2本の剣に誓う
まだ日は昇ったばかりの朝方。
静寂に包まれた森の中。
微かな風に揺れ、聞こえてくる木々のざわめき。
時折ばさりと音を立てて飛び立ってゆく鳥たち。
そして静かな朝に彩りを与えるかのような小鳥のさえずりがどこからか聞こえてくる。
陽はまだ昇りきっていないが、空は澄んでいて天気もよく、気持ちのよい朝だった。
久しぶりに高千穂の地へ戻って来た俺は、この周辺を変わりはないか確かめるように見回っていた。
そんな時。
滝が落ちる音。
流れる水の音。
俺の視界に入ってきたのは女人の姿。
様子を見るに水浴びの最中といった所だろうか。
岸には畳まれて置かれた服と、そのすぐそばには弓。
おそらくは水浴びをしている女人のものだろう。
武器を己の身から離れた場所に置いておくなど……
不用心すぎる。
隙を衝かれ、敵に襲われれば一発でやられてしまうだろう。
危険すぎる。
だから俺は注意してやった。
軽率だと。
それからいくらもしていないと思われる。
武器を手放す不用心な行為に苦言を呈してやった。
それにもかかわらず。
生い茂る茂みの中。
大木に寄りかかり背を預け、瞳を閉じてすやすやと眠る人影を俺は見つけた。
遠目で見ただけでは誰なのかよくわかりはしなかったが、金色の髪を持つ人間というのは珍しい。
すぐに先程の水浴びをしていた女人の姿が頭に浮かぶ。
きっとまた彼女に違いない。
そう思った。
注意したばかりなので再び説教をするのも気が引けるが、何度も注意しなければわからない相手らしいので仕方がないだろう。
軽いため息を吐きつつ、その人影に近づいて行く。
「……ん?」
近づくにつれてはっきり見えてくる。
その姿は先程の女人とは違ったので思わず目を見張る。
女性ではなく男……なのか?
不思議な色を持つ人間に二度も会うとは、何という偶然だろうか?
金色の髪はさらさらと風に揺らされていて、思わず手で梳きたくなるような柔らかな輝きを放っていた。
すぅーっと吸い込まれるように足が動いてゆく。
バサバサバサッ―――
突然、先程まで森の中に歌声を響かせて鳴いていた小鳥たちが一斉に飛び立って行った。
どうしたのかと首を傾げる。
ザッザッ―――
何処からか聞こえる足音。
次第に近づいて来るその音に不穏な空気を感じ、俺はそっと身構えた。
近づく気配から身を隠すように、大木の後ろに回る。
足音の主はやがて俺の視界にその姿を現した。
体格の良い2人組の男のようだ。
常世の国の者というわけではないようだったので、少しだけ緊張を解く。
……がしかし。
「おい、いたぜ」
「あれがニノ姫と一緒にいた?」
「見ろよ。あの金の髪。ありゃ化け物だぜ」
「ああ、恐ろしい。気味が悪いな」
「ニノ姫は王族で特別だから、他とは違う容姿をお持ちなのはわかるが……」
「ああ、あいつは得体が知れないぜ」
「どうする?」
「ニノ姫の連れだろ?あんまり余計な事をすると後がまずいんじゃないか?」
「何だよ、ここまで追って来て今更怖気づいてんのか?情けない奴だな」
「う、うるせぇな!じゃあお前、何かあったら責任取ってくれんのか?」
「はっ!ばれなきゃ問題ねぇって……」
2人の男の会話があまり穏やかではなさそうで、再び気を張って気配を殺し、息を潜める。
そして、2人の男が怪しげな気配で近づいても目を覚まさない金色の髪の少年を見つめた。
会話の内容からしても、あの少年にとってはよくない状況に進みつつある気がしてならない。
「常世の連中にやられたって事にしとけばいいんだよ!」
ぐいっ
「っ!?」
殺気を感じたその時だった。
1人の男が金髪の少年の腕をむんずと乱暴に掴んだ。
「……痛っ!?」
さすがにこれには驚いて目を覚ました。
呻くような声が漏れる。
「あんた達、何……?」
覚醒しきっているのかわからないような、弱々しげな声で。
それでも今この状況が思わしくない状況である事だけは理解しているといったような目で。
金色の髪の少年は2人組の男達を咎める。
「痛いんだけど……?」
掴まれた腕を離すようにと言う彼の言葉。
しかし、2人はそれを聞き入れようとはしていない。
それどころか、殺気は更に膨れ上がっている。
このままではあの少年が危険だと察知して。
俺は身を隠していた大木の陰から飛び出した。
ほぼ同時に。
ドカッ―――
問答無用で手加減なしの膝蹴りが、少年の鳩尾を見事に直撃する。
「ぐっ……!?」
そのままどさりと音を立てて崩れた少年に間髪容れず次の蹴りが襲う。
砂埃を上げながら行われた暴行に加え、男達は武器を手にした。
敵を殺す為の刃は朝日を浴びて鈍く光る。
まさか殺す気なのか―――!?
