一筋の赤に口づけを
チナミが神子たちと一緒に行動を共にするようになってそれなりに時が経つ。
最初は天海に言われるがまま、仕方なくといった形だった。
だが共に行動する内に、それなりの情というものが生まれて来る。
今では神子たちと共に行動するのが当たり前になっていた。
あれ程嫌がっていた異人。
アーネストとも行動を共にする事が増えて、正直はじめの内は勘弁してもらいたいと思っていたチナミだったが、時が経つにつれ嫌悪感も薄らいでいた。
日本人とは違う色素の薄いキラキラと輝く金色の髪。
それは日本人に囲まれると殊更際立ち、良くも悪くも人々の目を引く。
瞳の色だってそうだ。
まるで硝子で出来ているかのような透き通る翠色。
鎖国していた日本ではこのような容姿を持つ人間を見慣れていない。
故に異なるそれを恐れる。
まるで化け物を見るように警戒して。
過去に鬼の一族という存在が京を支配しようとしていた事があると伝えられて来たせいもあり、日本人にはないその容姿は恐怖と憎悪の対象となるのだ。
隣国が西洋の国に戦で負けたという事実もあり、日本も二の舞になるかもしれないという不安もあった。
我が身の危険を感じ警戒する者たちが、簡単に異国を受け入れられるはずもない。
国を守るためには異人を排除しなければ。
そういう考えがやがて攘夷という思想として強まり、チナミもこの思想に賛同した。
異人は敵だ。
そう強く思っていたというのに。
まさか自分自身が異人と仲間として行動を共にするとは思っていなかった。
そう考えながら宿の一室で本を読みふけっているらしい一人の人物を見遣るチナミ。
今この部屋にいるのはチナミとアーネストの二人だけだった。
男女が同じ部屋で寝るというのは問題なので神子とは別室になっているし、他の八葉たちはどうやら皆出払っているらしい。
以前は毛嫌いしていたはずの異人と二人きりというこの状況にチナミは落ち着かず、そわそわとしてしまう。
だがアーネストの方はチナミの存在などまったく気にした様子はなく、いつも身につけている手袋を外してくつろぎ、一冊の本に夢中になっていた。
普段大人びているせいか気づきにくいが、無防備になると途端に幼さを覗かせる。
一体何の本を読んでいるのかはわからなかったが、それでもまるで子どものように目を輝かせながら文字を追っている様子が何だか可愛いとさえ思えてしまったのだった。
異人に対してそのような感情を抱くなど……
しかもあのいけ好かないと思っていたアーネストに対してそんな事を思うなどありえない。
チナミは軽く己の頭を振ってその感情を追いやろうとした。
だが、明るく照らす陽の光が外から入り込み、彼の髪をより一層輝かせると。
眩しいくらいの金色に思わず魅了されて、チナミは不覚にも「綺麗だな」などと漏らしてしまった。
我に返ってハッとする。
何を馬鹿な事を考えているのだと。
あれ程嫌っていた異人の髪だというのに。
綺麗だなどと思うなんてどうかしている。
誰に聞かれたわけでもない己の呟きに自分自身が叱咤した。
思わず目を逸らす。
これ以上見つめていたらまた余計な事を考えてしまいそうだったから。
けれど目を逸らしてみても一度気になり出すと簡単には忘れられず。
ぺらりと音がすると同時に、長くて細い指が本の頁を捲る動作を思い起こさせた。
そういえばいつも手袋をしていたからあまり手を直接見た事がなかったなと。
神子の世界へ行く時は服装も変わり、彼の素手などいつでも見られるわけだが……
向こうの世界へ行ったら行ったで慌ただしいため、ゆっくりのんびりしていられる時間は少ないからわざわざ彼の手をじっくり見る機会なんてない。
そんな事を思いながらまた無意識の内に視線が彼を追っていた。
武士でもないただの外交官であるアーネストは本来武器など持って戦う事をしない。
この日本は異人にとって危険すぎる土地であるが故、身を守るために銃を持たされただけなのだ。
人と争う事を好まず、出来る事なら話し合いで問題を解決したいと考える人間である。
口は悪いが八葉の中で一番の平和主義者と言えるだろう。
そんなアーネストは普段から武士として鍛錬し、武器を振り回している男たちとは筋肉の付き方からして違った。
日本人と比べて身体は大きいようだが、すらりとしていて全体的に細い。
武器を扱うごつごつとした男の手を見慣れていたチナミは思わずアーネストの手を凝視してしまった。
「やはり綺麗だな……」
再び漏れた呟き。
その呟きと共に自然とチナミはアーネストに近づいて行った。
思わず伸ばした手が本の頁を捲る指に触れる。
「「あっ……」」
お互いの声が重なり、触れた指がびくっと震えた。
本に夢中になっていたアーネストは突然の接触に驚いたようだ。
そのままどさりと本を落としてしまった。
「……っ」
それと同時にアーネストの眉が顰められ、小さな呻き声が漏れる。
「わ、悪い!」
自分がアーネストの指に無意識に触れた事にもびっくりしたが、近づく気配をまったく感じる事無く本を読み続けていたため肩を揺らす程に驚かせてしまったらしい様子に申し訳なさを感じたチナミ。
慌てて手を引っ込める。
何故こんな行為に出たのか自分で自分がわからず混乱していた。
だがその混乱はすぐに別の物に変わった。
チナミが触れたその指から一筋の赤が滲んでいるのが見えたのだった。
じわりと滲み出るそれはまさしく血である。
何が起こったのか?
