君と共に背負う罪ならば







何度も何度も血に汚れてしまった己の手を洗い流した。
すべて洗い清めて、心を落ち着けたかった。

それなのに、何度水に手をつけて両手を擦りつけ必死で落とそうとしても消えてはくれない……

全身赤く染まっていた身体はもう十分過ぎる程の水浴びをし、ほとんど痕跡などなかった。



目では何もわからない。



でも消えないんだ。



全身に浴びた生暖かい血の臭い。



銃口を覗きながら引き金を引いた指の感触。



オレに撃たれた相手が最期に残した苦痛の声。



いつまでも消えずにオレの中で鮮明に残る。



何度も言葉を交わし合った相手だった。
何度も寝食を共にした。
何度も同じ戦場を共に駆け抜けた。

それでもオレはそんな相手を震えながらも撃ち殺した。
頼朝様の命令にオレは逆らう術を持たない。
命を受ければオレはどんなに嫌でもそれを実行しなければならないんだ。

だから今回もそうした。

それだけの事。

でももう何度目になるのか数えるのも嫌になるこの“暗殺”という仕事に未だ慣れはしない。
慣れたくもないのだけれど……
いつまでもこの調子ではオレの心が持たない。



早くこの消えない感覚を何とかして、みんなの元へ戻らないと……

そう思ってオレはもう一度、水の中に浸かった。

真夏の暑い日ならば心地よいのかもしれないが、もうそんな季節はとうに過ぎている。
風も冷たいこの時期、川の水は正直氷のようで身震いさせられた。

けれどこの汚れた身体を少しでも清められたらと必死だった。
ばしゃばしゃと音を立てて不快な感覚をかき消そうとした。



そんな時だった。



「景時?」

オレの名を呼ぶ声に心臓が跳ね上がった。

今は誰とも会いたくはなかった。
一人にしてほしかった。

それなのに……

よりにもよって今一番、顔を合わせたくない相手が来てしまうなんて……

「弁慶……どうしてここに?」

寒さだけが原因ではなく震える声で問う。

「君が今日出かける時、様子がおかしかったので探していたんです」

「ようやく見つけました」なんて笑いながらこちらに近づいて来る。



嫌だ……
君には知られたくない……

君にだけは……
本当のオレの姿を……
こんな汚いオレの姿を……
血に塗れたオレの姿を……

知られたくなんかない!



「オレに近づかないでくれ!」

目一杯叫んでいた。

「オレの事は放っておいてくれないか!」

弁慶が一瞬足を止める。

「オレの事なんか気にしなくていいから!」

オレは突き放すように捲し立てた。
それにもかかわらず弁慶が再び足を進めた。



どうして?
嫌だ!
来ないでくれ!



「こんな冷たい水に浸かっていては風邪をひいてしまいます」

さっと差し出された手ぬぐいに目をやる。
真っ白なその布が眩しい。
もう辺りはすっかり暗くなっているというのに。

「ごめん!でも大丈夫だから!先に帰っててくれ!」

差し出された手ぬぐいを受け取る事なんてオレには出来なかった。

優しさは素直に嬉しいと思ったけれど、その真っ白な布をオレが使って汚してしまいたくはなかったんだ。



そうしたら弁慶は突然オレの腕を掴んで引っ張った。
びくっとしてオレはそのまま川から引きずり出されていた。
オレに触れるその白い手をぎょっとして見つめた。



嫌だ!
オレは君を汚したくない!



