星に願いを
「さあ、今日は七夕ですよ」
ばさり
一体どこから調達してきたんだろうという疑問を持たずにはいられない程の大きさの笹を持ち帰ってきた風早。
千尋はそれを見て「わあ」っと手を合わせて喜びの表情を見せた。
「すごいね、風早!こんな立派な笹に短冊を飾れるなんて、それだけで何だか願い事が叶うような気がしてくるよ」
まるで子どものようなはしゃぎ様に風早も笹を調達してきた甲斐があったと満足げだ。
庭に笹を立て、一仕事終えたと誇らしげな顔で見上げる。
千尋は急いで笹に飾る短冊の用意を始めていた。
わいわい2人だけで七夕の準備を着々と進めていると、空もだんだん暗くなり始め、ちらちらと星が輝き始める時間帯になる。
「……まったく……2人で何騒いでるんだ?ゆっくり寝てられないじゃないか」
眠たげな顔で欠伸一つ。
自室で寝ていたらしい那岐が伸びをしながら2階から降りてきた頃には既に笹の葉にたくさんの短冊が吊るされていた。
「那岐、また寝てたの?」
「……下で騒いでる声がうるさくて、あんまり休めなかったけどね」
ぼうっとした目で庭に飾られた大きな笹を見上げてはあっと溜息を吐く那岐。
「七夕なんかでよくここまで騒げるな……」
呆れた声で呟く。
「ったくこんなでっかい笹、一体どっから持ってきたんだか……。片付けるのが面倒そうだ……」
昼間は夏の暑い日差しで気温が上昇していたが、夜になってやや気温が下がり、涼しく吹く風が笹の葉をさらさらと揺らす。
まるで七夕によく聴く歌の歌詞のように……
空は完全に夜のものとなり、数え切れない程のたくさんの星がキラキラと瞬き出していた。
空から下界のすべてを見ているかのように。
七夕では主役の二つの星が、天の川を挟んで主張するようにひと際輝きを放っているように見える。
「はい。那岐も短冊書いて。私たちはもう書いて飾っちゃったから、那岐が最後だよ」
千尋が色とりどりの短冊を手にしてどの色がいいかと那岐に問いかける。
「僕も書くのかよ……面倒だから僕はいいよそんなの」
目の前に差し出されたたくさんの短冊の紙を片手で制するようにして断った那岐。
しかしその後ろから、さっと一人の男の腕が伸ばされた。
もちろんこの場にいるのはたったの3人。
千尋と那岐の他には風早しかいないのだから、当然那岐の後ろにやってきて腕を伸ばしたのは風早だ。
「そんな事言わず、那岐も書いて。せっかく俺が笹を調達してきたのだから。君が書いてくれないと寂しいですよ」
那岐の後ろから腕を伸ばし、千尋の手にあったたくさんの短冊の中から適当に2枚程引き抜く。
その短冊を後ろからそっと那岐の手を取って、無理やりその手の中に押しつけてしまう。
(君の願い……俺にも教えてほしいな)
目の前にいる千尋にさえ聞き取れないような小さな声を思いっきり後ろから顔を近づけて耳にキスでもしてしまうのではないかと思われるほどの距離、耳元で囁く風早。
耳に息がかかり、その台詞を吐かれると同時にびくりと那岐の身体が揺れる。
(なっ……近すぎだよ。千尋の前でこんな……)
(大丈夫。千尋はそこまで深く俺たちの事を勘ぐったりしないよ)
(……さすがにこの距離はまずいだろ。離れてよ)
(那岐は本当につれないなぁ)
(いいから離れろ)
(君の願い事、書いてくれたら離れますよ)
(……っ…………)
千尋は目の前の2人の様子を首を傾げて見守っていた。
いつも3人一緒にいるから、こうして2人が不思議な空気を纏う時が度々ある事に既に気づいている。
それが一体どういった意味なのかはまだ千尋はわかってはいなかったが、風早が那岐にちょっかいを出すのを楽しんでいるという事だけはわかる。
那岐は風早を鬱陶しそうにしていたり、うんざりしていたり、困り果てているような表情をするけれど、いつも物事に無関心でどうでもいいとばかり思っている那岐が慌てて感情的に反応を示す様は、千尋が見ていてちょっと安心する事柄のようだ。
風早が那岐を恋愛対象として見ている事も、千尋がいない間に那岐が風早に無理やり押し倒されて好き勝手されている事も、千尋は知らない。
ただ邪魔をしないように静かに2人きりの世界から戻ってくるまで待つ。
邪魔をすると微かに風早が怖い顔をして睨んできた経験もあったので何も言わない方がいいのだと感じているのかもしれない。
風早は千尋にとても優しくしてくれるし、酷く怒ったりあからさまに邪険な態度は取らないけれど……
