蜘蛛の糸に囚われた儚き蝶は





新選組一と謳われる事もある程の剣の使い手である沖田総司。

しかし最近の沖田はどうやら体調が思わしくないようで、その実力を披露する機会も段々少なくなっていた。

「大人しく寝ていろ」

そう土方から言いつけられる事も多くなる。



そんなある日。

珍しく上機嫌でみんなに奢ってやると誘い出した土方。
この頃は新選組の名もかなり広まり、京でもかなり有名になっていて。
仕事もその分増え、給金もよくなった代わりにのんびり出来る時間は少なくなった。
そのせいで日頃の鬱憤が溜まっているのではないかと心配したらしい。
幹部の面々を引き連れて土方は島原へとやって来たのだった。

原田、藤堂、永倉の三人は大喜びではしゃいでいる。
目の前に出された豪華な料理に値のはる酒を夢中で貪るように口に運んでいた。

今日は体調がいいらしい沖田も幹部が勢揃いして楽しそうに食事をしたり酒を呑み交わしたりしているこの場の雰囲気をいつもの笑顔で眺めている。

そんな様子を見て、誘い出した土方も満足げに宴会を楽しんでいた。

そしていつものように原田が自慢の腹踊りを披露し出した頃。



ガチャーン



盛大に酔っぱらった永倉が原田と一緒に踊り出し。
思いっきり躓き。
沖田の食べかけの膳をひっくり返したのだった。
そしてひっくり返った食べ物は、目の前にいた沖田に見事かかってしまう。



「あ〜あぁ……」

幸い出されたばかりのアツアツの食事ではなかったので火傷の心配はないだろうけれど。
汁物を大量に浴びてしまってさすがに顔を顰めた沖田。

「総司!大丈夫か!?」

土方が慌てて立ち上がり、駆け寄る。
膳をひっくり返した永倉も酔っぱらって呂律が回らない口調で謝りながら土方と同じ台詞を言った。

「大丈夫です……けど、服が汚れちゃいましたね……」

少し困った顔で笑いながら濡れた個所を手で摘まむ。

「……体調もあまりよくねぇみたいだし、すぐに着替えないとまた風邪をひくかもしれんな……」

土方は渋い顔をして呟くと、近くにいた芸妓に頼み込む。

「すまねぇがこいつを着替えさせてやってくれねぇか?着る物は何でもいい。少しの間貸してやってくれ」

すると頼まれた芸妓は戸惑いながら言った。
ちょうど他の客が同じように服を汚してしまい男物の着物を貸してしまったので、今は芸妓が着るための女物の着物しかないと。

「……僕は別にこのままで大丈夫ですから気にしないで下さい」

そう沖田は言ったが。
土方は困惑しながらもきっぱり言い放った。

「そのままでいいわけねぇだろ!何でもいいって言っちまったしな。着替えて来い総司!」
「ええ〜嫌ですよ」
「総司。副長が心配して言って下さっているのだから大人しく従え」
「一君までそんな事言って……酷いなぁ……」

結局沖田は渋々着替える羽目になってしまう。



そして着替え終えてみんなのいる部屋に戻る途中の出来事だった。

「あ〜あ。何で僕がこんな格好しないといけないのかな?背だって高いし、こんな女の子の着物着たって似合わないし、笑い物にされるだけだよ……。部屋に戻るの嫌だなぁ……」

