夫婦な関係 〜政略結婚編〜
ムドガラ将軍との戦いから数日が経ったある日の事。
狭井君に呼び出された千尋は首を傾げていた。
どんな用事で呼び出されたのかわからず、少し緊張気味で邸へと足を運ぶ。
狭井君の所へやって来た千尋は呼び出された理由を聞いてみるが、その答えが返ってくる前にもう一人の人間がその場に現れた。
アシュヴィンだ。
千尋は自分だけでなくアシュヴィンも呼び出されていた事に驚いていた。
本当に狭井君の用件とは何なのだろうか?
アシュヴィンにまた常世の国の情報を聞き出してこれからの戦について考えようというのだろうか?
千尋はアシュヴィンが以前、話し合いの時に悪く言われていた事を思い出してまた嫌な雰囲気になってしまうのではないかと警戒し始めた。
確かにアシュヴィンは常世の国の皇子でついこの前までは敵として戦っていた者だ。
信用できないと言われても仕方がないのかもしれないが……
今は仲間として一緒に戦っているのだ。
あんまり悪く言われてはアシュヴィンだって気分が悪いだろう。
軍を率いている千尋はそんな状態を見過ごすわけにもいかないと思い、もしまた悪い方向へ話が流れ出したらきちんとフォローしなければと気を引き締めていた。
ところがである。
狭井君の口から告げられた事は千尋の予想できる話ではなかった。
とんでもない事を口にした狭井君を目を見開いて見つめる千尋。
アシュヴィンの方はあまり驚いた様子もなく、まるでそれも自分が予想していた話だとでもいうように受け止めている感じだった。
だがしかし決していい顔はしていなかった。
できる事ならその手は使いたくないという様なそんな顔をしていた。
―――――政略結婚―――――
狭井君の口から告げられたのはそういう話だったのだ。
常世の国の勢力に対抗するため、敵の勢力をある程度味方につけるため、常世の国の皇子であるアシュヴィンと中つ国の姫である千尋に強い結びつきを持たせる必要があるのだと言う。
千尋は頭の中が真っ白になっていた。
結婚だなんて、まだ考えた事はなかった。
もっと大人になってからするものだと……
そして結婚するとしたらそれは自分の好きになった相手とだと漠然と思っていた。
それに千尋には今気になっている男性がいるのだった。
ずっと小さい時から見守ってくれていたまるで兄のような存在。
けれどいつしかそれは淡い恋心となり、少しずつ胸が熱くなっていく。
そう、千尋は今、風早に恋をしているのだった。
それなのに、好きでもない相手といきなり結婚しろだなどと言われては驚くのも無理はない。
別にアシュヴィンが嫌いなわけではない。
けれど恋愛対象として見ていたわけじゃない。
あくまで共に戦う仲間として好意を持っているだけだ。
今まで彼とどうこうしたいなどと思った事は一度だってない。
冗談ではない!
そう心の中で千尋は叫んでいた。
姫という立場であっても、恋する乙女だ。
一人の女の子だ。
結婚は好きな相手としたい。
我が儘だと言われたってそれは譲れない。
狭井君は国のためだと言ってゆっくり考えろと言った。
しかし、いくら考えた所で出る答えは決まっていた。
だから千尋はきっぱり言い放った。
「私には好きな人がいるんだもの!いくら国のためだからってそんな事はできないわ!」
最初、千尋が嫌がった時には狭井君も一生懸命説得しようとしている風だったが、何度説得しようと千尋は頑固で譲ろうとはしない。
そんな千尋を見たアシュヴィンは、やれやれといった表情で言った。
「フッ……どうやら二ノ姫は俺との結婚が相当嫌らしいな。結婚は好きな相手としたい……その気持ちは俺にもわかる。この話はなしにした方がよさそうだ。二ノ姫にとっても、俺にとってもな」
アシュヴィンにもどうやら好きな人がいるらしい口ぶりで、本当ならばこの政略結婚に乗り気ではないらしい。
けれども国の事を思えば仕方がない事だという考えのようだ。
だから二ノ姫が拒まなければ流れに身を任せるつもりで覚悟を決めていたが、断固として拒否している様子を見れば自分だって二ノ姫と結婚したいわけでもないのだからなしの方向へ持って行ってくれた方がありがたいのだろう。
けれどこのままでは常世の国との戦いが厳しいのもまた事実。
何とか手を打たなければならない事も頭では分かっているのだ、千尋もアシュヴィンも。
だからこそ政略結婚の話を断るのならそれなりに別の案を考えなければならない。
千尋もアシュヴィンも頭を抱え出した。