「やめろっ!」
俺は駆け寄る足を速め、腰に下げていた刀を引き抜く。
男の手に握られた刀の一振りが、少年に降り下ろされた瞬間……
ガキィ―――っ
静かな森の中。
木の葉から零れる朝日を浴びながら。
刀と刀がぶつかり合って。
二つの刃が交じわる音が鳴り響く。
2人の男の目が見開かれる。
1人は震える足で一歩後ずさり。
もう1人の刀を交えた男に至っては腰を抜かして尻をついた。
「か……葛城将軍っ!?」
「どうして……ここに……!?」
恐怖の色を滲ませて、「ひぃぃっ」と小さな悲鳴を上げる。
ちらりと倒れている金色の髪の少年を見遣ると、小さく咳き込みながらぼんやりとこちらを見つめていた。
眠っていた時には閉じられていたが、こうして開かれると瞳の色も珍しい色だった。
先程出会った女人のものと似ている色。
けれどもそれとはどこか違う色。
光の具合で蒼ともとれる翡翠の瞳。
全体的に色素の薄い少年の砂埃に塗れてしまったその姿が、より一層彼を弱々しく見せていて。
別に知り合いでもなければ、何の義理もない相手だったが……
無性に庇護したくなる衝動に駆られていた。
ただの外見のみで化け物呼ばわりし、何の抵抗もしていない相手に一方的に暴力をふるう彼らが許せない。
“―――化け物―――”
それは、俺が破魂刀を手にした時から周囲の者に言われ続けてきた言葉だ。
人としての力を超えたその力を、人々は恐れる。
恐れを抱く気持ちは理解出来るがそれでも……
悔しかった。
俺も同じ人間であるはずなのに。
違う生き物として見られる事が。
だからこそ重なる何かがあったのか。
いや、俺は武器を手にした武人。
だが、少年はただ寝ていただけだ。
すべてが同じ境遇というわけでもない。
確かな事は。
彼は俺と同じで人間だろうという事。
「これはどういう事だ?」
静かに憤怒の視線を男達に向けながら問う。
刀を納めぬまま詰め寄る俺に、2人は怯えながら頭を下げた。
「も、申し訳ありません!」
「これはその……っ!」
言い訳を必死で探し、口ごもる。
言い訳などいくら考えようとも無駄な事だ。
大体の一部始終は俺も見ていて知っているのだから。
「我々の戦うべき相手は常世の兵ではないのか?無抵抗の人間を傷つける行為は人徳を疑う」
「……くっ……」
何も言い返せず、ただ恨めしそうに、それでもこの俺を恐れ震えている男達。
俺はそんな彼らに更に詰め寄るように視線を突き刺した。
“貴様らはこの俺が一から性根を正してやるから覚悟をしておけ”
そう言い放とうと口を開く。
だがその言葉を口に出す前に。
俺の後ろで声がした。
「もういいよ……」
はっとして振り向けば。
少年が立ち上がり身体の砂埃を払っている所だった。
ふらつく足元に不安を感じるものの、思っていたよりは大事に至っていないようで安堵する。
しかし、彼の儚げな声に不満が募る。
「僕が悪いんだから」
諦めたような瞳で。
「僕は忌み子だから……」
そんな事を言うから。
「厄介者扱いされても仕方がないさ」
苛々する。
何故そんな事を言う?
悪いのは2人の男達の方であって、この少年ではない筈だ。
別にこの少年の事を知っているわけではないからはっきりとは断定出来ないが。
簡単に許しては駄目だ。
そう思うのに、被害に遭った本人が許してしまうのならば、俺がどんなに男達を罰したところで意味はない。
いや、今後このような事が再び行われぬようにするためには罰する事も必要かもしれないが。
少年よりも俺の方が怒りの表情を見せている事がおかしくて、余計に苛々した。
「何故そのような事を言う?」
静かに、目を細めて、この世界では珍しい色の瞳を見つめる。
「君に非はないのだろう?」
「好きでこんな異形に生まれたわけじゃない。それでもこの僕は僕の意思には関係なく災いを招くんだ」
風が神秘的な金色の髪を揺らせば、木洩れ日にキラキラ輝く。
こんな色を持つ者を俺は他に知らない。
いや正確には今日出会った女人とこの少年の2人だが。
不思議なものだ。
確かに普通と異なるものには恐れが生まれるかもしれない。
とは思う。
この俺でさえ、本音を言えばこの金色に呑まれる気がした。
それでもこうして言葉を交わしてみれば、他の人間と何ら変わりはない。
先程出会った女人もこの少年も我々と同じ人間だった。
他の者にはないその金の色は“妖艶”という言葉がしっくりくる。
人目を惹くその色は、不可思議で怪しくも美しい色だ。
この色が災いを呼ぶものだと言うのだろうか?
俺にはそうは思えなかった。
金の髪は夜の闇を照らす月の色に似ている。
この世界で唯一無二の存在。
まるで少年の髪は空に輝き地上を照らす月のようだと感じた。
天に浮かぶ月には手が届かない。
それでも今手を伸ばせばこの少年には触れる事が出来る。
これは好奇心か?