2人の間には自分が入り込んではいけない何かがあるのだと千尋なりに判断したのだろう。
最近ではこのような場面に出くわしてもそっと見守るだけになっていた。
「……べ、別にわざわざ短冊に書くような願い事なんて僕にはない!」
今回2人の間に流れる空気を破ったのは那岐だった。
大抵那岐がこの空気を壊す。
風早から仕掛けてくるのだから壊す役目が那岐になるのも仕方がない。
千尋は余程の事がない限り2人の間に無理やり割って入ったりはしないのだから。
いつまでも風早のペースに流されているとその内目の前に千尋がいようとそんな事は構わずとんでもない事をしでかしそうな雰囲気で那岐は気が気でない。
場所が家の外だと多少考慮している風にも見えるが、家の中だとどうも枷が外されたように行動が早いのが困りものだ。
とりあえず一度現実に戻されれば目の前の千尋の存在を考慮して行動を抑制してくれる風早。
那岐がぷいっとそっぽを向いて風早を振り切ると押しつけられた短冊をテーブルの上にぽんっと放った。
そのまま食卓の席について「夕飯は?」と問う。
先ほどの空気が破られて元に戻ったと確信した千尋がようやく口を開いて庭を指さした。
今日は七夕を祝って星空の下、外でバーベキューの予定らしい。
笹にばかり目が行ってしまい、気がつかなかったようだが、よく見ればちゃっかりバーベキューの用意が為されている。
那岐はそれを見て不機嫌顔になっていった。
七夕なんてわざわざ騒ぎ立てる事ないのにといった心境なのだろう。
「はあ……本当にやってられないな……」
疲れた表情を浮かべて、それでも今から本日の夕飯のメニューを変える事もできないのだから色々文句を言ってもますます疲れるだけだと諦めて席を立ち、庭へと向かう。
しかし、外へ出ようと戸を開けるために手を伸ばしかけた所で風早に呼び止められる。
「あ、那岐!短冊、ちゃんと書いて」
「嫌だよそんなの書くなんて」
「書かないと夕飯はお預けですよ」
「は?何でそうなるわけ?」
「今日の夕飯の当番は俺ですから。俺の言う通りにしてほしいな」
「言っただろ!わざわざ書くような願いなんてないって」
「別に大した事じゃなくていいんですよ。気楽に考えて書けばそれで」
「………………」
「何を書けばいいか悩んでいるようなら俺たちの短冊を参考にしますか?」
どうしても那岐に短冊を書かせたいらしい風早はさっと庭に出て飾り終えた短冊をひょいっといくつか取り外す。
せっかく飾り付けた短冊をわざわざ外す風早に、何もそこまでしなくてもいいのにとうんざりした表情を隠しもせず前面に表した那岐。
また飾りなおさなければならない面倒を考えると自分が飾り付けをしたわけでもないのに疲労感を覚えてしまう。
「ほら、これは千尋の」
風早が何枚か短冊を那岐の目の前に突き出す。
(無病息災……家内安全……新しい友達がたくさんできますように……風早がたくさんの生徒から好かれるよい先生になりますように)
「……何だこれ?……くっだらないのばっかりだな」
「ちょっと風早!勝手に私の見せないでよ!」
「いいじゃないですか。どうせ飾っていても見えるものは見えますし……」
「そういう問題じゃないよ!もう……」
短冊を那岐に渡して見せた風早に文句を言う千尋。
見せるのなら自分の短冊を見せればいいじゃないと言い募り、今度は千尋が笹に飾られた短冊をいくつか取り外した。
「おや、それは俺の短冊じゃないですか!?酷いな千尋は……」
「酷いのは風早じゃない!」
ぷんすか頬を軽く膨らましながらそれらを那岐の前にさっと差し出す。
千尋から受け取った短冊に那岐が目を落とした。
(無病息災……家内安全……生徒に慕われるよい教師になれますように……千尋が仲のよい友達をたくさん作れますように)
「……2人とも……似た者同士……」
千尋が取ってきた短冊は風早のものらしいが書かれている内容は先程の千尋の短冊と大差ない。
ある意味吹き出して笑ってしまいそうな程の仲よしっぷりだ。
2人とも気が合っている。
微笑ましい。
しかし……
そんな2人とは違う自分が何だか孤立しているようで寂しさを感じたのか、那岐は表情を曇らせて俯いたまま2人の短冊を静かに見つめていた。
2人は気が合っている。
こうして一緒にたわいもない事で笑い合って、楽しい時を自然と作り出していける。
本当に家族であったとしてもおかしくはないようなそんな関係。
けれど自分はこの中で異質な存在なのではないだろうか?
