Love token
「アーネスト!ちょいと付き合ってくれ!」
「はい?」
突然。
何の前触れも無く。
公使館へと押し掛けて来た龍馬。
予期せぬ来訪者に唖然としていたアーネストは腕を引かれて外へと連れ出された。
「龍馬さん、待って下さい。私はまだ了承していませんよ」
「まあいいからいいから!」
「あなたはよくても、私は困ります。後で公使に怒られたらどうするのですか?」
困った顔で見つめるアーネストだったがそれには構わず歩を進める龍馬にどうしたものかと考えあぐねる。
「大丈夫だって、ちゃんとお前さんを借りるって置き手紙に書き記しといただろ」
「……それは日本語ででしょう?公使に伝わるかどうかわかりません」
「別に子どもじゃないんだ、多少留守にしてたって文句言われんさ」
「……仕事を放り出して出かけていたら怒られますって。まあ今回の場合あなたがいきなり公使館に入り込んで有無を言わさず私を連れ去ったのですから責任はあなたにありますが?」
「まあまあ、少しくらい息抜きしたって問題ないだろ」
「……本来公使館はこの国の人が勝手に入り込めない場所のはずですから大問題な気がしますよ?たまたま公使が留守だったからよかったですけれど……」
「そりゃあ誰もいない時を狙って来たからな!どうしてもお前を連れ出したかったんだ」
「…………」
勝手な言い分で無理矢理連れ出され、内心ため息を吐いた。
ほんの少しの抵抗で腕を引っ張り返そうとしたけれど、力の差で敵わない。
けろりとした表情のまま、まるで引き摺るように先を進むものだからアーネストは腕が痛くて顔を顰めた。
「……ちょっ、強引すぎます!」
あまり乗り気ではないアーネストを。
龍馬はお構いなしでぐいぐい引っ張り、京の町中を歩いて行く。
すれ違う人々から奇異なものを見るような視線を向けられても素知らぬふり。
日本の若者が異人の腕を引っ張り連れ回す姿など、珍しい光景すぎて注目の的だった。
アーネストは恥ずかしさのあまり俯いたが、その戸惑った様子が更に町の人々に不思議な印象を与える。
異人は恐ろしい存在だと認識している者からしたら、日本人に腕を引かれて困惑し恥ずかしがる姿を見るなど珍事だろう。
それがまた大きな子どものようで可愛らしいのだから。
「龍馬さん、せめて説明して下さい。どこへ行くのですか?」
付き合わされる事は決定事項のようだと諦めたアーネストは龍馬に問いかけた。
アーネストが抵抗しなくなった事で腕を引く力を緩めた龍馬は嬉々として笑いかけ、とある方向を指さす。
「向こうの通りで今市場が開かれてるのさ!」
「……市場?」
子どものようにはしゃぐ龍馬にアーネストが首を傾げながら指さされた方に視線を動かせば。
人通りが多く、賑わっている場所が確かにあった。
「色んな場所から色んなもんが出回ってるらしい。珍しい品が見つかるかもしれん!」
「それで、どうして私を連れて来たのです?」
「一人で見るより二人の方が楽しいだろ!」
「誘える人は他にもいるでしょう?」
「俺はお前さんがいいからお前さんを誘った。それじゃ駄目か?」
「……私は仕事中だったのですが……」
楽しげな龍馬をアーネストが迷惑そうに、不機嫌を隠さずに見つめてみても、然程気にした様子はなく、軽く頭を掻いて。
「悪い悪い!こればっかりは他の奴じゃ駄目なんだ」
向ける笑顔に、どこか特別な感情が混じる。
けれどもそれに気づける程気配に敏感ではないアーネストは、自分に向けられている好意など知らずにため息をつく。
「何故私なのですか?」
まったく理由がわからない。
龍馬は顔が広いのだからいくらでも知り合いはいるだろうし誘える相手は他にもたくさんいるはずだ。
わざわざ京の町中から外れた場所にある公使館まで足を運んでまで。
しかもわざわざアーネストが一人でいる時を見計らってまで誘いに来なくてもいいだろうと。
どうせならばゆきたちを誘えばいいのに。
可愛い女の子と一緒の方がきっと龍馬だって楽しいはずだ。
そう思ったから、龍馬の行動が理解出来ない。
しかし返ってきた答えにアーネストは目を瞬かせた。