狭井君はそんな二人を見て困った表情をしていた。
この結婚話を飲んでもらえなかったのは痛い。
これ以上の策は今の所思いつかないのだ。
政略結婚という策以外は……
せっかく常世の国の皇子であるアシュヴィンがこちら側にいるのだからそれを利用しない手はない。
しかし千尋にここまで断られると実行するのは困難だ。
一先ずこの話はお開きとなり、千尋とアシュヴィンは邸を後にした。
二人が去った後。
どうしたものか……
狭井君は考えた。
そしてふと思い出していた。
王族の生き残りは二ノ姫ただ一人。
そう思われていた。
だが、それは違った。
もう一人……
この中つ国の王族の血を引いた人間が生きていたのだ。
この事実はまだ狭井君だけしか知らぬ事だった。
狭井君はこの事実を誰にも言わず、自分の心の中にだけとどめていた。
王族の生き残りが二人いると皆に知られては、中つ国の民に混乱を招きかねないからだ。
最悪、今でさえ少ない中つ国の勢力が更に二分されてしまう可能性もある。
どちらを王に立てるかで争いが起こってしまえば、常世の国に勝つどころの話ではなくなってしまうのだから。
しかし、このもう一人の王族を使って何かいい策を立てられないだろうか。
狭井君がそう考え出していた。
次の日、千尋をはじめたくさんの者が邸に集まり、これからの戦いについて話し合う事となった。
風早の隣にぴったりとくっついて離れない千尋。
昨日の政略結婚の話が忘れられず不安なのだろう。
意思は固いがそれでも姫という立場を理解していないわけでもない。
いざとなったら嫌でも受け入れる覚悟を持たなければいけないとどこかで思っているのかもしれない。
千尋がぎゅっと風早の服の裾を引っ張った。
風早は千尋の様子を見て困ったように微笑み、しばらく千尋を見守るように見つめていたがやがて視線を別の人間へと移していた。
色素の薄い、けれど千尋とは少し色味の違う、短いけれどさらさらの髪。
風早が気にかけずにはいられない少年、那岐。
風早は千尋の事をそばで守りながらも、いつも目で那岐を追っている。
千尋は風早の事が好きだが、どうやら残念な事に風早は千尋よりも那岐の方が気になっているようだ。
いや男同士だけれど風早には関係ないらしい。
那岐を見つめる風早の目は恋をしている目だ。
千尋は風早が那岐を好きだという事にも何となく気づいてはいるようで、風早の視線が那岐へ行くたびに胸の奥をズキンと痛めている。
風早の服の裾を握る手に更に力が入る。
那岐の事も大切に思っているからこそ何も言えない千尋。
もしもこれが全然知らない相手だったらものすごい意地悪をして邪魔してしまっていたかもしれない。
風早が好きすぎて抑えられなくなって……
相手に何をしてしまうかわからないくらいに我を忘れてしまっていたかもしれない。
千尋は那岐を見つめる風早を見ている事が辛くなって俯いた。
風早に見つめられている那岐はといえば、まったくその視線に気づいている気配はなし。
気だるそうに焦点が定まらぬような目でぼうっと斜め下を眺めている。
話し合いなど興味はないといった感じで、早く帰りたそうな顔をしていた。
本当に眠そうだ。
風早の気持ちも千尋の気持ちもまったくわかっていないのだろう。
色々と敏感で意外にも世話焼きなのだが、恋愛面に関してはまったくもってわからないらしい。
いやもしかしたら千尋が風早を気にしているという事くらいはわかっているかもしれないが……。
第三者の恋心は何となく感じ取る事ができても、自分に向けられている好意には超がつく程鈍感なようだ。
全然気づく気配もない。
那岐が自分に関する事では鈍感すぎて風早も千尋も苦労が絶えない。
この二人の気持ちなど狭井君から見てもはっきりわかる程だった。
姫という立場であるのだからあまり下々の者と親しくしすぎるのはよくないとくぎを刺しておいたにも関わらず、千尋は風早にべったりだった。
従者としてではなく、個人的な感情でそばにくっついてまわっている事がわかるので狭井君は毎回その光景を見るたび溜息を密かに吐いていた。
ただ千尋の気持ちが一方的なものである事も明らかであったため、あまり強く言いすぎる事もしていなかった。
風早は千尋よりも別の人間に恋をしている。
狭井君がそう確信しているからこそ無理やり千尋を風早から引き離そうとはしないのだ。
風早の気持ちが別の方向に向いている間は大丈夫だろうと、そう思っているようだった。
しかし……