こんな汚いオレに触れては君まで汚してしまいそうで怖かった。



慌ててその手を振り払う。

その時の弁慶の表情がちらりと見えた。

ものすごく怒っている。
だけど、その怒り方は怖いとかそんな雰囲気ではなくて……
まるで悲しそうな顔だった。



ムッと僅かに頬を膨らませたかと思ったら、手ぬぐいを無理やり押しつけられる。

「風邪をひかれると僕が迷惑するんですからね」

受け取ってしまった手ぬぐいを握り締めてはその悲しそうに怒る顔を見つめた。

「ちゃんと身体を拭いて、早く帰りましょう。夜は冷えます」

有無を言わせずまっすぐオレを見つめ返すその瞳に逆らう事も出来なかったオレは仕方なく従う事にした。

震える手で身体を拭く。
真っ白なその布をじっと見つめながら。
まだ洗い落とせず残っている血で汚してしまいはしないかとびくびくだった。

不意に弁慶がオレの震える手に触れる。
オレは心臓を跳ね上げて驚く。

「ほら、こんなに震えているじゃないですか」

心配そうにオレの顔を覗き込んできた。

違うのに……
確かに寒いけれど……
震えているのはもっと違う理由だ……

「駄目ですよ、今の時期は体調を崩しやすいんですから」

オレが心の中で違うと言ったところで届きはしないだろう。
弁慶がオレの体調を心配する。

「邸へ戻ったら湯を沸かしますから、身体を温めましょう」

さすがは薬師。
病気になる前からそこまで気を遣うなんて。

だけどオレはオレに触れるその手が気になって仕方がなくて……
つい零してしまう。

「オレに触れないでくれ……オレは汚い……」

こんな事言うつもりなんてなかった。

「オレに触れたら君まで汚れてしまうから……。だから……この手を放してくれないか」

それなのに……
口に出してしまっていた。

「オレは君を汚したくないんだ」

きっと今の言葉は弁慶の耳に届いた事だろう。

深く追求されるかもしれない。
そうしたらどう説明すればいいのだろう?

まさか先程頼朝様の命令で暗殺をしていたなどとはとてもではないが言えまい。
どう誤魔化せばよいだろうか?
得意の嘘が、今は思い浮かばない。
何も……

そう悩んでいたオレだったけれど……

「僕だって君が思う程、綺麗な人間ではありませんよ」

穏やかな声にはっとする。

「僕は本当に罪深い人間なんです。だから君が気に病む必要なんてないんですよ」

弁慶の悲しそうな表情。
それでも強くて鋭い眼差しがオレをじっと見つめている。

「僕はずるいのかもしれません。君と罪を分け合う事で少しでも心の支えにしようとしているのだから……」

始めは弁慶が何を言っているのかわからなかった。

「君に消えない罪があるように、僕にも決して消える事のない罪があるんです」

けれど……
しばらくして気づく。

「僕だって既に汚れてしまっているのですよ」



もしかして……
弁慶は気づいている?

そうだ。
きっとそうに違いない。

聡い弁慶は人のちょっとした仕草や言動から色々な物事を推察し、調査し、真実を見抜く。
人の考えをすべて把握出来るわけではないだろうけれど、戦に関しては誰よりも早く的確に判断して指示を出す優れた軍師だ。

オレが頼朝様の命に逆らえない事を弁慶は知っているだろう。
そして度々オレが九郎たちから引き離されて単独で呼び出され、密談している事を考えればそこには何かあるだろうと予想が出来るはずだ。

弁慶はきっと何かに感づいている。

オレが何をしているかまでは知らなくても、決していい事をしているわけではない事くらい容易に想像出来るだろう。

だからこの弁慶の心配そうな顔はオレが風邪を引いてしまうかもしれないとかそういう事を懸念しているわけではないんだ。
いや、もちろん多少はそっちの事も心配しているかもしれないけれど。



ずきんと胸が痛む。

弁慶は自分も汚れていると言った。
弁慶がどんな罪を背負っているのかはオレにはわからない。
オレはそこまで見抜けない。

でもオレだって九郎程まっすぐで純粋で周りの汚れた部分が見えないってわけじゃないから。

オレだって弁慶が辛そうにしている時がある事、ちゃんと知ってる。
弁慶が他のみんなに隠している何かがあるって事、ちゃんと気づいてる。

好きだから、大切だと思っているから、尚更他の人より弁慶の事を見てるんだ。



ねえ……

こんな汚れたオレでも君に触れる事が許されるなら、それがオレの一番の喜びだ。
苦しい事も悲しい事も、たとえ何があったって、君がいてくれるならそれだけですべて乗り越えられる。
こんな弱い自分でも、強くなれる気がするよ。