「お前に見せたいと思ったんだ。京を見て回りたいけど異国の人間は町中を歩きづらいって言ってただろ?だから俺がお前さんを連れ出してやろうと思って」
「………………」
そこで初めて龍馬に気遣われているのだと気づき始める。
口をぽかんと開けて少し驚いた様子を見せた後。
やれやれ、強引でおせっかいな人だなぁ……
とアーネストは思った。
憧れを抱いていたこの国。
攘夷という思想で打ち砕かれたとはいえ。
未だこの国を嫌いになりきれない、どこかにまだ燻ぶる情熱に。
突き動かされる衝動を抑えきれない。
こっそり日本の事を学ぶ己に呆れつつ、もっと知りたいと願う。
遠く海を隔てて存在するこの国にせっかくやって来たのだから。
自分の国とはまるで違う世界をこの目でもっと見て回りたいと思うのは自然だった。
もしも。
日本人が寛容に異国の人間を受け入れてくれたならそれは可能だったかもしれないが。
残念ながら今の日本ではアーネストが自由気ままに行動する事は出来そうにない。
「ほら、見ろよ!市場が賑わってる!なあ、こういうのは嫌いか?」
「……いえ……でも……私には場違いな気がします……」
「大丈夫だ、俺がついてるからな!何かあったら俺がお前を守ってやる!」
躊躇い。
気後れするアーネスト。
何度も攘夷派に命を狙われて来た。
その度に恐い思いもした。
警護の者が己を逃がすために身を挺して戦ってくれた事もあった。
いくら龍馬が実力のある男だとは言っても絶対大丈夫なんて事はないだろう。
大勢で襲ってきたらどうするのだと。
そうなったら迷惑をかけてしまうかもしれない。
だからこの誘いは断るべきじゃないのかと。
思い迷ってしまう。
だが。
「ほら、行こうぜ!」
悩むアーネストの腕を何の躊躇もなく引いて何処までも明るい声でまた強引に話をつけ歩調を速める。
「ああまた、強引に引っ張らないで下さい」
そして再び腕を引き、駆けて行く龍馬に連れられて、戸惑いながらもアーネストは賑わう市場の真っ只中へと足を踏み入れたのだった。
多くの色版を用いられた錦絵。
金箔や銀箔を散らした屏風絵。
細やかに絵付けされた陶磁器。
漆を塗り装飾が加えられた漆器。
木や竹を使った様々な工芸品に。
小松も自慢の薩摩切子などなど。
イギリスでは滅多に見られない珍しい品々。
「Wow! Great! やはり日本のものは繊細で美しいですね……」
ぽつりと本音を零したアーネストに龍馬が満足した様子で頷いた。
「気に入ったかい?そりゃよかったぜ」
「……いつも気兼ねなくこんな風に日本のものを愛でられたらいいのですが……」
目移りしそうなくらいたくさんの物が市場にはある。
どれもこれも見慣れない物ばかりで。
躊躇っていたのが嘘のようだ。
アーネストはいつの間にか龍馬がいる事を忘れそうになるくらい夢中になっていた。
「How exciting……」
まるで子どもがはしゃいでいるかのようにわくわくしながら日本で作られた品の数々を眺めて歩く。
先程はしゃいでいた龍馬と同じように目を輝かせていた。
「なあなあ!これなんてどうだ?」
「ええ、とても素敵だと思います。ああ、でもこちらの方が私は好きです。とても繊細で綺麗……」
「へえお前はこういうのが好みなのか」
「はい。我々の国ではこんな細工を施した品などありませんから」
「そうなのか?じゃあこれはどうだ?」
「いいですね。色合いが艶やかで不思議な感じがします。あ、でもこちらの色の方が慎ましくて可愛らしい感じがしますね」
次第に自然体で市場を回るアーネストを嬉しそうに見つめながら。
さりげなく会話を入れて。
上手い事好みを聞き出していた龍馬はふと立ち止まる。
「……お?」
とある出店のとある品に目を奪われたのだ。
細やかな蒔絵装飾が目を引くそれは。
黒漆にキラキラと輝く金色の細工が龍馬の目から見てもとても美しいと思える物で。
先程聞いていた好みからしてアーネストも喜びそうだな。
などと思ってしまう。
思わず立ち止まって見入ってしまうくらいだ。
贈り物としては申し分ないだろう。
せっかく好意を寄せている相手を誘って連れ出したのだから何か特別な事をしたいと思っていた。
初めて二人で市場を巡った思い出に。
