Snow flake
荼吉尼天との戦いが終わり、ようやく平和が訪れた。
現代の鎌倉に来てから元の世界に戻れなくなっていたみんなもこれでようやく帰る事が出来るようになったというわけだ。
うれしい事のはずなのだが、将臣の心は何故か晴々しない。
以前の普通の生活に戻る事が出来るのだからもっと喜ぶべきだろうに。
“どうしてこんなに、もやもやとした気持ちになるんだ?”
そんな事を一人、心の中で呟く。
別れの時が来る。
10人という大人数で生活していたのが一気に弟の譲と2人きりになってしまうのだから寂しいのは当然の事だろう。
みんな一緒に戦ってきた仲間なのだから別れはつらい。
当たり前の事だ。
けれどそれとは別の気持ちが存在している気がしてならなかった。
このままこんな気持ちを抱えたまま別れるなんて出来ないという思いに、居ても立ってもいられなくなった将臣は、原因であると思われる人物を呼び出して無理やり連れ出した。
最後だからと望美がみんなとのお別れ会を開いている最中にだ。
家の外へと出れば太陽は雲に隠されており、冷たい空気が身体を震わせる。
しばらくあてもなく鎌倉の街をぶらぶらと連れ回して歩く。
連れ出した理由を問われても将臣は明確な答えを返せずに生返事ばかりだ。
最後だからせめて今だけは2人きりになりたかったとは言えなかった。
それは今だけだなどと考えたくないからなのかもしれないな、と将臣は一人苦笑いを浮かべる。
異世界にいた時、出逢ってすぐに恋に落ちた。
思い切って告白もした。
男同士であるにもかかわらずその告白を受けてくれた。
だからまあ……
つまりは一応恋人同士と言えなくもないのだ。
しかし現代の世界に来る前は特に告白前と何かが大きく変わったわけでもなかった。
普通にそれまでと変わらずの接し方ばかりで、告白した事が実は夢の中での出来事だったのではないだろうかと思う程だ。
確かに多少2人で過ごす時間は増えたのだけれど……
将臣も向こうの世界にいた時は平家側の人間であったし、一緒にいたくても離れなければならないという状態の方が多かった。
だから恋人らしい事なんて殆どしていなかったのだ。
恋人としての時間が取れるようになったのはむしろ現代にやって来てからだ。
龍脈の乱れの原因を探ったり、迷宮の謎を解かねばならなかったり、現代の世界に不慣れな者たちの面倒を見なければならなかった事もあり、いつも一緒というわけにはいかなかったが……
異世界にはない、珍しい場所を案内しながらのデートは、物知りで頭のよい弁慶でも驚きの顔を見せてくれるため、将臣にとってはとても楽しいものだった。
もちろん異世界にいた時でも、弁慶と一緒にいられるなら幸せではあった。
けれどやはり、自分の生まれ育った場所が一番落ち着く。
無駄に年をとってしまい、変わってしまった事に切なさを感じるものの、白龍が力を取り戻しさえすれば、元の年齢に戻れるという事もわかっているのでそれ程悲観的になる事もなかった将臣。
それに愛しい人との年の差が少しでも縮まるのならば今のままでもいいんじゃないかと思うくらいだ。
しかしせっかくのお別れ会、みんなと過ごせる最後の時間であるこの時を、理由もわからず将臣だけが独占している今の状態は相手にものすごく悪い気がしてならなかった。
“何か言わなければ……”
そう思って口を開いては無言のまま閉ざす。
もうそんな状況が何度繰り返された事か。
「将臣くん?そんなに深刻そうな顔をして……何かあったのですか?もしかして具合がよくないのですか?」
あまりに俯いてばかりで、いつもの覇気がない将臣の様子に、弁慶は心配そうな顔をして覗き込んだ。
上目づかいの弁慶の視線が間近で合えばどきりとする。
将臣は慌てて視線を逸らすと困ったように周りを見回した。
クリスマスシーズンにはオーナメントが頻りに飾られていて、華やかだった街。
正月には買い物客や初詣に訪れる人で賑わっていた街。
それが今では落ち着いた雰囲気で。
特に自分がクリスマスや正月で浮かれていたという自覚はないのだけれど。
終わってしまうとやはり少し寂しさを感じる将臣。
街はそれでも人が多いけれど。
何か物足りない。
そんな印象があった。
“ああ……これから日常に戻って行くんだな……”
それは普通の事で。何気ない日々。
それでも賑やかだった時の事を思い返すと物足りなさを感じてしまう感覚。
それがこれからみんなとの別れでやって来るであろう喪失感を思わせる。
向こうの世界にいた時。
笑って「また会えるさ」と言って別れた。
「じゃあな」と気楽に手を振って。
心の中のどこかで永遠の別れでない事を確信していたからこそのすっきりとした別れ。
今思えばあの世界でだってまた会える保証はなかったのにと苦笑いが浮かぶ。
現代では携帯という便利な連絡手段がある。
車という便利な乗り物もある。
