呪縛の中で君を想ふ
「景時、どうだ」
頼朝様に呼ばれ大倉御所へとやって来てみれば……
いきなりの予想外の展開でオレは慌てていた。
「頼朝様……どうと言われましても……」
答えに困りどうしたものかと必死で考えを巡らせる。
ここへ呼ばれた理由は戦に関する事柄か、若しくは秘密に行われている暗殺の依頼のどちらかだと思っていたのだ。
それなのに……
何でこんな時にこんな話を頼朝様はなさるのだろうか……?
目の前にいる上品な着物を纏いおしとやかに微笑む女性を見つめながらそっとため息をついた。
「お前もそろそろ身を固めた方がよいだろう?」
頼朝様がからかうようにそう告げた。
何で縁談話なんて頼朝様が持ち出してくるんだ!?
しかも相手の女性まで見繕って来るなんて……
一体この方は何をお考えになってこのような事を……
オレに嫁を持たせて頼朝様に何の得があるというのか……
まさか人質を増やそうというお考えなのだろうか……
「何を迷う必要がある。この娘、なかなかの美人でしとやかでお前の妹御にも似ておるだろう。お前に似合いではないか。それなりの家の出でもあるしな。何が気に入らんと言うのか」
何が気に入らないって……
頼朝様が勧めてくるって事自体が怪しさ満点なんですけど……
どう断ればいいのやら……
いやオレに果たして断れるのだろうか……
頼朝様が本気で勧めてくるならオレはそれに従わざるをえない。
参ったな……
オレには想いを寄せている者がいて、その人以上に愛せる者などこの世にはいないというのに……
「ふふふっ駄目ですわ、あなた」
突然オレの後ろから声が聞こえた。
その声の主はオレの横を通り過ぎると、ごく当たり前のように頼朝様のすぐ横へと立った。
そしてその身を頼朝様の体に預け、寄りかかるように首を傾け仲睦まじい姿を思う存分隠す事無く見せ付ける。
頼朝様が唯一愛する女性。
北条政子様だ。
「景時には想いを寄せる人がいるんですもの。無理に勧めるのはよくありませんわ」
「ほう……そうであったか。それは悪い事をしたな」
心の中を見透かしているような瞳に動揺を隠せなかったオレは表情を思いっきり強張らせた。
これはもしかしなくてもばれている……
政子様はオレの気持ちをご存知なのだ。
知っていてなおオレをここへ呼びつけて縁談話などを持ちかけてからかっているのだ。
きっと2人共オレが困り果てて悩んでいる姿を見ておもしろがっているに違いない。
だが頼朝様がただ単におもしろいという理由だけで動くとは思えない。
わざわざ相手の女性を見繕ったりまでして……
嫌な予感がする……
絶望にも似た思いでいっぱいになった。
「それならそうとはっきり言えばよいではないか」
頼朝様が嫌な笑みを浮かべて冷ややかに言い放つ。
言えないから黙っていたんじゃないか!
心の中ではそう叫んでいた。
決して頼朝様の前で口に出しては言えない言葉だ。
正直に好きな人がいるなどと話したら絶対大切な人に危害が及んでしまう。
ただでさえ今オレの大切な家族が人質になっているのだ。
これ以上人質を増やされてはたまったものではない。
それがこの世で一番大切な人であるなら尚更言えまい。
それなのに……
必死で隠しているオレがまるで馬鹿みたいじゃないか……
疾うに知られてしまっているのでは隠しても無駄だ……
むしろ隠し通そうとすれば事態はさらに悪い方へと流れていってしまう。
「ふむ……心に決めた者がいるのならばこれ以上無理強いするつもりはない。お前の恋路を邪魔するのも野暮というもの」
「ふふふっそうですわあなた。人の恋路を邪魔してしまっては馬に蹴られてしまいますものね」
とりあえず頼朝様が連れてきた女性との縁談話は受けずにすみそうだな……
だがこれで話がすべて丸く収まるとは思えない。
最初からオレの気持ちを知っていて呼び出したのなら他に何かあるはず……
オレの頭の中では頼朝様への警戒が解かれる事はない。
次にどんな無茶苦茶な命が下されるのか……
「でも私気になりますわ」
来た……
嫌な予感が当たりそうで怖い……
「景時が想いを寄せる方というのがどんな方なのか……」
やはりそうきたか……
「うむ確かに気になるな」
「そうでしょう?ねえ景時、ぜひその方を連れて来てくださいな。私その方に会ってみたいですわ」
ああ神様、龍神様!