その風早の想い人がまた厄介な人物であるなとも狭井君は思っていた。
この中つ国のもう一人の王族。
今はまだこの事実は狭井君以外誰も知らない事なのだが、那岐も王族の血を受け継いでいるのだ。
本来ならば風早を咎めねばならぬ所だ。
しかし、那岐が王族である事はまだ伏せているので、大っぴらに注意する事もできないので黙っている。
狭井君が交互に三人を見つめ、一方通行の恋心をやれやれといった感じで観察していた。
そんな時だった。
狭井君がおや?っと思う光景を見た。
しばらくするとまた同じような光景に出くわし……
もう何度も繰り返し起こる出来事にこれはもしや……と思い始める。
なんと風早だけかと思っていた事を、常世の国の皇子アシュヴィンもしていたのだ。
そう、那岐という少年に意味ありげな視線を送る。
その行為はその人物を気にしているからこそのもの。
最初は那岐に何かおかしな所があって気になっているだけかとも思ったのだが、那岐の様子を見る限りはいつもと変わりなかった。
では何故何度も意味ありげに視線を送るのか。
よくよく見てみればその目は優しく、そっと見守るようで、相手を愛おしそうに眺めているのがわかる。
何度も同じような光景を見て、ほぼ間違いないと確信し出す。
常世の国の皇子も政略結婚の話を持ち出した際、好きな相手がいるような口ぶりだったが、そのお相手とはずばり那岐なのだと。
アシュヴィンは那岐の事が好きなのだ。
少なくともついつい視線を送ってしまうくらいには気になる存在なのだ。
狭井君がこれはもしかしたら使えるかもしれないと目を輝かせた。
王族の生き残りが千尋以外にもいる事を早急に広めなければと、慌てて行動を開始し始めていた。
そうして狭井君が生玉と呼ばれる中つ国の秘宝である勾玉を持ち出してきて、皆に見せつけた。
那岐の持つ勾玉と同じ形状で、同じ音で鳴り響き、同じ光を放つもの。
これらの勾玉の説明を皆に語り出し、那岐の持つ勾玉が王家に伝えられていた秘宝だった事が判明する。
更に、狭井君は那岐が生まれた時の事まで話し始め、川に流されるに至った経緯を事細かに語った。
狭井君は那岐を一目見た時から気づいていたのだが、この国に混乱を招くかもしれないからとこの事実は今まで黙っていたのだと皆に告げる。
話を聞いていると那岐は混乱していて整理がつかない様子だった。
まあ無理もない。
自分は捨て子で、どこで生まれたのかを今まで知らなかったのだから。
いきなり自分が王族だなどと言われても頭はパニックだ。
周りにいる者たちでさえ驚きを隠せずあたふたしている。
千尋も目を丸くして那岐を見つめていた。
「……おい」
混乱し、戸惑う者たちの中から一人声を上げて狭井君の話に割って入っていった。
アシュヴィンだ。
「何故突然今になってそんな話を持ち出して来た?何を企んでいる?」
狭井君は一筋縄ではいかない人物だ。
アシュヴィンも警戒しているようで、睨みを利かせていた。
那岐に大きく関わっている話であるから余計に気に入らない。
この狭井君は国のためならば何でもやるといった人物なようで、何かを企んでいる時は注意が必要だと身構えている。
狭井君の企みに、那岐が利用されるかもしれないと思うと、いてもたってもいられず自分から問いの言葉を投げかけたのだ。
返答次第ではいくらアシュヴィンでも我慢できず狭井君に突っかかって行きそうな勢いである。
「企んでいる……。そうですね、否定はいたしません。この国のために企んでいるのは事実ですからね」
むっとした顔で更にアシュヴィンが睨む。
それをものともせず涼しい顔で続ける。
「昨日の話の続きですよ。常世の国の皇子であるアシュヴィン殿と中つ国の王族である姫とで婚姻を結ぶという」
前日に提案された政略結婚の話を再び蒸し返されてアシュヴィンが気持ち眉を吊り上げていた。
しかし、アシュヴィンよりもこの話を蒸し返されて嫌な顔をしたのは千尋だった。
びくっと肩が揺れて、一気に身体中を緊張させる。
「……結婚の話はもう……。私、アシュヴィンとそういう関係になるつもりはないですし……」
すぐ隣にいる風早の存在を意識しながら千尋が曇った声で言う。
「確かに……、昨日の時点でその話に乗る気は失せたからな。またその話を蒸し返されてもその気にはなれんさ……」
アシュヴィンが千尋に同調してゆっくり瞼を閉じる。
まるで何か考え事をしているかのように。
一呼吸おいて目を開くと、突然クッと小さな笑いが零れた。
