神には些末な事だとしても…




私の運命はすでに定められている……
それは変える事の出来ない事実。



どんなに足掻こうとも、神の身でない私には覆す事など出来はしない。
流れに逆らおうとしてもすべては無駄な事。
結局は押し流され飲み込まれてゆく。
運命という名の渦の中へと……
そこから抜け出し、自由を得る事など不可能なのだと、幾度となく思い知らされたのだから。

もう私には定めを越える気力など残されてはいない。
己の運命を変えたいと望む事もない。
希望などありはしないのだ。
私の心はもう死んでしまったのでしょう。
これからの未来の事を思っても何も感じるものがなくなってしまった。



私はこれから時空を越えて、中つ国の王族の生き残りであるニノ姫と出会い、彼女を導き、やがては……

私の心はどこかへ行ってしまったというのに、軍師が姫に惹かれるという伝承が真実となり得るのでしょうか?
ふと疑問に思う。

すべては変わる事のない運命。
少しの抵抗で姫と距離を取り、避けようとしてもおそらくは……

恋に落ちてしまうのでしょう。

この身に流れる血がそう囁いている。



心など捨ててしまったはずの私はいずれ姫に惹かれて―――

それでもその想いが成就する事などない―――

私は二ノ姫が王位につく頃にはもう―――



それが私の未来だというのなら、その運命の流れに身を委ねればいい。
変えようとしても変えられないならば足掻く事などただ疲れるだけ。



まるで他人事のように自嘲する。

そうして降り立ったのは見知らぬ地。
けれど戸惑いはない。
この世界には必ず未来の王がおられるはずだから。



―――我が君―――



幼き日の二ノ姫の姿が脳裏で微かに蘇る。
とても懐かしい記憶。
遠い昔のような気がした。
5年前という過去の風景。

羽張彦と一ノ姫がいなくなってからとても長い時が過ぎたように感じる。

伝承に逆らえない私が、二ノ姫にお会い出来る時をずっと長い間待ち焦がれていたのも事実。
珍しく胸の高鳴りを感じて歩を進めた。



けれどニノ姫を目の前にしても思っていた程の感慨はなかった。

もちろんこの時を待ち望んでいた私にとって喜びの瞬間ではあったでしょう。
伝承が動く時だと。
これで姫が豊葦原の王となる日までの道が繋がったのだと。

思い描いていた以上の美しさ。
私の目には成長された姫が神々しく映る。

それでも満たされない私の胸の内から何かが騒いでいる。
何かが違うと……



「あなたは豊葦原の王となる方。中つ国の二ノ姫です」

そう告げても我が君はまだ私の言葉を受け入れられないご様子でうろたえた。
そんなニノ姫の記憶を呼び覚ますべく動く。
抗う姫の苦しそうな顔を見て少し胸が痛んだのだけれど、それでもこれは必要な事。

「誰か…風早っ!那岐っ!」

我が君が助けを求めて誰かの名を叫ばれた。

一人は風早。
私と旧知の仲だ。
昔からずっとニノ姫の側で面倒を見ていた事を知っている為、今も変わらず姫の信頼を得ている事に多少の羨望を覚える。

ではもう一人の名は……?

そんな事を考えていると、姫に出会う前、結界で足止めをしていたはずの相手、つい先程我が君の口にされた名前の男が現れた。

風早だ。

簡単には結界を破れないと思っていたのですが……
なかなかやりますね。

「風早!この人の言ってる事は本当の事なの!?」
「言いたくない……では済まされないでしょうね」

我が君は混乱気味に風早に問いかけていらっしゃった。
その様子をそっと見守る様に佇む。
姫には思い出してもらわなければならない……

「深き眠りからの目覚め……祝福すべき瞬間なのだから」



そう。
これは祝福すべき時。
これでようやく伝承の中心へと進む事が出来る。

日々この身に流れる血が見せる未来に縛られ変わらぬ流れに冷めた心で長い時を過ごしてきた。
姫が伝承の通り、豊葦原へと戻り、国の行く末を決める戦の中心となり、やがては王となって橿原宮の階を上る。
そうして私は呪縛から逃れる事が出来るのだ。



―――死という名の安息―――



安らかなる眠りを手に入れる為、その道標となるのが私の役目。



その為ならば喜んで私のすべてを……



「八十禍事(やそまがごと)を祓い給い…断たしめせ」

姫が天鹿児弓を手にされた時だった。
気づくのが少しでも遅れていたらどうなっていた事か。

私に向けて放たれた術は鬼道使いによるものだ。
迷いのない言揚げ。
かなりの使い手である事がすぐにわかる。

何とか攻撃を防ぎ、術者の姿を探す。
……いや、探す必要などはない。

彼は自ら風早と我が君の前に現れたのだから。



―――金色の髪―――

―――翡翠の瞳―――

―――白き肌色―――



私の思い描いていた姫との出会い。
けれど実際に我が君と対面した時には得られなかった満足感。

ここに来て胸の内が満たされてゆく不可思議な感覚に暫し酔いしれそうになる。

何故……?

姫は確かに美しかった。
それなのに……

私の心を捕らえて離さないのは我が君ではなかった。



「四道将軍が遺された最後の弟子……」

そして……隠されたもう一人の……王族の生き残り……



まさか、私が姫ではなくこの鬼道使いの少年に惹かれたというのだろうか?

これ程までに驚かされた事は久しかった。
予期せぬ事など殆どと言っていい程起こりはしなかったのだから。

このような事はどの伝承にも記されてはいない。
いやこれは、伝承にすら記されぬ些細な事柄でしかないという事なのだろうか?



