雪崩れる想いを抱きしめて
朝、目が覚めて布団から出れば隙間風に思わず身体が震える。
無意識のうちに厳しい表情になってしまっていた。
最近寒い日が続いている。
このような気候であればいつ誰が体調を崩してもおかしくはないだろう。
現に今、数名の隊士たちは風邪気味の様で稽古を休んでいる者もいた。
俺でさえこの寒さは厳しいと感じてしまう程だ。
病を抱えた者にこの冷え込みは大きな負担を与えるものではないか。
そう思えてならない。
「…………」
いつにも増して冷え込む朝の空気に突如不安が過ぎる。
さっと着替えて身支度を済ませるとそのまま部屋の外へと出た。
そこで俺の目に飛び込んで来たのは昨日とはまるで違う色の世界だった。
「……あ…」
寒いとは思っていた。
だがまさか雪が積もっているとは思わなかった。
眼前に広がる白に目を細める。
朝日を浴びてきらきらと光る雪は美しいもので、決して嫌いなどではない。
むしろ自分は雪が好きな方だと思う。
それでも今はこの雪が恨めしかった。
さくっ
積もった雪を踏む音が縁側を歩いていた俺の耳に入る。
振り向けば笑顔で俺に近づいてくる総司の姿があった。
「おはよう、一君」
そう口にする彼は真っ白な息を吐き出す。
刺す様に冷たい空気は総司の吐息を視覚的に映し出してくれる。
太陽の光を反射する白銀を背景に微笑みながら手を振っていた。
俺は恋仲である彼のその姿を見て一瞬だけ気が緩み、見とれていた。
だがはっと我に返ると焦りの感情ばかりが押し寄せる。
「そ、総司!?……こんなところで何をしている!?」
俺にしては珍しく声を荒げて詰め寄った。
厳しい表情になっていたに違いない。
「え?何って……?」
俺の剣幕にきょとんとした顔つきで、何故そんなに怒っているのかと問いかけたそうに首を傾げる総司。
「雪が積もってたから散歩したくなったんだよ」
それの何がいけないのか?
そう言いたげに俺の瞳を覗き込むようにして視線を合わせていた。
いけない事などではない。
そう。
普通の人間ならば。
そう考えると無性に悲しくなる。
だがそんな感情を表に出す事はしない。
「あんたは体調が悪いから大人しく寝ているよう副長に言われているはずだが?」
本当に言いたい事はこんな事ではない。
それでも今の俺には冷たい口調でそう告げる事しか出来なかった。
「土方さんは過保護すぎるんだよ。ずっと寝込んでる方がよっぽど身体に悪いって」
大した事ないから大丈夫だと言いたげに総司が笑う。
ずきりと胸が痛んだ。
副長は過保護などではない。
当然の事を言っているのだ。
総司が軽視出来るようなただの風邪じゃない事くらい感づいていると思う。
俺は……
知っている。
ただの風邪なんかじゃないんだ。
総司は……
松本先生と総司。
健康診断が行われたその日。
2人の会話を俺は聞いた。
聞いてしまった。
あの時の衝撃は一生忘れはしないだろう。
いや忘れられるはずもない。
新選組という人斬り集団に身を置いているのだから、いつ命が失われるかなどわかりはしない我々が死を恐れているなどおかしな話かもしれない。
だが剣を取り、戦いの中で散らす命とは違う。
武士として死ぬ覚悟はあっても病で死と向き合う覚悟は……また別ものだと俺は思う。
誰よりも辛いはずの本人はそんな事実を突き付けられてもいつもの様に微笑みを浮かべていたから。
余計に苦しくなった。
いっそ涙の一つでも見せてくれた方がいい。
そうすれば恋人として駆け寄って抱きしめてやれる。俺が支えてやれる。
これ程までに心を掴まれ引っ張られている様な感覚を味わう事もなかったかもしれない。
総司は労咳である事を他の者に告げるつもりはない様だった。
誰にも言わず、すべて一人で抱え込むつもりらしい。
それならば俺が総司にしてやれる事は一体何だろうか?
病の事を何も知らないふりをしてやる事しか出来ないというのか?