「相手がこの二ノ姫ならばな」
千尋の方を見ておかしそうに笑みを浮かべているアシュヴィンだが、千尋の方は何が何だかわからないといった様子で風早に問いかけるかのように視線を送った。
しかし、風早は千尋がどういう事なのか聞きたそうにしていてもそれに答えようとはせず、この会話に注意深く耳を傾けていた。
風早にとっては不利な状況になってきているようだ。
表情が険しい。
「……まさか……」
風早が狭井君を険しい表情のまま見つめていた。
「どうやら察した者もいるようですね」
狭井君は風早とは違って楽しそうに笑みを浮かべている。
その視線の先には那岐がいた。
まだ混乱状態から抜けきっていない那岐が。
「アシュヴィン殿」
狭井君が静かに常世の国の皇子の名を呼ぶ。
アシュヴィンはその呼びかけに答えるように狭井君の方を見た。
「あなたは二ノ姫と婚姻を結ぶのに抵抗があるようでしたね」
「ああ……そうだな」
「それは何故ですか?あなたのような立派な方ならば自分のお気持ちよりも国の利害を優先させると思いましたが……」
「フッ、別に二ノ姫があそこまで嫌がりさえしなければ俺だって話に乗ってやったさ。だがあれだけ拒否されてまで婚姻を結ぶ気にはなれなかったとでも言っておこう。俺だってどうせ婚姻を結ぶなら好きな相手と結びたい気持ちはあるからな」
「そうですか……」
狭井君もアシュヴィンも意味ありげに笑みを浮かべている。
千尋は未だに状況が飲み込めず、“?”マークが頭の上を飛んでいた。
「ではアシュヴィン殿、今お話した那岐様と婚姻を結んでほしいと言ったら結んで下さいますか?」
ざわり
驚きの声が辺りを支配した。
一番驚いているのは先程いきなり王族だと告げられた上、婚姻の話まで持ち出されてしまった那岐本人だ。
王族だなんて言われただけでもびっくりなのに、この上結婚話を持ち出されたのだから驚いて当然だろう。
しかも結婚相手が常世の国の皇子アシュヴィンだというのだから混乱も大きい。
那岐は男の子だ。
そして相手のアシュヴィンも男なのだから。
冗談かとも思ってしまう。
けれどこの空気はとても冗談を言っているとは思えない。
誰もが狭井君が本気でこの話を持ちかけてきている事がわかる。
「……な……何を言っているんだ?」
思考が追いついてくれず那岐が震える声で呟く。
しかし、那岐の思考が追いつかぬ内にどんどん話は進められていってしまう。
「ククッ、そうだな。それは悪くない。むしろ俺にとっては一石二鳥になる」
アシュヴィンが混乱状態の那岐に視線を送った。
するとお互いの目が合って那岐が息を飲む。
那岐にとってはかなり話が面倒な方向へと流れ出している。
何とかここで食い止めなければとんでもない事になってしまうと思うのだが、うまく言葉が出せずただこの状況を眺めるだけになってしまっていた。
「それはよかった。二ノ姫とのお話を断られて困っていた所なので助かります」
那岐の意思などお構いなしで話はどんどん進み、既に婚姻の話は決定されようとしていた。
那岐が何も言えずにいるのを見兼ねた風早が慌てて口をはさむ。
「待って下さい!そんな急に……那岐があまりにも可哀相です。ただでさえいきなり王族だなどと言われて混乱しているのに、その上男と結婚しろだなんて……」
風早は必死に訴えかける。
しかし狭井君は風早に対して冷たい眼差しを送った。
それはまるで下々の者が意見するなんてとんでもないとでも言っているようだった。
「これは国のためなのです。確かに突然の事かもしれませんが、これが王族に生まれた者の宿命なのです。ご理解下さらないと困ります」
「千尋だって王族だ。なのにどうして千尋ではなく那岐に結婚を押し付けるんです?」
「……結婚するならば好きな者としたいという気持ち、私だってわからないわけではありません。ですからせめて片方だけとはいえその条件を満たせるのならばそちらの方がよいかと思って那岐様にお願いしているのですよ」
「……それはまさか……」
風早がアシュヴィンの方を見た。
まるでおいしい果実が自分の所に転がってきた事を喜んでいるかのような嬉々とした顔をしている。
風早からすれば憎たらしい顔だった。
「ああ……俺はずっと前から那岐の事が気になっていてな。お前達と共に行動するようになってからはますます気に入った。そう、これは“好き”という感情だな」
はははと笑い声を上げるアシュヴィンを目を丸くして那岐は見つめた。
