狂い咲く狂気
それは突然。
けれどいずれは訪れると予想していた事。
だがいざ訪れてみるとそれは予想を遥かに超える苦痛だった。
いっそ殺してくれとさえ思う程の苦しみだと、俺より先に羅刹となってしまった平助が漏らしていたのを聞いた事がある。
それを朦朧とする頭の中で思い出していた。
―――変若水―――
それを飲めば人外の力を得る事が出来る。
代わりに酷い苦しみと共に訪れる喉の乾き。
血を欲し、血に狂う獣となる薬。
変若水を口にした時から覚悟をしていた事だ。
いつか自分にもやって来るだろう衝動。
けれど自分は自分を過信しすぎていたのだろうか?
それとも変若水の副作用を甘くみていたのだろうか?
自分ならば何とか抑えられる。
狂ってしまわぬように、耐えられる。
どこかでそんな事を考えてしまっていたのかもしれない。
自分が発作を起こしてしまった時。
どう対処したらよいのか。
何も考えてはいなかった。
「土方さん!」
偶々そばにいた千鶴が俺の変容に気づき叫ぶ。
俺の側へと駆け寄り、肩を上下させ荒い息を吐く俺の身体を支えるように手を添えた。
だが俺は千鶴の事を突き放すように叫んだ。
「俺に触るな!離れろ!」
血に狂う羅刹の姿を思い浮かべて身震いする。
とうとう俺もあいつらの仲間入りかと……
そして、血に狂う化け物となれば、近くにいるのは危険だ。
だからこそ、離れろと言ってもなかなか離れないでそこにいた千鶴の身体を俺は思いっきり突き飛ばした。
「きゃあぁ!」
羅刹の力を持った俺に突き飛ばされ、顔を顰めながら床に尻もちをつく千鶴。
しかし俺に彼女の心配をしている余裕はなかった。
いや彼女を危険な目に合わせたくないのならば近くにいるべきではない。
逃げるように部屋を飛び出していた。
誰にもこんな醜態は見せたくなかった。
だが部屋を飛び出しはしても喉の渇きは一向に収まる気配はなく。
ますます激しくなるばかりだ。
喉よりも己の誇りが乾いてゆくようで恐い。
人としての心よりも、ただ血が欲しいという欲望に押しつぶされてしまいそうなのだ。
どうにかしてこの発作を収めなければ。
そう思うが、この発作を収める方法が思いつかない。
血を呑むという、獣に為り下がる以外の方法が何も……
もっともそんなものは結局変若水を飲んでしまった時、既に人間を捨ててしまったのだから考えても仕方がないのではないか。
既に俺は化け物なのだ。
いつ狂ってしまってもおかしくはない。
ならば、俺が俺自身でいられる内に心残りは無くしておこうと思考を巡らせた。
そんな時、総司の顔が頭の中を過る。
こんな状態でも真っ先に思い浮かべてしまうのかと苦笑しながら。
俺が最後に見た総司の姿を思い浮かべる。
江戸に戻って来た俺たちは品川の「釜屋」という宿に身を寄せていた。
けれど総司はここにはいない。
総司は重い病に侵されていた。
労咳という死病に……
だからここではなく松本先生の元で療養をしているのだ。
最後に見舞った時にはあいつはほとんど寝たきりで、起き上がる事すらまともに出来ないようなそんな状態だった。
どんどん弱ってゆく総司の姿を見るのが辛くて唇を噛みしめながら、後ろ髪引かれる思いで俺はその場を去った。
去り際、横になったままの総司が俺に向かって小さく微笑んだ。
その姿が脳裏に焼き付いていた。
一人残されるのは辛いはずなのにそうやって無理して笑って。
本当は俺もずっと総司の側にいてやりたくてたまらない。
それでも新選組を率いる身である俺が、自分の役目を放り出すなんて事は出来なくて。
こうして離れた場所に俺はいた。
だが今、ものすごく総司に会いたくて仕方がない。
俺が理性を保っていられる内にもう一度。
あいつの顔が見たい。
そう願ってしまった。
後で冷静に考えれば何と愚かなのだろうかと思ったが。
後先何も考えず。
俺は外へと飛び出していた。
外は陽が落ちていて真っ暗で、太陽の光に弱い今の俺にとっては都合のいい時間帯だった。
そしてありがたい事に人気も少ない。
俺は迷わず走り出した。
総司のいる場所へ。
わき目も振らずに。
辿り着いたその場所はとても静かで静寂に包まれていた。
本来ならば、まず松本先生に挨拶をしてから中へ入るべき所だろう。
だがそんな事が出来る状態ではなかった。
消えるどころか激しさを増すばかりの吸血衝動。
俺は喉の渇きを少しでも緩和させようと唾を飲み込んだが何の効果もなかった。
血でなければ満たされる事はないのだと舌打ちする。
このような状態で思わずここまで来てしまったが今の俺が総司に会って一体どうしようというのか……?
