ferire





こんな感情、僕は知らない……





知りたくもない……





早く僕の中から消えてよ……





何事もなかったかのようにすべてなくなればいい……





そう思っているのに……





どうして消えてくれないの?





**********





僕は放課後、応接室の窓から外を見下ろしていた。
授業が終わって家へと帰る生徒たちの姿が見える。

たくさんの群れが僕の心をむしゃくしゃとさせたけれど、やがてとある見慣れた群れを見つけてもやもやとしたものが湧き上がってきて、体内に何か鉛のようなものが埋め込まれたみたいに苦しくなった。



―――いつもと違う感情―――



群れている奴らを見るのは確かに不快だったけど、今までのものとは明らかに異なる。
はっきり言って今まで感じる不快さの方が楽だった。

この感情は胸を締め付けられるようでキツイ……



―――調子が狂う―――



何故なんだろうか?

あの群れは他の群れと一体何が違うと言うの?



わからないよ……
全然わからない……



お願いだから僕の視界で群れないで!



我慢できなくなった。



僕は気づいたら応接室を出ていた。

風紀副委員長の草壁が僕の突然の退室に驚いて声をかけてきたみたいだけれど、全く振り向きも立ち止まりもせず、返事をする事もなくその場を去って行く。

目指すのは先程僕が窓から見下ろしていた場所。

家へと向かうたくさんの群れの中から、たった一つの群れを探す。

他の群れとは違う、不可解な胸の痛みを与える特殊な群れを。



「はあ〜っ、また宿題が出ちゃってまいっちゃうよ本当に……」
「10代目!大丈夫ですよ!オレが宿題のお手伝いしますから」
「そうそう、みんなで一緒にやればきっとすぐに終わるって!獄寺がいればばっちりなのな」
「なっ!?野球バカはすっこんでろ!てめぇは自分で何とかしやがれ!」
「まあまあ、そう言わずにオレも仲間に入れてくれよ」
「冗談じゃねぇ!誰がてめぇなんか……」
「獄寺君、そう言わずにさ、みんなでやろうよ」
「な!?……じゅ、10代目……」
「そうそう、みんなでやった方が楽しいって」
「くっ……しょ、しょうがねぇな……10代目が仰るならおめぇもついでに見てやるよ……」

探すまでもなく、他のどの群れよりも騒がしくて目立っていたみたいだ。

迷う事なくその群れに近づいて行く。
怒気を隠す事なくふりまいていたかもしれない。
声をかける前に何かを察知したように沢田綱吉が僕の出現に気づいて振り向いていた。

「ヒ、ヒバリさん!?」

恐怖の色に染まった顔でこちらを見る。
本当に強いのか弱いのかわからない人物だ。

「げっ……」
「おっ、ヒバリどうしたんだ?」

沢田綱吉の声に反応した残り2人が僕の方を振り返った。

山本武の呑気な台詞は僕にとってはどうでもよくて、無視をしたのだけれど……

獄寺隼人が発した不快を表わす声がどうしても無視できなくて思わずむっとしてしまう。

「げっ」って何?
どういう事?
そんなに僕が気に入らないわけ?

何故だか無性に悲しくなった。

別に人から嫌われる事なんて大した事じゃないし、いつもの事で今更だと思う。

それなのにどうして今ここでそんな些細な事に胸を痛めなければならないというのか……



本当に不可解だ……



僕はとりあえずこの3人をじっと凝視した。

沢田綱吉を見ても、山本武を見ても普段他の草食動物を見る時と何ら変わりはしなかった。

あえて他の草食動物たちとの違いを上げるとするならば、無抵抗で咬み殺される群れや、抵抗しても弱すぎて話にならない連中に比べたら、幾分楽しめそうだと感じられるくらいの事だ。
それなりに実力があるみたいだし。

でも、だからってこの2人が僕の心を乱すような事はない。

いたって普通だ。



では何がいけないのだろう?

僕は獄寺隼人を見る。

途端に今までとは違う何かが体内に流れ込んで来て、呼吸困難に陥ったみたいだった。



ちょっと何なのこれ!?



わけがわからない。

もう嫌だよこんな感情。

どうしたらいいのかわからなくて戸惑ってしまう。

嫌だ。

こんなの僕らしくない。

こんなに余裕がなくなる程苦しくなるこんな感情なんて早く消えてしまえばいい。

じゃあどうしたらこの感情は消えるの?

どうすれば僕の中からなくなってくれるの?

この胸の痛みの原因は……



―――獄寺隼人―――



どうして?

何故彼なんだ?

彼の一体何がこの僕にこれ程の痛みを与えるというの?

彼が僕にとって特別になるような事何かあるわけ?

僕は確かに強い奴には興味を抱く。
でも、彼が特別強いとはどうしても思えない。
そりゃあ並の連中と比べたら強いって言えるレベルかもしれないけど。
強さで言ったら山本武の方が上のような気もするし。
どっちにしたってこの僕から見たら弱い草食動物じゃないか。



自分の事なのに……
理解できない。



だけどこのまま放っておいたらきっともっともっと痛みが増していくような気がする。

それだけは何となくわかるんだ。

だって最初にこの痛みを感じた時はもっと軽いものだったはずだ。
それなのに理解できない感情だったからどうする事も出来ずに何の対処もしなかったらこれだ。

もうそろそろ限界だよ。

僕は我慢なんて嫌いだからね。

この感情に決着をつけないと……



じゃあどうしたらこの感情は消えるの?

