たとえどんな時でも朝は来る。 時は決して止まりはせずに流れ続けるのだから。 暗い闇へと落ちていった意識がやがて覚醒し出す。 頭は朦朧としていて。 きちんとした思考が働かない。 頭が酷く痛んで瞼は重いけれど。 それでもどこからか差し込む光に無意識に覚醒を促され。 ゆっくりと目が開けられてゆく。 ぼんやりと見える天井は己の部屋のものではなくて。 自分が今どこにいるのかもわからなかった。 まだ現実味のない感覚に瞬きを繰り返すだけ。 身体を起こす気力も湧かない程に身体は重く、自由に動かない。 せめて腕だけでもと思い力を込めれば。 「……っ!?」 頭上で左右の手首を縛られているらしく、力の入らない今の状況では手すらまともに動かせはしなかった。 自分の置かれた状況にぼんやりとした意識も少しずつ浮上し始めて。 身体が冷えてゆく。 沖田は何とか首を左右に振り無理矢理覚醒を促した。 意識を手放す前。 己の目で見た光景を思い出す。 新選組一番組組長という立場でありながら、屯所内で浪士に囲まれ大した抵抗も出来ずに身体を押さえつけられてしまった事。 そして薬を嗅がされてあっさり意識を手放してしまった事。 “ああ……情けないな……” 誰にも聞こえる事のない心の呟きに頭上で縛り上げられた手が震えていた。 「目が覚めましたか?」 ふいに近くで声を掛けられる。 今まで沈黙していた何者かが動き、沖田の顔を覗き込んだ。 ろくに動けない沖田の視界にその男の顔が入ってきて。 はっとする。 沖田が子どもと遊んでいた時に声を掛けて来た男であり、新入隊士として新選組に潜り込んでいた間者であった男だ。 「…………」 沖田は無言で男を見つめていた。 起きたばかりで少し気怠げな瞳を向ければ。 男は嬉しそうに笑みを浮かべている。 この男は沖田を見る時いつもこのような笑みを浮かべていた。 殺気は含まれておらず、恨みも怒りも込められてはいない。 敵を見る目ではなく。 こうして沖田を追い詰めている時でさえ、嘲るような様子も馬鹿にした様子もない。 ただ不思議な笑みが沖田には不可解でならなかった。 「ああやはり綺麗だ。寝顔もそそるが、その宝石のような瞳が揺れると惚れ惚れする」 男が漏らした言葉は耳に入っては抜けてゆくようで。 覚醒しきれていない頭では理解出来ず、沖田は虚ろな目でただ見つめるだけ。 頬に男の手が添えられて嫌らしい手つきで撫でられても抵抗は出来ない。 しかし次の言葉で漸くある事に気づいた。 「着物もこの方が似合ってますよ、沖田さん」 「……え?」 未だ重い身体では起き上がる事も出来ずはっきりとはわからない。 けれどよく見れば自分が着ているのは己の着物ではなかった。 囚われの身となる前とは違う。 女性のための赤く華やかで可愛らしい花柄の着物。 どことなく以前島原で不本意ながら着せられてしまった着物に雰囲気が似ていて。 嫌でもあの時の記憶が蘇った。 “何これ……?” 自分が囚われた理由もまだわからない上、更に理解に苦しむ状況。 “僕にこんなものを着せてどうするつもりなんだろう?” 必死で考える。 男たちの目的を。 しかしいくら考えようとも、このような着物をわざわざ着せる理由が思いつかなかった。 困惑する沖田を見下ろして、心底楽しそうに笑う男が憎らしい。 「沖田さんは俺の事を覚えてなかったみたいですね。少し残念だなぁ……」 男の手が己の髪を弄ぶように撫でる感覚に顔を顰めながら沖田はその相手を見つめた。 相変わらず心の中が読めない笑顔だ。 「俺は沖田さんのあの美しい姿を忘れる事が出来なかったんですけど」 何が言いたいのかはっきりわからない物言いに不愉快になるが。 男の言う“あの美しい姿”とは一体何の事だろうかと考える。 そもそも“美しい”とは誰の事だろうかと疑問に思いながら。 今の状況から思い起こされる事。 「……どこかで会った事がある気がしてたけど……君は……」 沖田は子どもたちと遊んでいた時に、この男と会って見覚えのある顔だと思った。 男が新入隊士だと口にしたため、屯所のどこかで見かけたのだろうとあの時は深く考えなかったが。 沖田は最近体調を崩していて幹部以外の人間と屯所内ではほとんど顔を合わせていなかった。 そんな沖田が新しく入ったばかりの隊士と顔を合わせる機会などなかったのである。 同じ屯所内にいるのだから絶対に顔を見ていないとは言えないけれど。 沖田はやがて気づいた。 この女物の着物を着せられた意味を。 沖田が初めてこの男と顔を合わせたのは屯所内ではないのだ。 「前に島原で……」 そう。 出会いは男が間者として新選組内に潜入する前の事。 島原で酔っぱらった新八がひっくり返した膳のせいで服を汚してしまった沖田が仕方なく女物の着物に着替えた時。 恥ずかしがりながら廊下を歩いていた時。 