翌日。

「あ〜あん時の総司、まじで可愛かったなぁ……」

巡察の当番である十番組組長の原田はそんな独り言を呟きながら、京の町を見回っていた。

「あの後服が乾いたらすぐに着替えちまったけど……。もったいねえよな……あんなに綺麗だったのに……」

昨日の島原での出来事が忘れられず、ぼんやりとした表情で歩いている。
原田の頭の中など知らぬ平隊士たちは、昨日幹部の面々が島原で呑んでいた事を知っているため、二日酔いなのではと心配になった。

「原田組長……大丈夫ですか?」

あまりにも心配になった隊士からそう言われ。

「ん?ああ?俺は別に何ともねぇけど。どうかしたか?」

と自覚なしの原田はそう返す。
そして鼻歌まじりに笑顔で隊の先頭を歩き続けた。

“絶対おかしい……!”

十番組の隊士たちは揃ってそう心の中で叫ぶのだった。

そんな上機嫌でいつもと違った調子の原田の鼻歌が突然ぴたりと止まる。
隊士たちはどうしたのかと組長の原田を見つめた。

「せっかく気分よかったんだが……どうやら問題が発生したみてぇだな」

原田は舌打ちしながらそう漏らす。

原田が見つめる先に他の隊士たちも視線を向ける。
そうすれば成程と頷ける事態が起こっていた。

「おいこの餓鬼どもが!俺たちにぶつかっておいて謝りもしねぇのか!?」
「はん!俺たち攘夷志士に対してそんな態度を取るとはたとえ子どもでも容赦しねぇからな!」

どうやら攘夷派の浪士たちに子どもが運悪くぶつかってしまい難癖をつけられているらしかった。

様子を見れば周りの大人たちははらはらとしながらも我が身可愛さに誰も口を出そうとしない。

「おいお前ら。ひと暴れする準備はいいか?」

十番組の隊士たちを振り返り、原田はこれから仕事だと目で合図を送る。
隊士たちが頷くのを見るとすぐに原田は動いた。
先程まで上機嫌で鼻歌を歌って軽い足取りで歩いていた男とは思えない動きである。

浪士たちに絡まれている子どもを助ける為の行動は早かった。



「おいおい。こんな子どもに喧嘩を売るたぁ大人げないんじゃねえか?」

原田が子どもを庇うように前へと出て行く。

「何だ貴様は!?」
「おい、こいつら新選組だぜ!」

羽織を来た隊士たちを見て一瞬で新選組だと知られる。
しかし原田は構わず槍を構えた。

「あんたたちは攘夷浪士みてえだな。大人しくしてもらおうか」
「はん!簡単に引き下がるような雑魚と一緒にするなよ!」
「俺たちは貴様ら幕府の犬になんぞ負けやしねえ!」

原田が本気で槍を突き刺すように構えても全く怯む様子はない。
それどころか殺気は増してゆくばかりだった。
新選組に堂々と歯向かおうとするなどかなりの腕前なのだろう事が予想される。

原田は一気に気合いを入れて踏み込む。
組長に続いて他の隊士がそこに攻め入る。

たとえ相手がどんなに手練であっても十番組組長の原田がいて負ける事はない。
新選組の者はそう確信していた。

だが、思った以上に手こずった。
攘夷派浪士を捕まえる事が出来ず、結局引き分けのような形で全員を逃してしまったのである。
5,6人というそれなりの人数ではあった。
しかし十番組の隊士の方が数では勝っていたはずだった事を考えると苦虫を噛み潰したような気分にさせられてしまう。
とりあえず子どもたちに危害が及ばずに済んだというそれだけが救いだった。



原田は知らない。
いや、他の新選組の面々も誰も。
この時気分を大きく害されたのは十番組の隊士だけではない事に。

そう、逃げ延びたとはいえ、先程の攘夷志士たちは新選組に邪魔をされた事に相当腹を立てていたのだ。

「くそっ、覚えていやがれ!」

原田たちに背を向け走り去る攘夷派浪士の一人がそう吐き捨てる。
その言葉が微かに原田の耳に入るが、逃げ去る者のお決まりな台詞を大して気にも留めはしなかった。



**********



それから暫くしたある日の事。

新選組の中に新しい隊士たちが入隊してきた。
皆まだまだ経験は足りないけれど、中には将来有望といった実力の持ち主も多くいる。

早朝から。
道場に気合いの入った声が響き渡っていた。

この日、平隊士たちの稽古を見ていたのはいつも真面目で働き者の斎藤だった。

新入りの面倒もしっかり丁寧に見ている。
全ては新選組の将来のため。
今は未熟でもいずれは新選組の大きな力になるかもしれないのだ。
稽古に手を抜く事は出来ない。
新入り隊士と軽く手合わせまでしていた。

そんな時。
斎藤はふと気になった。
手合わせをした新入り隊士の中で、新選組幹部を相手に本気を出していなさそうな者たちがいたのだ。

気のせいか?
それとも……わざと実力を隠そうとしているのか?