この痛みはどうすればなくなる?



そう……

わからないけれど……

でも……

もしこれが……

獄寺隼人という一人の人間が原因であるとするなら……



彼がいなくなればいいんだ。

彼がいなくなればこの不可解なものも消えてなくなるはずだ。



だったらこの場で……

獄寺隼人を……



―――咬み殺す!!―――



ザッ!!



僕は両足を開き、両手にトンファーを構える。

突然の僕の行動に、3人ともびくっとしていた。

けれどみんな反応が遅過ぎるよ。

ライターを慌てて取り出そうとする獄寺隼人の懐に入り、そのままトンファーで頭を殴ってやる。

「ぐっ」

その次に休む事なく蹴りをお見舞いしてやれば、彼の身体は盛大に吹っ飛んで行く。

「獄寺君!!」
「獄寺!!」

2人が慌てて彼に駆けつけようとしたけれど、それは僕にとっては邪魔になる行動に他ならない。

邪魔するなら君たちも道連れだよ。

一緒に咬み殺してあげる。

左手に持つトンファーで山本武を、右手に持つトンファーで沢田綱吉を殴りつけた。

あっという間に2人は地に伏せ身動き出来なくなっていた。
やっぱり僕にかかればこんな草食動物大した事ないじゃない。

もっとぐちゃぐちゃにしてやってもいいけれど……

今はこの2人より優先させてぐちゃぐちゃにしないといけない相手がいるから今日は見逃す事にするよ。

僕の蹴りで吹っ飛んだ身体の行方を目で探す。

視界に飛び込んできた彼は小さく呻き身じろいだけれど、起き上がっては来なかった。

ほら、やっぱり弱いじゃないか。

僕が気にするような相手じゃない。

そりゃあ表情をコロコロ変える姿はちょっと見ていて飽きなくておもしろいかなとも思う事はあるけれど。

僕を痛めつける力が彼にあるなんて事、認めたくない。



こんなわけのわからない気持ちはさっさと消してしまいたいんだ。

これ以上苦しくなる前に……



なのに……

何で……?



原因だと思われる獄寺隼人が地面に転がって呻いてる姿を見て、ますます不快な感情が湧き上がってくる。

今まで正常に流れていた血液が逆流し出したみたいで気持ちが悪い。

早く彼を僕の前から消し去らなくてはと思うのに、身体が言う事を聞かない。

石化させられてしまったみたいに動けない。

どういう事なのこれ?

何で?

自分の理解不能な感情が勝手に湧き上がってくる。

息が出来ない。



嫌だ……

これ以上彼を傷つけるのは……

本当は傷つけたくなんかない……



僕は彼には怪我なんかしてほしくないと思っているんだ……

だけど僕は僕ゆえに彼を傷つける……

傷つけてしまう。



どうして?

どうして僕はそんな風に考えているんだ?



自己嫌悪したくなった……



何に対して嫌悪してるんだ?



彼を傷つける僕か……?

それとも彼を傷つけたくないなんて思ってしまった僕か……?



どうして僕がこんなに苦しまなくちゃいけないの?

早く……

早くこの感情を僕の中から抹消してよ!



僕は溢れ出す感情を無理やり一気に抑え込んで、凍らせた。



少しの間でいい。

無茶でもなんでも……

この僕をおかしくする存在を。
この僕を狂わせる存在を。

獄寺隼人を消し去る間だけ……



―――僕の心よ、静まれ!―――



石のように固まっていた身体がやっとの思いで動き出す。
とてつもなく重い足を引きずるように一歩一歩目標に近づいて。

何も考えないように頭を真っ白にして。

トンファーを振り上げる。

そのまま力の限り振り下ろして脇腹にヒットさせる。

振り下ろすその手が震えているのが自分でわかったけれど、そんな自分を認めたくなんてなかった。
だから気づかなかったふりをして、更にもう一発お見舞いしてやる。

「がはっ」

苦痛な呻き声が僕の耳に届くとまた押し込めていたものが外へと飛び出しそうになって慌ててしまう。

もう少しこの感情を封印しなければと再び力でねじ伏せてやる。

そして何度も何度も殴る蹴るの暴行を繰り返していた。

無我夢中で。
何も考えられなくなるように……
機械的に同じような動作を続けて……



我に返ってぴたりと行動を止めた頃には彼はほとんど動かなくなっていた。

気づけば僕の愛器が赤く染まっていてはっとする。

きっと彼の血がついたんだ。

その赤を僕はじっと見つめる。

ぽたりと一滴、地面へと落ちてゆく。

途端何かが僕の中で弾けた。

今まで無理やり押し込めていたものが一気に爆発したみたいに。
凍っていた氷がいきなり溶けて流れ込むように。

頭が割れそうだ。

声にもならない悲痛な叫びを上げて、両手の愛器を落としてしまった。



傷つけたくないという感情が僕の中にあった事に気づいていたのに、僕は彼を傷つけた。
無理やり押し込めた感情が、まさかこんな形で返ってくるとは思いもしなくて……



この苦しみも、痛みも、これまでの比ではなかった。

最高潮に達した痛苦が僕を襲っている。



僕の様子がおかしい事にはきっと見ている者すべてが気づいているに違いない。
けれどきっとこの僕が恐ろしくて何も言えはしないんだ。
遠巻きにしか眺められない。
それすら恐怖でさっさと逃げるように帰宅路に向かう者の方が多いくらいだ。