どうか哀れなこのオレに救いの手を差し伸べてください!
今この場で泣きたくなった……
頼朝様の狙いはこれだったのか……
オレがこの世で一番大切に想う人。
そんな人がいるのなら頼朝様が見逃しておくはずがないのだろう。
オレが頼朝様を裏切らない確実な人質を得るための芝居か……
何も知らないフリをしてオレを呼び出して縁談話を持ちかけるとは……
「いえ……政子様……想いを寄せているのは私の一方的なものですから……」
とりあえず無駄とは思いつつ悪あがきをしてみる。
片思いだからなどという理由で断れるはずもないだろうが……
「そうなのですか?でもよいのですよ景時。ただあなたの想い人がどんな方なのか見てみたいだけなのですから。連れて来てくださるだけでよいのですわ」
「ああ、安心しろ。決してお前の気持ちをばらしたりはせん」
「ふふふっ。どんな方なのかしら?楽しみですわ」
「景時、そういう事だ。連れて参れ。いいな」
もうこうなってはオレに断る権利なんてない。
頼朝様の命令は絶対なのだ。
頷き従うほか道はない。
「そうですわ。その方に贈り物を差し上げてもよいかしら」
また嫌な予感がひしひしとする。
政子様が奥の部屋へと引っ込みしばらくして戻ってくると、その手にはなんとも美しく上品な色合いの着物が抱えられていた。貴族の姫君が着るような高級な衣だ。
「景時が想いを寄せる方にこれを……素敵な衣でしょ?」
「は、はあ……」
「受け取ってくださいますね?」
断れるわけがないと知っていてなお聞いてくるのだから人が悪い。
オレは心にもない御礼の言葉を言いながら頭を下げてその美しい衣を受け取った。
「ぜひとも会いに来る際はこの衣を着て来てくださいな。きっと美しい姫君には似合うと思いますもの、ねぇ?」
もはや嫌味にしか聞こえなかった。
オレが想いを寄せている者が誰なのかご存知だろうに……
頼朝様も政子様も一度も女性とは口にしていないのだ。オレの想い人が男である事などすでにわかっているのだ。
それでもなおこのような女物の着物を寄越し、着て来るように言うのだから質が悪い。
いっそ適当に代わりの女性を連れて来て誤魔化す……というような考えも過ぎったが頼朝様相手に誤魔化しが効くとは思えない。大体オレの気持ちに気づいているのなら相手が誰であるのかご存知であるはず。そこへ全く別の者を連れて行ったらとんでもない最悪の事態になりかねない。やはりここは正直にオレの大切に思う人を連れて来るしかない……
オレは邸を出ると盛大にため息をついた。
いただいた衣を大事に荷車に乗せて家路を歩いた。
衣の他にも政子様が化粧道具やら小物やらを次々と持ち出してくるものだからかなりの荷物だ。
はてさて……どうしたものか……
今ちょうど神子や八葉たちも鎌倉へ来ているためみんなオレの家に泊まっている。
だからオレの想い人を大倉御所へと連れて行く事などすぐにできる。
できるが……
一体何と言って連れ出せばよいのやら……
第一男に女物の着物を着せて連れ出さねばならない訳をどう説明したらよいのやら……
頼朝様もみんながこの鎌倉のオレの家にいる事など承知のうえだ。
だからこそ明日連れて来いなどと性急な事をおっしゃったのだろう。
あまり考えている時間もないという事だ。
家の前に着くと再び大きなため息をつく。
「はあ……」
「おい景時」
とそこへ突然声を掛けられてびくっとした。
「どうした?大きなため息なんぞついて」
「鎌倉殿に呼ばれていたようですが……何かあったのですか?」
オレの後ろからやってきたのは九郎と弁慶。
まだ心の準備ができていないというのに……
今最も顔を合わせづらい人物2人に帰ってきて一番に顔を合わせる事になるとは……
「ん?何だそれは?兄上から何か授かったのか?」
九郎が荷車を指差して問う。
「こ、これは……」
オレは視線を九郎から弁慶に移して口ごもる。
どう答えたものか……
再び視線をゆっくり九郎に戻しながら口を開く。