僕はここにいてもいいのだろうか?
ふと心の中で那岐が呟く。
僕の存在は人を不幸にする……
僕に関わるとロクな事にならないんだ。
普段は余計な事を考えず何事にも無関心な那岐が短冊を見つめながら塞ぎ込む。
風早と千尋はお互い自分の短冊を見られた事に少々恥ずかしくなりながらも、それを見つめている那岐の様子が変化した事に気づいてどうしたのだろうかと心配になった。
最初は呆れた顔でどうでもいいって顔をしていたはずなのに、今は何だか落ち込んでいるようで……
「……那岐?」
「どうしたんです?」
声をかけずにはいられなくなった2人が心配そうに那岐の顔を覗き込む。
那岐がはっとして顔を上げれば風早と千尋の顔が目の前にあってびくっとする。
「……いや……何でもない。……余計な事気にするなよ」
少し掠れた声で小さく言う。
まったく大した事ない、どうでもいいような事を気にする所まで2人はそっくりだと那岐は思ってしまった。
そのまま再び視線を短冊へと落とせばまだ読んでいなかった短冊がある事に気づき、那岐は下の方にあったものと上にあったものとで順番を並べ替え未読の短冊に目を通した。
最初に目を通したのは千尋の短冊だった。
(那岐とずっと一緒にいられますように)
何馬鹿な事書いてるんだと言いたくなるような内容だ。
思わず顔が赤くなる。
ずっと一緒にって……
どういう意味なんだよと聞きたくなる。
千尋の事だからあんまり深い意味はないのだろうとは思う那岐だが……
それでもこんな願い事を書かれた本人としては何となく気恥ずかしい。
見つめる短冊から少々視線を泳がせてちらりと千尋の顔を見れば目が合ってしまいドキッとする。
首を傾げる千尋に慌てて視線をそらして別の短冊を見やれば……
風早が書いたらしい文字が目に映る。
(那岐とずっと一緒にいられますように)
さっきの千尋の短冊に書かれた願いと一文字違わず同じ内容の小っ恥ずかしい願い事に思わず「はあ!?」っと声を上げてしまう那岐。
「な、何だよこれ!?」
本当に似た者同士なのにも程があるだろ!?
那岐がそう叫びたそうに2人を見た。
「何って……?」
「何かおかしな事でもあったんですか?」
那岐が顔を真っ赤にして慌てふためいた様子なのを見て、何事かと2人が見つめる。
視線を那岐の手にした短冊へとやれば、今年書いた短冊の中でも他の人に見られたくない願い事ランキング第1位に輝きそうなものが目に飛び込んで今度は逆に2人が慌てた。
「ちょっと!風早!こんなの那岐に見せるなんて酷いじゃない!那岐もそれ以上見ないで!」
「千尋!待って下さい!これ確か誰にも見られないよう一番高い所に吊るしたはずなのにどうして!?」
ささっと自分の短冊を那岐の手から奪い取り、もう既に見られてしまって手遅れなのにも関わらず、お互い短冊の文字を隠す。
妙な沈黙が痛い。
千尋はまず自分の書いた短冊を見られた事に恥ずかしくなって声を出せずにいた。
あまり深い意味はないかもしれない。
ずっと小さい頃から一緒に暮らしていたから離れてしまう事が考えられなくて書いた願いだ。
それでも捉え方によっては愛の告白とも取れる内容な事に今になって気づき気まずくなっているようだった。
那岐はいきなり2人からずっと一緒にいたいなどという願いを見せられ戸惑っていた。
千尋はおそらく深い意味なんて考えていないとは思う那岐だけれど、それでもある程度の好意を持っていなければこんな内容の願いを書いたりはしないのだからそれを考えるとどきっとする。
それに、風早の場合は絶対千尋と違って深い意味がありそうなのでどう対応すべきなのか困惑していたのだった。
風早はといえば自分の願い事を那岐に見られて照れ笑い。
普段から愛をささやく言の葉を並べ、口にしているので、那岐に見られてしまってもちょっとした恥ずかしさがあるだけで別段困ったりはしない。
むしろ気になるのは千尋に見られてしまった事だ。
それに千尋の短冊……。
自分と似たような願い事を書く彼女に風早は少し不安になっていた。