僕はいつの間にか地面に膝をついていた。
そして僕が自分自身で傷つけた獄寺隼人の身体にそっと触れる。

手に彼の血がついてびくっとする。

こんな事でどうして僕はこんなにも心を揺らしているというのか。

草食動物たちを咬み殺すなんて日常の事なのに。



ゆっくり彼の上半身を抱き起こす。

土と血で汚れてしまったその身体を遣る瀬無い思いで見つめた。

傷さえなければ白くてすべすべで柔らかな肌であろうに。
僕が彼をぐちゃぐちゃにしてしまった。
こんなにも汚してしまった。

それなのに……

土と血に塗れていても綺麗だと感じてしまうのは何故なのか。

僕は僕自身があり得ないと思うくらいに優しく、獄寺隼人のこめかみから流れる血を舐めていた。

自分でつけてしまった傷だというのに。
まるで労わる様に。



「……ごめんね……」



無意識の内にぽろりと零れる言葉。
信じられなかった。
この僕が誰かに謝罪の言葉を口にするなんて。
いくら相手の意識がなくて聞かれてはいないのだとしても。



「……ヒ、ヒバリさん?」

僕にやられて地面に臥せっていた草食動物が不思議そうに僕の名を口にした。

疑問だらけなのだろう。

いきなり獄寺隼人を攻撃対象にした事。
その攻撃が甚だしく、いつもの度を越えていた事。
そして終いには僕にはあり得ない様な言動。



けれど僕は沢田綱吉の疑問に答える術なんてない。

だってこの僕自身がわからないのだから。



誰か……

この感情の意味を知っているのだとしたら……

教えてほしい……

消したくても消えないものならせめて……

この感情が一体何なのかを知りたい……

不可解なままなんて気分が悪過ぎるから……



ちらりと沢田綱吉を見た。
次に山本武。

2人とも今まで僕にやられて倒れていたけれど、何とか起き上がったみたいだ。

この2人なら、僕のこの感情が何かわかるのだろうか?



……………



この2人に相談事なんて冗談じゃないよ。



じゃあどうすれば……



風紀副委員長の草壁辺りにでも聞いてみるか……?



いや、でももしこれが僕の弱点になるような事になったら困る。
弱みを握られるなんてごめんだ。



やはり自分で考えて答えを導き出すしかないのだろうか?



制服のポケットから携帯電話をさっと取り出した。

たったの3つ。
119のボタンを素早く押しては救急車の手配をさせる。

僕が傷つけてしまったくせにこんなに焦っているなんておかしな事だけれど、一刻も早く手当てしてもらいたかったから、僕は電話の相手を脅すように要件を伝えた。



「ねえ、これから獄寺隼人を病院に運んでもらうけど……君たちはどうする?」

僕は沢田綱吉と山本武に向って問う。

別に彼ら2人の怪我は心配などしていない。
然程大きな傷はないはずだ。
この2人は邪魔だったからしばらくの間動けないように軽く攻撃しただけだからね。

僕が聞いているのは獄寺隼人の同行をするかしないか。
いつも群れている者同士、予想通りの答えが返って来た。
同行するという返事が。

そんな2人の答えを聞いて僕は頷く。
そして告げる。



「僕も同行させてもらうよ」



群れるのを嫌う僕なのに……

どうしてか彼に付き添いたくて堪らなかった。

不可解で理解しがたく受け入れがたい感情だけれど、無視をして無理やり押し込めると余計に大変な事になる事を学んだ僕はその感情に素直に従う事にした。

けれど、そんな僕に目を丸くして2人が驚いていた。

僕がどうしようが僕の勝手なんだからそんなに驚かないでほしいとは思ったけれど、自分でもこんなの驚きだからまあ仕方ないと溜息をつく。



沢田綱吉と山本武の視線がとても痛い。

じっと見つめてくるその目を何とか逸らして、傷ついた獄寺隼人を見つめる。

悲しいという感情も僕にとっては久しいものだった。



そんな感情を湧き立たせる彼と、僕はこれからどう接していけばよいのだろう。

僕の前から抹消してしまえばという考えは無駄だとわかった今、何か対策を立てなければならないだろう。



この感情が何なのか、その正体を知るまでは……




Fin.





雲獄2つ目のSS。
でも告白までまだ到達しない辺りがさすが雲雀さん……
雲雀さんは恋なんてした事ないし、するつもりもなかったから自分が恋してる事になかなか気づけないという……
じれったいSSで申し訳ありません。
題名はイタリア語で「傷つける」「けがを負わせる」