本当なら無理をせず、自分の身体をもっと労わってくれと懇願したい所なのだが。
「風邪を拗らせてさらに寝込む事になっても知らんぞ」
目を細めて憂わしい瞳の色を隠すように呆れた顔を作る。
必要以上の余計な気遣いを見せてはいけない。
あくまでも総司はただの風邪。少し長引いているというだけの風邪。
そう思って遠回しな言葉を考えては選ぶ様に。
少しの間。
幸い俺は普段からお喋りな性格ではないため、多少の沈黙を不思議に思われる事はないだろう。
「これ以上副長に余計な心労をかけるな。さっさと休んで体調を整えろ」
言葉を口にしては後悔する。
もっと他の言い方はなかったのかと。
普通の風邪とは違い、寝ていれば治るというものではない。
休んでいれば体調がよくなるだなんて事もない。
それをわかっているのに。
病の事を知らぬふりをし続けるためには結局こんな言葉しか浮かばない自分に腹が立った。
副長の名を出して、自分は関係ないという様な含みを持たせてしまう。
本当は副長の事ではなく総司の事をこんなにも心配しているというのに。
そんな感情を表に出す事は出来なくて。
苛々が募る。
「本当に一君って土方さんの事ばっかりだよね」
「…………」
「土方さんが余計な心配してるだけなのに、どうして一君にまで小言を言われなきゃならないのかな?」
「……俺たちは恋仲のはずだ。……恋人の身を案じて何が悪い?」
「……恋人ねぇ……。いつも土方さんの事ばっかり気にしてるくせに、そんな事言うんだ?」
「……俺は……副長を尊敬はしているが、大切に想っているのはいつだってお前の事だ。ただの風邪とはいえ、これ程までに長引けば誰でも気になるだろう?」
「ふ〜ん?」
「……総司……」
「まあでも、体調を崩して困るのも確かだし……いいよ。君の言う通り今日は大人しく寝るよ」
「……ああ、そうしてくれ」
「ちょっと雪遊びした後でね」
「……っ……」
総司は俺の心配を余所にその場に座り込んで、降り積もった粉雪をそっと手ですくい取る。
無邪気な子どもの様に、雪をいじっては楽しそうに笑顔を浮かべていた。
背は俺よりも高く、もう身体は立派な大人のはずであるのに、どうしてこんなにも幼く見えるのだろうか。
愛しさが生まれ、可愛いとさえ思う。
最近はずっと部屋に閉じこもって布団の中で過ごす事が多かった総司の久しぶりの嬉々とした笑顔。
そんな姿を見て、それ以上は総司のささやかな楽しみを奪う様なまねはしたくないと思った。
それでも……
身体の事を思うのなら心を鬼にしてでも寝かしつけるべきなのだろうか……?
俺は総司の楽しそうな姿を複雑な思いで見つめる。
そして、少しだけならば、このまま遊ばせてやるのもいいのではと思い始めていた時だった。
突然総司は笑みを消し身体を丸めて、苦しそうな表情を見せた。
その次には咳の声。
「……けほっ……こほっ、こほっ」
はっとして思わず縁側から飛び降りる様に冷たい雪の中に足をつけて駆け寄る。
「総司っ!?」
おそらくかなり焦っていた。
もしこの場で俺の慌て様を見ていたら誰もが驚くであろう程に。
「触らないで!」
手を伸ばし触れようとして、ぱしっと払われた。
拒絶された事が酷く悲しかったが、それを気にしている余裕もない。
「こほっこほっ……」
尚も咳き込む総司の背に手を伸ばし、さすってやる。
二度目は拒まれなかった。
いや、拒む事が出来ない状態だったのだろう。
それだけ苦しかったのだと思う。
―――大丈夫か?―――
―――俺に出来る事はないか?―――
そう問いたかった。
けれど総司は俺の助けなど求めてはいない。
だから俺はまた本当に言いたい言葉を飲み込む。
そして、言いたくない言葉を口にする。
「だから言っただろ。大人しく休めと」
降り積もった雪にも負けないくらいの冷たさで言い放つ。
「副長の言いつけを守らないからこうなるんだ。これ以上悪化させる前に部屋に戻って寝ろ」
顔色の優れない総司の哀しげな顔が見ていて辛い。
