一番組と三番組が巡察に出て暫くした後。
事件は起こった。

「うわあぁぁぁっ!?」
「た、助けてくれぇ!」

あろう事か屯所の中で叫び声が響き渡ったのだ。

「何事だ!?」

自分の部屋で仕事をしていた土方は慌てて声のした方へと駆けつける。
屯所にいた他の幹部や平隊士たちも騒ぎを聞きつけて集まっていた。

土方がそこに駆け付けた時。
その瞳に映ったのは。
急所に刀を突き付けられて事切れている数名の隊士たちの無残な姿だった。

「一体何が……?」

土方は目を見開いてそれを呆然と見つめていたが、いつまでもぼうっとしている余裕などはないと頭を無理やり切り換えた。

「まだ近くに犯人がいるかもしれねえ!」

土方は殺された隊士たちの周りに群がる者たちに素早く指示を出す。

「怪しい者を見つけたらひっ捕らえろ!」

そんな土方の指示に従い、平隊士たちは屯所内を駆け回った。
入り口の門は出入りが出来ないよう見張りを置きながら。

「くそっ!一体誰がこんな真似を……」

永倉が血を流して倒れた一人の隊士を抱えながら悔しそうに呟いた。

「こいつらみんな、最近入って来た新入隊士じゃないか……?」

原田が無残に転がる死体を目にしてそう言えば。

「本当だ。新入りばっかだぜ」

藤堂も頷いて唇を噛みしめた。

「いたぞ!外だ!外に怪しい奴がっ……!」

平隊士の一人が大声で叫ぶ声が聞こえる。
殺された隊士たちをこのまま放置しておくのも躊躇われたが。
その声に誘われるように死体を一先ず後回しにして土方たちも現場へと向かった。

屯所の門の外へとやって来れば、数人の浪士たちが新選組隊士たちとやり合っている最中だった。

「あれは……」

原田が思わず漏らす。

「この間逃がした不逞浪士共か……?」

悔しそうな顔で原田はその浪士たちを睨みつけていた。
浪士たちとやり合っているのは最近入って来たばかりの新入隊士たちだった。
同時期に入隊した仲間をやられて後先考えずに飛びかかっているのだろうか。
道場では未熟者だと思っていた者たちがなかなかの腕前を披露しているようだった。
しかし所詮は経験の浅い者たちだ。
相手の浪士たちにどこまで通用するかもわからない。

原田や永倉や藤堂たちは慌てて加勢するために駈け出した。

それを見た浪士たちは分が悪いと感じたのか、迷いなく逃げ出して行った。
お陰で再び捕らえる事は叶わず取り逃がしてしまうのだった。

屯所の外まで追いかけて出て行った三人組は重い足取りで戻って来る。

「まったく逃げ足の速い奴らだぜ……」

原田がそう吐き捨てた声が土方たち他の隊士の耳にもこびり付くように響いた。



**********



屯所内でそんな騒ぎがあった頃。
巡察を行っていた一番組と三番組の者はもちろん事件の事など知らず、いつものように市中の見回りをしていた。

一番組の隊士たちを纏めながら、沖田は先頭を歩き、京の町を見回っている。

特に異常はない。
平和な日だ。

少しだるい身体で人々が行き交う賑やかな町を歩く。
いつまでもこんな平和が続けば巡察の必要もないんだろうなと考えながら。

空を見上げれば青い空に流れる真っ白な雲。
気持ちのよい風が髪を揺らし頬を擽る。

巡察の最中ではあったけれど、ぽかぽかの陽気に町人たちの穏やかな笑い声が響いていて。
まるで散歩をしているような気分になってしまう。
これだけ平和なら問題はないだろうと思われる。

