放課後夕日影
学校の教室。
沈みかけた太陽の赤みを帯びたオレンジ色の光が窓から差し込んで、昼間とは違った空気が漂っていた。
もうすぐテスト期間という事もあるせいか、いつもよりみんな帰りが早いらしく、人の気配が少ない。
職員室で仕事を終えた風早が帰り支度を済ませ向かった教室の中にいたのはたったの一人。
自分の腕を枕代わりに顔を机の上に伏せて小さく静かな寝息を立てている。
やれやれといった表情で軽くくすりと笑うと風早がその人物にそっと近づいた。
それでも近づく気配に気づく様子もなく穏やかな寝顔がちらりと覗く。
目の前で屈んで間近でその表情を盗み見ると再び風早の笑みが零れた。
いつまでも眺めていたい気持ちを抑えながらそっと彼の肩に手を置き軽く揺らす。
名前を呼びながら……
「那岐」
しかし軽く身じろぎ、小さな息を漏らしただけで閉じられた瞼が開かれる事はなく、教室の中はしんと静まりかえり静寂に包まれたままで彼は起きる気配を見せない。
余程疲れているのだろうか。
それならば起こすのも可哀相だと思ってしまうのだが、もう日が沈んで外は暗くなってしまう時間帯。そろそろ下校時刻だ。
いつまでも学校に残ってはいられない。
それにこんな所でうたた寝してしまうより、家に帰ってきちんと寝た方がいいだろう。
反応のない彼の肩を再び揺らし、先ほどよりもやや声のボリュームを上げて名を呼ぶ。
「那岐」
少々困り気味の表情をしながら風早の手が彼の肩を揺らしていた。
「那岐、起きてください。下校時刻ですよ」
「……んん……?」
ようやく重たい瞼を開き動き出す彼は、しかし未だ意識は現実に引き戻される事なく夢の中を彷徨っているような様子で、何度かゆっくり瞬きを繰り返す内にまた瞳が閉じられそうな状態であった。
風早はこのまま眠ったままの状態の彼を抱きかかえて家まで帰ってもよいと思うのだが、さすがに人目のある学校でそんな事をしたら後が怖い。
この世界では家族として生活しているとはいえ、一応学校では先生と生徒だ。
誰かにそんな場面を見られたら厄介である。
今の自分の立場を考えればここは彼を起こすしかない。
風早は注意深く人が誰もいない事を確認するようにぐるりと教室内を見回した。
意識を教室の外にまで巡らせて廊下の方の気配も探る。
近くに人はいない。
誰も……
この教室内にいる2人を見ている者はいない。
そう確信した風早はすっと肩に触れていた手を下方へとずらして、彼の脇腹から腹部へと両腕を回す。
後ろから抱き締めるような体制で軽く体重を乗せて押しかかり、彼の腕の中からちらりと覗く額にさらさらの前髪と共に口づけを落とした。
「那岐。起きてください。起きてくれないと俺はこのまま君に悪戯してしまいそうだ」
あははと体重を乗せたまま小さく笑う風早。
「……なっ!?」
さすがに自分の体にそれなりの体格の男が乗っかってきては嫌でも目を覚ましてしまう。
自分のものでない腕が腹部を触れる感覚も、今まで気持ちよく眠りについていた彼にとっては不快の対象となる。
そして何より意識を取り戻した時にいきなり額に口づけされれば誰でも驚くであろう。
眠気など一気に吹っ飛んでしまい焦る彼は、慌てて席から立ち上がろうともがく。
しかし上に伸し掛かっている男がそれを邪魔していた。
力ではとても風早に勝てない彼は、必死でその腕の中から逃れようと力を込めるもすべては無駄に終わってゆく。
「何してんだよ先生!?」
「何って……君が寝ているから起こそうとしただけですよ」
「だったらもっと普通に起こせよ!」
「おやおや……普通に起こしてもなかなか起きてくれなかったじゃないですか」
「だ、だからってこんな事っ……っんん!?」
抗議の声を上げる彼の口さえも風早はさっと自分の口で塞いでしまう。
