止まらぬ想い




私はずっと、兄の気持ちがよく理解できなかった。

身分の違うものに思いを寄せて……
恋い焦がれ……
その人のすべてを求める……

自分が仕えるべき相手にそのような淫らで破廉恥な想いを抱くなど、考えられない事だ。

そう思っていた筈だった。

それなのに……

いつからなのだろう?

姫への想いが、ただの尊敬の念でも、忠誠ゆえの敬意でもなく、何か別の感情が混じり合っているような胸の高鳴りと痛みを伴うようになったのは―――

このままではいけない。

この想いは決して許されはしない。

わかりきっている……

それは自分の兄が既に証明しているのだから。

身分違いの恋がどれだけのものを巻き込み不幸の底へと突き落とすのかという事……

だからこそまだ戻れる内に想いを封印して自分の中から消し去ってしまわねばならないのだ。

簡単ではないかもしれない。
けれど今ならまだ不可能じゃない筈。

この想いをそっと胸の奥底に沈めてしまえばいい。
最初のうちは辛いかもしれないがやがては時間がその痛みをも消してくれる筈だから。



「……何やってんだよ?」
「……え?」

姫の姿を見れば己の未熟さゆえ奥底に沈めた想いが再び浮かび上がってきてしまうのではないかと怖れた私は突然目の前に現れた姫から逃れるように他の人影にさっと隠れた。
そう無意識に。

「……あ……いやその……」
「布都彦?どうしたの?突然那岐の後ろに隠れたりなんかして……」

姫が私に近づいてくる。
伸ばされた手がこれほど怖いと思った事はなかったように思う。
触れられれば嫌でも心が乱される。

さらに無意識の内に、いつの間にか那岐の服の裾をぎゅっと握りしめていた。

私の様子が常と異なる事に、周りにいた皆が首を傾げてこちらを見つめているのがわかってますます鼓動が速くなる。

勘付かれてはいけない。
姫への想い―――

伸ばされた手が私の体にあと少しで届きそうになっていた。

目をぎゅっと力強く瞑って、何かの衝撃から耐えるような覚悟でその時を待った。

しかし、その姫の手が私の体に触れる事はなかった。

「千尋……」
「え?」
「指から血が出てる」
「……あ……本当だ……」
「さっきの戦いの時に弓で切ったんじゃないのか?まったく……世話が焼けるね」

私に触れようと伸ばされた手は那岐によって寸前で止められたのだった。
姫の手を何の躊躇いもなくとって、自分を取り繕う事なく自然に接し、遠慮など少しもない態度で話す。
その2人のやりとりは見ていると、姫への無礼な態度を窘めたくなるのと同時に、羨ましくて仕方がないと感じる自分がいるのだった。
身分の違いをものともせずただ自分の思う通りに姫に接する事ができたらどんなにいいだろうか……

那岐の言葉に風早殿たちは迅速に動いて指の手当をしていた。
私が頭の中で色々と考えている間にそれは行われており、気づけば姫の指の手当は終えられていた。

姫の意識は既に私の方には向いていない様子で、手当をした風早殿たちの方へと笑顔を向けておられるようだった。

そっと安堵の溜息を吐く。



「……で?いつまで握りしめてるつもり?」

姫の事で頭がいっぱいだった私はまったく気づいていなかった。
無意識のうちに握りしめていた那岐の服の裾。

言われて初めて気づき、慌てて手を離す。

「なっ!?ど、どうして!?わ、私は……!?」

思いっきり焦った私の声は裏返っていたかもしれない。
そんな私の様子に那岐は「はあ……」っと大きな溜息をついた。

「まったく……千尋以上に世話が焼けるね……」

そう呟くように漏らして那岐はふらりとその場を去って行く。



―――世話が焼ける―――



それはつまり……

姫の手を止めたあの行為は……
まさか……
私のために……?
私の気持ちに気づいて……?



どくん―――



大きく静かに自分の心臓の音が身体全体に鳴り響いた。

那岐は他人と深く関わる事を嫌い、仲間に対しても冷たい態度をとってはいるが、その反面さりげなく人の世話を焼き、困っている時にはそっと助け船を出す。

姫への態度は関心しないが、それでも彼が本当は優しい人間であるという事がわかるから。

きっとそうなのだろうと思う。

那岐は私の気持ちに気づいた上で、何も聞かず、何も言わずにそっと助けてくれたのだ。

それがとても嬉しくて、いつしか私の姫への想いは薄らいでいった。
気がついた時には姫ではなく那岐の事ばかりを気にするようになっていた。

那岐は男だ。
そんな事は解っている。
私だってそれは重々承知の上だ。

それでも何故か心が軽い。
姫の時よりも……

きっとそれは身分を気にする事なく自然な態度でお互い接する事ができるから。
そう、姫の時とは違う。
気を使わなくてもいい。
ありのままの自分を相手にぶつけられる。
それが心地いい。

ああ……

この想いはもう止められぬ―――

恋い焦がれ、すべてを自分のものにしてしまいたいと願う心―――

想いを告げてしまえば今の関係が壊れて崩れ去ってしまうようで怖い。
だから未だ言葉に出してこの想いを伝えられてはいないけれど……
いつか言えたらいい……



那岐……



私は君を……



…………………



だがしかし……
現実は甘くはなかった。



それは突然の出来事。



**********



「那岐様」
「……っ……!?」

何なのだこれは?
夢か?
幻か?

こんな残酷な現実を受け入れろというのか、神は……

姫の時はまだ後戻りできた。

けれど……
那岐への想いはもう今更消し去れない程まで私の中で大きくいっぱいに溢れていた。

無理だ。
この想いをすべて無に帰すなど……

ならば私はどうすればいい?