そんな風にアシュヴィンから自分が見られていたなんてまったく知らなかったと那岐が呆然としている。
「那岐が王族だというのは俺にとっては好都合だ。ぜひとも婚姻を結ばせていただきたいな」
アシュヴィンが那岐との結婚に乗り気なのをいい事に、那岐本人の了承を得る前に、狭井君がどんどん話を進め出していった。
千尋も一度は止めようとしたのだが、よく考えればこの結婚を止めれば自分にこの話が舞い戻ってきてしまう気がして押し留まる。
それに那岐がアシュヴィンと結ばれれば風早は那岐を諦めてくれるかもしれないと思い始めていた。
風早が那岐を諦めてくれさえすれば、また自分にもチャンスが巡ってくる。
千尋と風早が結ばれる可能性が生まれるかもしれない事を思えば、むしろこの政略結婚は千尋にとってもいい話かもしれないと思い始める。
那岐には悪いと思いつつ、千尋もまたこの結婚に賛成し出した。
こうして那岐の意思に関係なく、中つ国のため、常世の国のため、王族としての役目だと言われてほぼ無理やりアシュヴィンと結婚させられる事となってしまったのだった。
準備は狭井君を中心に着々と進められた。
まずは那岐が王族である事を中つ国の民に広めて、常世の国にもその情報を流し、充分に噂が広まった所で結婚の日取りを決める。
那岐はほぼ何もせず傍観しているだけだった。
まるで自分には関係ない、第三者のようなそんな状態だ。
逆にアシュヴィンはとても忙しそうだった。
婚姻を結ぶ事が決まってからはますます休む暇も無くなってしまったようにあちこちを飛び回っている。
だがアシュヴィンは忙しそうにしながらも元気ではつらつとしていた。
那岐との結婚が余程嬉しいらしくて、どんなに忙しくてもほんの少しの暇を見つけては那岐の顔を拝みに来る。
今までは自分の想いを口にする事をしなかったアシュヴィンだが、結婚すると決まってからは那岐に会う度必ず甘ったるい事の葉を言い残していった。
その言葉を聞かされる那岐はうんざりしていたが、もはやこの結婚から逃れる術はないのだと諦めているようだった。
王族に生まれた者のこれが定めならば、仕方のない事なのだと自分に言い聞かせる那岐。
元々自分の身なんてどうだっていいと思っていたのだ、この国のために捧げてやるつもりなんてないけれど、千尋の代わりにというなら捧げてやってもいいと少々投げやり気味だ。
やがてアシュヴィンと那岐の結婚式の日がやってきた。
「大丈夫ですか?那岐……」
普段とは違う王族の衣装に身を包んだ那岐に風早が心配そうに声をかけた。
「……もうどうでもいいよ……抗うだけ無駄だし、面倒だ。さっさと式を終わらせて楽になりたい」
「俺にもっと力があればよかったんですが、守ってあげられなくてすみません」
「……別にあんたの助けなんて期待してないし、いらないよそんなの」
「そんな悲しい事言わないでください。俺だって那岐の事が好きなんですから」
「やめろよ……ていうかもうその“好き”って言葉聞くのうんざりする」
「確かにアシュヴィンの告白は毎日毎日すごいですよねぇ」
「甘ったるくて吐きそうになる……」
「じゃあ言葉ではなく行動で示しましょう」
風早は那岐の手をとって手の甲にそっと口づけを落とす。
その行為に驚いて那岐は慌てて手を引っ込める。
「な、何すんだよ!?」
「何って……言葉ではなくキスで俺の気持ちを伝えようかなと……」
「言っとくけどあいつも言葉だけじゃないから、手の甲どころじゃなくあちこち……ああ思い出しただけで鳥肌が……」
「……ああ、アシュヴィンも意外と強引で手が早そうですからね」
「何で男に好かれなきゃならないんだ?気持ち悪い……」
「すみません、俺もその一人ですね」
「……本気なの?初耳だよそんなの……」
「那岐が鈍すぎるだけですよ。ほとんど皆気づいてますからね、俺の気持ち」
「………………」
「俺はアシュヴィンなんかよりもずっと前から那岐の事を見ているのに、先を越されてしまうなんて悔しいですね」
「あんたが今まで僕をどういう目で見ていたのかあんまり考えたくないんだけど……」
「今は仕方なくアシュヴィンに譲りますけど、その内奪いに行く気満々なのでよろしくお願いします」
「……いや来なくていいから」
「いいえ、拒まれたって俺は那岐を取り返すために頑張らせてもらいます」
アシュヴィンとの結婚の日に風早の告白を聞かされる那岐。
もうアシュヴィンの告白だけで頭がおかしくなりそうだったので風早の告白はほぼ流されてしまった。