何か残る物を贈りたいと考えてじっと見つめる。
この品ならばこれから渡そうとしている物と一緒に贈れそうでちょうどいいなと心が惹かれ。
「よし」
龍馬は一人大きく頷いてその品を手に取った。
その一方で。
足を止めた龍馬には気づかず。
たくさんの珍しい品に心を踊らされていたアーネストは一人。
ふらふらと多くの人で賑わう市場の中を歩いていた。
滅多に見る事の出来ない物を見られた喜びに。
強引ではあったが連れて来てくれた事に感謝の言葉を言っておこうと振り向く。
「龍馬さん」
しかしついさっきまで話をしていたはずの龍馬の姿はなかった。
「……あれ?龍馬さん?」
龍馬の姿がない事にはっとしてアーネストは辺りを見回す。
本当に僅かな時間だというのに。
気を抜いてしまっていた。
どうやらうっかりはぐれてしまったようだと気づいて息を呑む。
先程までは目を輝かせて見ていた世界。
それが一変して。
不安が押し寄せる。
龍馬がいないだけで、周りの人々からの冷たい視線が痛い程突き刺さっているような気がした。
ただの町人ならばまだいい。
嫌味など言われたとしてもそれは慣れっこだ。
笑顔で波風立てずにかわす事も出来るだろう。
だが中には刀を脇に差したサムライもいる。
彼らが過激な攘夷派であるかはわからないが。
刃を向けられた時の事を考えたら不安は募るばかりだ。
困った事になったな。
と慌てて龍馬の姿を探す。
けれど日本人だらけのこの場で。
目立つのは自分ばかり。
龍馬がどこにいるのかまったくわからなくて焦っていた。
「What shall I do……?」
どうすればいいのだろうか?
思わず不安が口から零れる。
この場に留まっていてはいつ攘夷派に目をつけられるかわからない。
己が一人である事がわかれば即座に襲って来る者がいるかもしれないのだ。
龍馬が見つからないのならば急いで公使館へ戻る他ない。
一人人混みの中を抜け出そうと早足になる。
とにかく目立たない場所へ……
そう思い市場で賑わっている通りを抜けて。
人気の少ない場所に出る。
しかし。
まるでそれを狙っていたかのようにアーネストの前に三人の男が立ちはだかった。
「おいそこの綺麗な異人さん」
「え?」
「ちょっとこっち来てもらおうか?」
男たちに一気に囲まれて。
無遠慮に腕を掴まれる。
「何をするのですか!?放して下さい!」
焦ってそう訴えるが、素直に聞いてくれるどころか冷たい目で射抜かれるような視線を向けられ。
一人がカチャリと音を立てながら鯉口を切って低い声で脅しにかかってきた。
「大人しくしていれば命までは取らねえ。だから死にたくなかったら騒ぐな」
いきなりの事でわけがわからなかったが、よからぬ気配に血の気がさあっと引いてゆく。
相手は刀を差したサムライ。
しかも一人ではない。
確認出来る限りでは三人組の男たちだ。
抵抗すればおそらく斬り捨てられるであろう状況。
丸腰であるアーネストは大人しく従うしか術はない。
そして、先程龍馬に連れて来られたように強引に腕を引っ張られずるずると裏路地へ連れ込まれてしまう。
人気のない薄暗い狭い場所。
そこで掴まれた腕を捻り上げられ壁に押し付けられた。
「Ow…っ!」
「へへっ、変わった声出すじゃねぇか。面白ぇ。しかもそれがえらい色っぽいとはなかなかの上玉拾ったぜ」
「肌も随分白くて男ってのがもったいないくらいだな」
「異人って言っても意外とちょろいぜ。たっぷり遊べそうだ」
「異人相手は俺も初めてだからな。楽しみだぜ」
刀を差したサムライ。
異人である己が標的にされたという事はつまり。
相手は攘夷派で異国の人間に対し敵意を持った人間であると。
咄嗟にそう思ったのだが。
何やら男たちが口にしている言葉は、志を持った攘夷派が異人に殺意を向けるのとは違う別の意味を含んでいるようで混乱した。
男であるアーネストを捕まえて語る言葉ではないような気がしてならない。
「……一体……何の話ですか?」
恐る恐る問う。
ぞくりと背筋が凍るような厭らしい視線に身体は強張っていた。
「これから俺たちがおめぇさんを可愛がってやるって事だよ」
「いい声で喘いでくれると遣り甲斐があるから期待してるぜ?麗しの異人さん」