「政子様に頼まれて……届け物を……」
「届け物だと?一体誰に?」
「ああ悪いけど個人的な頼み事だから……ちょっと言えない……かな」
「政子様がお前に個人的な頼み事をするのか?」
「う〜ん……まあそういう事もたまにはあるのかもね……ははは」
「……まあ、政子様の個人的な頼みというのなら無理に色々聞くのは野暮だろうし……わかった、これ以上は聞くまい」
ふう……
とりあえず九郎の方は何とかなりそうだな……
問題は弁慶の方だ……
とりあえず2人きりになってから本題を切り出した方がいいだろうし……
どうするか……
「ああそうだ。そろそろオレは行くぞ」
「え?九郎どこへ?」
「先生と望美と3人で鍛錬する事になっていたからな」
「へ、へぇ……そうなんだ。それじゃあ2人を待たせちゃ悪いよね。早く行ってきなよ」
「ああ、じゃあな。暗くなる前には戻る」
何だかあっさり2人きりになれたな……
いつも九郎と弁慶は2人でいる事が多い。
嫉妬してしまいそうになるくらい……
それが今は別行動……
ここが勝負どころといった所だろう。
頼朝様や政子様に誤魔化しは効かない。
ならばオレの大切な人を偽る事なんてできはしない。
そう。
弁慶を連れて行くしかないんだ。
九郎の背中を見送って、やがて見えなくなると邸の中に入ろうと弁慶が一歩踏み出す。
オレは慌てて弁慶の腕を掴んでそれを止める。
自分の腕より幾分細い腕を引き寄せて「待って」とそっと呟くように言った。
「景時?どうかしましたか?」
「じ、実は……内密に頼朝様からの命令を受けているんだ」
「内密に……?」
「明日オレと弁慶の2人で大倉御所に来るよう言われているんだよ」
「僕と景時の2人ですか?」
「ああ……」
弁慶が首を傾げた。
確かに頼朝様がこの組み合わせだけで呼び出すのは珍しい事だ。
「それでね……何でも弁慶には……じょ、女装を……して来てもらいたいそうなんだ」
「女装?……一体またそれはどういう事なのでしょうか?」
「あははっ何でだろうね?もしかしてどこかの潜入捜査でも命令されるおつもりなのかな〜?」
「ああなるほど……。でも……潜入するなら別に女装などせずとも……薬師として潜入できると思うのですが……」
「ほ、ほら頼朝様の事だからきっと何かお考えがあるんだよ……」
「……僕に色仕掛けで敵の情勢を探って来いとでも言うつもりなんでしょうか?確かに薬師風情なんかより心を奪われた女性に対しての方が色々喋ってくれそうではありますね……」
「ははは……そ、そうだね……」
「しかし……僕は男ですよ?美しい姫君にならば心を奪われる殿方も多いでしょうが……男が女性になりすますのには限度があるでしょう……人を虜にするような女性に化ける事が僕にできるかどうか……」
「だ、大丈夫なんじゃないかな?ほら弁慶は今のまま何もしなくても十分女性に見え……あ〜じゃなくて……ええっと……まだどんな命令かはわかんないんだし今色々考える事ないって。ねっねっ?」
そこまで告げると思いっきりオレは頭を下げてあまり気乗りしない様子の弁慶の前で両手をぱちんと合わせる。
神様へのお祈りをするような態勢で、やたらと合わせた手に力を込めて。
「ごめん弁慶!女装だなんて……。こんな事オレの口からは頼みづらいけど……頼朝様の命令だから断れなくって……。だからお願いだ!明日政子様が用意した着物を着てオレと一緒に頼朝様のところへ行ってくれ!」
もう必死で頼み込んだ。
どうしていいのかわからなくてやけになっている感じだ……
もっと上手い嘘でもつければいいんだが……
とにかく弁慶に断られてしまったら一環の終わりだ。
何としても明日弁慶には政子様からもらった着物を着て一緒に来てもらわなければならない。
「景時……顔を上げてください」
弁慶がそっとオレの手を両手で包み込むように軽く握った。
その手の温もりが心地よくてゆっくりと顔を上げて弁慶を見つめる。