俺がもし狂ってしまったならその場で総司を襲わないとも限らないというのに。
何故来てしまったのかと後悔する。
会いたくてたまらないという気持ちと傷つけたくないという気持ちがぶつかり合って頭を抱えた。
苦しみは頂点に達しようとしているようで……
俺は我慢の限界が来ていた。
もはや何も考えられず、総司に会いたくて歩を進めているのかそれとも血を求めて彷徨っているのかもわからない。
俺は総司がいるであろう部屋の襖を勢いよく開けた。
「……!?」
総司が横になったまま吃驚した顔で開いた襖の前に立つ俺を見つめる。
「……土方さん?……その姿はまさか……」
いつもの漆黒の髪ではない、白い色をした髪を揺らしながら。
慌てて起き上がろうともがく総司の姿を俺は無言で見下ろしていた。
総司は俺の理性が残っているのかそれとも完全に狂ってしまっているのか見極めようと必死に俺の瞳を覗き込んで来る。
上半身を起こすだけでも大分時間がかかったと思う。
俺は総司を助け起こしてやる余裕もなく、ただ吸血衝動を抑える事だけに必死だった。
会いたかった総司の姿をこの目で見る事が出来た事に満足感が湧き上がる。
それと同時に血が欲しいという欲求が更に増してしまう。
「……総司……驚かせて……すまねぇ……」
荒い息で途切れ途切れに言葉を口にする俺に総司が困惑しながら近づこうとした。
立ち上がる事は出来ず、畳の上に両手をついて這うようにして。
ゆっくり布団から出て来た総司。
「……血が欲しいんですか?」
図星をつかれて俺は肩をびくりと揺らした。
その気配を感じたのか総司は苦笑する。
「僕はもう……長くないですからね。……ちょうどいい相手だって……思ったんですか?」
そんな事を俺に向かって言った。
「馬鹿野郎!そんなわけねぇだろ!」
気がおかしくなりそうな状態の中俺は全力で否定した。
そんなつもりで総司の所に来たわけではない。
「俺はそんな事思ってねぇよ!俺は……」
先が短いから。殺しても構わない。
どうせ死ぬのだから。少し死期が早まるだけだと。
血を奪うのならば、都合がいい相手なのだと。
そんな思いでここに来たわけではない。
ただ総司の顔が見たかった。
それだけだ。
完全に狂って自分が自分でなくなる前に一目会いたくて。
苦しみの中、朦朧とする意識の中。
ここまで来た。
しかし吸血衝動は刻々と激しさを増してゆく。
己の力では抑えきれず。
今にも目の前にいる総司に襲いかかりそうな自分が嫌になる。
「……でも血が欲しくてたまらないんでしょ?だったら僕の血をあげますよ。土方さんのためなら、僕の命くらいくれてやりますから……」
必死で耐える俺にそう漏らす総司。
俺は「そんな事出来るわけがねぇ!」と叫びたかった。
けれどそれは綺麗事だ。
俺の苦しみは血を呑むまで消えはしないのだから。
そんな時。
「……けほっ」
「総司!?」
死にそうな程の苦痛の中。
総司の咳の声が俺の頭に響き渡った。
はっとして総司を見れば。
「けほっこほ……がはっ……」
真っ赤な血が総司の口から零れる。
俺が今、求めている赤……
自分ではどんなに否定しようとも抗えずに渦巻く欲望……
それが欲しくて自然と喉が鳴る……
どくんと。
己の心臓の音が響く。
俺は……
――― 血 が 欲 し い ―――
――― 総 司 の 血 が 欲 し く て た ま ら な い ―――
ぷつりと何かが切れた。
何も考えられず。
ただ総司の元へと駆け寄って。
総司の口元を伝う血の雫が下に零れ落ちてしまう前に、俺は自分の舌でそれを舐め取った。
そのまま噛みつくような勢いで口の中を探る。
そして総司の口の中にある血を微量も残さぬよう舐め回していた。
甘い甘い口づけ。
口内で蕩けるような感覚。
血の味がこんなにも甘美なものであるなんて今まで想像した事すらなかった。
気が狂いそうになる。
いや、既に俺は狂っているのだろう。
人間の血を求めて貪る。
化け物以外の何者でもない。
俺は知ってしまったのだ。
人間の血の味を……
いや、違う。
総司の血の味をだ。
愛する者の血の味に勝るものなどないと、他の者の血を呑んだ事もないくせに断言出来てしまう自分がいた。
この甘さを深い深い口づけの中、舌を絡めながら貪る。
何度も口づけを交わした事があるはずなのに、特別な一線を越えてしまったという気分にさせられていた。
血の甘さに、胸が締め付けられていた。
俺はもう人間ではない。
総司の血の味に酔いしれる獣。
一度この甘露の雫に酔ってしまってはもう二度と引き返せなくなってしまうのだと感じていた。
俺は今この瞬間、この世で一番大事な者から、血を奪わねば生きていけない身体になってしまったのだと悟る。
後悔しても後戻りは出来ない。
「…んはぁ…ぁん…」
がっついて激しさの衰えない口づけに、必死で息をしようと漏れる吐息が俺の耳をくすぐれば、とうに獣と化している俺の理性は保たれなくなる。