沖田は文句を呟きながら着替えを手伝ってくれた芸妓と廊下を歩く。

「そんな事あらしまへん。綺麗どすえ沖田はん。きっとみなはん驚きますわぁ」

沖田の隣を歩く芸妓は本当に綺麗だと感心しながら見惚れたように褒めた。
そのような褒め言葉もただのお世辞にしか聞こえない沖田は聞き流していたが。

そんな時ふと誰かと狭い廊下ですれ違う。
身体が触れたわけでもないのにその男は突然ふらついて倒れた。

沖田が振り向いて倒れた男を見つめた。
かなり酔っぱらっているようだ。
意識も朦朧とさせながら立ち上がろうともがいている。

「……大丈夫ですか?」

一人で立ち上がるのも困難である姿があまりにも見ていられなくなり、沖田は声を掛けた。
手を差し伸べて助け起こしてやる。

「ああ?あ〜すんません……」

永倉といい勝負の酔いっぷりであった。

「いやぁこんな綺麗な姉ちゃん……に……手を……?ん……?」

手を貸してもらった事に呂律の回らない口調でお礼を言おうとした男が沖田の姿をじぃ〜っと見つめて言葉を詰まらせた。

「あ、僕がこんな格好してるのはちょっとした事情があるだけでいつもはこんな格好してませんから誤解しないで下さいね」
「……はあ……」

ぼんやりと眺める男に沖田はそう告げる。
酔っぱらっているのだからどれだけ頭が働いているのかもわからないが。

「いやぁ……随分綺麗な兄ちゃんに助けてもらえて嬉しいねぇ……このまま連れ帰りたいくらいの別嬪さんだなぁ……」

そんな事を言われて沖田は目をぱちくりさせた。

「……まあ酔っぱらってる人の言う事だから仕方ないか……」

だがこの時の沖田はそんな風に思って特に気にもしなかった。

「おじさん、部屋まで送りますよ。ふらふらだし一人じゃ大変でしょ」

そう言って一緒にいた芸妓と沖田で両側から支えて男を部屋まで送り届けたのである。



それから。
みんなのいる部屋に戻ると一斉に着替えた沖田に視線が注がれた。

「おい。まじかよ……」

酔っぱらっている永倉がそう零す。
それに続いて。

「うわぁ……総司、本当に女みたいだ……すげぇ」

平助が感嘆の声を漏らした。
土方も斎藤も原田もあまりの事に口を開けて見とれるように頬を赤く染めて見つめている。

「……あんまり見ないで下さいよ。恥ずかしい……」

沖田も負けずに顔を赤くしながら俯いた。

「ああ、お前の着物はちゃんと洗ってもらったからな。乾くまで待つか、それとも今日はこのまま帰って後で取りに来るか?」

土方がそう問えば。

「冗談ですよね?もちろん乾くまで待ちますよ。こんな格好で屯所に帰れるわけないじゃないですか」
「そうか?……すぐに脱ぐのは勿体ない気もするんだが……」
「何か言いましたか?」
「いや、その……今の格好も似合っているからなと思ってな……」
「嫌味ですか?土方さん、いつも僕に言われっぱなしだからって酷い人ですね」
「俺は別に貶してるわけじゃなくて褒めてやってんだよ」
「嬉しくないです」

頬を染めながらぷいっとそっぽを向く沖田に苦笑する土方は、本当に綺麗だと思うんだがな……と心の中で呟いた。

「それにしても着替えに随分時間がかかったようだな。やはり女物の着物を着るのは大変だという事か?」

今まで口を閉ざしていた斎藤が興味ありげに沖田に視線を注ぎながら問いかけた。

「……確かにちょっと戸惑ったけど……でも戻るのが遅れちゃったのは着替えだけが理由じゃないかな」

土方の視線を避けて斎藤と視線を合わせた沖田。
そして問われた質問に答えるが、やはり斎藤からも熱い視線を送られている事に気づいて気まずくなり、結局再び目を伏せて続きを話す。

「途中で新八さん並に酔っぱらってる人がいてね。放っておくのも可哀相だと思ったからその人の部屋まで送ってってあげたんだよ」
「ほう……」

斎藤は静かに相槌を打ちながら耳を傾けている。
もちろん視線はじっと沖田の方を見つめたまま。
土方も酔っぱらった三人組も沖田の姿を凝視しながら聞き耳を立てていた。

「でもそうしたらそこの部屋には他にもいっぱい男の人がいてさ。僕が男だって言ってるにもかかわらず引き止められちゃって、何度かお酌させられちゃったんだよ……」
「は?」
「……おいおい……それって……」

この場にいる幹部全員が沖田の話を聞いて顔色を変えた。
土方の眉間にいつもより深い皺が寄せられる。

「お酌なんて近くにいる綺麗な芸者さんにしてもらえばいいのにさ。絶対僕の事馬鹿にしてそんな事させたんだろうなって思うよ。あれ以上引き止められてたら僕も我慢出来ずに斬っちゃってたかも……」
「おい総司……おめえは本気でそう思ってんのか?」

土方がぽつりと疑問を漏らす。

「え?どういう意味ですか?」

沖田は土方が言いたい事を理解出来ずに小首を傾げていた。

「……完全に総司の事気に入ってんじゃねぇかよ」

原田がため息つきながらそう言えば。

「総司にただで酌をさせるとは……許せん……」

斎藤が内なる怒りを表した。

「え?どうしたんです?みんなして恐い顔して……」

沖田がよくわからないといった風に問う。
しかし、それには答えず皆舌打ちしていた。

「おい総司。俺たちにも酌してくれ」
「おおそりゃいいな」

原田がそう切り出してぎすぎすした空気を打ち破れば。
永倉も乗って来る。

突然気分が上昇してゆくみんなの様子を怪しみながらも。
渋々言われるままに酌をする沖田だった。

「しょうがないなぁ……今日だけですよ」

土方に対しては嫌がらせでよく酌を自らするが。
乞われて酌をするのは珍しいかもしれないと沖田も不思議な気持ちで土方の持つ盃に酒を注ぐ。
そして永倉、原田、斎藤、藤堂にも順に注いでやったのだった。





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