accorgersi
最近学校の生徒たちの様子がおかしい。
理由はわからない。
けれど……
落ち着きがない。
皆そわそわしているようで、どこか浮かれた様子だ。
「ねえ、君たちそこで何してるの?」
休み時間とはいえそろそろ授業開始のチャイムが鳴る時間。
ここは特別教室が並ぶ廊下の端だけど、次の授業でここら辺の教室を使うクラスはないはずなので、そろそろこの場を離れなければ次の授業に遅れてしまうであろう事は簡単に予想がつく。
それにもかかわらず女子生徒たちはわいわい騒ぎながらその場で群れを成して喋り続けていた。
だがらそんな騒がしい女子たちを睨みつけながら注意をしてやる。
「ヒ、ヒバリさん!?」
「きゃあ!?」
怯えた表情で縮こまる彼女たちを静かに見つめていると、その手には学校の授業には必要のない雑誌の類が目に入った。
「……それ何?学校に関係ないものを持って来るなんて校則違反だよ」
さっとそれらを取り上げてしまうが、女子生徒たちは誰一人として文句を言わない。
青い顔をしながらただ震えている。
「君たち、休み時間はもう終わりだよ。授業に遅れたら咬み殺すけど?」
そう告げれば慌てて自分たちのクラスへと走り去って行く。
その様子を見て溜息をつくと更に見回りを続けるために廊下を歩き出した。
その日一日だけでも似たような女子たちの姿が何人も見られ、その度に注意をしてやった。
いい加減イライラしてくる。
普段は不良たちの取り締まりが主だった仕事であった。
それなのに2月に入ってからというもの、不良たちの姿よりも群れをなしてテンション高めにお喋りをする女子生徒たちの姿の方が多い。
一体何だというのだろうか?
そういえば一年前も似たような雰囲気があったのを思い出した。
この時期には何故女子たちの様子がおかしいのか僕には理解出来ない。
女子たちの注意に追われる日々にうんざりしながら一通りの見回りを終えてやっと一息つくために応接室へと戻って来た。
何人かの生徒から取り上げた品々をテーブルの上に乱暴に放る。
特に興味のあるものは何もなかった。
女子たちの持ち物なんて僕にはどうでもいい。
雑誌なども中身など確認する気もない。
見ても面白いものではないだろう。
そう思っていた。
だからそのテーブルに置かれた品々にはほとんど目もくれず、ソファに座り込んでは風紀委員の仕事を始めた。
そうこれは本当に偶然だ。
ただ偶々その取り上げた雑誌類の中の一冊がテーブルの上からばさりと落ちたため、僕の視線がそこへと辿り着いてしまっただけの事。
床へと落下したその雑誌は、窓から入り込んだ風の力によってパラパラとページが捲られていった。
静かに仕事に集中したかったのに、その不快な音がやたらと僕のムカツキを大きくしてゆく。
ただでさえ最近の女子たちの取り締まりにイライラを募らせていたというのに……
眉間に皺を寄せながら、それでも視界からさっさと消したくて重い腰を上げながら床に落ちたその一冊の雑誌を手に取った。
このイラつきのやり場がどこにもなくて、僕は鋭い眼差しを手にした雑誌に向けた。
人々を睨めばほとんどの者が怯え震えあがるこの僕を相手にしても、当然雑誌は微動だにしない。
それがまた気に入らず、手に力を込めてぐしゃりと雑誌を握り締めた。
その雑誌の表紙に大きく書かれた文字。
“バレンタイン特集”
その文字が僕の目に飛び込んで来てむっとする。
表紙を飾っているのは恋愛したい年頃の女の子と見るからに甘そうなお菓子類の数々。
主にチョコレートと呼ばれるものだった。
そういえば……
と思い至る。
2月にはそういうイベントの日があったのだ。
僕には全くの無縁な日であったため、その存在がある事自体をすっかり忘れてしまっていたのだ。
これで女子たちの不可解な様子も何となくこのせいだと推察できた。
恋をした事など一度もない僕には、騒ぎ立てる女子たちの気持ちなど微塵も理解出来ないが。
冷めた目でその雑誌のページを捲った。
別に中身に興味があったわけではなかったが、最近の女子たちの行動について理解する事で、よい取り締まりの方法がわかるかもしれないと思ったからだ。
“恋するあの人へ”“大好きな人に告白を”“気持ちを伝えるチャンス”
等々、僕にはどうでもよい内容ばかり。
理解しようとしたものの理解しがたいその文面に、早々に嫌気がさした。
馬鹿馬鹿しいとページを閉じかける。
その時だ。
ふと一つの言葉が視界に入った。
“胸が痛くなる想い”
はっとして閉じかけのページを再び開く。
トクンと鼓動が跳ねる。
更に雑誌の文字を読み進めていくと……
“好きな人を見ただけで苦しくなる”
などの文が目に飛び込んできた。
僕はごくりと息を飲んでまじまじとその雑誌を見つめてしまった。
僕は―――――
知っている―――――?