そのまま総司の肩を押して横たわらせると、口づけを交わしたまま帯に手をかけ無理やりに解いた。
総司が抵抗の色を見せる事はなかった。
ただされるがままに身を預けている。
羅刹の力に抵抗する術など今の総司にはないのだろう。
弱々しいその姿がとてつもなく悲しく苦しい。
けれどそれと同時に儚げなその姿がたまらなく色っぽく見えた。
あまり乱暴に扱えば壊れてしまいそうだ。
頭ではそう思って、この先に進んではいけないと警笛を鳴らすのに、自分の本能を抑えきれずどうせ壊れてしまうのならばいっそこの手で壊したいという恐ろしい思考が巡り出す。
俺は背徳の快楽にどんどん落とされてゆく気がした。
それでもしばらくして。
口にした血が全身に沁み込むような感覚がすれば、徐々に冷静さを取り戻してゆく俺。
ただ愛しい者に触れたいと願う欲求は未だ消える事無く渦巻いているが。
「……総司……すまねぇ……」
小さく謝りながら、唇を離す。
さらさらと流れる髪は夜の闇に溶けるように白から黒へと戻っていった。
血を口にした事で、羅刹の発作はとりあえず収まったようだ。
けれど俺の胸は苦しいまま。
鉛が埋め込まれたかのように重かった。
どんなに否定しようとも、俺は結局総司の血を求めてしまった。
そして吸血衝動が消えても、愛する者を求める欲望はますます大きくなるばかりで。
止まらない。
解いた帯を投げ捨てて、総司の衣に手を掛ける。
そうして俺は総司の肌に触れていた。
「……土方さん……」
くすぐったそうに俺の名を呼ぶその声はとても懐かしいものだった。
病の身となってからは肌を重ねる事も少なくなっていたし、江戸に戻ってからなど一度もないのだから。
まったく俺とした事が情けない。
羅刹の発作が治まっても結局欲望の塊が消える事はないようだ。
理性を保つ事の出来ない獣だ。
愛する者に溺れている。
本当にこのままでは総司を壊してしまいそうで恐い。
「総司……俺はお前を失いたくねぇ。……俺はお前がいなくなったら生きていけねぇんだ」
俺は素肌に幾つもの口づけを落としながら囁く。
「……だからお前を壊したくない。そう思うのに。それでも羅刹の血に狂った時、俺はお前を求めずにはいられなかった。俺の苦しみを消せるのはお前しかいないのだとそう思ったから……」
そう言って俺は総司の身体をそっと抱きしめる。
「……他の誰かの血を呑むなんて俺には考えられねぇんだ……」
「僕はあなたにそんなに求めてもらえるなんて幸せ者ですね……」
総司が俺の下で優しく微笑む。
その笑みが悲しそうで、儚くて切なくなる。
「こんな病気でろくに動けず、新選組の役にも立てない僕なのに……何の価値もない足手まといの僕なのに……」
そう呟くと総司の力ない弱々しい腕が俺の背中に回されて、抱きしめ返してくれた。
俺はそんな弱々しい総司に力を分け与えるように強くはっきりとした口調で告げる。
「俺にとってお前は誰よりも必要な人間だ。誰が何と言おうと変わらねえ。この世で一番お前が大事だ」
そしてそのままお互いの衣を脱ぎ捨てて布団の中へと潜り込んだ。
総司の身体になるべく負担をかけぬように優しく触れるだけ。
その身体を抱きしめて包み込むだけ。
それでもそんな行為が狂いかけた俺の心を落ち着けてくれる。
羅刹の狂気を、獣の欲望を、すべて穏やかに包み込んでくれる温もりがそこにはあった。
きっとこの先も俺は血に狂う事が度々あるのだろう。
変若水を呑んだ時からそれは定められている事なのだ。
逃れられぬ欲求。
それが訪れる時に必ずしも総司が側にいるとは限らない。
だから俺は安易に誓う事が出来ない。
他の者の血を少しも求めずにいる事を。
ただ言える事は、俺はもう総司の血がなければ満たされる事はないという事だ。
他の誰の血を口にしようとも、ただの一時凌ぎにしかならないだろう。
他の奴の血など呑みたくはない。
そう俺は、愛する者の血でしか生きられない身体になってしまったのだ。
俺はもう人間ではない。
化け物なのだ。
そんな俺が人間らしくいられる方法は一つしかない。
「総司……お前の温もりが俺を俺のままでいさせてくれる。唯一俺を繋ぎとめてくれる」
……だから……
「お前と離れている時でも、お前の温もりを忘れないように、その温もりを今は目一杯感じさせてくれ」
そう言って俺はそのまま眠りにつく。
腕に抱きしめた総司も一緒に目を閉じて二人静かに夜を共にした。
一晩中お互いの温もりを感じて。
朝まで二人。
ただ抱き合って眠る。
狂ってしまわぬように。
俺が俺でいるために。
愛する者の温もりの中で……
Fin.
初めて書いたSSは斎藤×沖田なのですが……
実はBLネタで真っ先に考えたのは土方×沖田のこのネタです。
小説として形になったのはちょっと遅かったですけど。
これが私の「薄桜鬼」BL思考の原点です。
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