君に触れる手
学校といえば勉強をする場所であり、学生が避けられない物がある。
そう、テストだ。
この薄桜学園にも例外はなくそれらがある。
長期休暇の前の試練とも言える。
学期末試験。
わざわざ成績の順位を廊下に張り出して発表するのだから、悪い点数を取るわけにもいかず、普段勉強に身が入らない者も皆、この時ばかりは必死になって勉強した。
「いいか!今度のテストで赤点取った奴は俺が直々に放課後、みっちり教え込んでやるから覚悟しろ!」
「ええ〜っ」
古典を担当する土方が生徒たちに向かって厳しい言葉を浴びせれば。
返って来る生徒たちの嫌そうな反応。
それでも土方が自分の言った事を訂正する事もなければ、甘い言葉を添える事もしない。
「嫌ならちゃんと勉強して来るんだな」
冷たい言葉だけが教室に響くだけだった。
そんなテストが近づいたある日の放課後。
テスト前の部活は休止中のためか、学校に遅くまで残っている生徒は通常よりも少ない。
皆早めに家へと帰って勉強するのだろう。
そうでない者は、学校の図書室や教室で教科書とノートを広げている者が多い。
家でやるよりはかどるという考えの者たちもいるのだろうと思われる。
そしてここには……
「総司……」
「何?一君」
「いや……一緒に試験勉強をしないかと思ってな……用事があるのなら無理強いはしないが」
「別にいいけど……特にやる事もないし」
「そうか」
友と共に勉強をするため、学校でするという者もいた。
この二人の場合は友というより恋人同士と言った方が正しいのかもしれないが……
「一君は真面目だね。テストだからって必死になる事ないのにさ」
「そういうわけにもいかないだろう。土方先生が赤点が多いと嘆いていた。先生のためにも悪い点を取るわけにはいかない」
「あれ?それって土方先生の古典だけって事?他の教科はどうでもいいんだ?」
「そうは言っていないだろ……」
「ふ〜ん……まあいいけど。僕は逆かな。土方先生の教科こそどうでもいいっていうか……今度はどんな風にからかってやろうか考えるのも楽しいかな」
「……総司……あまり先生を困らせるな」
「ええ〜いいじゃない面白いんだから」
そんな会話をしながら、二人は教科書を開いて勉強を始めた。
この教室には誰もおらず静かだった。
「ねえ一君。これってどう解くのかわかる?」
「どこだ?ああこれは……ここをこうすれば……」
「成程、そっか。一君ありがとう」
「ああ、ところで総司……この問題はわかるか?」
「え?どれどれ……ん〜これはね……こういう意味だよ」
「ああそうか。ありがとう」
二人とも黙々とそれぞれの勉強に集中していた(斎藤がほとんど無駄口をせず没頭しているため沖田もそれを邪魔するつもりはないらしかった)がわからない個所があればお互いが教え合っていた。
そんな風に集中していると時間はあっという間に過ぎて行く。
やがて下校時刻が迫って来た。
「あ〜疲れちゃった」
集中力が切れるのが早い沖田がそう漏らす。
「……もうこんな時間か……風紀委員の仕事として下校時刻の見回りをせねば」
斎藤は沖田の声に時計を見上げて立ち上がった。
「帰る支度をして待っていてくれ。仕事が終わったら共に帰ろう」
そう告げると斎藤は沖田を一人残して教室を出て行く。
その背中を沖田は見送りながら手元の教科書とノートをぱたりと閉じた。
「真面目に勉強したら眠くなっちゃったな……」
斎藤のいなくなった教室で、一人呟いた沖田はそのまま机の上に突っ伏してしまう。
窓の外は夕日で赤く染められていて、時々カラスの鳴き声が響いていた。
オレンジ色の空をぼんやりと眺めていると徐々に瞼も重くなり……
うとうとし出した沖田はやがて眠りへと落ちて行った。
沖田の元を離れ、教室を出た斎藤は、風紀委員の仕事として、校内を見回り、残っている生徒たちに下校を促していた。
一通り巡り、見回った所で、ふと胸騒ぎを感じる。
歩を止めて振り返るが特に何も変わった事はなく。
斎藤の前と後ろには誰もいない廊下が続いているだけだった。
それでもどこか不穏な空気が漂っているように感じた斎藤は、元いた教室へと急ぎ足で向かって行った。
「総司……」
教室に残して来た沖田が気になって名前を呟くが、返事が返って来る事はない。
不安だけが渦巻いていて。
かけ足になりそうなのを何とか抑えた。
一応廊下は走ってはいけない事になっている。
風紀委員としてルールは出来る限り無視出来ない。
緊急事態であれば別だが……
今はただの予感でしかなく。
特別危険な状態というわけでもない。
「どうした?斎藤、そんなに急いで……」
途中で尊敬する先生である土方とすれ違った。
「いえ……何でもありません」
しかしいつもなら丁寧に挨拶を交わす所、軽く会釈だけして通り過ぎてしまう。
それ程心配してしまうのは何故なのか。
だが斎藤の予感は完全なる杞憂というわけでもなさそうだった。
辿り着いた教室の前。
教室の入り口にある人影を見つけた。
斎藤と同じ風紀委員に属している南雲薫という人物だ。
何故彼がここにいるのだろうか?