訝しげにその隊士たちを見遣る。
するとその者の内の一人が斎藤の視線にすぐ気づき会釈をする。
そして。

「斎藤組長」

その隊士から斎藤に声を掛けて来た。

「何だ?」

斎藤はいつもの無表情で答える。

「あの、お聞きしたい事があるのですが……」

そう切り出した隊士の口から次に出された言葉は沖田の名だった。

「新選組に一番組組長の沖田さんっていますよね?」
「は?」

唐突な質問に思わず零れる疑問の声。

「……確かにいるが……それがどうかしたのか?」
「いえ。新選組の中でもかなりの実力を持った方だと聞いていたのですが、この新選組に入ってからお姿を見ていないので……」

沖田はここ数日体調を崩していた。
寝ていろという土方の言いつけはあまり聞き入れておらず、出歩いてはいるようだが、道場などには顔を出していない。
だから新入隊士にはまだ顔を合わせていないのだ。

斎藤たち幹部にはいつも姿を見せている為、あまり気にしてはいなかったが、やはり平隊士から見ればどうしているのかと疑問に思われるようだった。

だが新選組一と謳われている沖田が体調不良だなどと噂が広まれば新選組内外でも大きく影響が及ぶだろう事は予想出来る。

だからあまり本当の事を言う事は躊躇われるのだ。

「総司は……一番組の組長だから下っ端の相手などは滅多にしないのだ。もし手合わせしたいのなら精進するといい……」

咄嗟についた嘘を気まずそうに吐き捨てて斎藤は稽古の終わった道場を後にした。

斎藤が去った後。

ふいに呟かれた言葉は。
道場を去ってしまった斎藤の耳には入らない。

「……ふ〜ん?三番組組長さんは話を丸め込んで真実を隠すのが上手いみたいだな……」

怪しげな笑みを浮かべる新入隊士の姿を気にかける者は誰もいなかった。



**********



「総司、見て見て!」
「ん?ああ、可愛いお花だね。これ君が作ったの?」
「うん」
「上手だね。僕にも折り方教えてくれるかな?」
「もちろんいいよ」

土方に休んでいるよう言われた沖田だったが、大人しく一人で部屋に籠っているのが寂しいのか、体調がよくなったこの日。
朝食を済ませて暫くした後。
こっそり屯所を抜け出して近所の子どもたちと遊んでいた。

さすがに男の子たちと一緒に駆け回って遊ぶ事は自重したらしい沖田は、縁側で女の子たちが折り紙で遊んでいるのを眺めていたのだった。

子どもたちと一緒になって折り紙を手にした沖田は楽しそうに教えてくれる子どもの言う通りに折り紙を折ってゆく。

「はい出来上がり」

教えてもらった折り紙の花を子どもたちに見せればみんなが笑顔で嬉しそうに歓喜の声を上げてくれる。
一人でいてもつまらない時間が、今この時は楽しくて、沖田も子どもたちに頬笑み返した。

