陽気な“ひーろー”




今の京はあまり治安がいいとは言えない。
様々な思想と志を持つ者がいて。
思い描く未来が食い違う人々の間で衝突が絶えず。
自分たちとは異なる者を排除しようとする。

同じ日の本の国の人間同士でさえ争うこの時勢。
外見からして異なる異国の人間を快く受け入れられぬ者は少なくなかった。

異国の者を排除しようと攘夷の嵐が吹き荒れ、この国は外国人が一人で出歩くには危険すぎる場所。

だからイギリスの外交官であるアーネストはいつも誰かに警護してもらわなければ外を歩き回れぬ身であった。
八葉として神子と共に行動する事になった今でもそれは変わらないのである。

八葉の誰かと共にいる時はいい。
八葉には錚々たる人物が集まっていたりするので、ある意味腕利きの護衛が揃っていると言っていいだろう。

けれどアーネストは本来イギリスの外交官であり、八葉としての務めばかりに専念していられるわけではない。
常に八葉たちと一緒というわけにはいかないのである。
他の八葉だって同様、己のやるべき事がそれぞれあって別行動になる事も少なくない。

中でも高杉は一人抜ける事が多いためここ数日間ずっと不在だ。
そして。小松も薩摩の家老という身分であり用事があるらしく本日は行動を共に出来ないとの断りがあった。
総司は新選組に戻って報告する事があるからと言ってつい先刻仲間から抜けたばかり。

残った者たちだけで怨霊と闘っていたわけだが、流石に戦闘が何度も続けば疲れてくる。
神子は特に消耗が激しかったらしくふらふらだ。
この状態で更に怨霊を浄化するのは危険だろう。
そこで今日の所は宿へと戻る事となった。



そんな時。
アーネストが用事があるから公使館に戻ると言い出したのだった。

「Excuse me……すみません。今日はやらなければならない仕事がありますので、私はそろそろ失礼します」

突然の言葉に皆がアーネストを振り返り彼を見る。

「え?そうなのかい?でもお前さんだって疲れてるだろ?少し休んでからの方がいいんじゃないか?」

それなりに鍛えている瞬や龍馬やチナミたちと違って八葉の中では体力的に劣るアーネストは神子程ではないとはいえ疲労の色が見えていた。
それは誰の目から見てもわかる程で。
心配した龍馬が休憩を促す。

しかし本人は。

「いえ。大丈夫ですよ」

平気だと装う。
まったく平気そうに見えないというのにだ。

「それに、きちんと仕事をしないと後で公使がうるさいですから……」

皮肉を込めた呟きは本音だろうけれど。
そのまま一人。
神子たち一行から抜け出そうとする様子にさすがに皆が慌てる。

「おいおい。戻らなきゃならんのはわかったが……」

龍馬が去ろうとしたアーネストの肩を掴んで引き止めた。

「まさか一人で戻る気かい?危ないだろ?警護の者は誰かいないのか?」

いつもアーネストの周りについている警護の者の姿が今はない。
八葉としての務めを果たしている最中は八葉が護衛のようなものだったから。
神子と共にいる間は普段警護についている者はいなくなってしまうのだ。
大抵、アーネストが公使館に戻る際に迎えに来るのだが。
今日は突然だったためその迎えはないようだ。
となればアーネストは一人で戻らなければならないという事になる。

「……確かに不安ですが。ここからなら公使館もそう遠くはないですし……何とかなるかと思います」
「そんなわけにはいかん!お前さんに何かあったらどうする!?」

心底心配になった龍馬は大声でそう言うとアーネストの肩に腕を回し圧し掛かった。
疲れた身体に体格のいい大人の体重が乗っかって来たのである。
アーネストは耐え切れずによろけてしまう。
その様子を見た龍馬が少しだけ申し訳なさそうに離れると。

「どうしても戻らにゃならんって事なら、俺が公使館まで一緒に行くぜ?」

そう提案した。
自分が警護すると。

「そんな……悪いですよ」

遠慮がちにアーネストが龍馬を見遣る。
だが龍馬は笑顔で「気にするな気にするな」とアーネストの背中を軽く叩いた。

「……いくら近いとはいえ……公使館まではそれなりに距離があるしね……」

一人で戻らせるには不安があるのは龍馬だけではない。
桜智がぼそりと漏らした言葉に。

「過激な攘夷派はどこに潜んでいるかわからないからな。あまり油断しない方がいいだろう」

以前は異人の姿を見ればすぐに刃を向けていたチナミが忠告する。
その忠告に静かに頷く瞬は、暗に八葉が欠けるのは困ると言っているようだった。

さすがにこの場にいる全員から止められては、仕方がないと。
アーネストは肩を竦ませながら龍馬に向かって軽く頭を下げた。

「わかりました。では、お願いします。龍馬さん」
「おう、まかせとけ!」

一緒に公使館へ行く事を承諾したアーネストに龍馬はどこまでも明るく元気な弾む声でそう言った。
今日一日。
同じ距離を歩き、共に怨霊と闘っていたというのに。
まったく疲れた様子を見せない龍馬にアーネストはため息をつきながら彼と共に公使館へと歩を進めたのだった。