けれど風早はそれでも那岐に自分の想いを告げられた事に満足し、いずれはアシュヴィンから自分の手に取り戻す事を決意した。
そうこうする内に式の時間が迫り、風早と那岐の二人がいる部屋へと花婿のアシュヴィンがやってくる。
「準備はできているか?」
自分の結婚相手がやって来て身体を緊張させる那岐。
毎日毎日甘い言葉を吐くこの男にどうも慣れないらしい。
「王族の装束に身を包んでいると平時とは趣も違って見えるな。いつも綺麗だが今日はまた一段と美しくおなりだ、俺の花嫁殿」
那岐は嫌な顔をするものの何も言い返せない。
はじめの内は甘い言葉を吐くこの男に嫌味の一つや二つ言ってやっていたのだが、それさえも相手を喜ばせてしまい、ますます甘い言葉で返してくる事がしばしばなのでここは何も言い返さない方がいいと判断しているのだ。
何も反応しない人形のような態度でいればいつか飽きてしまい、熱も冷めるのではないかと思っているらしかった。
「フッ、そんなに嫌な顔をするなよ。綺麗な顔が台無しじゃないか。いやまあそんな顔も可愛いがな」
一方的にべらべらと喋るアシュヴィン。
最近はこんな調子だった。
しかしそれでもアシュヴィンは那岐に飽きる様子はない。
どんなに頑張った所で多少の反応はあるものだ。
人形のように無反応であろうと頑張る姿がアシュヴィンには可愛く見えて仕方がないといった感じだ。
何も言わない、抵抗もしない那岐の手を取ってそっと口づける。
先程風早が落としたキスの感触を思い出す。
ほぼ同じ場所だった。
ますます顔を顰める那岐、そして風早。
「さて、時間だ。そろそろ行こうじゃないか、俺の花嫁殿」
キスを落とした手をそのまま取って引き、アシュヴィンは那岐を式場へとエスコートする。
そんな2人の後ろに風早が付いて歩き、この国の王族の結婚式を待ちわびる大勢の歓声の中へと向かっていった。
式は盛大に行われ、たくさんの人たちから祝福を受けた。
狭井君が色々と手をまわしたおかげで、既に那岐は中つ国の王族として皆からその立場を認められており、この結婚は確かに国にとって大きな影響力がありそうだった。
アシュヴィンはとても楽しそうにしており、民に幸せいっぱいの笑みを見せていた。
反対に那岐はと言えば俯いてばかりだ。
瞳には暗い影を落としており、時々式の最中アシュヴィンに身体を触れられる度に眉間には皺が寄った。
それでも那岐は決して抵抗はしなかった。
さすがに国の未来にかかわる重大な式の最中で逃げ出すわけにもいかない。
王族であろうとなかろうとそれくらいはわかる。
ここまで来てしまったら受け入れるしかないのだろう、この状況を。
「これも王族の仕事の内の一つだ。気楽に考えろ。俺はお前が好きだが、お前の気持ちまで強要するつもりはない。だからそんな顔をしないでくれないか?」
ずっと強張った表情のまま身体も緊張しっぱなしでがちがちの那岐を心配そうにアシュヴィンが見つめる。
あまりにも優しい表情をするアシュヴィンにどきっとした那岐。
何でこんな奴に好かれてしまったのかと今までの事を振り返ってみる。
最初の出会いは風早とはぐれてしまった時の事。
風早と戦っているアシュヴィンと出くわした。
敵国の皇子で、出会ってすぐ戦いになったけどあっさり退いていったっけな、とその時の事を思い出す。
サザキたちの根城に行く前に寄った村の中で発見されて勝手に話し相手をさせられたなんて事もあった。
それから敵としてまみえる事が一度あって……
出雲の領主の邸宅でばったり出くわしたら勝手に連れまわされて……
出雲で常世の軍に追われるはめになった時にもまた戦闘になって……
そしてそこでこちら側の仲間に加わった……
それ以来行動を共にするようにはなったけれど、別にそこまで一緒にいる時間が多かったわけでもないし、一体いつから好きになったのやら……
まったく気づかなかった那岐はどこら辺で?と疑問に思って首を傾げた。
「どうした?」
「……いや……何でもない……」
「ほう、珍しく返事を返してくれたな」
「別に……ただこんな疲れる式、早く終わってほしいって思っただけ」
「そうだな。確かにこんな政略的な結婚式など面白くもない。どうせなら早く2人きりになりたいものだな。その方がいい」
「……僕はどっちも嫌なんだけど……」
「そうか、俺と2人きりは嫌か……嫌われてしまったかな?」
「……元々好きでもないんだけど?」
「……そうだったな、すまない。俺の一方的な想いを押し付ける形になってしまったからな」