電車や飛行機であっという間に遠くへだって行ける。
そんな当たり前に出来る事が向こうの異世界では出来ないのだから。
それでもこうして今、みんなが白龍の神子である望美を中心に集まっていて。
不思議な繋がりだと感じた。
もし、みんなが元の世界へと帰ってしまったらきっともう会う事はないのだろうと思う。
本来は異なる時空に存在している世界。
そう簡単に行き来出来る場所ではないはずだ。
みんなが異世界に戻るため、必死で頑張っていた事は承知している。
それだけあちらの世界とこちらの世界を行き来するのが困難だという事。
それなのに引き止めるなんて、そんな野暮な事は出来ないだろう。
将臣の顔を覗き込む弁慶の腕を掴んで、「行くな」と言いたかった。
「ずっと俺の側にいてくれ」と懇願したかった。
けれど、それは出来ない。
苦渋の思いで言葉を呑み込む。
「何でもないさ。ただちょっと考え事をしてただけだ」
そう言って弁慶から視線を逸らして、どんよりとした薄暗い雲が広がる空を見上げた。
それとほぼ同時。
はらり―――
まるで一片の花びらが舞い落ちて来るように、白い何かが空からひらひらと落ちて来た。
雪だ。
そう認識してから。
それに続くように次から次へと六花の白い花びらは空を舞う。
「雪が降ってきましたね。身体を冷やしてしまいますし、もう家に戻りましょうか?」
弁慶がそう問いかけたので。
将臣も「ああ」とどこか遠くを見るように雪の降る空を見上げながら返事をした。
「お別れ会の途中でしたし、僕も最後のお別れをみんなとしないと」
そう呟いた弁慶の言葉に、将臣は胸が締め付けられるようだった。
自分はこんなにも弁慶と別れ難く思って悩んでいるというのに、弁慶の様子を見れば将臣との別れを悲しんでいるようにはあまり見えない事が余計に辛かった。
もちろん少しは寂しさもあるのだろうけれど。
割と淡々としていて。
自分ばかりが恋人気分だったのかと苦しくなる。
「向こうの世界に行ってしまったら、もう二度と会えないかもしれませんから。最後のお別れはきちんとしておきたいです」
「そう……だよな……。悪い、途中で連れ出しちまって……」
将臣は声を絞り出すように答えると、雪降る中、くるりと弁慶に背を向けて家路を歩き始めた。
今は弁慶と顔を合わせられないと将臣は思った。
今の自分がどんな顔をしているのかわからないが、きっと酷い顔をしていると思ったから。
自分の顔を見られたくはなかった。
だから背を向けたまま弁慶よりも前を歩く。
無言で。
降り積もる雪は、この街をモノクロの世界へと変えていってしまうようだった。
暗く、色のないそんな世界に塗り替えられるようで、冷たく残酷な塵が積もってゆく。
徐々に無機質な世界になっていくようで、それを止める事など出来はしない将臣はなす術もなく凍りついてゆく街の中を歩いて行った。
弁慶はそんな将臣の様子にどうしてよいかわからず、黙って後ろを歩く。
何故自分を連れ出したのかもわからぬまま、みんなのいる場所へと戻る道を静かに。
お別れ会は盛大に行われた。
張り切って仕切っていたのは白龍の神子である望美で。
将臣と弁慶が途中抜け出したのを「最後なのに」とぶつぶつ文句を言いながら咎めていた。
お別れ会の場に戻った弁慶は、将臣の普段と違う様子を気にしつつも、ふらふらと将臣の側を離れて行った。
将臣との別れを惜しんでいるようには全く見えず、遠く離れた場所で弁慶の姿を目で追いつつそっとため息を吐く。
もう周りの喧騒など一切耳に届きはしない程、将臣は放心していた。
いっそ自分も弁慶を追って異世界へと行ってしまおうかという考えが過る。
しかし、弁慶が将臣との別れを全然惜しんでくれないのだから、自分が付き纏って付いて行ったら迷惑なのではないかと思う。
結局この想いは一方的なものでしかなかったのだと。
両想いだなんて勘違いだと。
ただの片想いだったのだと、今まで一緒に過ごした時間が走馬灯のように頭の中を流れて行った。
弁慶はみんなに囲まれて、何やら話し込んでいる。
そんな姿をぼーっと眺めていた将臣。
ふと弁慶が将臣の方を見て笑った。
将臣が突然の事にびくっと肩を揺らす。
何を話しているのか全く聞いてなどいなかったから、何故弁慶が自分を見て微笑んだのかわからずに、笑顔を返す事も出来なかった将臣はふいっと顔を背けてしまった。
そうして夜は更けてゆく。
**********
そして次の日。
やって来た別れの日。
相変わらず晴れない将臣の心が表れているような空。
太陽の姿は見えず、重苦しい空気。
「みんな、向こうの世界に戻っても元気でね」
寂しそうに、けれど笑顔で送り出したいという望美の精一杯の強がりが見て取れる表情でそう言った。
別れは辛いけれど、時は流れてゆく。
刻一刻とその時が近づいている。