公使館までの道をゆっくりと歩く。
アーネストの疲れきったような足取りに龍馬は歩調を合わせながら。
決して置いていかないように。
横へと並んで進む。
話したい事はたくさんあったが、きっと疲れたアーネストには負担になるだろうといつもより控えめな口数で。

それでもずっと無言というのも寂しい龍馬は公使館までもうすぐという所で。
横から顔を覗き込み、アーネストに声をかけた。

「なあ、アーネスト」
「はい?」
「あんまり無理はしなさんな」

疲労の色を隠し切れていないアーネストを気遣って。
そう口にしたのだが。

「……無理なんてしていませんよ?」

やっぱり簡単には認めない。
誰が見ても明らかなのに。
だから龍馬は思いっきり呆れた顔をして告げる。

「いや、してるさ。走り回ったり、武術の鍛錬をしたり、俺たちが当たり前のようにしている事も、あんたは普段していないだろ?」

外交官の仕事を考えれば。
アーネストが武士のような鍛錬をしているとはとても思えない。
それなりに行動を共にしてきたのだからわかる。
八葉の中で一番体力がないと。

「そんなあんたが俺たちと同じだけ動いてたら負担になるんじゃないか?」

それは決して馬鹿にしているわけではない。
龍馬の思いやりから来る言葉だ。

「だから無理はするな」

好意を持っている相手に対する心添えである。
口調はとても柔らかくて嫌味なんてこれっぽっちもない。

「別に仕事を疎かにしろとか、八葉の使命を適当にしろとか言ってるわけじゃないさ」

ふと立ち止まり、龍馬の表情が変わる。
それにつられて足を止めたアーネスト。
どうしたのかと龍馬の顔を見つめれば。
先程までの飄々とした雰囲気とは違う真剣味を帯びた真っすぐな視線がアーネストを捉えていた。

「もっと俺たちを頼って欲しいって事だ」
「……え……?」
「更に言うと、出来れば他の八葉の誰よりも、俺を頼ってくれたら嬉しいんだがな」
「龍馬さん……?」

龍馬の言葉に呆然とするアーネストの腕を取って引き寄せる。
突然の行為によろめき龍馬の身体に抱きとめられたアーネストは事態が呑み込めず目を瞬かせた。



「俺は……お前の“ひーろー”になりたい」



何を言っているのか?
理解出来ずぽかんと口を開いて。
混乱する頭で龍馬に抱きしめられたままのアーネスト。

人気の少ない場所のおかげで誰にも見られてはいないだろうけれど。
さすがに道の真ん中でそんな事をされて。
やがて恥ずかしさが込み上げた。
まるで愛の告白のようだったのだから。

「な、何を言っているのですか!?そういう事は好意を寄せる女性に言ってあげた方がいいです!」

両手で龍馬の胸を押し退け、身体を離すと頬を真っ赤に染めながらそう叫んで。
ふらついた足取りで駆け出す。

公使館は目前だ。
すでに視界に入る距離。
一気にその場を目指していた。

「あ、おい!疲れてるのに無理に走るなって!」

危なっかしい足元を見て注意する龍馬だったが。
そんな言葉はアーネストの耳に入らず。
後一歩で公使館という所で石に躓き盛大にすっ転んでしまう。

「ああほら、言わんこっちゃない……大丈夫か?」

慌てて駆け寄った龍馬が手を差し伸べその身体を抱き起こすと。
優しく気遣う彼につい素直に「ええ大丈夫です。ありがとうございます」と礼を述べたアーネスト。
しかしその後で、己の手を握り、身体を抱きかかえる龍馬に。
再び羞恥心が湧き上がり、赤面すると彼の手を振り払い立ち上がった。

「……あなたが親切なのはわかりましたが、こんな風に身体を抱くなんて好きな女性にするような事を男にするのはよくないですよ!」

そう吐き捨ててアーネストはそのまま公使館へと姿を消して行く。



残された龍馬が頭を掻きながら。

「……いや……俺の好きな相手がお前さんなんだがなぁ……」

ぽつりと一人呟いた言葉はもちろんアーネストに届くはずもなかったのだった。





Fin.





龍馬さん初対面の時からアーネストに興味津々で絡んでいたので素敵な組み合わせだなと。
あんな感じでずっと付きまとっていればいいと思います(笑)