そんな疑問が斎藤の中にあった。
斎藤と分担をして見回りをしていたはずだった彼だが……
この教室のある階を担当しているのは斎藤の方だった。
つまり彼は見回りでこの教室を訪れたわけではないのだろう。
斎藤が少し離れた場所から南雲薫の様子を窺っていた。
薫はしばらく教室の入り口で何かを見つめているようだった。
だがやがて。
入り口できょろきょろと辺りを見回し、人目を気にする素振りを見せる。
気配を消して様子を見守っていた斎藤の存在は見落としたのか。
薫は一人頷いて教室の中へと踏み込んで行った。
中には沖田がいる事を知っていた斎藤は息を飲んだ。
あまり仲の良さそうな二人ではない。
まさか口論を始める気なのではないかと。
そう考えた斎藤はゆっくりと気づかれぬように教室の中を覗き込んだ。
険悪なムードの二人が睨み合っている場面を想像しながら。
しかし斎藤の目に飛び込んできたのはそのような場面ではなかった。
「……なっ」
思わず驚きの声を上げてしまう。
教室の中には机の上に腕を置き、その腕を枕にして眠りに落ちている総司の姿があった。
そして。
その眠る総司は人が近づいても起きる気配がない。
何て無防備な姿なのだろうかと呆れてしまう。
そんな深い眠りに落ちている総司にゆっくりと薫は近づいてゆく。
腕が伸ばされて。
彼は沖田の頭に触れようとしていた。
ガタン―――
薫の指が沖田の髪に触れそうになった瞬間。
斎藤は勢いよく教室へと駈け込んでいた。
その勢いのまま、薫の腕をがしりと掴んだ。
薫の手は既に沖田の頭の上に乗せられていて。
斎藤は思いっきり舌打ちをして薫を睨みつけた。
「何をしている?」
「別に……」
「何もしていないとは言わせない」
「嫌だなぁ……そんな恐い顔しないで欲しいよ。俺は別に彼を取って食おうとしていたわけでもないんだから」
「…………」
気に入らない態度の薫に斎藤は更に鋭い視線を衝きつける。
「まあ、あまりにも起きないようなら、キスくらいしてやろうかと思ってはいたけどね」
「貴様……」
「ははは……沖田も意外と間抜けだよね。これなら気づかない内にキスされちゃってもおかしくないんじゃないかな?」
「ふざけるな!」
「俺は忠告してあげてるだけじゃないか。彼氏だったらちゃんと見張っておかないと、いつ誰に取られるかわからないからね。意外にも沖田の事狙ってる奴いるみたいだしさ?」
「それはお前の事か?」
「さあどうだろうね?」
ぎりりと掴んだ腕に力を込めたが、薫は顔色を全く変えずに笑みを浮かべるだけだった。
沖田の頭に乗せられた手はさらりと髪を撫でている。
それが斎藤には癪に障った。
「……ん?」
髪に触れる手に反応したのか。
沖田は微かに身じろぎした。
薫の手が触れた事で沖田が何かを感じで声を漏らしたのが特に気に入らなかった斎藤は容赦なく掴んだままの手を引っ張り、無理やり沖田の頭から離してやった。
「痛いなぁ……」
「俺をこれ以上怒らせるな」
「ふうん?まあ今日の所はこれくらいにしておいてやるよ」
そう言って大きな態度のまま教室を去ってゆく薫。
姿が見えなくなるまで斎藤は彼を睨みつける事を止めなかった。
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“総司―――”
“総司―――”
“総司―――”
誰かが名前を呼ぶ声がする。
瞼はまだ重たいけれど。
その呼ぶ声がどこか必死な気がして。
沖田は目をゆっくりと開けていった。
「……はじ…め…くん?」
開いた目の前に。
斎藤の顔があって。
ぼーっとした頭のまま沖田は斎藤の名を呟いた。
「総司……」
夢の中で聞こえた呼び声が、現実の声となって沖田の耳に届く。
その直後。
すっと頭を撫でられた。
斎藤の手が沖田の髪をさらさらと梳いていて。
「……どうしたの?」
と問えば。
「ただお前に触れたくなった」
と返される。
そしてそのまま唇が重ねられて、沖田は目を見開いた。
息が止まる程驚いてしまう。
急にどうしたのだろうか?と疑問に思いながらも。
斎藤の温もりが伝わってきて。
沖田はゆっくりと目を閉じる。
先程のように眠る為ではなく。
甘い口づけを味わう為に。
Fin.
「定期試験」をテーマに書いた拍手お礼SS。
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