恋は修羅の宴






退屈だ……



今日は父上が突然宴を開くと言って大勢の人間をかき集めていた。

……しかし俺にはただただ騒がしいこの光景が面白いとは思えない。



「つまらんな……」



誰にともなく呟いた。

すると俺の弟である重衡がやってきて、縁側に一人座っている俺の隣に腰を下ろしてきた。

手には酒瓶を抱えており、杯にそっと酒を注ぐと俺にそれを差し出す。

「兄上は向こうの席へはいかれないのですか?」

差し出されたそれを無言で受け取ってそのまま口にすれば、重衡は自分の分をと盃に酒を注ぎながら問いかけてくる。

向こうの席というのはおそらく父上たちがいて、今ちょうど室内遊戯が行われている場所の事だろう。

生憎と俺はそんな戯れの勝負事には興味がない。
勝負事ならば生と死との狭間を垣間見る事のできる戦場こそが楽しいというものだ。

大体父上が誰を相手に勝負をしているのかは知らないが、自分とは関係ない、別の人間同士との勝負を見た所で何も面白くはないだろうさ。

ならば騒がしい宴の中心にわざわざ入り込むよりも、少し離れた所で、その騒がしい音を遠く微かに聴きながらゆっくりと酒でも飲んでいた方がずっといい。
俺は暗くなって、月明かりだけがやたらと眩しい夜の空を見上げながら、くいっと盃の酒を飲み干した。

「クッ……俺は生憎とまるで興味がない」
「そうですか」

重衡も俺に続いて盃の酒を口へと流し込む。

「気になるならば……お前だけで見に行けばいいさ……」

そう言いながら空の酒杯を重衡の前に突き出しては注ぐように促す。
重衡はそんな俺の態度に嫌な顔一つする事はなく、むしろ穏やかな笑みを浮かべてそれに応じていた。
また盃に酒が並々と溢れる。

「私も先程まではあちらで楽しませていただいていたのですが……」

俺への酒が注ぎ終わると、やはりその後で自分の飲み干した空の酒杯に酒を注いだ。

「こうして兄上と盃を交わし合うのもよいかと思いまして」

重衡は穢れなき笑顔をこちらへと向けては自分で酌をした酒を口元へと運ぶ。

まあ、たまには兄弟と飲むのも……確かに悪くはない……か……





そうして俺たちはしばらくの間静かに飲み交わした。

月が時折雲に姿を隠されてはまた顔を出し、光を放つ。
そんな夜の空と無駄に広く草木が生い茂り、上空の月を朧朧と映し出す池のある庭を交互に見ながら。



「おや?」

それまで殆ど言葉を交わさず飲んでいた重衡が、騒がしい室内に目をやって突然声を発した。

“どうした?”

と気遣いの言葉をかける気にもなれず、俺は視線だけで問いかける。

「あれは……」

しかし俺の視線に気づいているのかいないのか―

「ああ……まさかこちらにいらっしゃるなんて……」

重衡は俺に何を言うでもなくただ一人でぶつぶつと小言を繰り返し、何を言っているのかさっぱりわからない様子だった。

「……これは……よい機会かもしれませんね」

さすがに声に出して問い質した方がよいのだろうか?

そう思って面倒くさいと感じながら口を開いたところで、だが俺が言葉を発する前に重衡はすくっと立ち上がった。

「兄上、私は少し向こうの席へ行って参りますので、失礼しますね」

重衡が持ってきた酒瓶をそのままそこへ置きっぱなしにして俺の前から去って行く。



突然何があったのだろうか?

まあ俺には関係のない事だな……

いちいち動くのも面倒だ……

わざわざ重衡の後を追う必要など俺にはないだろう。

そう思って重衡の置いて行った酒瓶に手を伸ばす。
すると重衡の今までいた位置から父上たちのいる部屋の様子がはっきりと見え、そこでぴたりと動きを止める。



部屋へと視線を向ければ、父上が双六をして楽しんでいる様子が俺の目に飛び込んできた。

微かにその声が聞こえる。

今まではおそらくいなかったはずの人間がその部屋にいた。

重衡はその人物がやって来たためあちらの席へと向かったのだろう。





父上の双六の相手をしているのは最近、この平家の邸に出入りするようになった薬師だ。
名を『弁慶』と言うらしい。



山法師くずれの薬師とは思えない容姿で、男であるというのに美人という言葉が似合いそうな可笑しな奴だった。
物腰柔らかで穏やかに佇む雰囲気はどこか重衡にも似ている気がする。