「……What……?」
アーネストは自分の耳を疑った。
いやそうではない。
聞こえた言葉が聞き間違いであるという事よりも。
男たちが言っている日本語の意味を考えた。
かなり勉強してきたつもりだったが……
もしやまだ日本語を正しく理解出来ていないのではないかと思考を巡らせて。
だがその答えがアーネストの脳内で導き出されるよりも先に男たちが行動を起こす。
「……っ!?」
狭い裏路地の壁に押し付けられて。
男たちの手が服の下から入り込んだのだ。
アーネストは思考が追いつかずに頭が真っ白になった。
一体何が起こっているのかがわからない。
攘夷派のサムライに殺されそうになった事は何度もあった。
でもこんな事は今までなかった。
男であるはずの自分に対して強姦まがいな事をするなんて。
アーネストにはとても今の状況が信じられない。
身体中を這いずり回る男たちの手に寒気が止まらず、恐怖心と相俟って全身が震えた。
次第に服は乱され脱がされてゆくが抵抗する事も出来ずにされるがまま。
「はぁっ……」
露わになった肌に吸い付くように口づけを落とされる。
更には舌を這わせ舐め回されて。
同時に三人の男からあちらこちらを触れられて耐えるに耐えられず艶かしい吐息が漏れた。
無意識に零れた声に思わず口を塞ぎたくなるが腕を押さえられているアーネストはそれが叶わず、嫌だと首を振る事しか出来ない。
金色の髪を揺らすそのリアクションさえも相手の男たちを煽っているだけだという事にも気づけずに。
薄暗い中、その金色は目映く煌めいていて。
男たちはその姿に魅了されどんどん行為が激しくなっていった。
「Uh-uh-uh〜っ……」
制止のつもりで漏らした言葉も吐息交じりでますます逆効果。
腰の周りを這っていた手が下へと下がって行き、とある場所に触れそうになり。
アーネストは思わず目を閉じ。
「龍馬さん……っ」
その名を口にしていた。
―――瞬間。
「おいお前ら何してやがる!?」
耳に飛び込んで来た龍馬の声。
その後に続いて「ちっ」「何だ貴様は!?」「邪魔しやがって!」などと吐き捨てる男たちの声が聞こえると。
身体に触れていた手が離れてゆく。
ゆっくりと目を開けば。
「ぐはっ!」とくぐもった声と共に三人の男たちがどさりどさりと地に倒れ伏してゆく姿が飛び込んでくる。
ちょうど龍馬が男たちを殴りつけたところだったのだ。
「……龍馬さん?」
自分が無意識に名を口にしたのとほぼ同時に現れた龍馬の存在を確かめるように小さく呟いて。
いつも自分に笑いかけてくれる顔とは違う、厳しく険しい怒った表情をした龍馬を静かに見つめる。
特別長い付き合いをした相手ではない。
まだ初めて出会ってから約一年という程度。
ついでに言えば出会って以来毎日会っていたわけでもなく。
神子が不在の時はそれ程頻繁に顔を合わせていたわけでもない。
それでもある程度交流してきて。
龍馬という人間が飄々としていて人当たりのよい明るい青年であるという事は知っているし。
感情は割りと隠さず素直にストレートに表に出す方だともわかっている。
けれど。
怒りと憎しみを。
これ程までに顕にした姿をアーネストは見た事がなかった。
気配に疎いアーネストでも痛い程感じられる怒気を纏った龍馬に何と声を掛けたらよいのかわからずに。
虚ろな目でぼんやり見つめていた。
龍馬の視線が地面でのびている男たちからゆっくりとアーネストの方へと向けられて。
二人の視線が絡み合う。
「…………」
何も言葉が出て来ないアーネストに。
「アーネスト!」
龍馬は逆目を緩めた後、悔しそうな悲しそうな表情を見せ。
名を呼んで駆け寄り。
上着のコートを脱がされ、中の着衣も乱れて肌蹴ているアーネストの身体を包み込むように抱きしめた。
「すまねえ……」
震える声が耳元で苦しげに囁かれ。
「俺が目を離したせいで……こんな事に……」
回された手が安心させるように背を擦る。
何度も何度も。
申し訳なさそうな声音で謝罪を口にしながら。
まるで子どもをあやすように優しく。
龍馬とはまた違う意味で震えているアーネストの身体を包み込み、キラキラとした金色の髪に手を通して撫で繕う。