それとも不思議な色に魅せられたのか?
無意識のうちに手が伸びた。
さらりと。
俺の手に柔らかい滑らかな感触が指の隙間をさらさらと流れて行く。
触れた金色は朝日に照らされて白く透き通るように輝いていて。
先程砂まみれになっていなければもっと燦爛としていたかもしれない。
「綺麗だな。まるで太陽が昇った後も青い空に白く姿を残した月のようだ」
「ちょっといきなり何してるのさ?」
「月に触れる事は出来ないが、君のその髪はとても柔らかくて触り心地がよいな」
「はあ?」
「この髪が災いの元だというのは解せん……」
「あんた、何言ってんの?」
「俺は君が忌み子などだとは思えないと言っている」
少し言葉を詰まらせた少年が、俺をまじまじと見つめていた。
俺も少年をまっすぐに見つめ返す。
「それでももし、その色が災いを招くというのならば……」
俺は手にしていた刀を鞘に納めると腰に下げていたもう1本の刀も含めて2本の刀をすっと少年の目の前に差し出した。
「この剣に誓って俺が君に降りかかる災いを打ち払ってやろう」
少年は目を丸くして「なっ!?」と驚いたきり言葉を失っていた。
俺も何故そのような事を言ってしまったのだろうかと思う。
出会ったばかりの名も知らぬ少年に。
どうしてこんな約束をしてしまうのか自分で自分の言葉が信じられない。
だがこれだけは言える。
俺はこの寂しげな翡翠と柔らかな金色に少しの興味を持ってしまったのだと。
背を向けていた2人の男達に、俺は振り向かず告げた。
「そういう事だ。今回は見逃してやるが、今後再び彼に手を出すつもりならば俺が打ち払う。覚悟しておくんだな」
冷たく放ったその言葉を聞いた2人の男は了解の返事を返すとそのまま逃げるように去って行く。
まったく情けない。
それでも彼らが二度と少年を傷つける事がなければいいと思う。
2人の男が立ち去って行った後。
少年がやっと口を開いた。
「あんたに振り払える災いなら僕が自分で払えるよ……」
そんな事を小さく呟く。
余計なお世話だとでも言うように。
「言っとくけど今だって、あんたがいなくても自分でどうにか出来たさ」
儚げに見えてどうやら彼は強気な面も持っているようだ。
「ならば1人で払えぬ災いを2人で払えばいい」
少年の呟きにそう返してやれば。
「おせっかい……」
とそっぽを向かれてしまった。
それでも嫌がっている雰囲気はなくて。
少年とはいえそれなりに成長した男であるにもかかわらず、恥ずかしそうに視線を逸らすその姿が可愛らしいと思ってしまったのには自分自身も驚いた。
「ところで何故こんな所で寝ていた?不用心だぞ」
気を紛らわせようと話を変えて俺は問う。
「砦の中にいる連中が今日は早起きしすぎで煩くて眠れなかったんだよ」
砦とはこの近くにある師君のいる国見砦の事だろうか?
今まで砦でこの少年を見た事はなかったが。
それでもあそこにいると言うのならば今後も共に行動する事があるかもしれない。
災いを打ち払ってやると約束した手前、それは都合がいい。
「だからと言って武器も持たずに出歩くのか?」
「僕は鬼道使いだから刀とかは元々使わないんだよ」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」
一見武器を持っていないためわからなかった。
術者には詳しくないので彼がどのくらいの力量なのかは見極められない。
それでも何となく弱いわけではなさそうだと思った。
彼の言うように、本当に先程の2人の男も1人で対処出来たのだろう。
「だがやはり1人外で寝るのは無防備すぎる。せめて次は俺に言え」
「何で?大体あんた何?誰?」
「俺の名は葛城忍人だ。狗奴の兵を率いている」
「ふ〜ん」
「国見砦には俺の師君がいる。今後も顔を合わせる事になるだろう。困った事があれば言うといい」
少しだけ黙った少年は俺の目をじっと見つめていた。
森の中の静寂は微かな音をも響かせて。
さわさわと風に揺れる。
少年の金色の髪がさらさらと流れ、再び俺はそれに目が奪われた。
「初めて会った相手によくあんな約束が出来るよね」
ぽろりと言葉を零し呆れたような表情を見せる。
そして。
「でもまあ……一応礼は言っておくよ」
風の音に混じって消えそうな程小さな声で、そう少年が呟いた。
心地よい風が耳をくすぐるように、俺の耳にその声が届く。
人から礼を言われてこんなに嬉しいと思った事はないかもしれない。
こうして俺は後に“那岐”という名を知り、彼との約束を果たすため、共にニノ姫の軍で戦場を歩む事になるのだった。
Fin.
2人の出逢いを書きたかったんですが……
上手くまとまらず……
ブログで投下したSSを除けば初の忍那SSなんですけど、こんなんでスミマセン……
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