畳の上にどさりと落ちた本に視線をやるとその原因が知れた。
先程チナミが触れた際、驚いて本を落とした時に指を切ってしまったのだろう。
このご時世。
武士ならば小さな傷など日常茶飯事だ。
紙で指を切ったくらい、騒ぐ程の事じゃない。
だが。
どんなに小さな傷でも痛いものは痛いだろう。
まして自分が原因で傷を負わせてしまったというなら尚更気になってしまう。
「おい!だ、大丈夫か!?」
チナミは慌ててアーネストの腕を取ると切れた指をじっと見つめた。
「……大丈夫ですよ、これくらい……」
それなりに怨霊との戦いを経験している身なので小さな傷でわざわざ騒ぐのは大袈裟だと思われる。
しかしチナミはアーネストの腕を掴み、一筋の赤をいつまでも凝視していた。
チナミの慌てっぷりにアーネストは呆然としていたが、いつまでも指を見つめられてはさすがに居心地が悪くなってしまう。
「本当に大した事はありませんから……」
そろそろ腕を離してもらえませんか?
そう口にしようとした。
だが、その言葉よりも先にチナミの言葉が部屋に静かに響き渡る。
「同じなんだな」
それが何を意味する言葉なのか。
アーネストはすぐに理解する事が出来ず、「はい?」と首を傾げた。
掴まれた腕を振り払う事さえ忘れ、チナミの言いたい事が何なのか、その言葉の意味を探ろうとチナミの顔を覗き込む。
それでもチナミの視線はずっとアーネストの指先に向けられたまま。
滲む血をじっと見つめているようだった。
「髪の色も、瞳の色も……お前たち異人はオレたちとは違う。……だが……」
少し憎しみが込められた表情と口調で紡がれる言葉。
けれども出会った当初、殺意を向けた時とはまた違う感情が渦巻いているようで。
大人しくチナミの次の言葉を待つアーネスト。
チナミは指先から流れ出る血を睨みつけるように見つめ、怒りの感情とも哀しみの感情とも取れる声音で続きの言葉を呟いた。
「この身に流れる血の色は……同じ赤い色をしている……」
指先から流れ出た赤い血を見つめる瞳がゆらりと揺れて、激情を含みつつも慈しむような視線が注がれる。
「異人も……オレたちと同じ人間なんだな……」
最後の言葉は本当に小さな声で、目の前にいるアーネストにすらきちんと聞き取れない程だった。
ただチナミが何を言いたいのかは理解する事が出来て、何を今更と思う反面、あのチナミがそのような事を言った事に少し感動してしまう。
出会った当初を思えば尚更だ。
「何を言い出すかと思えば……It is not surprising……」
どう表現したらいいのかもわからない複雑な気持ちになりながら。
ため息を一つついて呆れたように当たり前の事だと呟いた。
英語を理解出来ないチナミは彼の口から零れた聞き慣れぬ言の葉に少しだけ眉を顰める。
英語で呟かれた言葉の意味が理解出来なかったチナミは悔しそうに視線を指先からアーネストの瞳へと移す。
何か悪口を言われたのかもしれないと思い翠の瞳を覗き込むが、刺々しさを感じる事はなく、どこか困ったような表情で、視線を宙に彷徨わせている姿から気恥かしそうにしている様子が窺えた。
チナミがアーネストを気遣う姿が珍しかったのかもしれない。
呆れた様子を見せつつも、あれ程嫌っていた異人に対して同じ人間だと認めてもらえた事が嬉しかったのかもしれない。
掴まれた腕、じっと向けられる視線にほんの少しの動揺を見せている。
それがやはり普段の姿より幼さを感じさせ、チナミの鼓動を速めてゆく。
今までは日本人と違う異人に対して憎悪の塊のような感情を抱いていたけれど。
出会った頃にはなかった感情が少しずつチナミの中で大きく膨らんでいるのは嫌でも自覚し始めていた。
認めたくはなかった。
それでも彼の姿を見つめると思わず見惚れていたり、言動の一つ一つにどきっとさせられたり、感情を揺さぶられているのがわかる。