たまたま通りかかった一人の男がいた。 酔っぱらった彼に手を貸し、ふらつくその身体を支えて部屋まで送り届けた時。 その部屋には他にも数名の男がいて。 沖田が酔った男を連れて部屋を訪れた際に。 その部屋にいた者全員から一斉に視線を受けた。 驚きに満ちていて、目を見開く男たち。 しかし沖田はこの時気づかなかった。 その驚きの表情の本当の意味を。 沖田はただ女装をした男が突然現れた事に驚いているのだと思っていたから。 羞恥の心でいっぱいで人と目を合わせる事を避けていた。 だから気づけるはずもなかったのである。 その部屋にいた男たちが長州の浪士たちであり、新選組に敵意を持った相手である事を。 沖田の顔と名前も彼らには知られているという事も。 楽しんでいた酒の席で突然敵である新選組の幹部が現れれば当然驚くだろう。 しかし沖田が気づけなかった理由にもう一つ。 彼らが沖田に向ける視線には敵意が含まれていなかった。 敵であるはずの新選組幹部の一人が目の前にいて。 武器を持たない丸腰の状態で。 しかも動きにくそうな着物を着ている。 そんな状態であるのにもかかわらず斬りかかって来る者が誰もいなかったのだ。 殺気すら誰も放たなかった。 それどころか去ろうとする沖田を引き止めて酌をするように頼み込んできたのである。 男たちの表情は最初に沖田の顔を見た時の驚きの顔から打って変わって楽しげで嫌らしい笑みを浮かべていた。 その笑みが沖田の格好を嘲っているように見えてたまらなかった。 自分の格好に汗顔の沖田はわかるはずがない。 その部屋にいた男たちの正体など。 だが今思い返してみれば。 今目の前にいる間者として新選組の中に潜入していたこの男は、沖田が女の着物を着て訪れた部屋の中に確かにいたのだ。 そして。 その部屋の中にいた者たちこそ沖田の部屋に乱入して来た浪士たちだったのだ。 「思い出していただけましたか?」 男が気分をよくしたらしくにこにこと顔を近づけて来た。 沖田はその近くなった顔を睨みつけてやったが男が怯む様子は見られなかった。 それどころかますます喜んでいるようにさえ見えて逆に沖田の方が怖気づいてしまう。 距離を取りたくても動けぬ今の状況では男から逃れる事が叶わない。 相手の目的もわからず次に何をされるのかまったく予測出来ないのだ。 いくらいつもは飄々としていて物事に動じない沖田でも、不安でいっぱいになる。 無理して強がって瞳を揺らしているその姿に男は更に楽しげに顔を近づけて来た。 狭まる距離に沖田の心臓が早鐘を打つ。 ふっと笑う男の息がかかる程の距離。 「……っ」 耐え切れず、沖田は顔を横へと向けて視線を逸らした。 それが沖田に出来る唯一の抵抗。 上から笑う声が零れて来て、悔しさに唇を噛み締めたがそれでも沖田に出来る事は他になかった。 「そんなに可愛らしい反応をされると俺も我慢出来なくなりますよ?」 そう言って男が沖田の顎に手を添えてくる。 瞬間、力ずくで顔の向きを戻され視線が再び交わった。 沖田には男の言葉の意味がわからない。 “可愛いって誰が?我慢って何さ?” 沖田が心の中でそう問うた時。 ついに男との距離がなくなった。 “……え?” 声に出せなかった疑問の声。 驚きのあまり目を見開く。 「んんっ……!?」 巡察の時にも許してしまった風間との接吻。 あの時の風間と同じように沖田の唇に重ねられたのは目の前にいる男の唇。 “何で?” 風間の行動も理解出来なかったが、この男の行動も理解出来なかった。 本来好意を持った相手にする行為のはずなのに。 敵であるはずの自分に口付ける事。 そもそも男である沖田に対してそのような行為をする事。 疑問を持って当然だろう。 「……はぁ……んんぅ……」 歯列をなぞるように男の舌が動き。 塞がれた口から息を漏らす沖田の口内をこじ開けてその舌を侵入させて来た。 力が上手く入らない沖田は男の舌の侵入を簡単に許してしまう。 舌を絡め取られ、抵抗も何も出来ず、ただされるがまま。 現実を見たくなくて思わず沖田は目を閉じる。 自然と目尻から涙が零れて頬を濡らしていた。 “嫌だ……気持ち悪いよ……誰か助けて……” 新選組の敵であるはずの男に口内を犯される感覚に、普段他人に助けを求めるような事はしない沖田がこの時には切実にそう願っていた。 けれどその願いは言葉にする事さえ出来ずに沖田の心の中で空しく静かに散ってゆく。 やがては舌で口内を弄られる感覚の他に、男の手が己の身体のいたる所を弄って這い回る感触が加わっていた。 その嫌悪感に必死で耐えながら。 沖田は体力的にも精神的にも限界に達して再び意識は闇へと落ちてゆく。 というわけで5000Hit記念長編SSです。 出来れば全部一気にupしたかったのですが…… 結局分けてup。 遅筆すぎて申し訳ありません… 前へ ![]() |