好みや考え方が似ているのだとしたら、千尋もまた風早の好きなものを好きになる可能性があるのではないかと。
那岐の事を嫌いになってほしいわけじゃない。
ただ今の関係を越えて恋愛感情に発展してしまう事を恐れているのだ。
千尋の事は大切だし、守らなければならない存在だ。
けれど、たとえ千尋にだって譲れないものが風早にはある。
千尋が那岐を欲しがったって風早は大人しく譲り渡す気もない。
だから……どうか那岐に恋愛感情を抱かないで欲しいと願う。
「ええっと……気を取り直して夕飯にしませんか?」
長い沈黙の末、風早が誰より先に動いた。
それに合わせ、2人もはっとして我に返る。
「俺が短冊飾り直しますから、先に2人でバーベキューの準備をして下さい」
風早が千尋の短冊を受け取って自分の短冊と合わせて吊るし直すため笹の方へと歩いて行くと、ようやく気まずい雰囲気が壊れ、元に戻った事に安堵した千尋と那岐ははあっと息を吐いて落ち着かせると、先ほどの事はあまり考えないように頭の隅へと追いやって庭へと出た。
風早が次々と短冊を飾りなおす光景をぼうっと眺め、那岐はふと家の中へと視線を移した。
先ほど押しつけられた短冊を放ったテーブルの上に黄色と緑色が見える。
風早の選んだ短冊の色が何となく那岐を思わせる様な色なのがまたくすぐったくてならない。
どうしてこんな人との関わりを避けるような冷めた人間にちょっかいを出したがるのかがわからないと那岐は思っていた。
好きだとか大切だとか言われても困る。
那岐はそういった感情から逃れたいと避けているのに、自分自身が避けていても相手がどんどん入り込んでくるのだ。
遠ざけようとすればする程、相手は近づいてくる。
特に風早は、拒んでも拒んでもすり寄ってきて、もはや突き放そうとする事が面倒くさい状況だ。
何が面白いのかわからない、自分を相手にしたって何も楽しい事なんてないだろうにと那岐は思う。
どうしてこんなどうでもいいつまらない人間を好きになれるのかと風早の趣味を疑う。
千尋も千尋だ、何故こんな人間をそこまで気にかけるのかわからない。
何となく胸が痛む。
こんなにも大事に思われていて心配してくれているのに自分はどうでもいいと無関心で冷たく突き放すのが悪い気がするから。
でもだからといって那岐は自分をそう簡単には変えられないのだけれど……
でもまあ、短冊くらい書いてやってもいいかなとちょっぴり思い始めていた。
面倒くさい事は確かだけれど、那岐と一緒にいたいと願うその2人の気持ちが、ちょっぴり嬉しく思ってしまったから。
ここにいてもいいのだろうかという問いかけに、ここにいてもいいのだと言われたような気持ちになれたから。
千尋はバーベキューの準備を忙しそうにしていて、短冊を飾り終えた風早がそんな千尋の元へと駆け付けた。元々本日の夕食は風早が当番なので、風早が中心になってやるのは当然の事なのかもしれない。
バーベキューに夢中になっている2人からそっと離れて、那岐は家の中へと戻る。
テーブルの上にある何も書かれていない短冊を手にとって、しばらく考え込む那岐。
何を書こうか……
2人が短冊を書くのに使ったと思われるペンを手にして、庭を見つめる。
風早と千尋が楽しそうに笑っていた。
何を話しているのかはわからないけれど。
もしも叶うなら、この幸せな日々がいつまでも続いてほしいと願う。
千尋にはいつも笑っていてほしい。
そう思う、本当に。
しばらく楽しそうな千尋を見つめた後、那岐は風早の方を見た。
いつもいつも那岐に対して春めいたセリフを吐く男。
うんざりするくらいひっついてきてスキンシップを取りたがる男。
何が楽しくて嫌がる男を抱きたがるのかまったくもってわからない男。
那岐は自分の何がそんなにいいのかと風早の好みに疑問を抱いていた。
本当にうざったい。
男に好かれたって嬉しくも何ともないし……
溜息を思わず吐いてしまいたくなる。