「……でも、まだ作りかけなのに……」
もごもごと口ごもりながら俯くその視線の先には、先程まで総司がいじっていた雪の塊があった。
どうやら何かを作っていたらしい。
それでも俺はこれ以上は無理だと思った。
これ以上この肌を刺す様な外気の中に総司をいさせてはいけないと思った。
吐き出す白い息が、総司の生気ではないかと不安になる。
どんどん惜しげもなく漏れ出すその吐息が、総司の体力を奪っている様に見えて仕方がない。
総司の手が再び雪に触れた。
そして何かの作りかけである雪の塊を手にしようとした。
だが俺はそれを許しはしなかった。
俺は無理やり総司の腕を掴み取って引っ張った。
「……痛っ」
「いいから大人しく寝ていろ!」
声を荒げる俺など、珍しいのだろう。
強い力で掴まれた腕と怒声に総司の瞳が揺れる。
そのまま沈黙が流れ……
お互いの視線を見つめるだけの時間。
どちらが先に折れるか。
そんな静寂の中。
俺は引くつもりなどないからずっと強い眼差しで総司の瞳を射抜く様に見ていた。
「はいはい。わかりましたよ。休めばいいんでしょ」
拗ねた子どもの様に頬を膨らませた総司。
どうやら総司の方が諦めてくれた様だ。
「あ〜あ。まだ起きたばっかりなのに……」
不満な様子を隠しもせず、俺に腕を引っ張られながら不承不承に部屋へと戻る。
「ほら、もう布団に入ったんだからいいでしょ?」
総司は自分の部屋に戻ると、あっさりと敷かれた布団の中へと身体を横たえた。
それを見て一先ずほっとする。
しかしその表情は先程見せていた無邪気な笑顔とは違い、ただただどこか遠くに視線を彷徨わせて寂しそうな色を滲ませていた。
総司には笑顔が似合う。
だからずっと笑っていてほしい。
そう思うのに、俺はそれを守る術を持ってなどいない。
総司の笑顔を奪う病がたまらなく憎かった。
これまで人を何人も斬り伏せて殺してきたが、今何よりも殺してやりたいのは彼を苦しめるこの病だ。
もしもそんな事が出来るのなら、考える間もなく刀を手にして実行している事だろう。
俺は大人しくなった総司の様子をしばらく見守り、そしてそっと部屋を出た。
そのまま足は自然と先程総司が雪遊びをしていた場所へと動く。
まだそこには総司が何かを作りかけていた雪の塊が転がっていた。
一体何を作ろうとしていたのか……?
俺にはわからない……
だが……
ふとその雪の塊を見て少し前の事を思い出した。
先日もうっすらと雪が積もったのだ。
今日程の積雪ではなかったから太陽の光に照らされてすぐに融けてしまった日の事だ。
訳あってこの屯所で生活を共にしている雪村という女人。
彼女がその日作ったのは“雪うさぎ”というものだった。
総司が先程作りかけていた雪の塊が、それを作るのに適した大きさになっていたからもしやと思う。
総司も“雪うさぎ”を作ろうとしていたのだろうか?
降り積もった雪の上に降り立って、俺はその雪の塊を手に取った。
「……冷たいな……」
ぽつりと呟く。
「……冷たいのに温かいな……」
お前の作ったものが愛おしい。
たとえ作りかけのものであったとしても。
お前の笑顔を作り出していたものだから。
俺は先日雪村が作ったように、適当なものを見繕って総司の作った雪の塊に譲葉の耳と南天の実の眼をつけてやる。
総司と俺と2人で作ったものだと考えれば無意識の内に頬が緩んでしまっていた。
誰にも見られていないのだからまあいいだろう。
部屋で退屈そうにしている総司に少しでも喜んでもらいたいと思った。
外に出る事は出来なくても、この“雪うさぎ”を部屋へと持ち込んで楽しむくらいはいいだろう。
すぐに融けてしまう事が残念でならないが。
朝餉の支度で忙しくしている台所からこっそりと借りてきた盆に“雪うさぎ”を載せてやる。
そして再び総司の部屋を訪れた。
「総司」
呼びかけた俺の声に返事は返されなかった。
もしや本当に大人しく眠ってしまったのだろうか?