「関係ないよ。僕がどこで生まれたかなんてさ」

那岐は気にする事はないと言った。
周りの皆は那岐を心配そうに見つめるものの、接し方を大きく変える者はいなかった。

「僕はただの捨て子だ」

那岐は動揺の色を見せてはいたが、今までと何も変わらないし、変える必要などないと言い放った。

姫も心配そうにしながらも、今まで通りにするとそう那岐に言っていた。

変える必要はない……
今まで通りに接すればいい……

本当にそれでいいのだろうか?

那岐がまさか王族だったなんて……



今まで対等に話をしてきた事を思い出していた。
姫とは違い、何の遠慮もなく思った事をそのまま口にして……

とても王族に対する態度ではなかった。
思い返してさっと血の気が引いた。
何と怖れ多い事だ……

知らなかったとはいえ、無礼の数々、不埒な一方的な想いを抱いた事、とても許される事ではない。

「那岐……」

私は悲しい顔をしていたに違いない。
目の前を歩く那岐を呼び止めようと彼の背に手を伸ばして名を呼んだ。
しかしはっとして言いかえる。

「あ……も、申し訳ありません……那岐様……」

今までのように接してはいけない。
国に仕える者としてふさわしい態度でいなければ……

「……やめろよ……そんな急に様なんてつけられても気分が悪いだけだ」
「すみません……。ですが……これまでと同じというわけには……」
「同じでいいって、僕自身が言ってるんだから変える必要なんてない」

どうやら私の接し方は那岐の気分を害してしまうようだった。
ならば私はどう接すればよいというのか……

これまでと同じだなんて何と無礼な武人なのだろう……
国に仕える者として、王族には敬意を払わねばならぬというのに。

「そういうわけには参りません。……今までは那岐様が王族であるとは知らず大変な無礼を……ですからせめてこれからは……」

これからは、気軽に話しかける事などできはしない。
思った事をそのまま口にしてはいけない。
言葉を選び、失礼な物言いを避けなければならない。
今まで那岐と楽しく話をしていた幸せな時はもう二度と戻りはしないのだ。

そう思うととても悲しくて、とても辛い。
これが那岐でなく、他の者だったらこれ程悩む事もなかった筈だ。

私は那岐に対して仲間以上の、邪な想いを抱いてしまっていたから……
だからこそこれ程までに苦しくて仕方がないのだ。



「これからは失礼のない様、那岐様にお仕えいたしますゆえ……どうかお許し下さいませ」

息が苦しい。
本当は王族だったとしてもそんなの関係ないと言い張って、今まで通り思った事を率直に口に出して話をしたかった。
身分などものともせず、ただ思うがままに振る舞えたならどんなによいだろう。

今ならば兄の気持ちが痛い程わかる。

私は那岐のすべてを求めて止まない。
許されぬ恋だというのならば、いっそ那岐を掻っ攫って逃亡してしまいたいくらいだ。

けれど、私の中の理性と正義感がそれを許しはしなかった。
感情的になって暴挙を起こせばその後で必ず罪悪感に苛まれていくのだ。

もうどうしていいのかわからなくなってしまう。

那岐を諦められず、想いは溢れ出す。
けれどもう対等の立場でいる事は叶わない。

頭の中がぐちゃぐちゃになり、きっと顔にも苦痛の色が滲み出ていたに違いなかった。
那岐がずっとそんな私を見つめていた。
そして見るに見兼ねた那岐が溜息を吐く。

「……あんたみたいな堅物にはこうでも言わなきゃ駄目なのか?」
「……?那岐……様?」
「……命令」
「は?」
「だから今まで通りにしろっていう命令」
「なっ!?そ、それは!?」
「わかったな?」

命令と言われては逆らうわけにもいかない。
本当は那岐と対等に話をしたいと願っている自分がいる事も確かなのだ。
だから、この命令はある意味ありがたい事だと思った。

本当は私も今まで通りに接したい。
その気持ちと、今まで通りでいい筈がない、私の身分を考えれば許されないという気持ち。
二つの気持ちがぶつかり合って葛藤を繰り広げていた。

しかし命令だと言われれば今まで通りに接する事も後ろめたさが少なくてすむ気がした。

もし、那岐が私の気持ちを察して命令という言葉を使ったのだとしたら本当に世話焼きだ。



「那岐……すまない、感謝する」
「何の事だかさっぱりだね。僕は自分が気分悪いからそう言っただけだし」
「いや……本当に君は、優しいな」
「……やめろよ。僕はお前の為に命令したわけじゃない」

ぷいっとそっぽを向かれた。
照れ隠しのようで思わず私は笑みを零した。

可愛らしいなと思ってしまう辺り相当那岐に心を奪われてしまっている気がする。

王族に対してこのような想いを抱いていい筈がないと頭ではわかっているのだが、やはりもうこの想いは止められない所まで来てしまっている。

今まで通りでいいというのなら、この想いだって今まで通りでいいという事なのだろう?

勝手に自分のいいように解釈をする。

私はもうこの溢れる想いを止められはしないのだから。
たとえ王族だろうと遠慮したりはしない。

何せ今まで通りにしろという命令なのだから。

今まで通り那岐を好きでいる。
私はこの想いを今まで通り持ち続けて、今まで通り那岐と話し、今まで通り気を張らずに接する。

そう今まで通りだ……

そしていつか、もっともっと精進して、王族の相手として決して恥じない武人となって那岐に告白をしよう。

今は無理でも、いつの日か……





Fin.





はてさて……
風早の次は……
布キ彦!?
誰か読んでくれる人はいるのでしょうか?
総受思考なので本当に誰が来るかわかりませんね…