「総司、次は猫さん折ろう!」
「うんいいよ」

子どもたちも楽しそうなのでそれが沖田も嬉しい。

そんな時。

「おや、あなたは……」

突然声を掛けられて、沖田は顔を上げる。

「一番組組長の沖田さんですよね?」
「……君、誰?」

知らない男に声を掛けられた沖田は警戒しながら問う。
じっとその男を見つめていると何か引っかかった。

「……あれ?君……どこかで……」

覚えてはいないがどこかで見た事がある顔のような気がした沖田はそう呟く。
そんな反応に男は姿勢を正して答える。

「はい。この間新選組に入隊した者です」
「……へえ……新入隊士か……。最近道場に行ってないから新入隊士の顔はまだ覚えてなくて……ごめんね」

沖田は申し訳なさそうにそう告げた。

「いえ。まだまだ未熟者ですから仕方ありませんよ」

気まずそうな沖田に謙った態度で頭を下げるその新入隊士の男。

「それにしても……屯所内ではなかなかお目にかかれませんでしたが、こんな場所でお会い出来るなんて思いませんでした」

「光栄です」と言って差し出された手を、沖田は少々困惑気味に握って握手を交わした。

「どうも。……これからよろしく」
「はい。沖田さんに認められるよう精進します」

握った手から、何か不思議な感覚が伝わって来て沖田はびくりと肩を震わせた。
男と視線を交わせば意味ありげな瞳が自分を捕らえているようで金縛りにでもあった気分になる。
嫌な冷や汗が頬を伝う。
しかしその原因がよくわからない。
殺気を感じるわけでもなく、男から向けられているものは決して嫌悪などのような負の感情ではないと思われるからだ。

手を握っている間、まるで時間が止まったようだった。
言葉を発する事も出来ず、静かに相手が手を離してくれるのを待つ事しか出来ない。

「総司ぃ〜」
「ねえ総司ぃ〜」

子どもたちが沖田の周りに群がって来た。
それを見て男がやっと手を離す。
沖田はほっと息をついて男から視線を外して子どもたちを見た。

「総司遊ぼうよ!」
「遊ぼう総司!」

男の方に気を取られ始めた沖田の腕を引っ張って自分たちの方に引き戻そうと必死になっている様子が子どもらしくて可愛い。
子どもたちは遊びの途中で男に沖田が取られてしまいそうだと感じたようだ。

「ああ、ごめん。折り紙の途中だったね」
「これはこれは、沖田さんの邪魔をしてしまったようで申し訳ない。俺はそろそろ退散した方がよさそうですね。失礼します」

男は丁寧に挨拶をしてその場を去って行く。
去り際に一言残して。

「またいずれ、ゆっくりとお話させて下さい」

その言葉を漏らした時の男の口元が怪しく吊り上がった気がして、再び沖田は身を強張らせた。
けれどやはり原因がわからず、男が去って行く間、沖田はどこか不安げにその背中を揺れる瞳で見つめていた。



「ったく……大人しく寝てろって言っただろ?何で勝手に出かけてんだよ!?」

沖田が屯所へと戻れば相変わらず苛々した棘のある土方の怒声が響いた。

「いいじゃないですか。今日は気分もよかったし問題ないですよ」
「おめえは自分の限界ってもんをわかってねえだろ!?危なっかしいんだよ!一応明日は一番組が巡察当番になっているが……もし具合が悪いなら二番組と交換して……」
「大丈夫ですよ。巡察って言ったって滅多に事件が起こるわけじゃないですし、市中を見回るくらい出来ます」

ここ数日体調を崩していた沖田が外を出歩けるくらい具合がよくなった事には安心したが、それでも心配でたまらないらしい土方は巡察の日を交代する事を提案した。
だが沖田は大丈夫だと言って返す。
土方は沖田が仕事をさせてもらえなくなれば辛い思いをするであろう事はわかっていたし、出来れば本人の意思を尊重して新選組のためになる仕事をさせてやりたいと思っていた。
だからこれ以上は無理に仕事を取り上げてしまうのも可哀相だと思い、土方は結局次の日の巡察を一番組に任せる事にする。

「まあ明日は三番組も巡察の当番になっているからな……。何かあれば斎藤に相談しろよ」
「そんなに心配しなくても僕は大丈夫ですってば」



そんなこんなで。
次の日。
一番組と三番組が巡察へと出て行った。

土方が出かける前に沖田の姿を一応確認する。

「……まあ顔色は悪くなさそうだな」
「だから大丈夫だって言ってるじゃないですか。しつこいですね」

そう言って市中の見回りに出て行く。

沖田たちが巡察に出て行ってしまった後、土方はやれやれとため息をついた。
大丈夫だと沖田は言っていた。
しかしどうしても心配になった土方はすぐに山崎を呼びつける。

「……山崎、……総司の事頼めるか?」
「はい」
「総司は気配に聡いからな……上手く尾行してくれ」
「善処します」

そう言ってさっと素早い動きで屯所を出て行った。
先程出て行ったばかりの一番組を追うために。

「頼んだぞ、山崎……」

本人には聞こえていないだろうが土方はそう呟かずにはいられなかった。





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