戦以外の事にまるで興味の持てなかった俺は、別に最初はそんな薬師の事など特に気になどしてはいなかった。

確かに人目を引く外見ではあったが、だから何だと言うのか。

綺麗だと思ってじっと眺めていた事もある。
柔らかな笑みと、その声に自然と心を和ませてしまった事もある。

だがあくまでほんの少しの事だ。

俺を本気で狂わせる程のものには決してなり得ない。

俺が望むものは戦場で斬り合う狂気だ。
それ以外の感情などつまらない。

俺が酔いしれるのは真っ赤な血が目の前で流れるその時だけ。
我を忘れる程、狂わせてくれるのはやはり生と死の狭間を垣間見る事のできる戦いの中だけなのだ。
女に酔う事などありはしない。
どんなに美しくとも俺に生きている快感を与える事など不可能だ。
まして相手が男ならば尚更あり得ないではないか。
そう、あの薬師は外見がどうであれ男なのだ。
俺を酔わせる相手になどなるはずがない。



そう思っていたのだ。



だが、そう思ったのはほんの僅かな時。
何度かあの薬師がこの邸に来れば、日に日に目で追う回数が増えていた事に気づく。

何がそんなに気になってしまうのか、俺には解らなかった。

俺が惹かれるとしたらそれは強い強敵と出逢った時くらいだろうと思っていたのだ。
あんな戦場で戦う姿など想像できぬ軟弱そうな男に一体何の魅力があるというのか?



その答えはとある戦の後、俺が少々の傷を負って帰還した時に出た。

今までは邸に出入りするその姿を離れた場所で眺めていただけだったのだが、その日は手当を受けるという理由で思いっきり間近であの男を見る事となったのだ。
別に大した傷ではなかったのだから、そのまま放っておけばよかったのだが、周りの者が手当てを受けるようにとあまりにも煩かったため仕方なく受けた治療だった。

そうして間近であの薬師と顔を合わせてしまった。

治療などどのようなものだったのかもう覚えてはいない。
そんなどうでもよい傷の治療などよりも目の前にいる人物の方が気になって仕方がなかったからだ。



ああ、こいつはまるで鬼だ。

そう感じていた。

確かにこいつは色素が薄く、髪の毛色が日の当たり具合によっては鬼と呼ばれる種族のような金色に似た色に見える事もあるが、そういう意味だけで鬼のようだと思ったわけではなかった。

妖艶な姿で人々を魅了し、惑わせる。
柔らかな表情の中に潜む鋭い眼差し。
人当たりの良い笑顔で応対しながらも、どこか冷めた心で相手を見つめる瞳。
軟弱そうに見えて、隙がない。
穏やかな性格とは裏腹に、自分の意思は決して曲げる事なくまっすぐ貫く強さ。

そんな雰囲気を感じさせる男だったのだ。

こいつは弱い人間ではなさそうだ。

そう思った瞬間、俺は手当を受けていたにも関わらず、刀を手に取って奴に斬りつけていた。

突然の出来事だったはずのそれを、あいつは見事に避けていた。

ああ……
やはりこいつはおもしろい男だ。

俺はあっという間に虜になっていた。

別に俺はあいつと勝負をしたかったわけではない。
俺と同等の強さを求めたわけではないのだ。

あいつが俺と渡り合える程の腕でない事はわかりきっている。

だが俺は強敵と剣を交え戦う戦の時にのみ感じるような胸の高鳴りを、初めてそれ以外の場所で感じていたのだった。

それがあの薬師の不思議な魅力とでもいうのだろうか。





そんな俺を唯一戦の場以外で酔わせる事のできる男が今、宴の中で父上と双六をしているのだ。

先程まではつまらないと感じていた宴だったが、一気にぞくぞくとしていた。
退屈でだるさを感じていた身体が、急に軽くなっていくのを感じて俺は立ち上がる。



重衡もあの薬師の事が気に入っているようだったのを知っている。

重衡の事だ。

どうせいつものように人当たりの良い接し方で、相手の機嫌を取っているに違いなかった。
そうして自分の好感度を徐々に上げていくつもりなのだろう。

だが俺はそんなちまちまとした行動などしてはいられない。
それでは一体いつになったら奴を落とせるかわからないのだからな。

第一俺には重衡のようなやり方は無理だ。
人に気を使って優しく対応する俺の姿など気持ちが悪いだけだろうさ。

やるなら相手の印象に強くいつまでも残るような何かを与えるべきだろう?

悪いが俺は重衡などにあの薬師を譲るつもりはない。
もちろん……俺は重衡に負けるつもりもない。

重衡も俺があの薬師を気に入っている事を知っているだろう。
だからこそ先程も理由を告げずに俺の前から去ったのだろうからな。



抜けがけなど……
いい度胸だな……

クッ……

俺に恋愛沙汰は向かない……
だから自分が有利だと……
そう思って余裕に構えているようだが……

俺が本気になればどうなるか思い知らせてやるよ……
重衡……



俺はゆっくりと騒がしい宴の中へと足を運んだ。

騒がしい声の中に微かに聴こえる柔らかな声色を求めて……

そして自分の弟と、命のやりとりという戦とは全く違う、恋という名の戦いをするために……




Fin.






9月にお誕生日を迎えた2人を祝って書き上げたSS。
本当は重衡さん視点でこの続きも書きたかったんですけど……
9月中には無理だったぽいです。
とりあえず気が向いたら続きが出るかも?
気が向かない可能性も高いなぁ……