まあ、風早が好きだなんて思っていないつもりだけれど、だからといって風早が不幸になるのを望んでいるわけでもない。
風早が不幸になるなんてそんな所見たいとは思わないし、やっぱり千尋と同じくこれから先も笑っていてほしいと思う。
ゆっくりと短冊に文字を綴る。
(千尋と風早がいつも笑っていられる、そんな幸せな日々が続きますように)
書いていて少し恥ずかしくなった。
普段しないような事をするのも結構勇気がいるものだ。
これは2人に見られるのは嫌だなと思い、那岐は後でこっそり見られないように短冊を飾る事にした。
そっと書いた短冊を忍ばせて2人に気づかれないように庭へと戻ろうとした時に、突然風早が勢いよく家の中に入って来た。
那岐はびくっとして肩を震わせた。
バーベキューに夢中になってたんじゃないのかよと焦る那岐。
「那岐!短冊書いてくれたんですか!?」
驚きの表情の中に笑みが零れている。
「べ、別に……書いてなんか……」
何とか隠そうとしたが、那岐は嘘が下手だった。
特に風早の前では……
「見せてほしいな、那岐の短冊♪」
るんるんうきうき気分な風早の嬉しそうな事この上ない表情が那岐には気に食わない。
こんな恥ずかしい短冊を見られるなんて耐えられそうになかった。
「……だから書いてなんかいないって言ってるだろ」
「隠さなくったっていいじゃないですか、俺の願い事だって見たんだからおあいこでしょ?」
「あんたのは勝手に見せられただけだろ」
「でも俺が見せたわけじゃない、千尋が勝手に見せたんだから不本意ですよ」
「……それあんたの自業自得だった気がするんだけど?」
どうしても見せたがらない那岐と言葉を交わしながらも風早は近づいていった。
徐々に2人の間の距離が縮まって行く様に危機感を感じた那岐は少しずつ後ろへと下がって距離を取ろうとした。
だが、家の中だ。
下がれる距離には限度があった。
背中が壁にぶつかればそれでおしまいである。
「ふふ。言ったでしょ?短冊を見せてくれないと夕飯はおあずけだって」
「……書けとは確かに言ってたけど見せろとは言ってなかっただろ?」
「おやそうでしたか?じゃあ訂正して、“短冊を見せてくれなきゃ”にしましょう」
「あんた勝手すぎじゃない?」
「ええ、俺は那岐の事となると必死になれるんです。どんなに勝手だと言われたって構いませんよ。俺は我が儘な男ですから」
那岐が必死で後ろに隠し持っている短冊に風早は手を伸ばす。
逃れようとする那岐を逃がすまいと風早の手が追いかけていく。
後ろは壁。
追い詰められているのは那岐の方だ。
圧倒的に那岐が不利な状態。
その上素早さも、力も風早の方が上。
どんなに抗った所で結果はほぼ見えている。
それでも短冊を見られるのが嫌で抵抗を諦めきれない那岐は立ち向かう。
風早の腕の下をくぐり抜けて一気に全速力で駆け抜けて……
と那岐がダッシュして進んだのは1、2歩。
その後はがしりと風早が那岐の腕を掴んでしまった。
「ほら、逃げられませんよ。諦めた方がいい」
「……っ……放せ!」
どんなに那岐が暴れようとも風早はけろりとしておりまったく動じはしない。
ただ単に那岐の体力が減少していくだけのやりとりに風早が苦笑した。
那岐は悔しそうにそんな風早を見つめて脱力した。
この男からは逃げられないと悟ったようだ。
それでも自分から短冊を差し出して見せるなんて真似だけはしない那岐。
風早はそっと那岐の手に握られた短冊に手を添えた。
一瞬びくっと震え、短冊を握る手に力が込められたが、それでもこれといった抵抗はもうなかった。
ゆっくりと短冊を那岐の手から引き抜いて、そこに綴られた文字を柔らかな表情で見つめる。
那岐の顔がまた赤く染まっていった。
恥ずかしくてたまらなそうだ。
「……那岐……」
「……な、何?」
気まずそうな那岐の声が愛しい。
「ありがとう」
「べ、別にっ……深い意味なんてないよ!」
「……はいはい、那岐は照れ屋さんなんですね」
「違っ!」
「ははっ本当に可愛いな」