「景時がどうして謝るんですか?鎌倉殿の命令なのでしょう?景時は何も謝るような事してないじゃないですか」
ああ何て優しげな瞳でオレを見つめてくるのだろう……
穏やかな口調とやわらかい声音が耳に心地よい。
君はオレが謝る必要はないとそう言うんだね。
オレは悪くないって……
オレもできる事ならその言葉に甘えたいよ……
「でもそれは元々オレが……」
そう…
元々こんな状況になってしまったのは……
オレの所為なんだ……
オレが君への想いを隠し通せなかったから……
だから君をこれから危険な所へ連れて行かなくちゃならないんだ……
全部オレが悪いんだよ……
全部……
オレが君を好きになったりなんかするから……
この想いは頼朝様に知られれば君を傷つけると知っていたけれど……
止められなくて……
隠し通せるかもしれないと思っていたけれど、それも無理だった……
だからせめて……オレに謝らせてくれ……
「だからごめん……本当に……ごめん……」
「景時?」
いいんだ……
君は何も知らなくて……
君は自分の事には無頓着で鈍感だけど、他の者に対しては鋭いから……
オレが悩んでいる事も苦しんでいる事も何となく感じられてしまうかもしれないけれど……
オレが何に対して苦しんでいるのかを知る必要はないんだよ……
だってオレは……
一番大切な人を苦しめたくなくて苦しんでいるんだから……
「景時……」
弁慶が少し困惑した表情を浮かべながら軽く微笑んだ。
「そんなに謝らないでください。ちゃんと明日一緒に鎌倉殿の所にいきますから、ね?だからもういいでしょう?さあ邸に入って政子様が用意してくださった着物とやらでも見せてもらいましょうか」
「弁慶……」
君は優しいね……
ちゃんとオレの気持ちを読んで……
何も聞かずにいてくれる……
本当に……
「ありがとう……」
**********
次の日。
みんなは怨霊退治に出かけて行った。
オレと弁慶は用事があるからと邸に残り、みんながいなくなった部屋で準備を始める。
政子様からもらった着物やら化粧道具やらを出していると、そこへいきなり政子様の命令でやってきたという女性が数人やってきた。
どうやら着付けやら化粧やら身支度を手伝ってくれる女房らしい。
オレも弁慶も男だし、女性の身支度はどうすればよいのか困っていたので助かったといえば助かった。
しかしこんな人たちまで寄越してくるとは……
政子様はきっとこの状況を楽しんでいるのだろう……
本格的に女装させて連れて来させるなんて……
それにしてもやって来た女房たちの着付けは見事なものだ。
化粧や髪を結う手際も技術もすばらしいものだった。
元々弁慶は何もしなくても美人だとオレは思っている。
それは惚れたオレの目から見ているせいだからとかではないだろう。
実際まだ好きになる前、初めて彼を見た時も女性と見間違えそうだったのだから……
だからきっと女性になりすます事だって簡単にできると思う。
本人は男の自分が女性になりすましてもおかしいに決まっているなんて言ってるけど……
きっとそこらの女性よりずっと美しい姫君になるだろう……
オレはそう思う……
そう思っていたけれど……
「……どうですか梶原殿」
やって来た女房たちが仕事を終え、弁慶からオレの方へと振り返った。
それと同時に振り返りオレの方へ向き直る弁慶。
着替えが終わり化粧を施し、普段外套で隠されている髪が惜しげなく露になっている姿を見せられ言葉に詰まった。
「……こ、これは……」
綺麗だろうとは思っていた。
着物は絶対に似合うだろうと……
でも……
想像していた以上だった……
言葉が出てこない程に……
「やはり変……ですよね?」
弁慶が言葉を詰まらせたオレを見て微笑む。
その姿がオレの心をかき乱す……
わかっていたはずなのにわかっていたはずなのに……
いざ目の前で普段とは違う姿の弁慶を見せられて冷静ではいられなくなってしまっていた。