龍馬の優しい温もりに、やがて意識が現実に引き戻されて、ゆっくりとアーネストは安堵の息を吐いた。
そんなアーネストの乱れた服を整えてやると龍馬はぽつりと呟く。
「ずっとお前に向けられてた視線には気づいていたが……殺気はなかったから問題ないと思った」
悔しそうに唇を噛みながら俯いて。
「だが……気をつけなきゃならんのは過激な攘夷派の連中だけじゃなかったみてぇだな……」
アーネストは俺以外の奴の目から見てもかなりの美人なんだろうから……
秀美な姿に見惚れて興味を持った連中が手を出さんとも限らんわけだ。
と。
最後の言葉は心の中でだけ吐き捨てるに止めた。
そして。
「次は絶対目を離したりせん。だから……俺を頼りない男だと思わんでくれ」
もう二度と二人きりで出かけたくないなんて思って欲しくない。
またこれからも、一緒にいられる時間を作りたい。
そう切実に願った。
「……龍馬さんが悪いわけではありません」
やっと意識を浮上させ、口を開いたアーネストが龍馬の辛そうな表情を見つめながら告げる。
「私が不注意ではぐれてしまったのがいけないのです。それに……まさかこんな事をされるなんて……誰だって予想出来ませんよ……」
自分だって未だに信じられないのだからと。
男が男に輪姦されそうになるなんて。
こんな可笑しな状況、普通はありえないでしょう?
自嘲じみた声で愚痴のように零す。
ああ。
自分がどれだけ色気を振り撒いていたか全然わかっちゃいないんだな。
などと龍馬は思ったが、敢えてそれを口に出す事はしなかった。
どうせ指摘した所で無自覚なんだろうしなと。
それよりも自分がもっと周りに注意しておかないとと。
惚れた相手を守るのが男ってもんだろう。
まあアーネストも男だからこんな事言ったら怒られるかもしれんが……
神子を守るのが八葉で、八葉が神子にとっての“ないつ”であるのなら。
同じ八葉の仲間というだけではなく。
俺はアーネストにとっての特別な唯一人の“ないと”になりたいと。
龍馬は決意を新たに拳を握る。
「なあアーネスト」
「……はい?」
「お前に渡したいもんがあるんだ」
「渡したもの?」
「ああ」
懐を探り何かを取り出すと。
すっとそれを掲げるように差し出す。
アーネストの目の前に差し出されたのは龍馬が市場で見つけた印籠だった。
細やかな細工の入ったそれは龍馬も思わず足を止めて見入る程の品。
印籠は武士を中心に多くの者が持っている物だが、これ程美しい模様の入った物は滅多にないと思う。
だからこそ異国の人間からしたら珍しいであろうこの品を贈り物にしたいと思ったのだ。
ある物を入れるのにちょうど大きさもぴったりだったから都合がよかったというのもある。
「これは……?」
「印籠だ。模様が綺麗だろ?俺も思わず見惚れちまったくらいだ」
「……確かに繊細で綺麗な模様ですが……何故私に?」
「一緒に市場を巡った記念にと思ってな。無理やり付き合わせちまったしこれくらいはしないと」
「でもこれ、かなり高価な物なのでは?」
「な〜に、本当の贈り物に比べりゃ大した事ないぜ」
「え?」
「ああ何でもない何でもないぜ!ほら、俺の気持ちだから受け取ってくれ」
戸惑うアーネストに有無を言わせずその手に押し付けた龍馬。
にっと笑い、満足そうに頷いて。
その後照れたように己の頭を掻いた。
何やらウズウズして居ても立っても居られないといった様子だ。
視線が泳いでいる。
アーネストはそんな龍馬の様子を不思議そうに眺めて首を傾げた。
男に贈り物をしてそわそわするなんて一体何だろうか?と。
己の手に渡された印籠をじっと見つめる。
綺麗な細工に思わず見惚れながらも、何か引っかかりを感じて訝しげに眺めていた。
すると―――
カランと。
中から音がして。
きょとんとする。
「?」
もう一度軽く振ってみれば再び音がした。
中に何か入っていると確信して。
龍馬の方を見遣れば彼は思いっきり視線を逸らして明後日の方向を見ていた。
「…………」
尋ねるよりも直接確認した方がいいだろうかと。
アーネストは貰ったばかりの印籠を開けてみる。
「……What’s this……?」
これは何?