この感情を―――――?
いや―――――
そんな馬鹿な―――――
あるわけがない―――――
ありえないよ―――――
ふと僕の頭をある人物の姿が過って焦ってしまう。
何でこんな時に獄寺隼人が思い浮かんでしまうのか。
自分自身に怒りを感じた。
恋愛話なんかに夢中になる女子たちが騒ぎ立てるバレンタイン特集の雑誌を見て何故獄寺隼人の姿が思い浮かんでしまったのか……
無理やり脳内にちらつくその姿を外へ追いやろうと試みた。
しかし……
どうした事だろう?
消そうとしても頭から離れなくなっていた。
どういう事―――――?
彼の姿を思い浮かべただけなのに、何だか胸がちくりと痛んだ。
ほらまた痛みが僕の胸の中に。
これは一体何なの―――――?
「委員長?」
え?
呼ばれて振り返ると応接室の入口には風紀委員のメンバーがずらりと立っていたので驚き、僅かに肩を震わせた。
僕とした事が、人がここに入り込んだ事に気がつかないなんて……
自分自身の失態に軽い舌打ちをする。
足音のみならず扉が開いた事にすら気づかないとは……
なるべく動揺の色は見せず入口に立つ風紀委員たちを見つめた。
何故か皆、呆けたような、珍しいものを見るような表情をしているのが気になる。
一体何なのか問おうと口を開きかけて自分の手にしている物の存在を思い出す。
普段の僕を知っていれば絶対に無縁そうに見えるであろう女子生徒から取り上げた雑誌の数々。
テーブルの上に置かれた品々だけならばおそらく生徒からの押収品だと簡単に理解するだろうが。
今現在、僕は一冊の雑誌を手にしていた。
しかも風紀委員たちに声をかけられる前までとても真剣にそれを読んでいたのだ。
そう、人が応接室に入り込んでも気づかない程真剣に……
風紀副委員長である草壁哲矢がおろおろとしながらちらりとこちらを見てはその視線を逸らす。
どう言葉をかけるべきかを迷っているらしい。
口を開いたかと思えばすぐに閉じ、また開いたかと思えば再び閉じられる。
僕は手にしていた雑誌を乱暴にテーブルへと放ると、「言いたい事があるなら早く言って」と急かした。
草壁哲矢は慌てて咳を一つ。
そして「見周りのご報告をと思いまして……」と真面目な様子で答えた。
僕が読んでいた雑誌の事は気になっているのだろうが、触れてはならない事だと判断したらしい。
「ふ〜ん。それで?」
誤解されたままというのは気になるが、わざわざこちらからその話題を出したくもないので、自然の流れに任せておく。
「はい。やはり2月に入ってからは女子たちの行動が気になりますね。この分だと14日は大変かと……」
「14日……」
「はい、バレンタインデーですから」
「……バレンタイン」
「ええ、好きな人へチョコを贈るという日です。その日は大勢の生徒がチョコを学校に持って来ると予想されます」
「……そう。厄介な日だね」
ここ最近の状況を思い返しては、その原因である14日のたった一日に起こるであろう状態を思い溜息をつきたくなる。
本当に厄介な日だ。
うんざりする。
毎年毎年……
何故そこまで騒げるのか理解に苦しむ。
人を愛する心なんて僕は知らない……
誰かを特別に想う心なんて僕は……
そう考えてはまた僕の胸に何かが刺さったような感覚が襲う。
この感情の正体は何―――――?