純粋にこのような姿の弁慶を見る事ができてときめきを感じる心が先にオレの鼓動を乱した。
しかしそのすぐ次には不安が襲ってくる。
頭がくらくらし出す。
駄目だ……
こんな綺麗な……
本当の女性でも敵わないくらいの美しさを持つ彼を連れて行ったりしたら……
まずい……
果てしなくまずい……
頼朝様や政子様に何をされるか……
問いかけに答えないばかりか頭を抱え悩み出したオレに弁慶が心配そうな顔で近づいてくる。
普段でも近くにいると鼓動が速まるというのに、今のこの姿で近くに寄られるとますます平常心が保てない。
弁慶にときめく心とこれからの不安でいっぱいの心とがぶつかり合いおかしくなりそうだった。
「景時、大丈夫ですか?」
「……弁慶……」
オレは泣きそうな顔を向けてしまったかもしれない。
「どこか具合でも悪いのですか?」
「いや……」
「もしかして……この格好駄目すぎて失敗でしたか?」
「……違う……そうじゃ……ない……」
顔は笑ってすらいないのではないだろうか。
嘘でもいいから笑顔で安心させなきゃと心の中では思っているのにうまくいかない。
「とっても……綺麗だよ……。綺麗……すぎるよ……」
もはやオレの不安な気持ちを隠す事ができない。
どうしたらいいんだ……
「綺麗すぎて見とれちゃっただけなんだ……。さあ……行こうか。頼朝様が待ってる」
なんとか視線を逸らし、誤魔化して……
邸の外へ出るよう促して……
オレたちは頼朝様のいる大倉御所へと向かって行った。
弁慶がオレを見つめる視線からは心配の色が消えなかったけれど、これ以上はどうにもできなかった。
そうしてとうとうここが正念場というところまで来てしまった。
命令どおり弁慶を連れて……
「よく来たな景時」
「ふふふ……私、とても楽しみに待っていましたのよ」
「しかし……これは驚いたな……クックックッ」
オレと弁慶がやって来るなり2人は楽しそうに話始めた。
「まさか景時が弁慶殿を……ふふふっ」
知っていただろうにまるで今初めて知ったというような口ぶりでそう言葉を零す。
それが証拠に驚いたなどと言いつつ顔はちっとも驚いた様子はないどころか思った通りの人物を連れて来た事で不敵な笑みを浮かべていた。
オレの横に立つ弁慶の方をちらりと見やれば、2人の会話の内容がわからずきょとんとしているようだった。
ああ頼むからそんな愛らしい顔で頼朝様や政子様を見ないでくれ……
絶対目をつけられるって……
「確かにそれも驚く点ではあるが……それ以上にこの美しさは称賛に価するな」
「そうですわね……まさかここまで美しい姫君になるなんて……」
「うむ……これだけ美しければ色々使えるな……」
「ええそうですわね。九郎の下へ置いておくなんて勿体無いですわ」
やっぱり……
弁慶の綺麗な姫君姿を見た時からそんな予感はしていたんだ……
絶対頼朝様が見逃すはずがない……
人質にされるどころか弁慶の身が頼朝様に奪われる……
「ねえあなた……九郎に言って弁慶殿をこのままこちらの……あなた直属の軍師にしてはどうかしら?」
「そうだな。それはいい考えだ」
どうすればいいんだ……
このままでは確実に弁慶が頼朝様の下へ行ってしまう……
「どうだ。武蔵坊弁慶、この私の下へ来ないか?」
頼朝様がいきなり弁慶にそう問いかける。
突然の誘いに驚いた弁慶は目をぱちくりさせた。
「え?あの……それはどういう……?」
「九郎の下ではなく私の下で働いてもらいたいという意味だ」
「……鎌倉殿……?どうして急にそのような事を……?」
「私がお前を気に入ったという事だ」
危険だ……
危険すぎる……
駄目だ……このままじゃ……
オレが焦って必死で頭を回転させこの状況を打破させる方法を探す。
しかしその間にも頼朝様が動いた。
一歩一歩ゆっくり弁慶に近づいて……目の前に立つ。
「気に入ったものは手元に置いておきたくなるものなのだよ」