もしそうならば起こしてはいけないと思い、静かに襖を開ける。
「…………」
総司は何も喋らず、布団の中で俺に背を向けていた。
今彼がどんな顔をしているかはわからない。
だが寝ているわけではない事だけはわかった。
何故なら襖を開けた時に、身体がぴくりと動く気配があったからだ。
無言で横になったままの総司。
俺もまた無言で部屋に入っていった。
「総司……」
「……何しに来たの?朝食ならいらないよ、あんまり食べたくないし」
やっと言葉が返って来たが、その内容に俺は眉を顰める。
きちんと栄養を取らなければ病にあっさり負けてしまうだろうに。
「そんな事ではいつまで経っても治らんぞ」
きつく言い放つ俺に、総司は後ろを向いたまま布団を大きくかぶる動作をした。
そんな姿に「はあ……」と溜息を吐き、俺は食事の事に関しては後で説得する事にした。
「用と言う程の事ではないが……」
すっと持って来た盆を枕元に置いてやる。
「お前が先程作っていたものを持って来た」
そう告げてやると、もそもそと布団の中から少しだけ顔を覗かせてやっとこちらを見た。
俺の顔と差し出した盆とを交互に見やりながら口をぽかんと開けていた。
「……これ……一君が作ったの?」
意外そうな表情で聞いてくる。
「……言わなかったか?これはお前が作ったものだ」
「え?でも……」
「お前が何かを作りかけていただろ?俺はあれを少しいじっただけだ。だからこれはお前のものだ」
何だか恥ずかしくなって今度は俺の方がそっぽを向いてしまう。
総司は俺の持って来た“雪うさぎ”に視線を落として呆然としている様だった。
普段は気にならない静寂の時が酷く落ち着かない。
どのくらいの沈黙だったのだろうか?
本当は然程経っていなかったのかもしれない。
総司がようやく口を開いてくれた。
「……ありがとう、一君」
珍しく照れた口調で優しい感謝の言葉。
棘のない心からの言葉に俺も彼の名を呼ぶ口調が柔らかいものになる。
「総司……」
総司が布団の中から這い出て来ると、盆に載せられた“雪うさぎ”を指でちょんと突いて見せた。
「はは、冷たい。でもどうしてかな?冷たいはずなのにどこか温かい」
俺と似た様な事を口にした総司は、穏やかに微笑んでいた。
その笑みが見られただけで、この“雪うさぎ”を持って来た甲斐があったなと思う。
「だけど意外だよね。一君がこんな事してくれるなんてさ」
「……床に臥しているだけというのも辛いだろうと思ってな」
「ふ〜ん。でも本当に可愛いよ。この雪うさぎ。作るの上手いね一君」
「そうか。喜んでいるならよかった」
総司の微笑みにつられて俺の口元も緩んでしまう。
可愛いのは“雪うさぎ”を見て喜ぶまるで子どもの様なお前だと言ってやりたくなってしまった。
「これで今日はしばらく部屋の中にいても楽しめそうかな」
「あんたがこれで大人しくなるなら毎日作ってやりたいくらいだな」
そう言ってやるとまた総司が俺に向けて笑ってくれた。
俺も珍しく笑って返してやる。
そんな時間が幸福で。
ずっと続けばいいと思った。
時を止める事など出来はしないというのに。
「雪が融けちゃったら作れないけどね」
ふと笑みを消して瞳を翳らせる。
総司が盆に載せられた“雪うさぎ”を切なげに見つめていた。
俺も同じように表情を変えた。
不安がまた押し寄せて来る。
「いつか僕も……雪が融けて消えちゃうみたいに……跡形もなくここからいなくなるのかな……」
聞き耳を立てていなければすべてを聞き取れない程の小さな覇気のない掠れた声で呟かれる言葉。
総司の部屋に今は雑音がなく、静寂に満ちていたから俺の耳を微かに通り過ぎて行ったその声に。
俺は思わず息を飲む。
総司は病の事を誰にも言わず隠し通そうとしている。
それを知っているからこそずっと我慢してきた。
今まで通り、何も聞かなかったふりを続けていた。
だが今この瞬間。
何かがぷつりと切れたような音がした。
俺の前で弱音を吐いた事などなかった総司が不本意だったかもしれないが弱さを見せたのだ。
俺に対して零した言葉ではなかったと思う。
ただの独り言……己の胸中で呟いただけかもしれない。
音にするつもりなどなかったのだろうとも思う。
無意識に声に出してしまっていただけだ。
だとしたらやはりこれも聞かなかったふりをするのが優しさだろうか?
しかし俺にはもはや我慢をする事など出来はしなかった。
無言で総司の身体を抱きしめる。
とっさに身体がそう動いていたのだ。
「は、一君!?」
驚きの声を上げる総司の身体をより一層強い力で包み込む。
鼓動の高鳴りが聞こえる様だ。
果たしてこの鼓動は俺のものなのか、総司のものなのか。
それすらわからぬ程必死にただ抱きしめていた。
「急にどうしたの……?」
困惑しながら問う総司にも答えず、無言で腕の中に閉じ込めて。
雪に触れる時とは違い、生きている事を証明してくれる温もりを感じたかった。
総司の身体は雪とは違ってこんなにも温かい。
それなのに、いつか雪のように体温を失って冷たくなってゆくというのか?