ただ一つだけわかっている事がある。
それは……
この痛みは“獄寺隼人”という一人の人間に起因しているという事。
彼を想えば想う程、この痛みは増してゆく……
先程読んだ雑誌の言葉を思い出しては自分と当てはめてみる。
まさにその通りだと頷く事柄ばかりだった。
けれどそれはありえないだろうと思った。
この僕に限ってそんなはずはないのだと……
認めたくはなかった。
―――この僕が誰かを愛する事なんて絶対にない―――
認められるはずがない。
だけど……
僕の中で一つの可能性が頭をどんどん支配していくのがわかった。
―――もしもこの感情が恋だとしたら?―――
その考えを導き出してしまった自分自身が恐ろしかった。
今までそんなものに興味など全くなかったのだ。
自分は自分自身が一番大事であって誰かを大切に想う心などないと信じていた。
そう。過去には一度もなかったし、これからだってそうだと疑わなかった。
それなのに……
相手が女性だったとしても人を好きになるという事実だけで驚きだというのに……
その相手がまさか男であるなど……
この僕が獄寺隼人に恋をしているなど―――――
「ねえ……草壁哲也」
僕は静かに副委員長の名を呼んだ。
「はい」
いつものようにはっきりとした返事が返ってくる。
だから僕は続けた。
「人を好きになるってどんな気持ちなの?」
「は?」
さすがにこの言葉には驚いたようで間の抜けた返事が漏れた。
突然何を言い出すのだろうといった表情でこちらを窺う。
「ねえ、どんな気持ちなの?」
もう一度問いかける。
すると今度は困ったような表情で何かを考え込むように口元に手を当てた。
「……あの……うまくは説明できませんが。ただその人を想うと胸が熱くなって。その人にも同じように好きになってもらいたいと考えるようになって。その人と共にいられる時には甘く、離れている時には切なく。時に痛みを伴い、それでもその人と出会えた事に喜びを感じる。それが恋ではないでしょうか?」
正しい答えを返せているのか不安な面持ちで答える。
その返された答えに僕は更に質問を重ねた。
「……人を好きになる気持ちは痛いの?」
その問いには割と簡単そうに答えが返ってくる。
「ええ……まあお互いの気持ちが通い合わない時や自分の恋が思うようにならない時には苦しくなる事もあるでしょう」
返って来た答えに僕はハッとする。
それならば……
「気持ちが通じれば……痛みは消えるの?」
「……そうですね……。気持ちが通い合っている間はとても幸せな気持ちになるでしょうから」
何故そのような事を聞くのか不思議に思っているその表情も、僕は気にする事なくそこでこの話を打ち切った。
今日の仕事は終わりだと告げ風紀委員たちを解散させると僕は再び応接室に一人になる。
そして先程の副委員長の言葉を思い出していた。
もしも本当にこれが恋ならば……
気持ちが通じれば……
この痛みは消えるのだろうか―――――?
しかしわからない。
本当にこれは恋というものなのか……
もしこれが本当に恋だとするならば僕は獄寺隼人が好きだという事になる。
果たしてそうなのだろうか?
以前、彼をこの手で何度も傷つけた。
最初は他の獲物を狩る時と何ら変わりはなかった。
それが最近、他の者と比べて何かが違う事に気づいた。
この痛みの原因が彼であると判断し、それならば僕の視界から消してしまおうと試みた事もある。
けれど……
僕の中で不可解な感情が生まれて……
信じられない事にどこかで彼を傷つけたくないと思っている自分がいた。
他の人とは違う、これは……
この感情は……
一人の人間によって生じる特別なもので……
これが恋だというのか……?
次の日の朝、僕は校門の前に立っていた。
服装検査という名目で。
数人の風紀委員もその場にいたので登校して来る生徒たちはそんな僕たちを見て緊張しながら門をくぐる。
僕は欠伸をしながらほとんど仕事を他の者に任せていた。
風紀委員たちの姿を遠目から確認すると、その場で服装を正し、目をつけられないよう準備を整えてやって来る事が多いため検査に引っかかる生徒はあまりいない。
わざわざ僕が出る幕などありはしない。
元々この日は抜き打ちで風紀委員が服装検査を行う予定にしていた日だった。
ただ僕はこの検査に参加するつもりはなかったのだ。
それにもかかわらずこの場に朝早くから訪れたのには目的があったからだ。
そう……
素行が悪く、いつも風紀委員の検査に引っ掛かる不良の中でも特に目立つ人物。
僕は彼がやって来るのを校門の前で静かに待っていた。
普段の様子からして彼が朝一で登校して来るとは考えにくいが、もしもの場合も考えてわざわざ早い時間から待ち構えている。
群れを成しながら大きな声でお喋りをする女子たちが相変わらず目立っていて、不快な気分にもなったけれど。
それでも僕は彼がこの場に現れるのを待っているのだと考えると少し落ち着く事が出来た。
何故なのだろうか。
彼の事を考えると今まで胸が苦しくなってとても大きな痛みを感じていたというのに……
今こうして彼を待つ僕の心はこんなにも穏やかで……
心地良いとさえ感じてしまう。
彼の姿を見ると辛くて、避ける事もあったというのに。
今は早く会いたいと、それだけだった。
今、彼に会えば何かがわかるような気がするんだ―――――
この不可解な気持ちが一体何なのか―――――
この感情の正体が何なのか―――――
これが恋なのか否か―――――
さあっと冷たい風が吹き抜けて真冬の厳しい空気が身体を凍らせた。
僕はあまり表情を変えずにその寒さに耐えていた。
そして……
やっと来た……
もうチャイムが鳴り響く頃。
ギリギリの時間になってようやく待ち人が校門へと姿を現す。
いつもの群れ。
沢田綱吉と山本武。
いらないおまけと一緒に並んで歩いて来る。
そう、僕の待ち人は獄寺隼人ただ一人。
沢田綱吉は風紀委員の姿を見つけると青い顔でびくびくとしながら、それでも遅刻寸前である為に速度を緩める事なく校門をくぐった。
山本武は全く顔色を変えず、風紀委員をちらりと見ては何事もなかったかのような素振りで通り過ぎる。
獄寺隼人は沢田綱吉以外眼中にない様子で歩いていた。こちらを見ようともしない。
「待ちなよ獄寺隼人」
視線すら向ける事なく僕の目の前を通り過ぎようとしていた彼の名を呼ぶ。
呼ばれた事でやっと僕に向けられたその緑眼がきらりと鋭く光る。
眉間には皺が寄せられ、沢田綱吉に見せていた表情から一変していた。
僕に怯える事なく、まっすぐで揺るぎない眼差し。
そう僕はこの彼の怒った表情も宝石のような翡翠の目も気に入っていた。
これを“好き”だというのだろうか?