自分の視線に合う様、くいっと右の手で弁慶の顎を上げると顔を近づけながら、いつもの通りといえばいつもの通りなのだが脅しにも似た口調で告げる。
今にも口付けをしてしまいそうなそんな体勢に弁慶は後ずさりそうになるが、頼朝様の視線に射抜かれるように束縛されてしまって動けないでいるようだ。
弁慶が動かないのをいい事に左の手を腰に回し始める頼朝様。
男に対してする仕種ではない事を平然としてくる様に、弁慶はどう対応するべきなのか困惑の眼差しで頼朝様を見ている。
そして少しずつ頼朝様と弁慶の唇と唇の距離が縮まっている気が……。
オレは何とかこの状況から救い出すため勇気をふり絞った。
さすがに頼朝様の体に触れて手荒な事をするのは恐れ多いため、殴りかかりたい気持ちを押さえ込んで、弁慶の腕を掴むとそのまま思いっきり引っ張ってこちらに引き寄せた。
急に引っ張られたために弁慶は体制を崩し、そのままオレの方に倒れ掛かってきたので転ばぬように胸の中へと抱きとめてやる。
「っ!?」
「弁慶……大丈夫かい?」
そっと小さく呟くように問うが、この距離では頼朝様や政子様に聞こえないよう喋るなんて事はできないだろう。
それでもオレは後に言葉を続ける。
「頼朝様はからかっているんだよきっと。だから本気で相手をしちゃ駄目だって……」
なるべく頼朝様や政子様の方を見ないように……
目が合えばきっと恐ろしくて金縛りにあったかのように動けなくなるとわかっていたから……
「景時……私の邪魔をする気か……?」
顔など見なくても声だけで十分恐ろしい。
低くて威圧的な声がオレの頭の中に響く。
「お前は優秀な軍奉行……言わずともその場の状況で私の望む事を理解し行動できる奴だと思っていたが……?」
オレは頼朝様から視線を逸らしていたけれど、頼朝様がオレをじっと鋭い視線で見つめてきている事がひしひしと伝わってきて緊張の糸がぴんと張られ、緩める事ができない状態だった。
「……頼朝様……」
意見する事など普段は怖くてできないのだが、それでもこのまま何もしなければ大切な人が奪われるとわかっているのに何もしないでいるなんてできないと思ったオレは震えて掠れそうになる声で開陳する。
「恐れながら申し上げます……妻である政子様の前で他の者に手を出すような事はなさらない方がよいのでは……?私は頼朝様が政子様を愛していらっしゃる事存じておりますゆえ他の者に手を出すはずはないと信じておりましたが、まさか政子様を裏切るような事をなさるとは驚きました……いやそんな事頼朝様がするはずないのですからきっと私の勘違いなのでしょう。申し訳ございません……余計な事を申しました」
最後まで視線は上げられなかった。
抱きしめた弁慶の温もりすら感じられぬほど体の感覚がなく、目の前は夜でもないのに真っ暗でまるで視力を失ったかのようだ。実際話の途中から目を逸らすだけでなく力いっぱい目を瞑っていたようである。
「クスクス……あら私この程度の事は気にしませんわ。でも駄目ですよあなた。景時の想い人に手を出しては……ねぇ」
「……そうであったな……その美しさについ忘れてしまっていたな……。すまない事をした」
オレは恐る恐る目を開けた。
最初に見えたのはこの手に抱く弁慶のわけがわからないといった感じの姿。
次にゆっくりと振り返れば楽しげに笑っている頼朝様と政子様の姿が目に映る。
完全におもしろがられている……
オレは2人に玩具のように遊ばれているだけなのだ……
悔しかったがだからといって反抗できるはずもなくただ黙って唇をかみ締めていた。
「景時……?」
「いや……大丈夫だ……気にしなくていい……。それより急に引っ張ったりしてごめん。痛くなかったかい?」
オレは自分と弁慶の体勢を立て直すと腕の中に抱く身体からそっと手を離して間を取った。
こんなに弁慶と密着した状態になったのはおそらく初めてなのではないだろうか。