もしも2人分の罪を2人で分け合えるなら、きっと1人分の罪を1人で背負うよりもずっとずっと軽くなる気がするんだ。

おかしいよね。

背負う罪が減るわけでもないのに、軽くなるだなんて……



孤独とはそれ程厳しいものなんだ。
背負う罪が同じでも、愛しい人と一緒なら少しは楽になれる。



もしもオレがそう感じるように……

君も同じように感じてくれるならそれはとても嬉しい事だ。

君の背負う罪がオレと一緒に背負う事で少しでも楽になるのなら……
こんなオレでも君の役に立てるなら……
一緒に背負ってあげたいと願う。

それがオレの幸せだ。



だからオレは……

あれ程汚したくなくて触れる事を嫌がった弁慶の手を、
今度はオレの方から触れて、そっと握り締めた。

「オレは弁慶が背負っている罪がどんなものか知らない。けれど、たとえどんな罪だとしても、オレは弁慶を汚い人間だなんて思わないよ」

先程まで震えていたのはオレの方だったはずなのに、一瞬弁慶の方が震えたように肩を揺らした。

「だってオレは君の優しい部分をちゃんと知っているから。弁慶は綺麗だよ。少なくともオレは綺麗だと思ってる」
「景時……」

弁慶はオレの言葉に目を閉じてどこか物思いにふけるように俯いた。

「僕はきっと君よりも罪深い人間ですよ。それでも……君がそんな風に言ってくれるのは嬉しい事ですね。ありがとうございます」
「君の優しさは嘘なんかじゃない。だから綺麗だって思うんだ。たとえどんな咎人だったとしても」

オレの手が冷たすぎるせいか、弁慶の手の温度がいつも以上に感じられて温かい。
オレはとても気持ちがいいけれど、弁慶からしたら逆だよね。
夏の暑い日ならばともかく、今はもう深緑の紅葉の葉が色を変え始める季節だ。
冷たいオレの手は寒々しいだろう。

だからちょっとだけ悪いなと思ったけれど、握った弁慶の手はゆっくりと握り返されて……
手を離しそびれてしまった。

「僕だって同じですよ。君の優しさは決して偽りなんかじゃないってちゃんと知っていますから」

そして。
弁慶は突然顔を上げるとぎゅっとオレの手を握り締めて、引っ張られたかと思ったら引き寄せられて……
顔が近づいて思わず胸が高鳴った。
そのまま触れてしまいそうな唇が妙に妖艶で焦ってしまう。

「べ、弁慶……」
「今は戦の最中です。手を汚さずに戦場で生き抜いて行くなんて出来ないですから。誰でも少なからず心苦しい思いをしているはずでしょう?」

そう告げる口元が徐々に接近して来る。
冷たい水浴びの後で身体は冷え切っていて、震える程の寒さを感じていたのに。
急に熱を出したように火照ってしまう。

思わず目を閉じたら、何かが顔に近づく気配がした。
まさかと思って唇に訪れるかもしれないそれを大人しく待っていると。



むぎゅう―――



「!?」

頬に感じた感触に思わず目を開けた。

「痛たたたっ……」

甘い雰囲気になっていい感じになると期待していただけにこの状態は少し虚を衝かれた気分になる。
弁慶はオレの頬をつねったのだ。

「だから僕だって君が汚いだなんて思っていませんからね。いつまでもそんなに暗い顔してないでいつもの明るい君に戻ってくださいよ」

ちょっとがっかりしたけれど、頬を膨らませてそんな事を言う弁慶は正直可愛いと思えて、ずっと重い空気を纏っていたオレの心はすーっと軽くなっていて。

ふっと笑顔が浮かんだ。

ああやっぱり。
いつもオレの苦しみを和らげてくれるのは弁慶の何気ない言動なのだと認識して。

「ありがとう弁慶」

そっと囁くように告げるお礼の言葉。

「ふふっ。やっと笑ってくれましたね。よかった」

安心したように弁慶も笑みを浮かべた。



弁慶にも背負っているものがあって。
苦しみを抱えてここにいる。
それでもこんなオレを気遣って言葉を掛けてくれた。
拒んだ手を構わず握って引っ張り上げてくれた。

抜け出せない暗闇の中で、弁慶はオレにとって唯一の光だった。
優しく闇を照らして導いてくれる月のような存在。



決して血に汚れたオレの罪が消えるわけではないとしても。
君がいてくれるならば……
オレは暗闇の中を歩き続けられるだろう。



まだ消えない暗殺の後の様々な感触。
それでも、1人でいた時に比べて、気持ちが穏やかになれたのは愛しい人のおかげ。

これから先も抜け出せない呪縛の中で何度も助けられるかもしれない。
だからそれと同じように、オレも弁慶が苦しんでいる時には助けになれたらいいなと思うよ。





**********



「ところで景時」
「うん?」
「早く着替えないと本当に風邪をひきますよ?」




Fin.





途中まで書いてしばらく放置されていましたが……
弁慶さんのお誕生日という事で何とか書き終えました。
相変わらず可哀想な景時さんですが……
ちょっと最後ら辺で崩しました。

シリアスもいいけれどたまには……
景時さんを幸せにしてあげましょうよ……(汗)
はい。その内何か書けたらいいですね。