それは何と残酷な事だろう。
―――失いたくない―――
人の“死”というものを数え切れぬ程見てきたはずなのに……
何ゆえ“死”というものがこんなにも恐ろしいのだろうか?
いつ自分自身に“死”が訪れるかもわからない、いつ訪れてもおかしくはない場所に身を置いているというのに。
覚悟なんてとうの昔からしていたはずなのに。
剣で多くの人の命を奪ってきた俺は、いつの日か誰かの剣によって戦いの中で“死”を与えられるのだと思っていた。
最期は武士らしく潔く命を散らす事を望んでいたというのに。
いざその“死”が総司の身に訪れるとなると怖いのだ。
俺自身の命ではなく、俺が総司を失う事が酷く恐ろしいと感じてしまうのだ。
労咳の事を知った時、総司に涙を見せてほしいと思ったのは、総司の支えになりたかったからでもあるが……
寧ろ俺が泣きそうだったからなのだろう。
もしもあの時、総司が泣いたなら、俺も一緒に泣き崩れていたに違いない。
総司が平気な顔をしているのに、俺が泣き崩れるわけにはいかないと。
必死で今まで耐えてきたのだ。
それが先程の呟きで見事に我慢の限界が来てしまったのだ。
「お前は雪とは違う」
「え……?」
「俺の中でお前が消える事はないだろうからな」
「……は、じめ君……?」
「たとえいつかこうしてお前に触れる事が出来なくなるのだとしても……、俺はずっとお前の温もりを忘れはしない」
戸惑いながら俺の腕の中にいる総司。
俺には総司が今どんな顔をして俺に抱かれているのかはわからない。
けれど同じように、総司には俺の表情が見えないだろう。
俺の胸で視界を塞ぐように抱きしめているから。
俺の頬を一筋の雫が伝う。
この泣き顔を、見られない様に。
しばらくの間腕の力を緩めなかった。
無言のまま、ただ涙が乾くのを待つ。
総司は抵抗せず、同じく無言で俺の腕の中に納まっていた。
時折微かに身体が揺れる。
「……っ……」
そして俺の耳に小さな嗚咽が届く。
はっとして思わず己の涙が乾ききっていない内に腕を解いて身体を離す。
総司の肩を掴んで自分の胸から引き離そうとした。
だが総司が俺の着物の裾を引っ張ってそれを止めた。
「嫌っ、見ないで!」
自ら俺の胸に再び飛び込んできた総司。
声を殺すのに必死な大きな身体が揺れていた。
俺はそれを見て総司が泣いているのだと気づいた。
自分が先だったのか、総司が先だったのか。
それはわからないが、俺一人ではなかった事にほっとしていた。
総司も一緒になって泣いてくれたのだと。
やっと、我慢せず涙を流してくれたのだと。
再び俺は総司の身体を抱きしめてやる。
そして涙線が崩壊し、抑えていたはずの涙が先程よりも勢いを増して流れ出す。
「……っ」
乾くどころか更に濡れた頬。
今まで堪えてきたものが一気に噴き出した様に。
溢れて止まらない。
どれ程そんな時間が流れたのだろうか?