「何ふざけた事言ってんだ!」
「本当にそう思ってるんだから仕方ないでしょ?」
風早は抑え切れなくなって那岐をぎゅっと抱きしめていた。
先程は千尋の目があった為お預けをくらったが、今は千尋も外にいて見てはいない筈……
それでも万が一を考え風早はちらりと庭にいる千尋の様子を窺う。
バーベキューの準備は既に整っているようだった。
けれど千尋はきらきらと輝く数え切れない程の星を眺めるのに夢中になっていた。
よく見れば星座の本まで手にしていて一生懸命何かを探している。
家の中の2人の事は気にしていない。
今ならばきっと大丈夫。
そう思った風早はそっと那岐に顔を近づける。
「ちょっと……やめてよ」
「こんなに可愛い那岐を目の前にして、やめるなんて無理だよ」
「千尋に見られたらどうするんだ!?」
「大丈夫、今は見てませんよ。それにもし見られてもちゃんと言い訳しますから」
「こんな状態を見られてどう言い訳する気だよ!?」
「え?そうですね……」
ちゅ
白くて柔らかい那岐の頬に軽くキスが落とされた。
「恋人同士だって言っておきますよ」
「はあ〜っ!?」
そのまま風早の唇は那岐の唇へと重なっていく。
「んんんっ〜!?」
頬に落とされた軽い触れるだけのものとは違い、長くて濃厚なキス。
やがて口内には風早の舌までもが侵入してしまい、那岐の舌と絡まる。
那岐は必死で逃げるように舌を引っ込めようとするが無理だった。
首をぶんぶん振って離れようと試みてみても、すぐに風早の手が那岐の頭の後ろを押さえて固定してしまう。
「…っはぁ…ぁ」
時々零れる吐息が風早の耳をくすぐればますます攻めたてるような口づけをする。
「…っんぁ…」
段々息も苦しくなってきた頃、いい加減にしろとでも言いたそうに那岐が風早の服を引っ張った。
しかし服を引っ張る手にはあまり力が込められないようで、夢中になっている風早はしばらく気づいてやれずにいた。
気づいた頃に慌てて唇を離してやれば、ものすごく苦しそうに息を吸い込む那岐がいた。
「はあはあっ……けほっ」
「すみません、つい夢中になってしまいました」
「……はあはあ……本当に……加減を知らない男だな……」
「ごめんごめん……俺と那岐とでは身体にかかる負担も違うからね、気をつけないといけないな」
「……あんまり反省してないだろ?毎回同じような事言ってるじゃないか……」
「反省はしてますよ。ただ我慢できないだけです、那岐が好きすぎて」
「やめろよそういうの」
「那岐があまりにも嬉しい願い事を書いてくれたんでつい……」
「……あんたの名前の部分だけ消していい?」
「そんなに怒らないで、いや照れなくていいですよ?」
風早の手が那岐の頭にぽんぽんと軽く触れる。
「俺の幸せはこうして那岐のそばにいる事ですから」
「…………」
「だからずっと俺のそばにいて下さい、那岐」
「…………」
「さあ、そろそろ千尋も待ちくたびれてるかもしれませんし、夕飯にしましょうか」
那岐の書いた短冊を、風早はそれがただの紙切れだとは思えない程大事そうに持って庭に出た。
それを千尋にはなるべく見られぬよう高い所に飾り付けをして満足そうに見上げる。
那岐が風早をむっとした表情で見つめれば、幸せいっぱいの風早の笑顔が返された。
ますます那岐が不機嫌顔になってしまう。
その様子を天空から眺める数多の星々。
織姫も彦星も2人を微笑ましく見ているようだった。
(那岐とずっと一緒にいられますように)
風早が書いた短冊のすぐ横で風に揺られている那岐の短冊。
2枚の短冊がまるで恋人同士のように風に揺られながら笹の上で踊っていた。
そしてそんな中、七夕の夜を楽しむバーベキューが行われたのだった。
Fin.
七夕の時期に書き始めたくせに大分過ぎてしまいましたね……
CDの語り聴いて書き始めちゃいましたなお話です。
無駄に長くなりすぎました……
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