夷志士が護衛を振り切ってアーネストの方へと刃を振り下ろしたのだ。
丸腰だったアーネストに対抗する手段はなかった。
日々鍛錬しているであろう侍を相手にその攻撃をかわす術もなく。
死を覚悟して目を閉じた。

肉を斬る生々しい音がアーネストの耳に届いて。
生温かい血飛沫が飛び散ったのを感じる。
けれど斬られた痛みがいつまで経っても訪れず。
恐る恐る開けた目に飛び込んで来た光景は。
一人の攘夷志士と一人の護衛が刺し違えている瞬間だった。
どう見てもどちらも致命傷で。
大量の血を流しながら二人共ばたりと地に倒れてゆく。

あまりの出来事にアーネストは言葉を失い。
しばらく動けずにいた。
それでも襲いかかって来る攘夷志士は一人ではなく。

逃げてくれと何度も叫ばれて。
我に返ると必死でその場を離れ駆け出した。
目の前で自分を守り倒れた者を置いて逃げるなんてしたくはなかったんだろう。
けれどその場に留まっていればまた足手纏いになり同じ事が繰り返されてしまうかもしれないと思い、一人駆けた。

直後、ぽつりぽつりと雨粒が落ちて来て。
いくらも経たぬ内に本降りとなった。
それでも足を止める事はせず、振り返る事も出来ぬまま駆ける。



必死で安全な場所へ―――



やがて人気のない静かな裏路地へと迷い込み。
行き止まりとなったところで漸くその足を止める。
後ろから誰かが追って来る気配はなく。
上がった息を整えようとしたが、先程の出来事が頭を過り息が詰まった。
どうする事も出来ない自分の無力さを感じながら立ち尽くす事しか出来なかったアーネスト。

そんな時、偶然にもその姿を見つけたのがこの俺だったというわけだ。



「……私が……寄り道をしたいと言ったから……こんな事に……」

アーネストの口から零れるのは自分を責める言葉。
俺の羽織をより強く握りしめて、震えながら泣いている。
そんなアーネストの頭を抱えながら。
俺は何度も言う。
お前のせいじゃないと。
お前は何も悪くないんだと。
それでもアーネストは「でも……」と言葉を詰まらせた。

異国がこの日の本の国を狙っているのは事実かもしれない。
けれどみんながみんな、この国を侵略しようと考えているわけではないのだ。
今までずっと殻に閉じ籠っていたこの国に新しい風が吹いて、色んな国の人間と出会う機会が増えて。
それは素晴らしい事だと俺は思う。
せっかく出会えた人と人の縁。
たとえ生まれた国が違ったとしても同じ人の子だ。
どうして出会えた縁を大事にしようとしないのか。
今の日本は色々な思想が入り混じり、同じ国の人間同士でさえ争って血を流している。



俺がしばらく普段から感じている事をつらつらと考えていると。
腕の中の身体がもそりと動いて。
埋められていた顔が上げられ、お互いの視線が交わった。

「……龍馬さん……」
「ん?」
「お願いが……あるのですが……」

まだ少し震えてはいるが。
多少の落ち着きを取り戻したように、小さな声だがはっきり聞こえる声で。
アーネストがこちらに話しかけてきた。

「ああ。何だ?何でも言ってくれ」
「……一緒に……来てもらえませんか?」



そうして。

アーネストに頼まれてゆっくりと歩き出す。
隣にそっと寄り添って。
消え入りそうな弱々しい姿をここに繋ぎ止めようとするように冷たい手を握りしめて。

まだ昼間だというのに元々日陰になる裏路地は。
太陽の光が厚い雲で遮られた上、降りしきる雨によって視界が悪いため酷く暗い。

やがて辿り着いた仄暗いそこには……

「…………」

雨水と血が混じり合い、小さな赤い色の海が出来ていた。
一人、二人、いや三人か……?
確かめるまでもなく息絶えている。
俺にはその死体がアーネストの護衛なのか襲ってきた攘夷志士なのかわからなかった。

けれど話からするに一人は確実にアーネストに付けられていた護衛の人間であろう。
それにきっとどちらであったとしてもアーネストにとっては辛いんじゃないかと思い。
握りしめていた手に力を込めた。
すると同じようにアーネストも俺の手を握り返してきて。
何かに耐えるようにじっと無言で地に倒れた三人を見つめていた。




「…………」
「……何で、……人を殺すかなぁ……?」



言葉が出ないらしいアーネストに。
というよりも、常日頃から感じている思いを誰に向かってでなくぽろりと零す。

「この時代は人の命が軽すぎるんだ……人の命を粗末にしすぎる……」

自分の信じる思想を貫くため。
固い意志を持ってこの国を守るため戦う事は悪い事ではないが。
失った命は決して戻らないのだ。
何故簡単に奪う?投げ捨てる?