ああ……
神にとっては私が誰に好意を寄せようと大した問題ではないのでしょうね。



それでも……

私にとっては大きな違いだ。
これ程に動揺させられたのは久しぶりの事。

未来が見えると言ってもすべてではないのだと、まだ私にもわからない事はたくさんあるのだと認識させられた。

そう、すべてを知るにはその時を迎える他ない。
私の生涯の結末をどのように彩っていただけるのか……
それを知る事が出来るのはその瞬間でしかないのだと……

それならばこの伝承の中、流れに身を任せて歩むのも、決してつまらない事ではないのかもしれない。



姫の放つ光は強くて神々しい。
それに対して少年の放つ光は強気な言動に反し、淡くどこか儚げで……

姫の放つ光はおそらく私には眩しすぎたのだ。
それ故近づき難かった。

だからこそ弱々しくも優しく包み込まれるような光が心地よいと感じるのだ。

同じ王族の血が流れる身でありながら、身に纏う空気の違い。

姫が世界を明るく照らす日輪ならば、少年は夜の闇に優しく光をそそぐ月。
星の一族である私は月に惹かれるのが自然なのでしょう。



もっと近くで感じたい……
そう願った。

私が彼らと行動を共にし、共に戦える日が来るのはもう少し先の伝承。
それまでは残念ながら違う道を歩まねばならない。

それでも今少し……



姫の帰還を阻もうとする鬼道使いの少年と風早が目の前に立ち塞がる。

何とかこの少年だけを私の元に……

そして考える。
よい方法はないものかと……

「……仕方がないな。本意ではありませんが助力を乞うとしましょう」

私は土蜘蛛を呼んだ。
姫と……風早の相手を彼に任せるために。



思った通り、風早は姫の危機にそちらへと駆け寄った。
私と少年が2人残される。

少年は私を警戒しながらも術の詠唱を始めた。
しかし私はそれを許すつもりはない。

一気に間合いを詰める。

「ちっ……」

少年は舌打ちをして詠唱を中止した。
そして間合いを詰める私と距離を取ろうと後ろへ下がる。
が動きはとても俊敏とは言えず、霊力以外はどうやらこちらが上のようだった。

ならば術さえ封じれば容易い―――

長い詠唱を必要としない簡単な術でこちらの動きを止めようとする少年の術を弾きながら遠慮なく近づいてゆく。

土蜘蛛の相手をしていたはずの風早がこちらの様子を気にし出して「那岐っ!」と叫んだ。

だが遅い。
土蜘蛛の相手で手が離せなくなっている風早がこちらにすぐさま駆け寄る事は出来ないはず。

御統を持つ少年の左手首を掴み、固い灰色の石壁に縫い付けるように押しつけた。

「痛っ……」

あまりに悲痛な声を上げたのでこちらも力を入れ過ぎてしまったのかと慌ててしまう。

その細い腕は戦の中日々鍛練を積み重ねて身体を鍛えている兵たちとは明らかに違い過ぎる。

抑える手の力を軽く抜き、もう片方の手を今度こそは優しく掬い上げるようにして取った。

抵抗されるかと少々身構えていたのだけれど、どうやら左手が痛むらしく右手の方はあまり気にされていない様子。

手に取ったその細く白い指を恍惚としながら舐め回すように見つめた。
その私の視線の意味をどこかで感じ取ったのか少年の身体がびくっと揺れる。

それに連動するかのように私の心臓が大きく跳ねた。



ああ……
やはり私は……
この少年に……



そっと少年の指に口づけを落とした。
動揺で激しく揺れる翡翠の目の前で。
その視線を射抜くように私の片目が少年の瞳を映す。

何が起こったのかわからないといった風に呆ける少年に、私はそっと微笑むと「那岐……」と囁いた。
先程姫や風早がそう呼んでいた。
少年の名を。

「あなたにならばこの身を捧げるのも悪くはないでしょう」

那岐の金色の髪がかかった耳元でそっと呟く。

「暫くの別れ……寂しさでこの身が裂けてしまいそうです」

だから―――
どうか―――

「この寂しさに打ち勝つ力を私にお与え下さいませんか?」

そう願えば私の唇は自然と那岐の唇へと導かれるように近づいた。

「…やっ!?」

これから何をされるかに気づいた那岐が咄嗟に目を閉じた。
右手も壁に縫い付けられ、逃れられないと悟った最後の抵抗は顔を逸らす事だけだった。
その可愛らしい反応が私の心をさらに高ぶらせる。

これ程の高鳴りを私は知らない。
死んでしまったはずの心が甦ったようで興奮した。

あと少し。
もう少しで唇と唇が触れ合う。
甘美な瞬間が訪れると思ったその時……

我が君と風早が土蜘蛛を退けた。

風早がそのままこちらへと勢いよく突っ込んで来そうな殺気を感じて仕方なく口づけを諦め那岐と距離を取る。



これで暫く常世に身を置く事になる私は姫たちと同じ道を歩めない。
口づけが叶わなかった事は残念でならないけれど……

未来がこれ程楽しみでならないと感じたのはやはり久しい事で。
それはなんと幸せな事だろうかと思わずにはいられなかった。

いつか再び出会うあなたの為に……
私は私の行く道を行きましょう……



そして叶うのならば次に出逢うその時にはどうか……
私にあなたの口づけをお与え下さい。





Fin.





最近柊が素敵だと感じ……
柊那いいなぁ……と。
2、3に続いて4でも地白虎×地朱雀に走るのでしょうか?
どうなんでしょうね?
同門組(風早・柊・忍人)×那岐がどうやら好きらしいです……