中身を見てすぐ疑問が零れた。
いや、見ればそれが何であるかはわかる。
わかるが……
これを龍馬がアーネストに贈る意味がわからない。
「龍馬さん、これは一体……?」
未だに視線を泳がせながら頭を掻く龍馬に怪訝な瞳を向けた。
「ああそれはだな」
龍馬がゆっくりと視線をアーネストへと向けると。
大きく息を吸い込み意を決したように気合いを入れて。
「俺からお前さんへ贈る“えんげいじめんとりんぐ”だ」
そうはっきりと告げた。
くらりとする思考に。
アーネストはよろめく。
今日は理解出来ない事ばかりが起こって。
アーネストは頭を抱えた。
冗談だろうと。
何を馬鹿な事を言っているのだと。
いやそもそも龍馬は“engagement ring”の意味を理解しているのだろうかと。
「あの……龍馬さん?“engagement ring”って……意味わかってますか?」
日本には愛のしるしとして指輪を贈る習慣がないはずなのできっと中途半端な知識をどこかで得てしまった龍馬が間違った意味で言っているのだろうと思い、やれやれと息をついた。
しかし龍馬は。
「もちろんわかっとる。愛する者に贈る指輪だ!」
いつもの飄々とした態度とは少し違った真剣味を帯びた様子ではっきりとアーネストの考えを断ち切る。
「俺はお前が好きだ!愛してる!だから俺の気持ちを受け取って欲しい」
ついに告白した龍馬にアーネストは「That can’t be true……」と小さく震える声で呟いた。
そんなはずはないと。
これは現実ではないのではないかと。
首を左右に振ってみる。
けれど先程男たちに襲われた時の感覚も、リアルに残ったままで。
これが夢であるともとても思えなかった。
「……あなたは……私をからかっているのですか?」
戸惑い怪訝な顔で問う。
龍馬が掴み所のない変わり者である事は知っているが、このような嘘を言う人物ではないとも思っていた。
ただあまりにも信じられない事を口にするものだから、アーネストは今までの認識を改めるべきなのかもしれないと不信感を募らせる。
そんな時。突然。
龍馬がくいっとアーネストの腕を掴みそのまま身体を壁際に追い込む。
掴んだ両腕を壁に縫い付けるように押し付け。
「……前にも言ったよな?」
龍馬は顔を近づけながら鋭い視線を送った。
徒ならぬ様子にアーネストは再び緊張して身を固くする。
相手は龍馬だが、先程の男たちに似たような事をされたばかりでこの状況。
やはり思考が追いついてくれずに混乱してしまう。
「りょ、龍馬さん?」
一体何のつもりだろうかと射抜くような視線を困惑気味に受け止め翡翠の瞳を揺らした。
「俺はお前の“ひーろー”になりたいって」
「え?」
「あの言葉は本気だ。他の誰よりも俺を頼って欲しいって言った事も冗談なんかじゃないぜ」
「…………」
「俺はお前にとっての特別な存在になりたいって思ってる」
つい最近の事だ。
龍馬がアーネストに対して告げた言葉。
まるで告白みたいな台詞に恥ずかしいと思いながらも。
あの時は単なる親切心から言われた言葉だとアーネストは思っていた。
けれど。
何やら今の龍馬の様子からしておかしいと。
流石に気づき始める。
逸らす事さえ許されないような視線にどくんと心臓が跳ねた。
「こいつらがお前さんにしようとした事を、俺もしたいって思ってる。だから俺にはこいつらの気持ちがわかるぜ」
顎で足元に転がっている男たちを示しながら龍馬が告げる。
「もちろんこいつらと違って俺はお前を傷つけるような真似はしたくないから我慢もする。けど自分が男だからって油断してると悪い男に襲われかねんぜ?俺も含めて、な?」