無意識に触れたいと願い、傷つけてしまったら慌ててしまい不安になって自責の念が募る。
怨霊との戦いで傷つく事も珍しくないのだから、アーネストの血だって初めて見たというわけでもないのだ。
ただ深く考えた事がなくて、こうして改めてふと気づく事があったというだけ。
「お前は……オレたちと同じ人間だ。だから……」
攘夷という思想は未だに持ち続けているし、この国を守るためにも兄の志を継いで行きたいとは思っている。
それでも“異人”という枠で一括りにし、排除しようとするのではなく。
一人の人間として、アーネストという男と向き合いたいと思う。
仲間として行動を共にする内に少しずつ認めて来たチナミだったが。
今この時、心からそうはっきりと思えるようになった。
チナミの中に生まれたアーネストに対する感情が何であれ。
否定してばかりではなく、受け入れていこうと。
「……好きになってもいいんだよな……?」
最後の小さな呟きは目の前にいるアーネストにすら届かぬ程の声だった。
掴んだ腕を更に引き寄せて。
ぱくり。
一筋の赤が滲む人指し指。
チナミはアーネストの指を軽く咥える。
そのまま小さな切り傷から滲む血を舐め取ってゆく。
驚いたアーネストが慌てて手を引っ込めたが既にその指は濡れていて頬を赤らめた。
「チナミくん!?何するんですか!?」
「オレの所為で出来た傷だ。この程度なら舐めておけば治るだろうしこれでいいだろ?」
「…………」
アーネストが慌てて頬を染め、視線を泳がせる姿が新鮮でチナミは可愛らしいなと思ったが、その後で自分のした事を思い返し、自分も恥ずかしくなって二人して顔を真っ赤にしてしまっていた。
「い、いや……悪い。血が出ているのを見てじっとしていられなかったからつい……。べ、別に俺がお前の指を舐めたかったからではないからな!」
「そ、そんな事はわかっていますよ……誰も好き好んで男の指など舐めたりしないでしょう?びっくりさせないで下さい。このくらい本当に大丈夫なんですから……」
「……あ、ああ……そ、そうだな……」
好き好んで男の指など舐めない。
その言葉にチナミは引っかかりを覚える。
心の中で否定する。
他の男であればもちろん嫌悪する行為だが……
アーネストに対しては嫌悪感などない。
それどころか……むしろ……
未だに己の唾液で濡れた指をちらりと見遣れば、心臓の音がばくばくと激しく鳴り響く。
ついアーネストを見つめてしまった事も、その指に触れてしまった事も、指から流れる血を見て思わず銜えて舐めてしまった事もすべては無意識でしてしまった事。
好きだと気づいてしまった今。
アーネストの事を考えるだけで鼓動が速くなる。
「何故よりによって男の……しかも異人の……嫌いだと思っていたサトウなんかを……」
そう自嘲じみた呟きを漏らしつつ。
もうこの想いは止める事など出来ないのだと悟ったチナミはこれ以上二人きりでいたら心臓が爆発してしまいそうで。
適当な理由を述べると慌てて部屋を飛び出してしまう。
「……Whatever is the matter……?」
部屋に一人残されたアーネストはチナミの想いなど知る由もなく、慌てて飛び出して行った様子を見て一体どうしたのだろうか?と首を傾げる事しか出来なかったのだった。
Fin.
5で初SSがチナミ×アーネストになるとは……
自分でもびっくりですが……
いやチナミ→アーネストですかねこれ……
5はアーネストでちまちま書いて行こうと思います。
チナミくんは片想いが似合いそうなのでそんな感じのが多くなるやもしれません。
総司さんも加えて朱雀組+アーネストもいいな。
可愛い片想いで恋敵同士の戦いとか。
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