けれど……
もっと違う彼を見てみたいとも思う。
知りたいと願う。
これは……
“恋”というものなのか?
「何だよ?」
敵意を隠しもせずに僕を睨みつけるその瞳に、まるで陶酔しているかのような自分がいて……
一気に胸の鼓動が速くなる。
この鼓動の音が誰かに聞かれてしまいはしないかと心配になる程に。
その音は僕の中で大きく鳴り響いていた。
冷たい風が身体を冷やすこの季節。
寒いはずのこの場所で。
僕の身体が突然熱くなって行くのを感じた。
胸の内側から何かが溢れて来るような……
何かが燃えるような感覚。
ああ何て幸福な苦しみなのだろう?
そして……
何て甘美な痛みなのだろう?
あれ程消し去りたいと思っていた感情なのに。
今の自分にはこの苦しみも痛みも快楽に変わる。
これが恋をするという事なのだろうか?
好きな人の姿を見ただけで高鳴る感情。
今まで知らなかった感情。
―――恋なんてしない―――
―――恋なんてくだらない―――
―――恋なんて邪魔なもの―――
そう思ってきたのに。
―――もっと知りたい―――
―――もっとこの痛みに酔いしれたい―――
―――もっとこの苦しみに溺れたい―――
そんな事を思ってしまう僕はもうこの恋から逃れる事は出来ないのだと悟った。
この想いを消し去ろうとした事もあったけれど、それは簡単な事ではなかったから。
人は恋をすると、自分では感情がコントロール出来なくなるというから。
人を想うその気持ちは、誰にも止められないものだというから。
そう。
僕は……
いつの間にか……
自分の知らない間に……
引き返す事も叶わぬ程深い場所まで落とされてしまったようだ。
―――僕は獄寺隼人に恋をしている―――
認めたくはないのだけれど……
これはきっと変えられない事実。
「……何だよヒバリ」
僕が呼び止めてからどれだけの時間が経ったのか、イマイチわからなかった。
けれど、あまりにも無言で彼を見つめすぎていたようだ。
獄寺隼人は訝しむように僕の顔を覗き込んできた。
「……いや……」
「また校則違反とやらで注意か?人の事じろじろ見やがって」
どうやら僕が彼を見つめていたのが服装検査だと思っているらしい。
まあ、僕が恋をしているなんて誰も思いはしないだろうからね。
「そうだね。忠告しておくよ」
僕は彼の腕を取って捕まえる。
はっとして逃げようとしたみたいだけれど遅過ぎる。
僕が動いてからの反応が全然駄目だよ。
尤も早く気づいた所で逃がすつもりもないけれど。
「なっ!?何だよ!?」
「君は……僕からは逃げられない」
「何だとこの野郎!」
「だから言動には気をつけた方がいい」
それだけ告げるとあっさり掴んだ手を離す。
チャイムの音が鳴り響いては沢田綱吉が焦って2人の腕を引っ張り校舎へと逃げるように走って行った。
僕がその気になったらどこにも逃げられはしないのに。
「忠告はちゃんとしたから覚悟しておいてね」
彼らの去った後、校門で一人呟くように言った。
そばにいた他の風紀委員たちの耳にも入りはしない程の声。
冬の乾ききった空気の中で静かに消えて行った呟きに、僕はそっと笑みを浮かべては獄寺隼人の入って行った校舎に自分も歩を進めて行った。
Fin.
2作目から間が空いてしまいましたが……
やっと3作目です。
そしてアップする季節もずれてますね(汗)
あれ?これって連載もの???って感じで話が繋がってますが……(汗)
やっと雲雀さんが“恋”に気づいたという所で。
じれったくて申し訳ないです。
最初に考えていた内容とまた離れてしまった気もいたしますが……
まあこれはこれでいいかなと。続きはまた次回。
題名はイタリア語で「気づく」
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