最後の言葉はトーンが下がって低く耳に響いた。
龍馬の顔が徐々に近づいて。
唇と唇が触れそうな距離になる。
まさかとは思うがこの流れはキスをするつもりなのではという考えに至り。
アーネストは思わず目を閉じたが。
このままではまずいと思い。
次の瞬間ありったけの力を振り絞って拘束から逃れると。
「Stop it!」
やめて下さい!と叫んで。
ぱしりと近づく顔に平手打ちをお見舞いしていた。
龍馬が怯んだ所で。
そのまま一目散に駆け出す。
「待てアーネスト!」
叩かれた頬を擦りながら引き止める龍馬の声を背に決して振り返らずに。
全力疾走。
龍馬が本気で追いかけて来れば追いつかれてしまうだろうけれど。
それでも真っ直ぐに公使館を目指しひた走る。
アーネストは無我夢中で逃げた。
女性から好意を寄せられる事は多々あったが、男性からとなると初めてで。
家族愛や友情ならわかるが、恋愛感情を同性から向けられるなど。
とても信じられない。
もちろんその愛情を受け入れるつもりもなかった。
他人の恋愛観をとやかく言うつもりはないが、自分は無理だと。
神に背くような事は出来ないと。
「……That’s impossible……」
それはアーネストにとってありえない事だった。
絶対に龍馬の気持ちには答えられないだろうと思う。
走りながら後ろから聞こえる足音に耳を傾けた。
自分の後を追って来る足音。
間違えなく龍馬のものだ。
だが追いつきそうで追いつかない。
本気で捕まえようと思えば簡単に捕まえられるだろうに。
それをしないのは混乱するアーネストを気遣っているからだろうか?
その距離はとても長く感じられ。
やっと公使館へと辿り着いた時は安堵のため息を吐いた。
走ったせいで息はかなり上がっている。
龍馬は公使館の前までついて来たようだったが中まで強引に入って来る気配はなくてほっと胸を撫で下ろした。
そこでアーネストは胸のポケットに収められている品に気づく。
「…………」
取り出して無言で見つめる。
いつの間にかポケットに入れられていた印籠。
龍馬がくれた贈り物。
中には指輪が入っているが。
再びそれを確認する勇気もなく。
蓋を開ける事なくその印籠を握り締めた。
龍馬と初めて出逢った時の事を思い出してみる。
“異人”と呼ばれ忌み嫌われ疎まれる事が多かった己に対して。
初対面の時から快く存在を受け入れてくれた龍馬。
しつこいくらいに話しかけられて面倒な人だとも思った。
けれどそれは異国の人間が珍しくて興味を示しているだけなのだとも思っていた。
それなのに。
「I never would have guessed that……」
こんな事になるなんて思わなかった―――
アーネストが小さく呟いたのとほぼ同じ時。
公使館の外でじっと立ち尽くしていた龍馬が拳を握り呟く。
「俺は絶対に諦めんぜ」
二人の心はまだ。
交わらぬまま。
今はただ龍馬の一方的な想いだけが激しくアーネストへと向けられていた。
それでも龍馬の告白をきっかけに。
二人の運命は動き出したのだった。
Fin.
龍馬さんとアーネストで再び。
まだ片想いな龍馬→アーネストですね。
題名は「愛のしるしの贈り物」という感じの意味。
市場めぐりが龍馬さんの趣味だという事でこんなのが出来ました。
いつかアーネストに楽器演奏をさせたいと企んでいたりしますがいつになるかな?
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