「……あんただけが悪いわけじゃないだろ?僕がこうしなかったら千尋が無理やり結婚させられてたんだろうし……」
はあっと溜息を吐くと、今までより少し緊張を解いて穏やかな表情を微かに見せる那岐。
「いいよ、あんたの言う通り、王族の仕事だと思って結婚するから。余計な事考えると疲れるだけだってわかったからもう考えない事にする。それでいいだろ?」
結婚の話を持ち出されてから今までずっと混乱していたり塞ぎ込んでいたりで暗い顔をしっぱなしだった那岐が、ここでようやくいつもの調子を取り戻し始めたようだった。
色々考えた結果導き出された那岐の答えかもしれない。
余計な事は考えず王族の仕事として結婚する。
ただそれだけの事。
「よかった……ずっと塞ぎ込まれたままだったらどうしようかと思っていたんだ」
「それはどうも……」
相変わらず那岐は冷たい口調だ。
別にこの結婚を心から認めたわけでもない。
ただ塞ぎ込み過ぎるのはもうやめにしたいと気持ちを切り替えたのだろう。
面倒くさがりやな那岐は一つの物事にいつまでも悩む事を嫌っている。
結婚の話が決定された時も無駄な抵抗はあまりしなかった。
ただただこの状況を不機嫌顔で受け入れていた。
けれど不機嫌でいる事さえ、もう限界なのだろう。
気を張りすぎて疲れきってしまったといった感じだ。
アシュヴィンの言動に耐えるのもそろそろ精神的にきつかった。
どうせこのアシュヴィンとの結婚からは逃れられないのだ……。
だからいつまでもアシュヴィンの好き勝手にされているのは我慢できそうになかった。
那岐がアシュヴィン相手に優位に立てるとは思わなかったがそれでもある程度対等な立場でいたかった。
「僕はまだ一度もこの結婚認めてないよね?」
「……おいおい……ここまで来て今更やめるなんて言い出す気か?」
調子を取り戻しつつある那岐にほっとした気持ちでいたアシュヴィンだったが、突然の発言に不安そうに那岐を覗き込む。
「いや……そうじゃなくて……。さすがにここでやめるのはまずいって事くらいわかるからね……」
「じゃあどういう意味だ?」
とりあえずは結婚を投げ出すつもりではない事に胸を撫で下ろす。
「結婚してあげる代わりに条件を出そうかと思って……」
「ほう……どんな条件だ?」
「……お互いあまり干渉しない事……かな?付きまとわれるのは好きじゃないし……」
「……俺はできるだけお前と共にいたいと思っているのだが……」
「ずっとくっつかれてるとうざったいから……」
アシュヴィンは那岐が好きでしょうがないといった感じだが、那岐はそうではない。
この差は大きい。
接し方に関して言えばどちらか片方がいい思いをしている間、もう片方は我慢しなければならないという事だ。
「うざ……?まあいい……。お前にずっと触れずにいるのは無理だが、元々この結婚がなければこの想いすら打ち明ける事もなかった筈だ。それを思えば多少の我慢はできる……それでいいか?」
そばにいる時には那岐が、離れている時にはアシュヴィンが我慢しなければならない。
那岐の事を思えば自分が多く我慢しなければならないとは思うアシュヴィンだが、自分の欲望を抑えるのもなかなかに難しいものがある。
「本当はよくないけど……まあ結婚するって事はそれも仕方のない事だろうし……。とりあえず可能な限り自粛してよ……」
「わかった……約束する。だからお前はずっといつものお前でいてくれ。あまり機嫌を損ねられると落ち着かないんだ……」
「……………」
「本当はずっと、お前が結婚の話をした後から塞ぎ込んでいて不安だったんだ。俺はお前を苦しめたかったわけじゃないのに辛い気持ちにさせてしまったかと思うと……。この結婚は一応国のためにするわけだから早急に事を進めなければならなかった。だからお前に気持ちを整理する時間を与えてやる事すら出来なかったんだ……」
「……あんたもそれなりに悩んではいたんだ?」
「え?」
「それを聞いたら何か安心した」
「那岐……?」
「こっちの気持ちはお構いなしで勝手に話進めておいてそれで好きだとか大切だとか言われてもちっとも想われてる気しなかったからさ。でも一応僕の気持ちも考えてはくれてたんだ?」
「……すまない……。お前の気持ちをもっと考えて自分の気持ちを抑えればよかったな……。どうも俺は相手の気持ちを考えるという事が苦手なようだ……。今まであまり人の心配などした事もなかったからかもしれん」