みんな別れ難そうな顔をしてはいたけれど、この世の終わりだとでもいうような絶望的な色を纏っているのは将臣の他にはいなかった。
白龍が時空の狭間を開き、準備はいいかとみんなに問いかける。
みんなが頷いて、それぞれが別れの言葉を口にした。
その辺りからどこか疑問が生じる。
みんなの別れの言葉の内容に将臣は首を傾げていた。
何かがおかしいと。
「お前には感謝している。たとえ離れていても決してお前の事を忘れはしない」
「親父にはちゃんと伝えておくよ。それと丘の上に眠るあんたの両親にもちゃんと報告しといてやるから安心しな」
特に九郎とヒノエが口にした別れの言葉ははっきりと将臣の耳に届いて、考え込んでしまった程だ。
けれどみんなが次々と時空の狭間に姿を消して行く。
そんな中、問い質す事も出来ずに、立ちつくして手を振って見送る事しか出来なかった。
「じゃあな」といつものようにさっぱりとした気持ちのよい別れをしたかったはずなのに、一人ずつ時空の狭間に姿を消して行ってしまうみんなを見ていると徐々に切なさが込み上げる。
“永遠の別れ”
そんな言葉が頭の中から離れない。
九郎もヒノエも景時も敦盛もリズ先生もいなくなってしまった。
白龍がすっとそれに続いて行き……
最後に残ったのは弁慶だった。
弁慶はじっと時空の狭間を見つめていて。
一歩、弁慶がそれに足を踏み入れるよう近づいた時。
将臣の中で何かが弾けた。
思い止めていたものがぷつりと切れたように。
弁慶の腕をがしっと掴む。
驚いた弁慶が将臣の方を振り向いた。
「将臣くん?」
「行くな」
それは決して言ってはならないと思っていた言葉。
「俺の側にいろ」
向こうの世界へ帰るために努力してきた事を知っていてなお。
止める事の出来なかった想い。
「お前が嫌だって言っても、俺はもうお前の事を手放せない。離してなんかやれない」
弁慶が目を丸くして呆然としていた。
望美と譲が2人並んで突然何を言い出すのかと呆れ返っている。
「俺はお前を元の世界には帰さないからな」
そう言って弁慶の瞳を射抜くように見つめる将臣。
真剣だ。
しかし、
「将臣くん何言ってるの?」
「兄さん、突然何をわけのわからない事言ってるんだよ?」
望美と譲が呆れながら口を挟んで来た。
そして。
「将臣くん?僕は元々ここに残るつもりですけど……?」
弁慶が申し訳なさそうにそう告げた。
「は?」
「あの……すみません。てっきり僕は将臣くんも承知しているものと……」
弁慶が気まずくなって望美や譲に助けを求めるようにそちらを見やった。
「兄さん、昨日のお別れ会での話、聞いてなかったのかよ……」
「そうだよ、弁慶さんがこっちの世界に残るって話してたじゃない」
そう言われて思い出したのは、お別れ会の時にみんなに囲まれていた弁慶の姿だった。
「将臣くんと一緒にいる事を弁慶さんは選んだんだよ。それなのに将臣くん、弁慶さんの話を聞いてなかったの?」
「薄情だな。弁慶さんは真剣に悩んで結論を出したっていうのに、その決意を肝心の兄さんが聞いてないだなんて」
みんなに囲まれていた弁慶がふと自分を見て笑いかけた瞬間が確かにあった事を思い出す。
「……あぁ……」
言葉に詰まる将臣に弁慶が心配そうに問う。
「僕はこちらに残るのが自然かと思っていたのですが……違ったでしょうか?」
弁慶が将臣との別れを惜しんでいないように見えた理由が今はっきりとわかった。
弁慶は将臣と別れるつもりがなかったからだ。
むしろ別れを惜しむべき相手は異世界へ帰ってしまう仲間たちだったからなのだと。
心の中の霧が晴れ渡ってゆくような感覚を味わう将臣。
「……いや……そんな事ねぇよ。むしろそう思ってくれてたんなら嬉しいさ」
思わず涙が零れそうになるのを何とか堪えながら、「ははは……」と力が抜ける笑いを漏らした。
潤む瞳を隠すように空を見上げる。
はらり―――
見上げた空いっぱいに敷き詰められた雲からひらひらと白い何かが落ちて来る。
将臣の頬にぴとっと冷たい感触が伝わった。
再び雪が降って来たのだ。
将臣は静かにそれを見つめる。
しかし昨日のような絶望はなかった。
はらはらと次々に舞い落ちて来る雪は、これからの未来を祝福してくれているかのようで、希望に満ちている。
頬に触れた六花の一片は、将臣の温もりに溶かされて、堪え切れずに流れた一滴の涙を隠してくれた。
「また雪が降ってきましたね」
弁慶がそう呟く。
「何だか綺麗ですね」
弁慶が将臣に微笑みながらそう言えば。
「ああそうだな」
将臣もまた、笑顔でそう返した。
掴んだ弁慶の腕を離さぬまま。
いつまでも2人、空を眺めて、異なる時空へと旅立ったみんなを見送るように寄り添っていた。
Fin.
「遙か」では珍しく英語で題名をつけてみました。
他に何も思い浮かばなかったんで……
すみません。
まあ将臣くんだし、運命の迷宮ネタだし、英語でもいいかなと。
|