「……私が、……寄り道などせず公使館へと戻っていれば……この人たちの未来は違ったでしょうか……?」

切ない眼差しで、二度と動かぬその骸を見つめながらアーネストが零した言葉に。
俺はすぐには答えず、一緒に地に倒れた者たちを見つめていた。

しばらくして。
繋いでいた手をそっと外し、今度は肩に手を回し、そのまま頭を撫でながら耳元で告げる。

「未来の事は誰にもわからん。どちらにしても攘夷志士たちはお前を狙って待ち構えていたかもしれんからな……」

だけどな。
そう言って濡れた髪をくしゃりとかき回しながら抱き寄せた。

「お前が悪い訳じゃない。アーネストの護衛が役目をまっとうした、それだけなんだ。だから……」

気にするなと言っても無理かもしれん。
でも、あんまり自分を責めたりするな。

そう言って慰めようとしたがアーネストが再び涙を流している気配を感じて。
上手く言葉が出せなかった。

「……役目のために……命を捨てるなんて……」

何故?どうして?
悲しい声が俺の胸に刺さる。
サムライの言動が理解出来ないと、アーネストは震える声で呟いていた。

どう言うのが正解なのか。
いや正しい答えなんてありはしないだろうが。
それでも、きっと間違っていないと思うから俺は言った。

「確かに護衛としてアーネストと共に行動していたのはそれが与えられた役目だったからかもしれん……」

今は異人が一人町を歩き回るには危険すぎる時代。
だから付けられた護衛。
それは上から命を受けたからこそ。
けれど……

「アーネストを命がけで守ったのは、そうしたいと本人が望んだからなんじゃないか?」
「……え?」
「この国に必要な人物だと思ったからっていうのもあるかもしれんし、もしかしたらアーネストという個人を好いていたからかもしれん」

役目だからとか使命だからとか上からの命令だからとか。
そんな自分の意思と関係ないものだけのためでなく、ちゃんと自分の意思で守り通したいって思ったんじゃないかと思う。

皮肉屋な所はあれど、アーネストは多くの者から好かれる人物だと感じていたから。
それは幕府側の人間でも、倒幕派の人間でも、少しずつ人脈を広げている彼の、自然と打ち解け、人を惹き付ける力だ。
もちろんこの俺も含めて。

「アーネストだって仲間が危機的状況に陥っていたら助けたいって思うだろう?それは自然な事じゃないのか?」
「……それは……」
「侍がもっと命を大事にすべきだってのは俺も同感だ。けど、人が人を守るってのは当たり前の行為なんじゃないのか?」



今は自分たちと違うものを簡単に受け入れられず。
異なるものを排除しようと。
人と人が絶えず争っている世の中だ。
同じ人の子、それなのにお互いをよく知ろうともせずに命を奪い合っている。

人を殺すのは嫌いだ。
それを甘い考えだと罵られようが、この考え方は変わらない。



「簡単に人が人を殺めるような時代。それが今の世だというのなら……」



抱き寄せていた身体を更に力強く包み込み。
誓うように決意を口にした。



「俺が……変えてやる。この世の中を」



人が人の命をもっと大切にする世の中に。
この日本を異国と対等に渡り合える国にして……
異人とだって仲良く手を取り合える世界にして。
異人だからと敵意を向けられる事なく、一人で安心して歩き回れる世界に。
同じ人の子がみな笑顔で暮らせる世の中にしたい。

「時間はかかるかもしれん。それでも……」

俺は必ずこの国を変えてみせるさ。
どんなに困難だったとしても、俺のそばにアーネストがいればきっと諦めずに突き進んで行ける気がするから。



だからどうかこの国を嫌いにならないでくれ―――



告げた言葉がどれだけアーネストに伝わったかはわからない。
ただアーネストの腕が俺の背に回り、抱きしめ返された事で。
俺の言葉が少しくらいは届いたんじゃないかと思えて。
軽く耳朶に口づけを送る。
まあ本人は気づかなかったみたいだが。



いつか変えられるだろうか?
この国だけでなく。

アーネストの、俺に対する気持ちも―――



変えられたらいい。



そう願いながら。
空を見上げれば雨は徐々に弱まり。
ゆっくりと雲間から陽が差し込んで来る。

さすがに裏路地にまで直接光が届く事はないが。
明るく地上を照らすその光が希望の光のようで。
目を細めながら晴れてゆく空を眺めた。



これはある日の残酷で悲しい出来事。
けれどこれは二人の間の距離が少しだけ縮まった……
そんな日の出来事。





Fin.





かっこいい龍馬さんを目指して撃沈しました!すみません……
龍馬×アーネストでリクいただいたので、2章池田屋事件後の龍馬さんと3章アーネストのフリーイベントネタをかけ合わせでこんな話に……
まあ二人が出会うのはもっと後の章なんですけどね。
最初の部分は龍馬さん視点で書きやすかったんですが途中からそれだと書きにくくてどうしようかと……(汗)
しかし結局そのまま龍馬さん視点で仕上げました。

こんな駄文ですが菫青郁李様へ差し上げます。
内容だけはリクいただいてすぐに色々考えていたのですが相変わらず形にするのが遅く、お待たせしてしまい申し訳ありません。
本当にリンクありがとうございました。
亀更新サイトですがこれからもどうぞよろしくお願いいたします。