そろそろ引き上げようと屯所に戻る道へと歩を進めていた。

「……やれやれ……」

そんなせっかくの平和な町に不穏な空気が流れ出す。
沖田はため息をついて目の前を歩いて向かって来る一人の男の姿を見つめた。

「……何でこんな所にいるのかな?」

疎ましげに沖田はその男が近づいて来るのを睨みつける。

「俺がここにいてはいけないか?ただの散歩をしているだけなのだが……?」
「…………」

沖田の率いている一番組に何の躊躇いもなく、臆しもせずに近づいて来た男。
それは……
鬼の一族の頭領であり度々新選組にちょっかいを出している風間千景であった。

沖田は警戒しながら刀をいつでも抜けるように構えていた。
しかしそんな様子にもお構いなしで、風間は余裕の態度で笑みを浮かべている。

「俺とやり合うつもりか?やめておけ。無駄な犠牲が出るだけだ」
「何だって?」

風間の余裕な態度にむっとした沖田は勢いで刀を抜きそうになる。
だが次の瞬間。

「なっ!?」

風間は目にも止まらぬ速さで沖田の目の前から姿を消した。
そして気づいた時には背後を取られ刀を引き抜こうとしていた腕を抑え込まれていたのだった。

「……くっ……」

沖田は顔を歪めて風間の腕から逃れようと足掻いてみたが振り解けそうになかった。
組長の危機を感じ他の隊士たちが抜刀し出す。

「言ったはずだ。止めておいた方がいいとな。無駄死にしたいのならば止めはせんが……」

風間は沖田を抑え込んだまま後ろを振り向き他の隊士たちに殺気を送り圧倒する。
それだけで実力の差を見せつけられた気分にさせられて、怯んでしまう。

「……俺は戦うつもりなどない。穏便に済ませたいのなら刀を収めてもらおう」

風間は静かにそう言った。
冷たい眼差しが隊士たちを射抜いている。
それでも一番組の者たちは後ずさりしながらも叫んだ。

「沖田さんを離せ!」

その姿にふっと笑みを漏らす風間。
愚かだと思いつつも沖田を見捨てずに強敵に向かっていこうとする意気込みには感心したようである。

「こいつは……」

風間は沖田の顎を捕らえて視線を無理やり合わせながら偉そうな口調で言った。

「いずれ俺のものになる予定なのだが?」
「???……っ誰が!?」

わけのわからない発言を発した風間に思わず声を上げる沖田だったが、鬼の力で抑え込まれた身体は簡単には逃れられず、僅かに身じろぐ事しか出来ない。

「しかし今はまだ貴様ら新選組に預けておいてやるさ」

隊士たちにそう言い放つと捕らえた顎を強引に引き寄せて唇を重ねて来る。

「……っんん!?」

口づけをされた本人はもちろんの事、その場面を見せつけられた一番組の隊士たちは驚愕してしまう。
何とか逃れようと沖田はもがき続けたが唇はなかなか離れず。
無駄に体力を消費して呼吸が苦しくなってくる。

「〜〜っんん!」

徐々に涙目になるその姿が更に風間を刺激している事に沖田は気づいていなかった。

隊士たちは何とか助け出せないかと思考を巡らせたが、あまりの状況に驚きの声を上げるだけ。
何もいい案が思いつかず、ただ傍観している事しか出来ずにいた。

やがて風間がゆっくりと唇を離せば二人の口からはお互いを繋ぐように糸を引いていた。

「……はあっ」
「なかなかそそるじゃないか。やはりこのまま連れ帰りたくなってきたぞ?」
「……ちょっ、と……いきなり……何すんのさ!?……何でっ……!?」

何故このような口づけをしたのか問い質したかった沖田だったが、言葉が続かず咳き込んでしまう。

「けほっ……」
「……無理をさせたか?すまない事をしたな。まあ一度口にした事は守るのが鬼だ。今日の所は連れて行くのは諦めるさ」

そう言って風間は沖田の拘束を解いて離れる。

「…………」

沖田は何も言えず涙目になって風間を睨みつけていた。
それを満足げに眺めて風間は告げる。

「一つ、忠告をしてやる」

まだ混乱している最中で風間を睨みつけている沖田の髪を一すくいした後、耳元で囁くように言葉を続けた。

「長州の奴らが何やら企んでいるらしい。気をつける事だな。狙いは俺にもわからんが……新選組幹部を狙っているという噂も聞いた。だからお前も注意した方がいいぞ」

そこまで伝えると、まるで何事もなかったかのように静かに風間は去って行くのだった。

風間が去った後、隊士たちは一斉に沖田の元へと駆け寄る。

「沖田さん、大丈夫ですか!?」
「すみません我々が力不足なばっかりにあのような奴に……」

そう言って悔しそうに唇を噛みしめる隊士たち。
だが沖田はそんな彼らを責めるような事はしない。

「悪いのは僕だよ。……ごめん。……あんなにあっさり背後を取られるなんて情けないね」

沖田は風間に重ねられた唇の感触を消そうと口元を己の手で拭った。

「こんな情けない話は誰にも言わないでもらえるかな?特に土方さんに知られたら面倒くさい事になりそうだし」

今この場で起こった事を。
特に風間に口づけされてしまった事に関しては誰にも口外しないで欲しいと沖田は口止めをした。

一番組の隊士たちは組長の言葉に静かに頷いて従う事しか出来なかった。
皆、沖田を慕っている者たちばかりである。
先程の出来事に関しては色々と心配してしまう所だ。
出来れば他の幹部たちにも相談したいと思っているだろう。
それでも沖田の気持ちを第一に考え口外しないと約束をしたのだった。



けれど沖田は気づいていなかった。

一番組隊士たちの他の者にも、先程の現場を目撃されていた事に。
気配に聡い沖田ではあったが、尾行する山崎も気配の消し方が上手かった。
体調が万全ではないせいでそこまで気が回らなかったというのもある。
それに風間が現れてからはそちらにばかり気を取られていた。
だから本日の巡察で沖田が山崎の存在に気がつく事はなかったのである。

風間が現れてから。
彼が去って行くまで。

山崎は一人建物の影に身を潜めながら一番組の隊士たち、主に組長の沖田の姿を眺めながら己の拳を強く握り締めていた。

「っくそ……」

最初から最後までただ離れた場所で見ている事しか出来なかった自分自身が悔しかったのである。

あの場で。
山崎が助けようと飛び出したとしても、風間に勝てる見込みはほぼない。
もしも助けに駆け出していたならば最悪死人が出ていたかもしれないのだ。
それがわかっているからこそ、飛び出して行きたいのを必死で耐えたのである。

風間に沖田の命を奪うつもりがあったなら後先考えず助けようと飛び出したかもしれないが。
風間が沖田を好いている事は実は本人以外の幹部の者は何となく気づいているのだ。
そして山崎もどことなくそれを感じている。
だから風間は沖田の命を奪ったりはしないだろうという確信があった。
それ故に下手に手を出せなかった。

「申し訳ありません副長……。頼まれていたのに、沖田さんを守れませんでした……」

山崎もまた唇を噛みしめてそう零していた。





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