頼朝様と政子様の前で恐怖する気持ちと弁慶と密着して熱くなる想いとがぶつかりあって早くなる鼓動が抑えられず、落ち着くため深呼吸し、睨むかのようにおもしろがっている2人を見つめた。意見するなんて事は怖くてできはしないのだが感情が抑えられなかったので睨むような目つきになってしまったのだろう。
「ふふふっ、そんな怖い顔をしないでくださいな景時」
「安心しろ。少なくとも今は手を出さぬと約束する。お前が裏切りさえしなければな」
そしてその後、一通り楽しみ終わった感じの2人は真面目な話を切り出して、まるで本当に用事があって呼び出したかのように取り繕っていた。
弁慶にはやはり女性になりすまして潜入してほしい場所があるなどと言って命を下して。
頼朝様はこのオレにもいくつか命を下した後、弁慶とは別の場所に呼び出して告げた。
大切な人を奪われたくなければ逆らわず従えと……
やはりこれが目的だったのだろう。
オレが頼朝様を裏切らない確実な人質……
思っていた通りの展開だ……
弁慶の美しすぎる姿で本当に手元に置いておきたいという気持ちも生まれてしまったようだった。
とりあえずオレを従わせるための鍵として使うのみで、今の所は弁慶の身を束縛しないと言ってはいたが……
この先どうなるかわからなかった……
**********
弁慶と2人で大倉御所を後にして、我が家へと足を運ぼうとした時には抑えきれずにため息を吐いてしまっていた。
そんな時……
「景時……」
弁慶が名前を呼んでそっとオレの身を包み込むようにして抱いた。
抱いたといっても抱きしめるというような大げさなものではなくて……
軽く触れる程度のやさしいものだ。
「弁慶?」
突然の行動に正直驚いた。
「景時が何をそんなに悩んでいるのかはわかりません。ただ……一人で抱え込んで苦しむのは辛い事です。景時……どうか一人で悩まないで……誰かに話して楽になれる事でしたらどうか話してください……僕が駄目なら他の方でも構いませんから」
今まで頼朝様や政子様の前で緊張していた分、一気に力が抜けて身体が軽くなった。
ああ……
なんて心地いいのだろう……
君のぬくもりがほんわか伝わってオレの身を包んでくれる……
オレはこのぬくもりを守りたい。
だから……
悩んでいる場合ではないんだ。
オレはこのまま迷わず進むしかない。
君を守るためにオレは生きていく……。
そう決めたんだ……
「弁慶……ありがとう。でももう大丈夫だよ。君に元気をもらったから……」
「景時……」
オレが悩みを打ち明けず隠し通すつもりだと知って悲しそうな瞳を向ける。
そんな弁慶の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、ようやく笑顔を浮かべて見せた。
「大丈夫だからそんな顔しないでよ、ね?大した事じゃないんだ。だから気にしない気にしない。心配させてごめんね」
「そう……ですか……わかりました……でももし……また何かあったらいつでも言ってくださいね」
「うんありがとう」
弁慶はしばらくオレの身体を包み込むように抱いてくれていたがしばらくして「そろそろ戻りましょうか」と呟くように言って身体を離した。
ゆっくりとオレから離れてゆくぬくもりを、再び求めて手を伸ばしそうになったのを慌てて止めた。
駄目だ……
今ここで君を求めてはいけない……
ここで本当の気持ちを伝えてはいけない……
弱音や恐れや不安を口にしてはいけない……
この想いはオレの胸の中にしまっておかなければ……
オレは愛しい人の横に並び、触れる事のできないその身体を横目で見つめながら皆のいる家へと歩いた。
Fin.
景弁……
遙か3では弁慶さんの次に景時さんが好きだったりするので好きな2人の組み合わせで書くのは何だか楽しいです。
って内容はシリアスだよ……
楽しんで書く内容ではないだろう……
……またマイナーなカプかもしれませんが密かに広め隊……
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