総司の身体の震えが治まり、小さな泣き声も聞こえなくなっていた。
それでも顔を上げずに大人しく俺の腕の中にいる総司。
まるで俺が泣き止むのを待っているかの様だ。
そんな事を考えた瞬間。
「……一君……。もしかして……知ってるの?」
恐る恐るそう問いかけられた。
何を?と返して知らぬふりをしようか躊躇って。
しかしいつの間にか零したのは肯定の言葉だった。
「ああ……」
僅かな沈黙の後……
「……それで、何で君が泣くの?」
再び問いかけられる。
答えに困る俺は自然と彼を抱く腕に力を込めた。
「……君が泣くなんて余程の事だと思うんだけど?」
「その言葉はそのままお前に返す」
俺はそっと腕の力を緩めて、総司の顔を覗き込む。
そうして俺たちはお互いの泣き顔を見つめる事となった。
今まで隠していた涙を、俺は総司に見せ、総司の涙を俺が見る。
真っ赤になった総司の瞳から新たに流れようとしている雫をすっと指で拭ってやると、俺は言葉を紡いだ。
「俺はお前が好きだ。だから泣いた。それでは答えにならないか?」
驚いた様に総司の潤んだ瞳が大きく揺れる。
「俺は今までずっとお前の恋人のつもりでいたのだが?」
「……だって君、最近すごく冷たくなった気がしたからもう嫌われちゃったのかと……」
そんな言葉が返されて、今度はこちらが驚いた。
どうしてそんな勘違いをされてしまったのかと考え込む。
「……俺は出来るだけいつも通りに振る舞っていたつもりだが?」
「僕を求めてくれなくなったよね?……ああ、でも思えばそれって健康診断の時からだったなぁ……って事は一君、それからずっと病の事知ってたんだ?」
「……まあそうだな。お前の身体の事を思えば無理はさせられんから夜の営みは極力避けていたのも否定はすまい」
それが原因で総司を不安にさせていたのかと思うと失敗だったとも思うが。
「……なぁんだ。そういう事か……君も人が悪いよね?知ってるなら言ってくれればいいのに」
「隠したがっていたお前が言うな」
「……ごめん……」
「それに、俺は求める時は求めたはずだが?触れる事を避けていたのはどちらかというとお前の方だろ?」
「……まあ……そうかもね。……風邪をうつしちゃ悪いし……」
「……そんな事を気にしていたのか?」
「そんな事って……。僕は真剣に悩んで……んんっ…!?」
もう我慢出来なくなって俺は余計な事を言おうとしていた総司の口を塞いでやった。
戸惑う総司の歯を舌でなぞる。
「……は、っぁ……」
俺の名を呼ぼうとしたのか洩れる声。
しかし俺はその隙をついて口内に舌を乱入させると、総司の舌を探り絡め取ってやる。
「……んぁ……」
「……はぁ……」
お互いの吐息がかかる程の至近距離。
甘い口づけの時間の中で時折舌を刺激する塩辛さ。
どちらのものかはわからない涙の味がした。
そんな口づけの後。
お互い、隠してきたものを曝け出す。
己の弱い部分を……
総司は病に怯える心を。
俺は総司を失う事に怯える心を。
今まで溜め込んだ分を一気に吐き出す様に。
やがて雪崩の様に吐き出した弱音は尽きて。
お互いが支え合う様に再び抱き合って。
お互いの温もりを感じ合う。
俺は瞳に強い力を込めて総司を見つめた。
凛とした声で、俺は言う。
「俺にはお前が必要だ。何があろうと決して嫌いになどならん。だから……諦めるな。足掻き続けろ」
弱音を吐いた分、今度は強く立ち向かう様に告げる。
「……一君……」
「俺に出来る事は何でもするから何かあれば言ってくれ。頼ってもらえない方が恋人としては寂しいだろう」
いつまでも落ち込んでばかりではいられない。
だったら前向きに、共に歩いて行きたいと思う。
総司は感激した様に涙の跡が消えない顔に笑みを浮かべた。
恋人同士の甘い空気に包まれる。
そんな中。
最後に大事な事を話そうと俺は口を開いた。
「簡単に死なれては俺が困る。だからちゃんと食事は取れ。少しで構わん。栄養をきちんと取って体力をつけろ」
どさくさに紛れて食事の説得にかかる。
部屋に入る時に拒まれていた事だったが、今の総司ならば頷いてくれる気がしたのだ。
「…………」
答えを渋る総司が枕元の“雪うさぎ”を見つめた。
「……いいよ。食べてあげる」
やっと頷いた総司に俺は安堵の溜息をつく。
それと同時。
「君が食べさせてくれるならね?」
甘えた様にそう告げられた。
悪戯っぽく微笑みを向けられて、俺は躊躇った、がしかし。
俺も悪戯な笑みを浮かべ返しこう返してやった。
「いいだろう。口移しでよければな」
今度は総司が意表を突かれた様で、丸く開かれた瞳を向けられた。
これがある日の、二人で病と闘うと誓った朝の出来事。
Fin.
うっかり薄桜鬼に手を出してしまい……
やらかしました。。。
相変わらず最初書こうとしていた内容から段々逸れてます。
最初は雪うさぎを持って行った辺りでお終いのはずだったんですよ?
それなのに総ちゃんも一君も泣いちゃったよ、どうしようって感じです……
一作目からそんな調子なので今後何がどうなって行くのかさっぱりです。
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