唇と唇を重ね合わせたその瞬間、みるみる内に彼の力が抜けていくのを風早は感じ取り、自分も彼を押さえつけていた力を緩めていった。
頭の中が真っ白になっているのだろう。
抵抗をやめた彼はまさに無防備状態だ。
このまま口内に舌を入れてもっともっと攻めたててやろうかという考えが風早の中を過る。
そうして自分の舌を押しつけて彼の口を無理やり開かせ侵入を試みた風早はしかし次の瞬間にはさっととっさに唇を離した。
風早が彼の腹部に回していた腕を解いて一歩後ろに下がり、距離をとったのとほぼ同時だった。
がらり―――
2人以外誰もいなかったはずの教室内に何者かが入り込んできたのである。
あと少し気づくのが遅れていたら危なかったかもしれないと冷や汗をかく。
周りの気配には常に気を配っていた風早だが、ついつい夢中になってしまっていた事に気づいて自分自身が相当彼に心酔しているのだと改めて気づかされたようだった。
苦笑いを浮かべて彼を見つめた後、この教室への侵入者に視線を向ける風早。
「おや、千尋もまだ学校に残っていたのですか?」
「うん。友達と話し込んでたら遅くなっちゃって……」
「そうですか。じゃあ折角ですから3人で一緒に帰りますか?」
「ううん。今日は友達と一緒に帰る事になったんだ。夕飯も一緒に食べるからちょっと帰り遅くなるかも。今日の夕飯の当番私じゃないから大丈夫だよね?」
「じゃあ」と手を振って自分の机の上に置いてあった鞄を手に取るとすぐに教室を去って行く突然の侵入者。
まるで嵐のようにやってきては去っていく彼女の様子を穏やかな表情で見送った風早は、再び愛しい人に視線を戻した。
未だ完全なる回復はしていないようで、風早を見る彼の瞳は瞬きを繰り返しており、焦点がいまいち定まらずといった感じだ。
「聞きましたか?千尋は友達と一緒に帰るそうですよ」
楽しそうに笑顔を向ける風早。
「今日は2人きりで帰れますね。あ、帰りも遅くなるみたいだから家でさっきの続きしましょうか。いや楽しみだなぁ〜。さあ早く帰りましょう」
嬉々とした軽口で彼の腕を引っ張って席から立たせるとそのまま引きずるようにして教室を後にした。
「ちょっ……家で続きって……何する気だよあんた!?」
「そんな野暮な事聞かないでくださいよ」
「……激しく帰りたくないんだけど!僕も一人で寄り道して……」
「駄目ですよ。もう暗くなってしまう」
「何でだよ!?千尋はよくて僕がどうして駄目なんだ!?」
「千尋は友達と一緒だから一人ではないでしょう?」
「はっ、そうだ!今日は僕が夕飯の当番だ……買い物に行かないと!」
「俺が昨日たくさん買い物しましたから今日の分も十分材料はそろってますよ。もちろん那岐の好きなきのこも」
「……っ!?あ、いつもの……放課後の仕事!今日は僕が行ってくるから!」
「心配しなくても大丈夫ですよ。今日は必要ありません。ちょっと前に学校を抜けて俺が片付けましたから。さあ早く帰って楽しみましょうね」
「……最悪だ……」
風早から必死で逃げ出そうとする彼であったがどうやらそう簡単には逃してはもらえないようだった。
余裕そうに見える風早も、彼と過ごす時間を得るために相当な努力を見えない水面下では行っているらしい。
夕日が家路を歩く2人の足元に長い長い影を落とす。
家へと帰った後の事を考えて歩く風早の足は軽く、その隣を行く者の足はどこか重たげだ。
「那岐……俺はあなたを愛してるんですよ」
「……僕はあんたなんか嫌いだよ」
2人の小さなささやきが沈みゆく太陽の光の中に溶け込んでいった。
Fin.
とうとう遙か4にまで手を出し始めました……
基本総受ですから次に何が飛び出すかは自分でもわかりません。
その時の気分次第で何でもありの予感……
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