アシュヴィンがこうやって誰かを想ったり、心配したりしたのは初めてだったとそっと那岐に告げた。
那岐は未だに何故自分の事がそんなに好きなのか、一体いつからどういう経緯でそんな気持ちになったのかわからないため、怪訝そうな顔をしてアシュヴィンを見ている。
アシュヴィンがこれ程までにしつこく言ってくるのだから、那岐が好きだという気持ちは決して嘘というわけではないのだろうが、それを理解しこの現実を受け入れるにはまだ頭が追いついてはくれないといった所か。
「元々誰にも気づかれぬ様、気持ちを抑え、この想いを口に出す事などないと思っていたのに……。どうしてだろうな……、結婚の話が持ち出された時に今まで我慢していた感情が一気に溢れ出してきてしまったようだ。気づいた時にはもう遅くて、お前をたくさん傷つけていた。もっと段階を踏むべき所いきなりだったからかなり辛かっただろう?本当にすまないと思っている」
「……確かにいきなりすぎだったね」
「ああ……お前が王族だという事を知って衝撃を受けている所に更に追い込んで結婚なんて話を無理矢理押しつけてしまった。そしてお前が混乱している中俺の気持ちを一方的にぶつける様な真似をして……」
アシュヴィンは今が結婚式の最中であるにも関わらず頭を抱え出していた。
周りの者たちが二人の様子をじっと見つめている。
ずっと二人だけの会話が繰り広げられている間も結婚式は進んでいるのだった。
はじめの内は喜びの表情を浮かべていたアシュヴィンが次第に表情を曇らせる様子が民の目に映る。
那岐は元々が不機嫌顔だったため、むしろ途中から硬い表情が柔らかくなっていたため別段気にはされないが……
アシュヴィンの変化には少々皆気にし出していた。
それを見て那岐が溜息を吐く。
この結婚式は国にとって重要なものだ。
式の最中あまり民に余計な不安を持たせるのはよくない。
「もうこの話は終わりにしたら?少なくとも今ここでする話でもないだろ?これは王族の仕事なんだろ?だったら黙って働きなよ、余計な事考えずにさ」
そう言って那岐が自らアシュヴィンの手を取った。
握りしめるといった風でもなくただ軽く触れるだけ。
それでもアシュヴィンは驚いた。
何故ならば那岐自身からアシュヴィンに触れるなんて行為は今まで一度だってなかったからだ。
それがどんなに小さな触れ合いだったとしても、感じる喜びは望外のものだ。
思わず息を飲む。
軽く触れられた手が愛おしくて握りしめたくなったが、少し思いとどまる。
あまり自分の感情を押し付けないよう注意を払って、力加減をしながらゆっくり握る。
本当に軽く。
その優しい触れ合いに那岐が恥ずかしそうに横を向いた。
「……言っておくけど、こんな事するのは式の間だけだから」
ああ……
それならば、政略のためのこの式も悪くないとアシュヴィンは思ってしまう。
民の歓声が耳の奥で響き渡る。
国のためにした結婚とはいえ、那岐を好きな気持ちは本物だから。
人々から祝福されてこの場に立つのも嫌な気はしない。
これで那岐の心が自分に向いてさえくれればこれ以上はない幸せなのだろう。
とアシュヴィンが苦笑しながら那岐を見つめた。
いつかこちらを振り向いて欲しい。
俺と同じぐらいの気持ちだなんて贅沢は言わない。
ただ少しでも自分の事を想ってくれるそんな日が来てほしい。
そうアシュヴィンは願いながら、淡々と進められる結婚式をこなしていったのだった。
こうして狭井君が中心となって設定した結婚式は無事終わった。
めでたくアシュヴィンと那岐は夫婦となって、常世の国へと向かう。
めでたいと思っているのはアシュヴィンだけかもしれないが……
それでも婚姻を結んだ以上二人は誰からも夫婦として見られるようになったのだ。
たとえそれが政略結婚だったとしても……。
夫婦としての生活がここからはじまるのだった。
Fin.
王族というだけで特別だとか価値があるだとかいう発言に、じゃあ那岐もだね♪
みたいなノリで……
アシュ那岐やってみた……
最初アシュ那岐要素だけのつもりで考えていたのに、脳内で風那岐熱が高かったためなのか風早が乱入し出し、千尋が結婚を受け入れられない理由として風早が好き設定も加えたらアシュ那岐←風早←千尋って色々と付属されてしまいました……
政略結婚編って事は続くのかな?この話……
どうなんだろう?
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